第8話 新たないじめ ~ Red Queen I


「生徒指導室って、四階にあったよな?」


 休み時間は教室にいると居心地が悪いので、校内を歩き回って探索していた。結果、この学校の構造はだいぶ把握できてきたのだ。


『そうだけど……どうするの?』

「よし、様子を見に行くか」


 俺は北校舎の非常階段へと行く。四階のそこには、このまえ脱出に使ったケーブルがまだ垂れ下がっていた。


 それを使って屋上へ上がると、南校舎の東の方へと新たなケーブルを持って行く。


 たしか東端が音楽室でその隣が生徒指導室だったと思う。指導室はあまり使われないから、吹奏楽部がパート練習に使っていると有里朱は言っていたのだ。


 さて、準備を始めよう。ケーブルにスマホを取り付け、屋上の上から垂らしていく。二台目のスマホでモニターできるので、微妙な角度の調整も簡単であった。


 画面に映るのは館山先生とふてくされている神崎。


 すると館山先生がいきなり罵声を浴びせ始める。あまりの事に驚く神崎。窓が閉まっているので、よく聞こえないが、相当酷い事を言っていることはわかる。


 館山先生の怒りはエスカレートし、今度は頬への張り手が炸裂する。ひっぱたくなんて生やさしいものではない。一発で神崎は床へ倒れ込んでしまうくらいだ。が、それを引き吊り上げ、さらにもう一発。まさにザ・暴力。体罰の教科書に載せたいくらいの見事な怒りっぷりだ。


 なるほど、あの先生はキレるとああいう風になるのか。あのタイプは追い込むよりは飴と鞭を使って、飼い慣らす方がいいかもしれん。取り扱いには気をつけよう。


『ひどい……』


 画面を見ていた有里朱がぽつりと零す。


「ひどいな……なんで教師なんかやってるんだろ」


 俺は嫌味の一つでも言いたくなる。とはいえ、あの先生がやり過ぎるようであれば止めなければならない。職員室に匿名で電話をかければ誰かが駆けつけるだろう。


『けど、一つ間違えばわたしたちが、ああなってたんですよね?』

「そうだな、今度はもうちょっとうまくやるわ」

『さすがに神崎さん、上履き盗るのをやめますよね?』

「やめるだろうけど、それはターゲットを有里朱以外にするだけじゃないか?」


 いじめが根深い原因は、単純な対立関係ではないからだ。


『どういういことですか?』

「神崎はいじめのタイプで言うと【ストレス系の憂さ晴らし型】だと思う」

『ん? なんですかその分類?』

「俺が勝手に考えた分類だよ。小学校から社会人まで、どこにだっていじめる奴は存在する。そういう奴らをたくさん見てきたから、俺が分析して分類してみた。その方が対策が立てやすいだろ?」


 特に誰かに師事したわけではないが、人の心理には常々興味を持っていた。情報分析は昔から好きだったし、これ以外にも職場で同僚の性格分類なんてこともやったりしている。だって、その方が対応が楽だ。


 だからこれは自己流の心理分析だ。


『そうなんですか?』

「頭の悪い教師はいじめを一緒くたに対応しようとする。だが、遊びでいじめをしているやつとストレスでいじめをやっている奴を同じに考えるのはよくない」


 いじめをすべて同じ型に嵌めることが、どれだけ危険かを理解している奴は少ない。そもそも、他人に不快を示すことと、いじめの境界線がどこなのかもはっきりしないのだ。


 例えば気にくわない奴への無視。これを行うのが、一人を相手にたった一人ならいじめにならない場合もある。ところが複数になると途端にいじめになってしまう。同じ「気にくわない」という感情でもだ。


 じゃあ、複数なら全ていじめかと問われればそうでもない。


 相手が強ければ不快を示す側が複数でもいじめにならない事がある。例えば政治家や芸能人に対するメディアスクラム。それはどの程度の権力や知名度なら許されるのか? その強さの基準とは何か? すべてが曖昧だ。


 さらに、同調圧力で一人をいじめ抜くのと、他人を玩具のようにいじめて楽しむやからは根本的な問題がまったく違う。これを同等に考えるのは愚の骨頂だ。


『そういえばそうですね。神崎さんと高木さんも全然違う感じがします』

「高木って奴は、まだ分析が済んでないからなんともいえないけど、神崎は日々のストレスを溜め込む奴なんだ。で、それを発散する場所を探している。Tvvitterしかり、学校で自分より弱い者を見つけていじめるのも同様。だから、館山先生みたいなやり方をしたら、どっちかに暴走する」

『どっちかって?』

「さらに弱い者を探し、自分がされた以上の事をする。もしくは、この世界に嫌気がさしてバイバイするか」

『自殺……』


 それはかつて有里朱がやろうとしたこと。そして遠い昔の誰かさんがやろうとした道。けして珍しい心の動きではない。


「本来は彼女のストレスを取り除いてやるのが一番なんだが、俺たちにはそこまで余裕がない」

『……見捨てるしかないんだよね?』


 ん? ちょっと有里朱、おまえ何言ってんだ?


