第38話 青い空 ~ Picnic


 有里朱の通う宅南女子高等学校では各自ボランティア参加が義務づけられている。それは二学期の期末考査後の試験休みを経て、授業が始まるまでの短い期間だ。


 学校との連携で話が付いている団体がいくつかあり、それぞれの希望で参加するということになる。


 老人ホームの慰問や、保育園の手伝い、公園清掃、それに特別支援学校での教員の補助等々いろいろなものがある。校内にもパンフレットは用意されており、参加の手続きは学校でやってくれる。


 実は試験前にナナリーとかなめの三人でどれに参加するかの打ち合わせは済んでいたのだ。


 俺たちは、ここから二駅行った所にある特別支援学校へのボランティアに決めていた。


 その学校は毎年この時期になると、野外体験学習と称して自然公園へと生徒たちを連れて行くらしい。その介助のボランティアだ。


 視覚障害者の特別学級を引率するのは五名の教師であるが、生徒数は三倍近くいる。ということで、介助の為に様々なボランティアが参加しているのだ。


 有里朱たちの学校では、他にも同じクラスの者が三名ほど参加していた。夏見なつみ玲奈れいな金杉かなすぎ寛美ひろみ高根たかね優花ゆうかだ。


 案の定、顔あわせの時に嫌味を言われる。


「んだよ! 美浜たちと一緒かよ」

「こいつらいるんなら、別のに変えたのにな」

「あんまりうちらの邪魔すんじゃないよ」

「……」


 こういう時はあまり刺激しない方がいいだろう。クラスの中と違って、無視するという雰囲気でなくなっている。何かあれば、俺たちを積極的に攻撃する可能性もあるのだ。


 とりあえずおとなしくしておこう。


 ボランティアは他にも高校生だけではなく、大学生や社会人らしき人もいた。子供一人に介助が一人が付くということらしい。


「はぁぅぅ……なんか緊張するね」


 ナナリーがぶるっと武者震いのようにして身体を縮こまらせる。


「うちらが緊張してもしょうがないでしょ。ナナリー」

「そうそう、年は私たちの方が上なんだからさ」


 介助を行うのは小学部の生徒たちなのだ。年齢でいえば小学生なので、高校生の自分たちはお姉さんみたいなものだ。


「事前に研修みたいなのを受けたけどさ、やっぱ、いざって時になんかあったら怖いじゃん。だって、あの子たちは七璃の感覚と違うんだよ」


 ナナリーのその不安を、かなめが丁寧に言葉にしてくれる。


「そうだね。私たちは目が見えることは当たり前だけど、その感覚で動くのは危険だよね。気をつけるに越したことはないかな」

「基本的に手を繋いで歩くだけだし、何かあったら支援学校の教師を呼べばいい。あんまりうちらが不安がっていると、あの子たちにもそれが伝わってしまうよ」


 俺がそう言うと、ナナリーは気合いを入れるべく両頬をパンと軽く叩いた。


「うん、わかった」



**



 自然公園の遊歩道を二列で歩いて行く。


 俺の隣にはショートカットの女の子の妙子たえこちゃん。かなめの隣には少しやんちゃそうな丸刈りの男の子竜治りゅうじくんで、ナナリーはロングの大人しい女の子のすみれちゃんだ。


 二人一組で手を繋いで歩くという、ボランティアでも気軽に行える介助だ。


 細かい事を気にしなくていいので、子供たちと打ち解けるのは簡単だった。かなめが「好きな歌を教えて」と共通の話題を引きだしてからの、俺とナナリーが新たな歌を教えるという役割分担。


 童謡から最新アニメ曲まで、楽しく歌いながら歩いて行く。一番盛り上がったのは某スクールアイドルの歌を教えた時だろう。隣の子の楽しそうな表情は、ボランティアに参加して良かったと思えるほどのプライスレス。


