第13話 いじめの死角 ~ A Mad Tea-Party
月曜日の昼休み。
トイレに行こうと思ったが、先客のグループ(我孫子たち)がいたので場所を変えることにする。直接いじめられてないとはいえ、狭いトイレは居心地が悪いからな。
そうだ。校舎外にある部室棟に備え付けのトイレは、この時間なら人はいないだろう。
そう思ってわざわざ行ったのだが、トイレの前に誰か立っている。時々、ちらちらと周りを伺いながらスマホを弄っていた。タイトなワンレンボブで、眉上までカットした前髪が特徴的か。
『
「他のクラスの子なのに、詳しいな」
『人の顔を覚えるのは得意なの。何度かグループで話しているのを聞いたこともあるし、名前もその時に知ったの』
人の顔を覚えるのが不得意な俺としては、有里朱のその能力が羨ましくも感じる。
「で、二組の生徒がこんなとこで何やってるんだ?」
『ん? 部室になんか用事があるとか?』
「あいつら何部なの?」
『そこまでは知らないよ。でも、忘れ物取りに来たとか?』
「でも、変だぞ。トイレに入るんじゃなくて、見張っている感じだ」
『うーん、たしかに様子がおかしいね』
「トイレの中でいじめが行われているとか?」
俺は軽い冗談のつもりで言った。そんなのは物語の中では、わりとベタなエピソードとして描かれるものだし。
『あ……そうかもね。わたしもたまに高木さんにトイレで捕まると酷いことになったからね』
さらりと語る。まるで他人事のようだ。
今は高木からのいじめは受けていないので、それほど苦も無く言えるのだろう。だからといって有里朱……おまえは少し寛大すぎるぞ。
「しかしなぁ、トイレにも行っておきたいし、邪魔といえば邪魔だなぁ」
『もう……なんでそんな考えになるの』
「それにトイレの中が気になるし」
『それはまあ、……わたしも気になるよ』
「じゃあ、意見が一致したところで実行に移しますか」
まずは正面から突破を試みよう。
普通にトイレへと入ろうとすると、中根が両手を広げて行く手を阻む。
「今は入るな。ちょっと……清掃中なんだよ」
もっと気の利いた言い訳考えとけよな。まあ、高校生ぐらいの頭じゃこんなもんか。
「え? 入っちゃだめなんですか?」
「とりあえず他の所を使いな」
俺たちは素直にその場を去る。ここまでは想定内。いや、あの無理矢理の言い訳は想定外だったけどな。
というわけで、今の対応で九割方見張りだということがわかった。なんとか排除するか。
俺はポケットから秘密道具を取り出す。
『なにそれ?』
「Konozamaで買っただろ。パチンコだよ」
『パチンコ? パチンコ屋の?』
「そういうボケはよせ」
と返すも、本当に知らないようだ。
『……』
「本当に知らないのか?」
『知らないよ』
「ゲームの『俗物の森』とかやったことないの? スリングショットって言ったらわかる?」
『????』
ますますわからなくなったらしい。まあ実践して教えれば手っ取り早いな。
「よく見てろ。こうやって使うんだ」
Y字型の竿の先端のゴムを引っ張り、その間に挟んだ消しゴムを中根に向けて飛ばす。
ぽんといい音がして、彼女の右手にあたりスマホが落ちた。トイレの前は上履きで歩けるとはいえ、外なので下は土だ。
「ヤバイ」と彼女が小さく叫ぶ。
うまくスマホに当てたので、何かが当たって落ちたという感覚はないのだろう。自分のミスだと思いスマホを拾い上げて、渋い顔で本体やストラップについた土を払っている。落ちた衝撃で、かなりこびり付いているだろう。
俺の見た限り、彼女のスマホは耐衝撃・防水型だ。水洗いすることには躊躇しないと思われる。
案の定、中根はトイレの中へと入っていった。
さてと、中を拝見といこうか。
俺たちはトイレの入り口付近から、スマホで撮影をしながら注意深く入っていく。中根がいつ出てくるかわからないからだ。
――もうやめてぇ!
