第39話 振り払う ~ Rocking Horse Fly II

 テスト休みとボランティア期間が終わって久しぶりに学校へ登校する。といっても、この後の授業は消化試合のようなもの。テスト結果が返却されるとすぐに終業式だ。


 久々といってもたかが一週間ぶりくらい。かなめやナナリーにはちょこちょこ会っていたので、しばらくぶりの再会というわけでもない。


 いつものようにコンビニの近くでかなめと待ち合わせて一緒に登校し、放課後はナナリーの待つ部室へ行くだけだ。


 一見、平和そうに見える学校生活は、教室での刺々しい雰囲気さえ気にしなければパラダイスのようなもの。


 授業は定刻で終わり、終わりが見えない残業などない。放課後は文芸部でゆるーい雑談にかまけていれば時間はすぐに過ぎていく。


 まさにパラダイスじゃないか。そんなくだらない話を朝の登校時にかなめとお喋りする。


 だが、この日、パラダイスである学校は『笑ってはいけない女子高生活』と成り下がった。


『孝允さん、後ろ!』


 有里朱の声に気付いて振り返ると、そこには水風船のようなものを投げつけようとしている女生徒がいた。すかさず胸に挿していたペンを投げつける。


 ぱしゃりと風船は破裂して、中の水を被るその女生徒。


「誰?」

『さあ?』


「あっちゃん、先輩に何か恨みを買うようなことしたの?」


 かなめがその女生徒を知っていたようだ。なるほど、同じ一年ではなく学年が上の女生徒なのか。


「もうやだぁ……」


 その先輩は涙目になりながら走り去って行く。今の季節に水をかぶるなど自殺行為に等しいだろう。まあ、風邪をひかないことを祈っておこう。


 さらに校門の所で体操着を着た生徒に、斜め前からバレーボールのようなものを投げつけられる。が、すぐに反応してボールを思いっきり叩いて打ち返した。


 ボールはダイレクトにその生徒の顔面へとぶつかる。


「ぐぇっ!」


 まるでお笑い番組のように、とても良いリアクションをする女子生徒。


 思わず笑ってしまう。


『ダメだよ。笑っちゃ』

「いや、攻撃仕掛けたのあっちだろ」

『女の子の顔面に当てるなんてかわいそうだよ』


 俺が有里朱にお叱りを受けている間、かなめがその女生徒に「大丈夫?」と声をかけていた。


「ごめんなさい……」


 俺たちに謝りながら女生徒が泣いていた。謝るくらいならやらなきゃいいのに。


 さいわい、鼻の頭が赤くなっている程度で鼻血も出ていなかったので大事には至らなかった。でも、これ自業自得だろうが。


 さらに教室に行くと、扉が少し空いていて、その上に黒板消しが挟まっている。小学校かよ!


「かなめちゃん、待って」


 俺はカバンの中から、スプレー式の接着剤を取り出し、黒板消しの上の方に吹きかける。十秒ほどおいてから扉を開けて中に入るが、黒板消しは上に貼り付いたままだ。


 不思議に思ったのか、二人組の女生徒が様子を見に行くと、タイミング悪く黒板消しが上から剥がれてその女生徒の一人の頭に落ちてくる。


 白く染まる少女の黒髪と顔。おいおい、まるでコントじゃないか。金だらいでも持ってくりゃ良かったな。


「なんか今日おかしいね。あっちゃん、何かした?」

「しばらく学校休みだったし、あの子たちとは今日久々に会うよ。それに登校中とか校門で仕掛けてきた生徒とは面識がないはずなんだけど」

「どうしたんだろうね? もう松戸さんはいないはずなんだけど……」


 今日仕掛けてきた奴らは明らかにいじめ慣れている奴らではない。命令に従ってしぶしぶ俺たちに仕掛けてきたのだろう。


 もしボスがいるとしても、直接の配下というよりは脅されて服従しているのだろう。


 俺の中のいじめ分類では【回避系服従型】。


 いじめっ子がいじめられっ子に命令して、さらにその下層の子に対するイジメを行うタイプだ。配下系と違うのは、ボスとの関係は希薄であること。一回限りの命令なんてこともある。配下系より上下関係が強く、ゆえの服従型なのだ。


