第12話 トラップ ~ spade II


 商店街を歩く。


 ここは有里朱の家から西に二キロほど歩いていったところだ。途中に宅南女子高がある。俺自身が学校より先に行ったのは初めてだった。


 商店街はそのまま鉄道に通じており、武蔵野線の東浦和駅がある。


 武蔵野線は西に向かえば東京都下、東に向かえばネズミーランドを経由して東京まで行ける夢の路線らしい。(有里朱談)


 商店街を歩くのは久しぶりだった。本屋があれば立ち寄りたい。Konozamaがあるから、最近はリアル書店とか行ってなかったが久しぶりに堪能したいものだ。買わなくても実際に手にとって見てみたい本もある。


『ねぇ、お腹空かない』


 そういや、まだ昼ご飯を食べてなかった。財布の中には母親が置いていった昼食用の千円がある。ファストフードならお釣りが来るだろう。


 日曜だってのに、仕事だと出かけていった母親には感謝しなければならない。有里朱を独り身で育ててくれたのだからな。


「じゃあ、食べるか。わりとがっつり食いたい気分だなぁ」


 と、俺は濃いオレンジ色の看板が特徴的な牛丼屋へと足を踏み入れようとして……。


『待って!』

「なに?」

『ここに入るの?』

「牛丼くらい食べたことあるだろ? それとも嫌いな具でもあるのか? もしかして、ねぎが嫌だとか? 大丈夫ネギダクとか頼んで嫌がらせはしないって」

『そうじゃなくて、高校生の女の子が一人で牛丼なんて……』

「なんて?」


 おかしくないだろ。


『恥ずかしいよ』


 お嬢様かよ! そういや、いちおう社長令嬢だこいつは。


 まったくしょうがないな。たしかに、ここは玄人志向のところがある。よし、有里朱でも入れそうな入門的な店にしよう。


「わかった店を変えるよ」


 俺は、商店街を再び歩き出す。そして黄色をベースにオレンジ色の丸とその中に小さな青と黄色の丸が描かれた牛めし屋へと足を踏み入れる。


『待って!』

「どうしたんだ?」

『さっきとおんなじじゃない!!』

「いや、微妙に味違うぞ。それにこっちだと味噌汁無料だ」

『そうじゃなくて! 女の子一人で入るのが恥ずかしいって言ったでしょ!!!』

「食券を購入する方式だから恥ずかしくないぞ。一言も喋らなくても食べものが出てくる画期的なシステムだ」


 ため息……のような音が聞こえてきた。まあ、実際肉体を制御できるわけじゃないから、どういう仕組みでその音がするのかわからないのだけどな。


『……もういい』


 さすが有里朱。諦めだけは早かった。俺は首を傾げながら牛めし屋の中に入り、手慣れたように食券を買う。


「大盛りだな」


 何か声にならない悲鳴のような音が聞こえた気がした。



**



 割と腹が一杯になった。もしかして胃袋ちっさいのか? ちょっと苦しいくらいだ。


『カロリーがぁ……』


 なにやら呻いている。大盛りってたしか千キロカロリーくらいあったっけ? まあ、午前中あんなに動いたんだし、プラマイゼロだろ。


「さて、本屋に行きたいんだが、この辺だとどこにあるんだ?」

『北口』


 ぼそりとそれだけ言って黙ってしまう。まだ怒っているのか? そこまで太っているわけでもないだろう。


 駅の反対側の北口へと回ると、そこそこ大きなゲーセンがあった。店先にあるクレーンゲームの商品は、双子メイドの青髪の鬼っ子フィギュアだ。割と作り込みもよい。俺の大好きな嫁である。


「なぁ、一回だけいいか?」


 返事はない。まあ、昼飯は三百九十円で済んだのだから、残り六百十円を好きに使っても構わないだろう。


 俺は百円を入れ、期待を高まらせながらボタンを押す。


「……」


 結果は掴む力が弱すぎてまったく取れなかった。位置をずらすとかそれ以前に、お目当ての商品は微動だにしない。これは、一定額注ぎ込むとアームの力が強くなるタイプか。傷口が広がらないうちに撤退すべきだな。