「おまえ酷い事されてたじゃないか」

『だって、高木さんに比べれば全然たいしたことないし』

「いじめはいじめだろ。そりゃ、高木って奴のいじめとは種類が違うのかもしれないけど」


 俺が知っているのは有里朱を屋上に閉じ込めたというだけだ。たぶん、他にも何かされているのだろう。


 神崎の上履き隠しが「たいしたことがない」と思えるほど、高木たちのいじめは酷かったって事か?


『だって、そうしないと彼女は自分を保てなかったんでしょ?』

「そうだけど、だからと言って何をやってもいいってわけじゃないぞ!」


 この小さな世界は弱肉強食だ。弱ければ喰らわれるだけ。自らを喰らうハイエナになぜ情けをかけようとするのだ。


『だから仕方ないよねって納得してるんだよ……わたしはただ弱いだけの生き物。だから、今回は自分の弱さを受け入れるの。戒めのためにね』


 何かひっかかりを感じる。有里朱は神崎を見捨てることを悔やんでいるようにも思えてくる。職員室の件であいつがどんな歪んだ性格かわかったはずじゃないのか?


「有里朱……おまえなんかおかしいぞ」

『例えばさ、女の子が二人居て、二人は友だちで、どちらかがいじめを受けてどちらかが助かるとしたら……わたしは友だちが助かる方を選ぶよ』

「ん? 神崎っておまえの友だちなのか?」

『ううん。違うよ……ただの喩え話だよ』

「神崎の件とまったく繋がらなくて、わからんって」

『いいよ。わからなくて』

「いいのかよ!?」


 切れ味の悪いツッコミ。有里朱が何を考えているのかが理解できない。性別も違うし、年も離れている。理解できなくて普通なのだろうが、何かモヤモヤする。


『けどね、余裕ができたらわたし……同じような立場の人を助けたいと思う……これって子供じみた考えかな?』


 そりゃあ、誰かを助けたいという気持ちは、不純であり純粋でもある。


「そうだな、人類全てを助けたいって思うのは無理があるが、自分の大事な人を助けたいってのなら大人でもよくある話さ」

『そうなんだ……じゃあ、わたしも頑張る』


 それまでの彼女の声と違って、何か気概のようなものが宿ったような気がした。



**



 次の日の休み時間、廊下で声をかけられる。高木たちの三人組だ。


「ねぇ、美浜! 恵まれない子供たちの為にちょっと手伝ってくれない」


 スマホを片手に高木たかぎ赤江あかえが迫ってくる。有里朱より十センチほど背が高く、ショートカットで目鼻立ちのはっきりした中性的な女生徒だ。


 後ろにいるのは栗ヶ沢くりがさわ結衣ゆい。肩口まであるストレートの内巻きヘアに、ややツリ目が特徴的である。


 栗ヶ沢の隣が千駄堀せんだぼり芽生めいで、二人とも有里朱とほぼ同程度の身長。前髪はポンパドールですっきりまとめてオデコを出し、後ろは緩く一本で纏めて、くるりんぱしたような髪型だ。


 高木はプラスチック製の青いバケツを持っていた。中に入っているのは大量の氷か? いや、下の方はほとんど水である。


 なんだよ。女子高生の流行って最先端じゃないのか?


 手垢の付いた『アイスバケツチャレンジ』なんてやるなよな。それにそれ『恵まれない子供』じゃなくて、筋萎縮性側索硬化症ALSの研究を支援するためだろ! 根本的に間違ってるぞ!


 そんなツッコミは心に押し沈めて、何事もなかったかのようにスマホを取り出し耳元にあてる。


「ごめんなさい、母から電話が……」


 そう言って離脱した。廊下の角を曲がり、柱の陰から高木たちを観察。


 すると、今度は別の生徒に声をかけている。ちっちゃくて人形みたいにかわいらしい子だ。


「あれは?」

『二組の稲毛いなげさんかな』

「あいつら他クラスまで手を出してるのか?」

「高木さんは二組の馬橋まばし三月みつきさんと知り合いみたいだし、彼女は稲毛さんの事をいじめてるっぽいから」


 なるほどな。いじめられっ子のシェアか。どんだけ腐ってるんだよ!


