第4話 情報収集 ~ Alice III
トイレの件で有里朱は完全に諦めたらしい。いや諦めていないか……。
尿意を覚えた俺は、トイレですっきりと排尿したのだ。が、彼女は止めることも文句を言うことはなかった。ただ、さっきから『死にたい……』とだけ呟いている。かなり病んでるな……。
うん、ごめんな。これ、かなりキツイんじゃないかって思えてきた。
「もしかしていじめの方がマシだったとか?」
『……』
答えない。……マシだったのかもな。俺はいじめっ子より酷い存在かよ!
とりあえず洗面所へと向かう。風呂はまだ許可が下りてないが、顔を洗うくらいはできるだろう。剥離剤も少しくすねてきたから落ちてない部分に使おう。
洗面所は廊下の途中にあって、その向かい側にバスルームがあった。
とりあえずさっぱりするために洗面所の水道で顔を洗う。ばしゃりと肌にかかる冷たい水が、精神をリフレッシュさせていく。感覚を共有しているのだから、有里朱も少しは回復したのではないか?
そんなことを思いながら、鏡に映る自分の顔を見る。
十代のあどけない少女の顔だ。染められていないセミロングの黒髪は左右でそれぞれ、ゴム紐で束ねられている。編まれているわけではなく大雑把に纏められているだけだ。前髪は目のすぐ上くらいで切りそろえられていた。
右手でおでこから髪をかき上げる。
黒目がちな大きな瞳。わりとかわいいと思えるけど、自信のなさげな眉がマイナスポイントであろうか。
鼻筋も通っており、薄めの小さな唇。
「なんだよ。かわいいじゃん」
俺は素直に褒める。自分の身体だけどな。
その瞬間、有里朱の心の温度が上がったような気がした。
なぜか、そういう心の機微を感じ取ることが出来ている。感覚を共有しているからなのか? 肉体だけでなく、心も共有するのか?
あ……それはそれで恥ずかしいな、俺も。
といっても、考えてどうにかなるものでもない。
夕飯は手間の掛からない冷凍食品で済まして、同じく冷凍庫にあったアイスクリームを食後のデザートとして部屋へと持って行く。ゆるーいゆりっ娘も大好きなラムレーズンのアイスだ。
PCを立ち上げ、ブラウザを起動。WAC自体は仕事で使ったことがあるので、手間取りはしなかった。
まずは俺の名前で検索。……めぼしい情報は無し。
俺の住んでいる地域で事件、事故などの警察情報を検索。事故は多数あるが、死亡事故はゼロであった。
これは、一度自分の家に行ってみないとわからないかな? と、背もたれに体重を預けて伸びをする。ちなみにテレビや新聞を見てみたが、日付は俺がおっさんだった頃とほとんど変わらない。三年間のズレがあるとか、そんな凝った設定ではないようだ。せいぜい二、三日のズレ。
『見つからないの?』
「ああ、情報なしだ。もしかしたら、俺は別世界から転生してきたのかもしれない」
ワザと戯けてみる。
『ここ、異世界じゃないわよ』
「俺にとっては異世界みたいなもんだよ。十代の女の子の部屋に入ったのなんて初めてなんだぜ」
なにも中世風のファンタジーな世界だけが異世界ではない。自分にとっての未知の場所は、それこそ異世界であろう。
『千葉さんは……』
「孝允でいいよ。もうお互いに気を遣ってる場合じゃないだろ」
『じゃあ、孝允さんはわたしの……ここに来る前は何をしていた人なの? お話した感じだとわたしより年上みたいだけど』
「三十歳のシステムエンジニアだよ」
女子高生の身体におっさんの意識があるってだけでファンタジーである。どうせならゲーム的な中世風の異世界ファンタジーの方が良かったけどな。
『システムエンジニア? どんな仕事?』
「まあ、簡単に言えばIT関係。ざっくり言うと、コンピュータを使った仕組みを作るお仕事。クライアントと上司の間で板挟みになって苦しむ職業だ。プロジェクトメンバーとのやりとりも多いから、それなりにコミュ力必要だぞ。まあ、いずれ使い捨てにされるから上を目指さないとキツイ仕事だがな」
