第10話 取り戻したひとときの日常 ~ Caterpillar I
こうして俺たちは、三人組のいじめから逃れることができた。
ただ、クラスでは相変わらず仲の良い人間もいないので孤立している。かなり疎まれているような感覚はあったし、無視され排除されかかっているのをしみじみと肌で感じていた。
孤独な状態での精神攻撃ってのは、わりと骨身に染みる。神崎や高木たちのように、直接何かしてくれた方が、まだマシに思えてくるのが怖いところだ。
ここからハッピーエンドに持って行くには、かなりの時間がかかるだろう。
ちなみに千駄堀はいじめ分類では、【配下系の忠誠型】であると思われる。決定的だったのは、彼女のつぶやきに時々出てくる「指令」の文字。
そして、高木も一度俺たちを解放しようとしたところで、スマホの何かを見て行動が変化した。
単純に考えれば、メールかSNSでボスから指示が来たのだろう。だから、千駄堀達はその配下で、上からの指令を忠実に実行するだけのことである。ゆえに【配下系の忠誠型】だ。
残りの栗ヶ沢も忠誠型であろう。皆、上からの指示で動いているっぽいしな。遊びでいじめをやっているように見えるが、本当は命令されてやっているだけだ。
だからといって、彼女たちがいじめを楽しんでいないわけではない。
人は優位なポジションに立つと傲り腐り始める。それはスタンフォードの監獄実験でも証明されている。
一九七一年、アルバイトで雇われた学生がコイントスで看守役と囚人役に分かれ、それぞれの役割分担を演じる実験が、アメリカのスタンフォード大学心理学部で行われた。
リアリティを出すために、囚人役には不自由な生活をさせ、看守役には絶大な権限を与える。
何日か経つと、看守役は何の理由もなく囚人役の虐待を始めたそうだ。その後、囚人役の離脱者が何人も出たという話らしい。
行きすぎた行為もあって実験は中止となるが、看守役は「話が違う」と続行を希望したという。
この結果から次のことがわかる。
強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいると、権力を持つ者は次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまうということだ。
今回の高木たちも同じである。
最初はなんらかの理由でボスに従っていたが、いじめを繰り返すうちにその感覚は麻痺していったのだろう。そして、『いじめっ子』という役割に準じてしまう。
彼女たちは加害者なのか? それとも被害者なのか?
どちらでもない。彼女たちはただの『弱い人間』だ。
**
「おはよう」
「先生おはようございます」
校門にはいつも見ない男性教師が立っていた。三十代半ばくらいのメガネが似合う落ち着いた感じの人だ。
「今の誰?」
『
「なるほど、で、あの先生は俺らには関わりがないんだよな?」
『うん、倫理の先生だから、三年生になって選択授業を取らないとお世話になんないかも』
「わかった。あの先生は無視していいってことで」
『孝允さん、酷いなぁ』
「無駄な時間はなるべく使いたくないからね」
サイレントな会話を楽しみながら、教室へと向かう。
神崎や高木たちにちょっかいはかけられなくなったが、相変わらず教室は居心地が悪い。
「そういやさ、教室で俺……有里朱のことをちらちら見てくるのって神崎と高木と千駄堀と栗ヶ沢だけかと思ったけどさ。あの子もなんだよね」
教室の真ん中付近に座るショートボブの華奢な少女に視線を向ける。
『ああ、かなめちゃんね』
有里朱が下の名前で呼ぶ子なんて珍しいな。けど、この学校で友だちなんていないんだろ?
「ずいぶん親しげな呼び方だな」
『違うの……あの子は……』
それ以上は黙ってしまう。まあ、話したくないならいいんだけどさ。
「それより、有里朱を直接いじめる奴って神崎と高木たち三人組でお終い? 他に嫌がらせとかされてないのか?」
『う……ん、されてるけど、一つは全然たいしたことなくて、それに悪いのはわたしだし』
「有里朱、説明不足すぎるぞ。正しい情報がなければ俺は動けないんだ。わかってくれ」
『ごめんなさい。でも、今は……その……』
それでも言いたくないのだろう。
「わかったよ。話せるようになったら話せ。ひとまず小さいことからコツコツと解決していこう」
『小さいこと?』
「そう、まずは友だち作りだな」
**
失敗した失敗した失敗した……。
休み時間、クラスメイトの話に聞き耳を立てて、さりげなく話に加わろうとしたらすべて失敗した。皆、厄介者を扱うように俺から離れていくのだ。明らかに有里朱を嫌っている子もいたが、ほとんどの子は「わたしたちと関わらないで」とでも言いたそうな素振りだった。
『だから無理だって言ったのに』
「この学校じゃ、俺たちが一番の情報弱者だ。友だちとまではいかなくても、普通に会話のできる相手を探さないともっと孤立するぞ」
『うん。それはわかるよ。けど、どうにもなんないよ』
また悲観的な有里朱の言葉。諦めるということが日常的になってしまって、それ以上の事を考えられないのだろう。
仕方がないと思い、放課後に再び探索に出る。今日は土曜日、四時限目までしかないので午後はたっぷり探索に時間をとれる。