中からは少女の泣き叫ぶ声がする。水道の蛇口にホースが繋がれ、個室の上から放水している女生徒の姿があった。
「あれは誰?」
『二組の馬橋さん、あと隣にいるのは
カメラはさらに洗面所でスマホを洗っている中根を捉える。
「あ、あんた!」
視線がカメラへと集中する。さて、三十六計逃げるに如かず。
「撤収だ」
『顔見られちゃったよ。大丈夫なの?』
「まあ、なんとかなるだろ」
その時、ちょうどチャイムが鳴ったので教室に無事に戻る事が出来た。追ってくることはないはずだ。顔見られたとしても、全生徒三百名近くの中から探すのは骨が折れるだろう。トイレに行けなかったのが悔やまれるけどな。
だが、さすがに楽観的に考えすぎた。
放課後、校門を見ると馬橋と中根が下校する生徒を見張っている。北側の裏門にも、幸谷が立って生徒が来るのを待ち構えていた。
『どうするの?』
「どうしたほうがいいと思う?」
『見つかっちゃうよ』
「そうだね。いずれバレるね。だったら、攻めた方がいいかな? 攻撃は最大の防御って言うし」
『攻めるって、どうするの? この前みたいに弱みを握ってないでしょ?』
「いちおう、いじめの現場は押さえたんだけどなぁ」
『あれだと、誰がいじめられてるかわかんないよ』
いじめられているのは十中八九、稲毛さんとかいう子だろう。前に馬橋がいじめてる子がそんな名前だって有里朱が言ってたしな。
だとしても、実際にはいじめられっ子の姿は映っていないわけだから、証拠としてはかなり弱い。
ならば、証拠を作ればいいじゃないか!
「さあ、帰るぞ」
『え? まだ校門にいるよ』
「だから、あいつらと一緒に帰ろう。その方が手っ取り早いよ」
**
校門を通るとき、中根が声を上げて俺たちを指さす。
「あんときのトイレの盗撮魔!」
盗撮魔は酷いな。半分事実だけどさ。
「えっと、何かご用ですか?」
「ちょっと待て」
馬橋がスマホで誰かに連絡を取っている。相手は誰だろう?
「はい、わかりました。例の場所で合流しましょう」
通話を切った馬橋がこちらに視線を向けた。そして、胸ぐらを掴む。
「ちょっと
直接手を出すような肉体派は、やはりガタイのデカい奴が多いのか。高木もそうだったよな。馬橋も有里朱よりも背が高く、百七十近くはあるんじゃないかという高身長。ほっそりしていてモデル体型っぽく、顔も骨張っていてエラが目立つベース顔だ。
女子高っていうから、もっとお嬢様然とした女生徒が多いと想像してたのだが、実際は口は悪いは、態度も悪いは「ごきげんよう」が全く似合わない女子ばかりだ。これで偏差値五十後半だからな。もっと底辺だとどうなるんだよ。
俺はしぶしぶ彼女たちに付いていく。方向は東の方だ。ならば時間に余裕はあるかな。
『大丈夫なの?』
「うん、わりとツイてるかもね。方向がいいわ」
『ようやくアレを使うんでしょ? 結構高かったもんね』
「その前に通報されないか心配だけどな。まあ、状況に合わせて柔軟に対応しよう」
十分くらいは歩いただろうか、少し南よりに方向を変え、川沿いの道へと出る。大きめの橋があって、そこを鉄道と道路が通っている。その橋の下は橋台のせいで、住宅地からは死角になりそうな場所だった。
手前の橋台の奥側へと回ると、上には支承が見える。高さは十五メートルくらい。これなら平気かな。
「もうすぐ
馬橋が俺の鞄をひったくるように奪い取ると、その中にあるスマホを取り出して操作する。高木たちのグループと違って、馬橋は三人のまとめ役っぽいところもある。その松戸がリーダーとすれば馬橋はサブリーダーって位置づけか?