『孝允さんもいじめられことはあるの?』
「ああ、しょっちゅうだ。まあ、社会人で頭の良い奴は、いじめなんて言わせないように嫌がらせの手口も巧妙だぞ」
思い出すだけで背中に嫌な汗が流れてくる。パワハラ、モラハラ、アルハラ……そういや非喫煙者だからスモハラなんてレアなもんも経験したな。
『ごめんなさい。変な事聞いちゃって』
「いいさ。それよりも、せっかく身体を共有してるんだ。有里朱のいじめ問題を解決しようぜ」
『わたしのことですか?』
「本来なら、あそこで死んでたんだろ?」
『……』
自殺なんてよほどの覚悟か、追い詰められて現実を見失っていなきゃ行動に移せない。つらい現実から逃れるために有里朱はあそこにいたのだから。
「安心しろ。俺は少なくとも有里朱の味方だ。いじめっ子が有里朱をいじめるのなら、それは俺に対していじめているのと同じことだ。有里朱は戦えるほど強くなかった。けど、俺なら戦える」
状況を悲観するのではなく、状況を利用しよう。俺の師匠の言葉だ。
『どうやってですか? ……ほんとにツライんですよ。誰も助けてくれないし、何もできないように追い込むんですよ、あの人たちは』
「それをこれから話し合おう。戦う為には情報が必要だ。今の世の中、七割くらいは情報戦でなんとかなる。大丈夫、勝算はあるよ」
『情報戦?』
有里朱はよくわかっていないようだ。スマホを当たり前に持つ世代だというのに、情報の価値を理解していないのだろう。
そもそもネットを使うにしても今時の学生は、情報を発信することにしか重きを置いていない。情報を収集して分析するところまで出来る子はかなり少ないだろう。ゆえに、失敗も多い。時に人生を狂わすような大失敗をやらかす
「俺は職業上、クライアントの度を超えた要求にも答えることをやってきたからな。多少の困難なら乗り切るのは得意だぞ」
『……はぁ』
有里朱はわかっていないようだった。ここは実践しながら情報の大切さを教えていこう。まずは、リアルタイムでコミュニケーションを行うためのインスタントメッセンジャー「LINF」からだ。
「有里朱はLINFとかやってるだろ?」
『……』
俺は鞄からスマートフォンを取り出す。iPoneというのは予想通りだ。型はSEか。
画面を表示させ、LINFのアイコンをタッチし起動させ…………。
「お前……友達いないの?」
友だち欄には母親と学校と、無料スタンプを取得するための企業の名前しかなかった。
『……見ての通りです!』
今度は日本では割と有名な「つぶやきを投稿する」コミュニケーションサービス「Tvvitter」を立ち上げる。だが、彼女のアカウントではフォロー二十四、フォロワー三……そのフォロワーもbot(機械による自動発言システム)だった。
「ぼっちかよ!」
『Tvvitterは……よくわからないから』
女子高生のSNS知識なんてこんなもんか? いや有里朱が特別に疎いだけだろう。
「学校の名簿みたいなのあるか?」
『うん、ありますけど。何に使うの?」
「だから情報収集」
俺は名簿をもとに、検索をかけまくる。もちろん一覧には氏名とクラスのみで住所や電話番号など書いていない。
とりあえず名前でストレートに検索するだけでなく、少し捻った言葉も打ち込んでみた。検索オプションもフルに使いこなし、ヤホーのリアルタイム検索も行う。これなら、ツイートもカバーできるはずだ。
結果、同じ学校でTvvitterをやってる者が十二名見つかった。うち実名が五名で、いずれも有里朱とは別のクラスである。
残りの七名からの情報を分析し、三名が有里朱と同じクラスと思われる。
ユーザー名は「榛名わぴこ」と「神月のアオイ」と「めいめい山羊さん」。それは投稿時間とつぶやき内容の授業科目から、有里朱の時間割を元に割り出したものであった。
例えば火曜日の午前十一時ごろに「現国うぜー」とのつぶやきがあれば、一年一組の時間割と一致するので同じクラスとわかる。