 そんな感じで、なんの問題もなく過ぎていくはずだった。


 だが、森を抜けて芝生のある広場を通る時、前の方を歩く同じクラスの夏見さんが真っ青な空を見上げてこんな事を言った。


「今日は空が青くて気持ちいいね。抜けるような青空って感じかな」


 すぐにマズいと気付いたのか、その前を歩く金杉さんが振り向いて「ヤバイ」というような顔をする。


「ねぇ、抜けるような青空ってどんなの?」


 夏見さんの隣の子がそう問いかける。肌の白い栗毛の女の子だ。この子は弱視ではなく、生まれつき全盲だったと聞いている。たしか名前はあおいちゃんだったかな。


 しかし、これは難問だ。これに答えられる者はそうそういないだろう。


 とある芸人の名言にもあったなぁ。本人否定してたけど。


「玲奈、うかつだよ。目の見えない子の前で」

「つ、つい……」

「すぐに謝りな」


 夏見さんは友達の二人の子に責められているようだ。まあ、子供の前でそうやって責め立てるのも問題なんだけどね。


「ご、ごめんね。碧ちゃん」

「なんで謝るの? わたし、お空がどんな感じか知りたかっただけなんだけど」


 別にあの子は傷ついてはいないようだ。


 そりゃ、生まれた時から見えなかったのだから傷つくより先に好奇心の方が勝るだろう。そもそも周りも気を遣って、見えるものに関した露骨な感想はあまり言わない環境だったのだ。だからこそ、碧ちゃんとしては素朴な疑問を持ったのかもしれない。


「え? だってわたし……その……ごめんなさい……ごめんなさい」


 どうしていいのかわからないのか涙を流す夏見さん。周りの友達もオロオロしだす。碧ちゃんは何が起こったかわからず、だんだん不安そうな顔になっていった。


 仕方が無い。このままでは誰も得しない。夏見を庇うわけではないが、どちらかというと碧ちゃんへのフォローをしておいた方がいいだろう。


「ね、碧ちゃんだっけ? 碧ちゃんの感覚だと青空はどんな感じだと思う」

「美浜……てめえ! なに言ってるんだ?!」


 激しく睨んできた金杉を手の平を向けて「まあまあ」と抑える。


「うーんとね。雨が降ってない状態かな」


 碧ちゃんは首を傾げながらそんな風に答えてくれる。


「そうだね。だから空気は湿ってないよね。この感覚はわかる」

「うん。カラッとした感じ」


 碧ちゃんは飄々と答える。少なくともこの受け答えを嫌がっている様子はなかった。


 とはいえ、俺としてもどう表現していいのかの正解を持っているわけではない。こんな状態でなければ積極的に答えようとは思わないだろう。


「そういうの『しつどがひくい』って言うんだっけ?」


 隣にいた妙子ちゃんまで会話に参加してくる。この子も生まれながらの全盲だ。碧ちゃんと同じく俺たちの言葉に興味を持っているのだろう。だが、下手な返しは、嫌われるどころか相手を傷つけてしまう。


 こういう時、芸術的に風景を観察することができると、また違った答えが出せるのかもしれない。歌人とか小説家とか。


 ナナリーもクリエイター気質はあるが、あいつは視覚をもっとも得意とするものだからな。この子たちとは相性が悪いだろう。となると……。


「かなめはどう思う?」


 俺の無茶ぶりに、まるで話を振られるのがわかっていたかのように落ち着いて少しだけ考える。と、静かに言葉を紡ぎ出す。


「うんとね……悩み事があって心の中がもやもやしているのが曇っている時の空の様子かな。それで、抜けるような青空ってのは、その悩みがぱっと晴れて心の中が健やかになる事に似ていると思うよ」


 さすがかなめ、何かに喩えるのは得意のようだ。内緒で小説を書いているだけはあるな。


『あれ? 孝允さんってかなめちゃんが小説を書いていたの知ってるの?』

「ん? たぶん投稿サイトにあった俺の気に入っている小説って、かなめが書いたものだろ? Tvvitterのアカウントでは本人特定できないけどさ。ああいうクリエイティブものって、本人らしさが結構出ると思う。有里朱は知ってたんか?」

『かなり前にちょろっと聞いたことがある。あんまり自分から話したそうもなかったから深くは聞けなかったんだけど』

「初めは、かなめがどんな性格かわからなかったけどさ。最近、一緒にいる時間が多いだろ? それなりにわかってきたつもりなんだよ。その答えが、あの小説と一致する」

『“小説を書こう”に投稿されている“キミを守りたくて”だっけ?』

「ああ、そうだ。おまえの感覚でも、かなめが書いたんじゃないかってわかるだろ」

『そうだね。優しくて温かくて、芯がとっても強い主人公ってやっぱかなめちゃんだよね』


 俺と有里朱が内緒話をしている間も、かなめは子供たちに対して続けて語っている。


「今は野外学習だから、心の問題よりも身体で覚えた方がいいかもね。さっき、雨が降っていないっていったけど、雲がある空より肌に当たる日差しが強くて、今の季節だとぽかぽか暖かいでしょ?」