「デカいな。えっと……ん? ……これで削除と」
削除したところで、復活する方法を知っているのだが、あの動画はあんまり役に立たないからな。想定内の事でもある。
というわけで、演技モードのスイッチを入れた。
「返して下さい!」
スマホを奪い返そうとして、馬橋の持つスマホに手を伸ばす。わざと鈍くさい動きで、なかなか奪い返せないという演出だ。
「まだだよ。舐めたマネをしてくれたんだ。削除ぐらいで許すと思ったかい?」
「返して下さい!」
同じ言葉を繰り返し、馬橋の腕にしがみつく。
「うぜえな!」
そのまま手を振りほどかれ、その力を二倍くらいに増幅して俺は地面に転がった。自演エアダイブはこれくらいリアリティを出さないと。
「どうして、そんなにあの動画にこだわるんですか?」
俺は弱々しい声でそう質問する。
「あ? そりゃ、動画サイトとかにアップされたらヤバイからだろ?」
「どうヤバイんですか?」
「そりゃ、叩かれるし、個人を特定されたら、学校来れなくなるし」
いちおうネットの怖さはわかっているようだ。理解しているのならこちらも仕掛けやすい。
俺は、演技をやめて立ち上がると、スカートに付いた土埃を払っていく。
「じゃあ、新しい動画をアップしてあげましょうか?」
ニヤリと
「あ?」
「何言ってんだ?」
「どういうことだよ?」
右手の指を天に向ける。
そこには低いうなり声をあげてドローンが飛んでいた。こういうことがあるんじゃないかと、静音設計のプロペラへ変更し、いざという時に顔認識の追尾モードで撮影するようにプログラムしておいたのだ。購入したのは上履きが盗まれた日なので、ようやくお披露目できたわけである。
「なにあれ?」
「なんか飛んでる」
「ドローン?」
「そう、ご名答。この河原へ来てからの一部始終は録画されていて、データは通信で別の場所にある記憶ディスクに書き込まれてるの」
馬橋たちの顔がみるみる青くなっていく。ほんとはもう一人の松戸とかいうのを待ちたかったけど、そろそろドローンのバッテリーの限界なのだ。飛行限界近くになると、学校か、或いは有里朱のマンションのベランダに戻るようにプログラムされている。どちらに戻るかは距離しだいだが。
「自分たちが何やったかわかってるよね? 恐喝? 暴行? 勝手にスマホのデータ消去したから、器物破損? これは判例があまりないから裁判で争ってみるのも面白いかもね」
馬橋がスマホで誰かに連絡を取っていた。頭を何度も下げ、謝っているようにも思える。相手は松戸とかいう奴か。というか、俺の話聞けよ!
「二組の松戸って何者?」
俺は三人組から視線を逸らし、宙空を見た状態で有里朱へと問いかける。こういう時、声が出ないのは便利でいい。
『松戸さんって、たしか市内にある松戸浦和病院の院長さんの娘じゃなかったっけ? それくらいしか、わたし知らないよ』
「情報ありがとう。それだけでも十分だ」
俺は再び視線を三人組へと戻し、目が合った中根に問いかける。
「あんたらのバックにいる松戸さんて、世界的な動画サイトにも口出せるような影響力のある人なの?」
「……そ、それは」
たかが病院経営者にそんなことはできないだろう。ちょっとした嫌味だ。
「じゃあ、お望み通り、動画をアップして、あなたたちの人生を終了してもらいましょうか?」
「やめて! それだけは」
「お願い!」
中根と幸谷が叫ぶように懇願する。
ブオーンとドローンの音が遠ざかった。バッテリーがそろそろ切れるのか。静音設計とはいえ、完全に無音にはならないからな。
「やめてもいいけど、条件があるよ」
「お金はないから」と中根が泣き言を漏らす。
だから、どうしてそうお金をせびるんじゃないかって被害妄想をするのかね?