あとの四名は、同じ学校ということがわかってもクラスまでは特定できない。
書き込みも、もう少し内容を分析すれば個人情報もわかるはずだ。
お次は、海外では世界最大の会員数を持つSNS『Faceboog』に関しては四名が見つかる。こちらはいずれも実名であるが、一人を除いてあまり活用していないようだ。
写真投稿SNS「インスタクラス」に関しては、結構多い。さすが女子校とあって、生徒の半数以上がやっている。人数が多いので、分析は後回しにすることにした。
そして、動画サイトで活躍するウーチューバーが五人。といっても、一人でやっているチャンネルと四人組のチャンネルがあるだけだ。
一人でやっている方は『ぐりーん・でぃあ』チャンネル。
顔の上半分をベネチアンマスクで隠しているが、制服でバレバレだ。「○○を作ってみた」と実験系で、わりと科学知識にも詳しく本格的な動画でもある。
俺としては【超電磁砲を作ってみた】の動画が好きだ。コイルガンを格好付けて構えてみるものの、トリガーを引くと砲身の先からポトリ弾丸が落ちる場面は笑いを誘う。
一見大失敗に見せているが「そういう」演出なのであろう。構造を見るに完成品だろう。ただ、これは殺傷能力が高い武器にもなりうるので、あえて自重した感じだ。そこそこ頭はいいのだろう。
あと平行して投稿している近所の『チェシャ』という野良猫を撮影した「近所のノラとイチャイチャしてみた」も人気のようで、『ぐりーん・でぃあ』チャンネル自体はそこそこ登録者数も多いようだ。
もう一つの四人組の女子がやっているグダグダなチャンネル『マジ卍!』。内容は薄っぺらすぎて内輪受けのノリ。再生数も一桁。まあ、本人たちが楽しければいいのだろう。
ただ、こちらは不用意に顔出しを行っているのが心配ではあった。有里朱も見覚えのない顔だと言っていたので、他クラスか学年が上の生徒らしい。
さらに、イラスト投稿サイトと「pixib」と、小説投稿サイト「小説を書こう!」でもTvvitterアカウントと紐付けられてるものから、宅南女子高の生徒を割り出す。
まずは「pixib」で検索。
Tvvitterと連動しているアカウントに「ニューネココマ」さんという人がいる。うちのクラスではないが、個人的に気になる人だ。
ふんわりとしたかわいいイラストを描く人で、二次創作では桜Tnickの絵をよく描いている。わりと好みの絵柄なので、あとで改めて観に来ることにしよう。ネズミーの「ミッシー」が好きだとも書き込んでいたが、まあ、その二次絵を描くことは永遠にないだろう。あの国はそこまで同人に優しくない。
次に「小説を書こう!」。
この中にクラスの特定できないアカウントを持つ者がいる。ユーザー名は『代用海ガメ』。もともとその者は、あまり書き込みをせず、個人情報はほとんどわからない。宅女に関する事を呟いていたので、同じ学校の生徒である可能性は強いであろう。
百合っぽい作品をそこそこ書いていて、文章やシチュエーションも好みで、こちらも個人的に読みにいきたくなる。暇な時にでも改めて覗いてみよう。
さらに学校の裏掲示板を発見。わりと古くからあるようで、最初の書き込みが二〇〇五年五月十八日となっていた。ここで有里朱の名前は書かれていない。なので、彼女のいじめっ子たちは裏掲示板そのものを知らないのだろう。
これらは、今回は無視してもいい。
あとは、ネットでツールを拾ってきて細かい設定をして立ち上げ、決め台詞とともにマウスをクリックする。
「行け!ファン〇ルたち!」
『なんですか? それ?」
「インターネットの情報収集ツールだ。自動的に設定したキーワードで情報をクリップしてくれる。Googooアラートより精度は高いぞ」
『ふぁんね○って名前なんですか?』
「いや、ガンダ〇に喩えただけだ」
「がんだ〇?」
しまった。今どき女子高生はガンダ○すら知らないのか。このくらいの年代だとA〇Eとか鉄〇じゃないのか? ジョ〇ョに喩えた方が良かったのか?