有里朱の通う学校は、土曜日も四時限目までの授業は毎週あるらしい。未だに週休二日の名残がある学校が多い中で、さすが授業料の高い私立高なだけはある。
俺の高校時代は完全週休二日だったからな。といっても、完全にゆとり世代とバカにされていたが。
さて、せっかくの学校で一人になれる時間だ。校内をもっと回って、見聞を広めねば。データ不足は、情報戦でいろいろ不利になる。
いつものように気弱な演技をしながら歩いていると、後ろから声をかけられる。いじめっ子かと身構えるが、それは男性教師の声だった。
「柏先生?」
「これは君のかい?」
柏先生は見覚えのある白いケーブルを差し出す。それは、充電用のUSBケーブルであった。どこかで落としたか。
「あ、わたしのです。スマホを充電するやつですね。ありがとうございます」
「気をつけなさい。他の生徒が踏んで転んでしまうかもしれませんからね」
「ええ、気をつけます」
こういう時は下手に口答えしないほうがいいだろう。この教師の性格や本質も理解できてないし。
「そのケーブル。高耐久のライトニングUSBケーブルではないかい? たしか八十キログラムを持ち上げられるものだと聞く。ずいぶんマニアックな物を使っているのだな」
何かあった時のためとKonozamaで購入したものだ。このケーブルなら自分の体重も支えられる。サバイバル道具の一つとして使えるだろう。
「ええ、ガジェット好きなんですよ」
「ほぉー、では電子機器にも詳しいのだろう?」
「まあ、趣味みたいなものですから」
「なるほど。では、少し時間はあるかい。昼食を食べてないならその後でもよいのだが」
「えっと、昼食は食べ終わりましたけど……なんでしょうか?」
さっき携帯食を囓っただけだけど、それほどお腹は空いていない。とはいえ、教師側の質問の意図が見えないので、どうしても警戒してしまう。
「暇なら少し手伝ってくれないか? 無理にとは言わないよ」
何を手伝わされるのか気になるが、ここでこの教師と知り合いになることで、少しは情報を仕入れることができるかもしれない。人との繋がりは大切だ。ただし「友人」にこだわる必要はないが。
「わかりました。何をすればいいですか?」
一階に倫理準備室というのがある。視聴覚室の隣に設けられた小さな部屋だ。倫理の授業は視聴覚室で行われることが多いらしく、準備室が隣に作られたらしい。歴史の古いこの女子校では、倫理の授業が取り入れられたのは最近のことのようだ。
「授業で使うタブレットにアプリを導入して欲しいんだ。君はスマホが得意そうだからな」
部屋の中は六畳ほどの大きさ。机が一つとローテーブルとソファーが二つ。あとは本棚だ。そのほとんどは哲学書や宗教書だろうか。
柏先生からタブレットを渡される。これはiPabか、私立だけあって、予算は結構あるんだな。そして簡単な説明をされて作業に入る。
「なるほど、わかりました。微力ながらお手伝いします」
「ははは、そこまで畏まらなくてもいいよ」
「でも、三年生になったらお世話になるかもしれない先生ですし」
「君は倫理の授業を取ってくれるのかい? 興味があるのかな?」
「哲学は入門書を囓った程度ですが、すごく興味がありますね」
作業はタブレットを起動しwifiに接続して指定のアプリをダウンロードしてインストールするだけだ。会話をしながらでも進められる。吸い付くようなストレスフリーの動きは、やはり安物の中華タブとは大違いだ。
「高校での倫理はきみが思っているような哲学的な話は少ないよ。むしろ、道徳に近いと思った方がいい」
「でも、トロッコ問題とか、ああいう話も道徳的なものですよね?」
個人的にはスワンプマンや中国語の部屋とかクオリアとか、ああいう心の問題を扱った話の方が大好物である。まあ、似非脳科学者の話は大嫌いだけどね。
「そうだな。だが、きみたちに教えるのは基礎の基礎だ。きみたちが自分の頭で考えられるような道を教えるのが僕の役目でもある」
「なるほど、それはそれで興味深いですね」
「ちなみに、キミは感銘を受けた哲学者はいるのかね?」
「そうですね……ハイデガーの存在論とか興味があります」
「ふふ、高校生にしては難しいことを考えるのだな」
ここで、ヤバイと思って軌道修正を考える。このキャラは高校生っぽくないな。有里朱とはかけ離れている。
「えっと、そうですね。【
倫理準備室を出ると、有里朱がため息を吐いたような声を出す。
『柏先生、呆れたような感じだったけど』
「そりゃそうだ。中二病っぽく演じてみたからな」
覆水盆に返らず。柏先生の中で有里朱は、中二病キャラとして認識されてしまったであろう。
とはいえ、あのまま高校生とは思えぬ哲学談義に花を咲かせてしまったら、有里朱に対して不審を抱いたかもしれない。だとしたら、中二病キャラとして見くびってくれた方が御しやすい。
そもそも俺も、中二病を発症した頃にハイデガー先生の本に出会ったからな。
『ああ……三年生になったら、あの先生にお世話になるかもしれないのに』
その頃までに元に戻れるかどうかはわからないが、有里朱にとっては戻れると思い込みたいのだろう。
「仕方がない。倫理じゃなくて、政経取れば? あっちの方が就職に有利だぞ」
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