「条件は簡単だよ。わたしに対して今後ちょっかいをかけないこと」
高木たちと対処方法は一緒だ。【配下系】であれば、彼女たちを縛っている以上の恐怖で制御してやればいい。ただし、ほどほどにしないと暴走する。過度な要求は失敗のもとだ。
「え? それだけでいいの?」
中根が気の抜けたように呟いた。きっと彼女は恐喝でもされると思っていたのだろう。
「わたしが行っているのは自衛の為の取引よ。こちらとしても平和に解決したいの」
平和というか、法律を犯すようなマネをしたくないだけだ。
「それくらいなら……」と中根。
「……けど、わたしらだけじゃ判断できないよ」
幸谷は助けを求めるように電話をしている馬橋の方を見る。
目の前の二人は曖昧な返事。だが、松戸との電話が終わった馬橋が彼女たちの前に出る。
「わかった。あなたには今後一切手を出さない。もともと松戸さんから指示されていたわけじゃないし」
さきほどの電話は松戸からの指示を仰いでいたのか? 馬橋の返答をみるに、俺たちへの対応はすべて彼女たちに一任したようだ。
これで馬橋たちは高木と同じ【配下系の忠誠型】は確定か。とりあえずの問題は解決しそうだけど、それだけじゃ少し足りない。
前に稲毛さんを高木たちのターゲットにさせちゃったからな、ここで借りを返しておくか。
「もう一つ条件がある。稲毛さんって子にも手を出さないで」
「え?!」
「そ、それは」
「稲毛ちゃんは松戸さんのお気に入りだから……」
三人が承諾を渋る。こればかりはちょっと条件がキツイのかな。
馬橋たちの立場で考えてみれば、ボスの命令で稲毛って子をいじめているわけだから、下っ端の意見でいじめを止められるわけがない。
だからといって、いじめを続けたら俺たちに動画がアップされて自分が危うくなる。
やはり条件を欲張りすぎたかな。対応をマズれば彼女たちは暴走する。ヤケになって何をするかわからないだろう。
かわいそうだが、稲毛って子を助けるのは保留にするか……そう考えていたのだが、馬橋が物凄く苦しそうな顔で「わかった。稲毛もいじめない」と言う。
「大丈夫なのか?」
思わず聞いてしまった。ボスの松戸が何かしてくるのではないのか? 反対にこちらが心配してしまう。
「え? うん、松戸さんにはうまく言っておくよ」
三人の中ではやはり馬橋がリーダーなのだろうか、苦々しい顔をしながらも約束してくれる。
後味の悪い展開にならないよう祈るしかなかった。
そして、解散。タブレットも返してもらう。
『ねぇ、あれで良かったの?』
有里朱が心配そうに聞いてくる。
「あれが限界だよ」
『馬橋さんたち、松戸さんにいじめられるんじゃないの?』
「……」
そうかもな。
生け贄はどんな時代でも必要なのかもしれない。
でも、それを口に出して言ってしまったら罪悪感で身動きがとれなくなる。俺たちは全知全能の神様なんかじゃない。己が生き残るだけで、必死なんだよ。
『松戸さんも、なんとかできないかなぁ』
馬橋を助けるのなら、そうするのがベストだろう。そんなことはわかっている。
「今は松戸には手を出せない。情報が少なすぎる。【遊戯系】ってのはわかってるけど、【欲望型】か【非共感型】かがわからない。後者だったら、かなり厄介だ。いじめを解決するのに二番目に難しいタイプだからな」
『【遊戯系】ってのはいじめられっ子を玩具のように遊ぶって意味だよね。【欲望型】ってのは、えーと、わがままなタイプってこと?』
いちおう有里朱も、自分の頭で情報を分析できるようになってきている。いい傾向だ。
そうだ、思考停止は最大の愚行である。塞ぎ込んでネガティブな思考を持つことからの脱却こそが大切な事であり、それは同時に武器となる。
「そうだよ。実例を出さずに説明だけでわかるのは凄いな」
『まあ、実際にいじめられてるから、直感的に言葉でわかるよ。けど、非共感型はちょっとわからない。共感できないタイプってこと?』
「サイコパスを知ってるか?」
『うん、本で読んだことある』
「良心の欠如、他者に対して冷淡で共感しない、平然と嘘を吐く、計算高い、そういうタイプだ」
『ってことは、欲望型はワガママな女王様気質? 非共感型はどちらかというと裏で人を操るタイプってことかな?』
「そういうこと。非共感型はなかなか表に出てこないし、証拠も残さない。厄介な相手だよ」
『それでも二番目なんでしょ? 一番厄介なのは?』
そこで一瞬、言おうかどうか迷う。これは有里朱が戦う一番の敵だからだ。
「厄介なのは【同調圧力系蔓延型】。ようは同調圧力で、それがクラス中に広がっていることだ。集団内で自分たちだけのルールができてしまい、そのルールを守れない者を排斥しようとするいじめ……じゃないな、見えない力と言った方がいい」
『あー、なんかわかるよ。それ』
「ほぼ見えない敵と戦うようなものだ。特定の誰かを排除すれば解決する問題じゃない」
それは人間の根本的な部分に巣くう病巣。外敵からの攻撃に備えようと集団で生活を始めた結果、内部に致命的な欠陥を抱えてしまうのだ。
これが解決できないことにはハッピーエンドは迎えられない。
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