それはさておき、ついでに大昔にMMORPGで知り合った『プレザンス』さんに連絡を取っておこう。あの人も忙しいみたいだから、昔みたいにアクティブに話せるかどうかわからない。
けど、情報屋みたいなことやってたから、できれば頼らせて貰いたかった。
とはいえ、このうろ覚えのアドレスが生きていればいいのだが。
かなり集中していたので、気がついたら十一時を過ぎていた。そろそろ寝ないと明日の授業に差し支える。
「さて、どうするかな」
『たった数時間で情報がいっぱい集まりましたね。でも、なんだか怖いです』
「そりゃそうだろ。ちょっとした書き込みから個人が特定できちゃうのだからな」
ネットにそれなりに慣れ親しんだものは、特定厨(ある情報から個人や場所を特定する人物の蔑称)を蔑んだり怖がったりする傾向にある。しかしながら結局、インターネットがどういう所かわかっていない人間が不用意に発言してしまうところに根本的な問題があった。
『みんな脇が甘いですね』
「そんなもんだよ。特に中高生なんかは、これが全世界に発信されているという認識が全くないからな」
今やっている個人の特定のための作業は、法律を犯しているわけではない。インターネット上にある情報からそれを分析しているだけのこと。
世界中に放送されますって言ってるのに内緒話を勝手に始めてしまうようなものだ。放映されるテレビを見て、それが覗き見だと言うのはおかしな話だ。
『孝允さん、この情報を悪用はしませんよね?』
「今やっているのは基本的に防衛の情報収集だ。友達がいないおまえには、天気予報みたいに人の動きとか心の状態とかを予測しておかないとならない。雨が降るってわかっているなら事前に傘を用意すべきだろ?」
一番の目的はいじめっ子たちの動向だ。どう仕掛けてくるかで対応が違ってくる。
孤軍奮闘。手段なんて選べる状態じゃないんだ。
『そこまで考えられるなんてすごいですね。しかもこんな短期間で、こんなにたくさんのことがわかりましたし』
「まあ、集まったといっても、ほとんど情報ソースだけだ。データ自体はこれから精査して分析していかないとな」
『ソース? データ?』
「SNSは生徒の情報源が特定できただけだからな。情報自体はこれから集めていかなくてはいけない。何かあったときのために」
『はへぇー、なんかIQが高そうなお言葉ですね』
「どちらかというとHQ(Humanity/Hyper-Quotient)の方が関連しそうだけどな」
『でも、なんか、その手の組織のエキスパートみたいですね』
ま、自分でやってても「
「さすがにトーマスさん並のアクションは無理だぞ」
少しおちゃらける。とはいえ、いじめ問題を解決するというミッションはかなり重要な事だ。
『……なんだか、孝允さんを尊敬しちゃいます。わたし、ネットなんてまともに使ったことなかったから』
尊敬されるのはいいけど、くれぐれも『パソコンの大先生』とは呼ばれないようにしないとな。
「凄いのはネット。情報は端末を持っている者なら全員に平等なはずだよ」
『うーん、そうなんですけど。なんか、わたしの考えている世界ってものすごく狭いなって思っちゃって』
「高校生くらいならそんなもんだよ。子供と大人の大きな違いってさ、視野の広さなんだよね。だから、社会人でも子供っぽい人は視野が狭いし、学生でも大人っぽい子は視野が広くて柔軟なんだよ」
『そういえばそうかも……』
「それはともかく、もう寝るか? 疲れただろ?」
『……う、うん、そうですね。お母さん、もうすぐ帰ってくるだろうし』
俺は制服のまま布団に入ろうとする。と、「待って」と声がかかる。
「どうした?」
『汚いよ!』
「そりゃそうだろ」
裸にならない為の唯一の方法だ。
『お風呂……入っていいです』
一瞬彼女が何を言ったのかが理解できなかった。だって、それは自分の裸を見てもいいということだぞ。
「いいのか?」
『もう……わたしは死んだことにします。わたしは今、幽霊なの。だって、肉体がないのと一緒だよ。身体動かせないんだもん』
実際、自殺しようとしたしな。
「悪い」
俺は心から謝る。原因は不明だけど、彼女の身体に乗り移っているのは事実なのだから。
『だからいいです。それはもうあなたの身体ってことで納得します………………死にたいけど』
まだ吹っ切れないようだった。
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