 諦めて次のクレーンゲームを物色しようとしたところで声をかけられる。


「ねぇ、きみ。あの人形欲しいの?」


 いかにも田舎の不良っぽいやんちゃな若者DQNとは違うイモっぽさが残る二十代くらいの男だった。今どきリーゼントはないだろってくらいわかりやすいタイプだ。


 さすが埼玉の田舎だ。県知事閣下がいまだに県民から年貢を取り立てているという噂が出るのも納得だ。と、千葉県民の俺がマンガからの知識を思い出す。


「え? いや、もう諦めましたから」


 そのクレーンゲームは確率機だから今は無理ゲーだって。


「そうなん? じゃあ、俺たちと遊びに行かねえか?」


 なるほど。目的はナンパだということはわかった。まあ、地味な格好とはいえ、有里朱の外見はそこそこ目を引くのだ。想定していないわけではなかった。


「すみません、この後用事があるんで」


 と逃げようとしたところで、腕を掴まれる。同時に鳥肌がたった。


 触んじゃねえよ! と叫びたかったが、なんとかこらえる。中身は男なんだから、男に触られるのは気色悪い。あんまりくっつかないでくれる? キモイんだけど。


 TSでBLとか勘弁してよね。


「他にも女の子いるからさぁ、来なよ」

「でも、用事が」

「カレシとかいないんでしょ? いたらこんなとこに一人で来ないもんね」


 そういう観察力だけはあるんだな。と、少し感心する。


「困ります」


 と、か弱い女の子を演じるのも疲れてきた。脱出経路を探すために周りを観察。


 そういや、こいつ仲間とかいるんだよな? 「他にも女の子がいる」って言ってたし、仲間が女だけとは限らない。というか普通に考えて、同類のヤンキー兄ちゃんが何人かいるのだろう。


 少し遠くで、こちらを見て笑っている輩が三人ほど。男三人に、ケバイ姉ちゃんが一人。同年代であろう。だが、彼女は有里朱に対してはあまり興味をもっていないようだ。


 対して男どもはギラギラした目で有里朱を見ていた。


 さて、ピンチである。


『どうするの?』


 ようやく有里朱が喋ってくれた。だが、その声は緊張に包まれている。


「これくらいの立ち回りは、いじめ対策で想定してたからね。予行演習といこう」

『予行演習? まさかやっつける気?』

「さすがに再起不能まではできないよ。過剰防衛になっちゃうしね。適当に痛い目にあってもらって退散してもらおうかと」


 俺は、掴まれた腕を振りほどくと、相手のみぞおちに肘鉄を喰らわす。


「ぐえっ!」


 相手が怯んだ隙に、一気に駆け出す。が、なにせこの有里朱の身体はひ弱すぎる。


 全力で走っても、後ろからくるヤンキー兄ちゃんの集団に追いつかれそうになってしまう。これはヤバイな……雑木林まで持つかな?


 まあ、食うもん食ったからガス欠にはならないだろう。俺は身体が悲鳴をあげるのを承知で加速をかける。関節が軋み、足首に負荷が掛かる。それでも休まず全力で走っていく。


 ここまで来たら気力が勝つか、身体が根を上げるかのどちらかだ。


 五分ほど走ってようやく雑木林が見えてくる。後ろからは男達がまだ追いかけてきていた。


 逃げたことに怒って追いかけてきているというより、楽しがっているようにも思える。鬼ごっことかそういう感覚なのだろうか。笑いながら付いてきていた。


 林の中に突入。


 注意深く走りながら木の目印を探す。黄色のテープはロープのトラップ。低くジャンプしてそれを乗り越えると、後ろから追いかけてきた男の一人がすっころぶ。


「げふっ!」


 追いかけてくるのはあと三人。今度は赤色のテープ。少し長めにジャンプ。トラップを飛び越えたところで、後から来た男の一人が落とし穴に填まる。穴の深さは膝ぐらいなので、そのまま地面に頭から突っ込んでいった。


「ぐほぅ!」


 楽しんでいたはずの男たちが、焦り始めたようだ。追いかけてくる速度が遅くなり、足元を気にするようになる。


「てめえ!」

「待てよゴラァ!」


 次は緑のテープ。これは跳ね木のトラップ。下を気にしている男の顔に、木の枝を反らせて固定したものを、ロープを切ってその反動でぶつける。


「ぐわぁ!」


 あと一人だ。


 そろそろ身体も限界なので、走るのを止め呼吸を整える。


「見ーつけた。いろいろナメた事してくれちゃったじゃん!」


 男の右手にはナイフが握られている。切っ先はこちらを向かず、あくまで脅しのために見せつけている感じだ。俺の様子を覗いながらじわじわと近寄ってくる。


 赤と黄色のテープが貼られた木の根元を探る。ここは落ち葉で隠した秘密道具入れがあった。


 いちおうトラップもあるから、その場所を避けずに男が近寄れば、この秘密道具は使わなくても済むだろう。


「もう逃げられないよ。子猫ちゃん」


 男が片方の頬を引き上げ、歪んだ笑いをこちらへと向けてさらに近づく。


 三、二、一、セット。


 木の近くにあったトラップの作動スイッチを入れる。と、男の頭上から金だらいが落ちてきて、脳天を直撃する。金だらいは錆びて朽ちているので、落ちた瞬間にバラバラに崩れる。その中は堆肥であった。ぷーんとこちらの方まで匂いが漂ってくる。


「では、ごきげんよう」


 男をその場に残して去って行く。長居は禁物だ。


『よかったね。成功して』


 有里朱の機嫌もよくなっていた。これだけ運動したのだから、かなりカロリーも消費しているだろう。


「シミュレーションとしては上々かな。問題点も把握できたし」

『問題点? うまく行ったんじゃないの?』

「致命的な問題点だよ。それは有里朱の体力。少しは身体鍛えないとな」

『……ははは。頑張って』


 力無く笑う有里朱は他人事のように呟いた。



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