 彼女たちもある意味被害者ではあるが、それをいちいち受け止めていたら身体が持たないだろう。


 いじめは反撃を受けるということを、彼女たちが理解することの方が重要だ。自分もいじめられっ子であるなら、そのことの有用性に気付くべきである。


 かなめの席で時間まで些細なお喋りをし、予鈴がなったので席に戻る。


 有里朱の席であるその机は、とてもカラフルに塗りたくられていた。中でも【死ね】【ブス】とかいう文字が目立っている。これはマジックインキで書かれたのかな。


 俺は急いで後部のロッカーから米国製のスプレー式剥離剤を取り出し、それを吹きかけて三十秒ほど於いてから雑巾で一拭きする。


 すると文字が綺麗に落ちる。拭いた後は机の表面がまるで鏡面のようにテカテカと光り出す。


 周りからは「おおー!」と感心したような声。


 これは、アラスカ沖タンカー座礁原油流出事故に際し米国環境庁が、世界の三百種類以上の洗剤の中から唯一正式に採用した洗浄剤だ。


 天然オレンジオイルから生まれた、人と地球環境に優しい超強力な汚れ剥がし剤なんだぞ。と、通販番組ばりの解説をしようかと思ったがやめた。


「起立!」


 ちょうど先生が入ってきたからだ。



**



 さすがに、それからは何事も起きなかった。居心地が悪いクラスではあるが、積極的に何かを仕掛けてくるような輩は現れなかったのだ。


 放課後、かなめと部室に向かう途中で読みかけの文庫本を机の中に忘れてきてしまったことを思い出す。


 かなめには「先に行ってて」と言い、クラスへと戻るとタイミング良く、有里朱の机の周りで三人ほどの生徒が立っている。他クラスの人間でもなく、クラスの人間なので不自然ではない。だが、彼女たちは明らかに有里朱の机を取り囲むように何か囁きあっていた。