 とはいえ、俺たちが逃げなければあの子も被害には遭わなかったのだ。言いようもない罪悪感に苛まれる。


 結局、有里朱がいじめから逃れたところで、別の人間がターゲットにされるだけ。そんな事は、初めからわかっていたはずなのに……。


『あの子……助けられないんだよね』


 独り言のような有里朱の悲壮の言葉は、俺の心をナイフで抉っていく。ごっそりと大切な物を喪失してしまったようなやるせなさ。


 今はどうしようもないんだよ。スマホの録画は使えない。だって、あのバケツは半分は冷水だ。防水仕様でない有里朱のスマホも、俺の中華タブも壊れてしまう。


 後ろ盾も武器も持たない今、彼女を助けようとしたところであいつらの玩具が二つに増えるだけだ。孤独というハンデを与えられた状態で戦うには、それ相応の準備を整えなければならない。


 力もないのに偶然に頼って戦うのは、勇敢ではなく無謀なのである。


「胸くそ悪い!」

『もう、言葉使いが荒いなぁ……人前では気をつけてくださいよ』


 注意されるも、胸のムカムカは止まらない。それが顔に出ていたのだろうか、教室に戻ったとき、俺の顔を伺っていた神崎が「ヒェッ!」と悲鳴を上げそうな顔をした。


「ほらぁ、神崎さん怖がってるよぉ」


 いい気味だろうが。自業自得だ、バーカ。

 俺は心の中で「あかんべー」をしたつもりになる。ま、俺の方が子供じみてるな。



**



 放課後、昇降口へ向かう途中の廊下で例の三人組が前の方から歩いてくるのが確認できた。


 いちおう念のために警戒。なるべく廊下の端を歩くようにする。


 高木たちは、視線を合わせようとしない。俺たちに気付いていないフリをしているのか? ならば関わり合いにならない方がいいなと、そのまま通り過ぎようとしたところで、すれ違いざまに千駄堀がわざと肩を当ててきて、どう見ても演技のようにすっころぶ。


 自演エアダイブかよ! どっかの政治家にもいたよなぁ。


「いったぁーい!」と作為的に肩を擦る千駄堀。残りの二人が駆け寄って「大丈夫?」とわざとらしく聞いている。


 おまえら大根過ぎるぞ!


 俺はバカらしいので何事もなかったかのように通り過ぎようとする。と、「美浜! 逃げんのかよ!」と高木に凄まれる。もうお腹いっぱい。いつになったらこの茶番は終わるんだ?


『孝允さん……どうしよう』


 有里朱の声が狼狽えているように聞こえるが、彼女もあのわざとらしい動きを見たはずだ。まともに受け止めるのは馬鹿らしすぎるぞ。


「どうしようって? 俺何もやってないぞ」

『そうだけど、絶対、なんか言ってくるよ』


 有里朱の予想通り、高木に壁際に追い込まれ、彼女の手が壁をドンと突く。高木は有里朱よりも背が高いので、上から睨まれるようなかたちになる。イケメンではないけど。


 きゃっ、百合ドンですか?


「てめえ、芽生めいにぶつかっておいて、逃げるのかよ!」


 深くため息を吐く。これ、彼女らに付き合わなきゃいけないの?


「ごめんなさい」


 早く帰りたいので、抵抗するのはやめておこう。


「それで謝ったつもり? 芽生めい、肩の骨が折れたかもしんないんだよ」


 いや、それはないから。


「そうですか、では救急車を呼びましょう」


 と俺は中華タブを取り出す。が、高木に止められた。まあ、これ電話できないんだけどね。


「おい! とりあえず謝るのが先だろ!」


 いやいや、ケガしてるのなら救急車が先でしょ? それとも呼ばれちゃ困るのかな?


「だから、ご・め・ん・な・さ・い」


 感情がこもらない棒読み。相手も大根役者なのだから、これで同レベルであろう。


「感情がこもってないじゃないか。本当に悪いと思うなら土下座しろよ」


 なんか懐かしい言葉が出てきたな。土下座か……クライアントに謝る時によく使ってたなぁ、と感慨深くなる。ミスを押し付けてきた上司は謝らないってパターンも多かったけど。


 とりあえず千駄堀の近くに行き、そこから三歩後退しながら前屈みになる。その場で正座をして、手は相手を向くように少し斜めに傾けて床に着く。


 相手の顔を一秒程度見つめて真摯さを伝えるんだっけ?


 そして「申し訳ありませんでした」と謝罪の言葉を述べて頭を下げる。


 この時、床から一センチ程度の高さで固定だったな。、


 完璧だ。


 頭上からは笑い声、パシャッという擬似シャッター音が聞こえてくる。スマホのカメラで撮ったってところか?


「土下座げっとぉ!」

「ポゲモンみたいだな」

「あははは、ホントに土下座してんだぁ」


 とりあえず想定内なので怒りはわかない。ああ、なるほど。これが日常化しちゃうといじめられている感覚がなくなるんだろうな。


「これでいいですか?」


 俺は顔をあげる。緊張が緩んで少しあきれ顔になりそうになるが、気弱を演じなければならない。そこは大根役者過ぎると相手に不信感を与えてしまう。


 高木の顔が冷めた目で「まあいいや」と小さくこぼす。これで満足しただろう。


 だが、ピコンと鳴った通知音と同時に彼女の顔が急激に強張る。


 そして、手に持ったスマホをちらりと見た。


「まだダメだ」



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