 彼女の優しい言葉に子供たちも和んでいく。


「うん」

「そうだね」

「あとは、さっき話しかけてきた美浜のお姉ちゃんが、青空を表現した歌を教えてくれるわよ」


 かなめはそう言って俺にウインクをする。見事に投げたボールを返しやがった。でも、これは俺を……有里朱を信じてくれただけだ。


「ねえ、こんな歌を知ってる?」


 俺はスクールアイドルが歌う、青空にちなんだ曲を教えてやった。心が飛び上がるような、気持ち良く空まで突き抜けるような歌だ。ナナリーも知っていたので、初めは二人で唄い。歌詞を教えながらみんなで合唱する。


 金杉と高根は「ナニソレ?」と馬鹿にしたような感じだったが、夏見は子供達の楽しそうな表情に少しほっとしているようでもあった。


 こんなもので空の青さは伝えられない。けど、あのまま場の空気が悪くなるよりはマシだろう。


 抜けるような空が見えなくても、心が健やかでまっすぐに楽しめる状態こそ、あの子たちには大切なのだ。



**



 ボランティアが終了し、解散となったところで三人組の一人の夏見がこちらへやってきて頭を下げる。


「ありがとう。その……フォローしてくれて」

「別にお礼を言われるようなことはしてないよ」

「けど、あたしの失言であの子が傷ついたかもしれないから」


 彼女はまだ自分の失敗だと悔いているのだろう。頭を下げたまま俯いている。


「それは違うよ夏見さん。わたしがあの子の立場だったら、下手に気を遣われて『空の青さを教えない』って方が嫌かな」

「けど、あたしたちは見えてるのに、あの子には見えないんだよ!」


 やや感情的になった彼女の声。それは彼女なりの優しさなのだろう。けどさ、気を遣う事がイコールその子の為になるとは限らないんだよ。


「見えないからかわいそうってのは、それはわたしたちの傲りだよ。ヘレン・ケラーの言葉にさ『盲目であることは、悲しいことです。けれど、目が見えるのに見ようとしないのは、もっと悲しいことです』ってあるの知ってる?」

「ヘレン・ケラーって誰?」


 あれ? 偉人の定番だと思ったんだけどな。


「生後十八か月で視力と聴力を失いながら、希望を無くさずに生き抜いた女性だよ。小学校の時に偉人の伝記とか読まなかったの?」

「ごめん……読んでない」

「でも、言いたいことはわかるでしょ? 見える者には責任があるんだよ。それを伝えることの。『見える』っての視覚だけじゃなくて、広い意味でもだよ。子供は視野が狭い。だからこそ、広い視野で見ることのできる大人には重大な責任があるんだ。わたしたちは碧ちゃんたちよりずっと大人なんだよ」


 それは自分への戒めも含める。まだ大人になりきれていない有里朱たち。彼女たちが見えない部分を、わかりやすく教えてやることも俺の役割でもあるのだ。


「うん。わかった。美浜さんって案外、しっかりと物事を考えていたんだね」


 夏見が顔をあげる。そこにはもう、悔いたような顔はなかった。


「まあ、だからこそ曖昧な答えが出せなくて、LINFの返事とか遅くなっちゃうんだけどね」


 有里朱自身のことにもフォローを入れておこう。これで彼女がいじめられるきっかけとなった事の誤解が解ければいいのだけど。


「その件は……その悪いとは思ってる……けど、そういう空気が蔓延してるから。教室ではたぶん……こんな気軽に話しかけられない」

「それはいいよ。その空気が一掃されないうちは、あなたもいじめられる側に回ってしまうでしょ? だから教室では無視で構わない」

「美浜さん、ほんとにゴメン」


 せっかく碧ちゃんの件で迷いがなくなったというのに、また落ち込みかけている。そんな彼女に『心配はない』とでも言うように、かなめとナナリーの二人が前に出た。


「あっちゃんには私が付いているから大丈夫だよ」

「そうそうアリスには七璃たちという味方がいるのよ」


 二人は顔を見合わせて笑い出す。頼もしい仲間であった。こいつらがいるならば、俺がいなくなっても有里朱はきっと寂しくないだろう。一人で生きるには辛い世界だけど、三人で弱い部分を補い合えばきっと楽しく生きていける。


 俺はこの三人の絆がもっと強くなることを願っていた。

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