 教室に入らずに俺はその手前で様子を覗う。


「やめなよぉ。今朝のあの子たちみたいに返り討ちに遭うよ」

「美浜さん、最近雰囲気変わったからね」

「けど、これをやらないとあたしがヤバくなるっての」


 俺はクラスメイトの名前を覚えていないので有里朱に確認を取る。


「あれは誰だ?」

『宮本さんと駿河さんと市場さんだね』

「どれが誰?」

『孝允さんって、ほんと人の顔を覚えるのだけは苦手だよね。あんだけ頭の回転が速いのに』

「俺のスペックは多重コアと高クロックが売りなんだ。記憶容量は二の次なの」

『意味わかんないんですけど……けど、今はわたしがその足らない記憶を補佐すればいいのね?』


 わかってるじゃん。


「そういうこと」

『あのロングの神経質そうな子が宮本さん』

「ああ、あのグループのリーダー格か」

『もう! そういうのはめざとく分析してるんだから……まあ、いいわ。で、あのメガネの子が駿河さんで、栗毛のポニテの子が市場さん』

「なるほど、ありがとな有里朱」


 そう礼を言うと、俺は教室へと突撃する。


「なにをしているんですか?」


 気弱な声で、それでいて視線はリーダーである宮本をしっかりと捉える。


「え?」

「あ、なんでもないよ」

「そうだよ。あんたに関係ないだろ!」


 二人は狼狽えつつ、宮本だけは強気でこちらを睨んでくる。


「そこ、わたしの席なんですけど」

「そりゃ、悪かったわね」


 宮本がそう言って立ち去ろうとするが、俺は彼女の手に持つ文庫本に注目する。


「それ、わたしの本だよね?」


 びくりと肩を揺らし、宮本が止まる。他の二人は苦笑いをこぼした。


「あぁ? なに言ってるの美浜」

「わたしの本だよね」


 大事なことなので二回言いました。


「違うわよ。これは、あたしの。そうだよね? サエ、トモカ」

「そうだよ。これはカオリのなんだから。あんたには関係ないよ」

「うん、そうだね」


 明らかに挙動不審な表情に、思わず笑いがこみ上げそうになる。ダメだ、ここで笑ってはいけない。


 今度は力強く、同じ台詞を三度唱える。


「わたしの本だよね」

「どこにそんな証拠があるんだよ」


 相変わらず張りぼての強気で攻めてくる宮本。というか、他の二人はあまり乗り気じゃないようだな。少し逃げ腰になっているようにも感じる。


「わたしは素直に『返して下さい』なんて言いません。それがわたしのものであるってわかった時点で『盗んだ』と判断しますよ」

「だったらどうだっての!?」


 再び開き直ったかのように私に対峙する宮本さん。状況がわかっていないのだろう。彼女は自分が不利である状態を理解していないようだ。


「人様の物を盗むってことが、どういう事だかわかっていないんですね?」


 目を細め顎を上げ、蔑むような視線でゆっくりと言葉を綴る。


「先生にでも告げ口するっての? 情けない。でも、証拠がないわね。それとも、力尽くであたしたちからこの本を取り上げる?」


 両隣にいる二人をちらっと交互に見る宮本さん。三対一でこちらがかなわないと思ってのことだろう。


「少しだけ忠告しておいてあげるわ。わたしはあてにならない先生なんかに頼る気はないよ。それから、証拠だったらいくらでもある。たとえば、その机とか」


 そう言って有里朱の机を指さす。


「さっき素手で触ってたでしょ。指紋ベタベタについてるよ。ケーサツに届ければどうなることやら」


 笑いをこらえるのが大変。さて、どこまでハッタリが通用するのか。


「カオリ、ヤバいよぉ」


 駿河さんがすがるような目で宮本さんを見つめる。


「ふん、馬鹿馬鹿しい。たかが文庫本一冊で警察が動くわけないじゃない」

「盗られたのが本だけじゃないって言ったら? 本の間に現金を挟んでおいたって言ったら?」

「そんなもん入ってなかったけどぉ!?」

「あれ? 簡単に認めちゃってるね」


 彼女ははっとして口に手を持っていく。俺としては、もう少しハッタリをかましたほうが楽しかったのだが、ずいぶんと簡単に崩れてくれる。


「駿河さんと市場さんにちょっと訊きたい事があるんだけど、いいかな?」


 こういう場合、ネチネチとその根拠のない自信を削りとってやるのが効果的。まずは、周りからと。


「なによ?」


 二人をきょとんとして、同時に返事をする。


「宮本さんと本当に仲がいいの? だったらさ、共犯って事だよね?」


 わざと意地悪げにそう言ってみる。


「共犯って……」


 さすがの駿河さんも、言葉尻が濁る。もともと及び腰での犯行だったとしたら当たり前の反応。


「再来年は受験大変だよね。お互いに」


 遠回しな言い方でも通用するだろう。これがわからないような相手なら、俺がわざわざ干渉し返してやる意味がない。


「なに? 脅すつもり? あたしたちの友情は固いのよ。これぐらいのことで……」


 その言葉に反応したのは宮本さん。駿河さんと市場さんの手を取り「あたしたちの友情は固いんだから」と言いたげだ。


「これぐらい? 本当にそうなの? ねぇ、駿河さん、市場さん」


 喉の奥から笑いがこみあげてきそう。俺は宮本さんの言葉を少しニュアンスを変えて他の二人に聞き返す。


 何か気まずそうに俯く二人。宮本が視線を合わそうとしても、二人は目を逸らしてしまった。


「ま、首謀者はあきらかに宮本さんだし、あなたたちの責任は追及しないであげてもいいかな」


 俺は駿河と市場の二人に対してそう告げる。


「サエ、トモカ。まさかこんな事であたしたちの友情が壊れるなんてことはないよね。あんなヤツの言うことなんかまともに聞くことないよ」


 少し焦りが見え始める彼女だが、自分の言葉に説得力がないことに気づいていないようだ。


「わたしはただ訊いただけなんだけどね。将来を棒に振ることが『これぐらい』かって?」


 誰も何も言えるわけがない。宮本でさえ、それ以上口を開けば自分が不利になるということに気づいてしまった。


「よく考えた方がいいよ。ま、わたしも面倒な事はあまりしたくない方だし……」


 言葉尻を意図的に濁らす。これで二人が反応してくれれば楽なんだけどな。


「……」


 固まったままの三人。やはり人間、他人の都合のいいようには動いてくれないか。


「宮本さんには訊きたいことがたくさんあるんだけど、駿河さんと市場さんは解放してあげる」


 してあげる、とあくまでこちらが優勢であることを示しておく事が重要だ。


 あきらかに動揺を隠せない二人、そして何か言いたげにこちらを睨み付ける宮本。


「……ごめんなさい。わたしはやめた方がいいって言ったんだけど」


 思惑通り、市場が最初に墜ちた。


「トモカ! あんたカオリを裏切るの?」


 続いて彼女のその言葉に反応する駿河。


「だって……わたしはやめた方がいいって、あんなに言ったのに。……もうわたし限界……カオリにはつき合えないよ。なんでわたしたちまでとばっちりを受けなければいけないの?」

「トモカ……?」


 彼女の心変わりに納得のできない様子の宮本。


「カオリが美浜のこと大嫌いなのは知ってるけどさ、わたしはけっこうどうでもいいって思ってるんだよ。嫌いなら無視してればいいんだよ。それなのに、なんでこんな犯罪じみたことをしなきゃいけないの?」


 市場の言葉はいじめの本質を突いていた。冷静にみれば、相手に直接手を出すようないじめはすべて犯罪なのである。人間、誰しも気にくわない相手はいるはずだ。けど、だからといって相手に何をしてもいいというわけではない。ここは法治国家なのである。


「わたし帰る」


 そう言って市場は教室を出て行ってしまった。残されるのは二人。宮本と駿河だ。


「駿河さんはすごいね。トモダチが犯罪を犯していたら、一緒になって悪いことをするタイプなんだ。それが友情と思っているんだ」


 俺は煽るように駿河に対して問いかける。


「そ……それは」

「違うよね。本当の友達なら悪い事をしたら止めるべきだ。でも、止める価値もない場合もあるよね? それは本当の友達じゃないからじゃない?」

「美浜! あんた何言ってるの!」


 宮本が駿河の心を引き留めるように強引に会話に割り込んでくる。駿河の心は揺れている。それを感じ取ったのだろう。


「宮本さんって、駿河さんにとってどんな存在? 一緒に悪いことをやる仲間? それとも間違っていることしてたら注意すべき存在? はたまた、ただなんとなく付き合ってただけの『トモダチ』という名の知り合い?」

「美浜! サエを惑わすなよ」

「あれ? 惑わしているのはどっちかな? 犯罪に引き込んでおいて、それはないと思うけど」


 俺がそう言い切ると、宮本は駿河の両手をとりじっとその目を見つめてこんなことを言い出した。


「サエだって、美浜のこと大嫌いって言ってたじゃない」

「……」

「あたしたちの友情はこんなことくらいで」

「やめて!」


 駿河が宮本の手を振りほどくと、俯いていた顔を上げて宮本を睨む。


「サエ……」

「友情友情言っておきながら、あんたの上から目線の方がウザいんだよ! もう巻き込まないで。あんた一人で美浜にいじわるしてりゃいいじゃない!」


 駿河も教室から出て行ってしまう。残りは宮本一人。


 リーダー格がわかっている場合は、その手足から奪って孤立させるのも一つの戦略。


「あ、あんたのせいでサエとトモカが……」


 さっきまでの威勢の良さはどこへやら。表情が崩れて涙目になる宮本。


「自業自得でしょ?」

「美浜。あんた、そこまで性格悪いとは思わなかった」


 おまえが言うなよ。俺は心の中で苦笑するしかない。


「あんたのせいで……あんたのせいで……」


 挙げ句の果てに床にぺたりと座り込んで泣き出してしまう有様。今誰かに見られたら、有里朱の方が宮本をいじめているみたいに見られてしまうだろう。


「……もう終わりだ……もうあたしは……っ……ぅあああああああん!」


 大泣きしている宮本の様子がおかしい。いじめている奴にやり返されたからといって、ここまで絶望的な表情をするものだろうか?


 まあ、今朝からの『笑ってはいけない』いじめシリーズを受けながら、俺はある推測を導き出していた。


「ねえ、宮本さん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「……っ……なによ!? もう……っ……っ……笑いなさいよ。あたしはどうせ終わりなのよ」

「宮本さんって、前は直接わたしをいじめるタイプじゃなかったよね? 駿河さんや市場さんたちとわたしの悪口言って悦に浸るタイプだったよね」

「それがどうしたのよ! っ……」

「今日のアレって誰かに命令されたんでしょ?」

「……」


 宮本の嗚咽がぴたりと止まる。やはりビンゴか。


「命令されたのは松戸さんでしょ?」

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