第31話 十四歳 19

 ルーカス伯爵家の馬車が止まっていると、とても邪魔になるので馬車の中で話をすることにした。話が終わるまで馬車は走り続けてくれる。


「どうしてアンナは学院に入学しなかったの?」


 私の向かい側に座っているエドが尋ねてくる。彼の赤い髪は前に見た時より伸びている。


「私は庶民生まれだったのよ。学院には通えないわ」

「庶民だって通っている人はいるよ」

「私は奨学生になれるほど賢くないから。それに魔法も普通の魔法しか使えないもの」


 奨学生に選ばれるには学科だけでなく、魔法も際立っていなければならない。私みたいに生活魔法くらいしか使えない者では手が届くわけがない。


「学院に行かないでこれからどう暮らしていくつもりだ? か、家族とは仲良く暮らしているのか?」


 エドは元婚約者として心配してくれているようだ。


「家族は良くしてくれているわ。これからどうするかは考え中ってとこ。今はサラとクレープを売っているのよ。でも冬が来るから…」


 エドはサラのことをよく知っているので、偶然出会ったことを話すととても驚いた。そして私がクレープの売り子をしてお金を稼いでいることを話すと目を丸くした。


「驚いたな。まさかアンナが働いているとは思わなかった」

「そうよね。私も自分が働けるとは思わなかったわ。でも庶民だったってわかった時からいつかは働かなければならないってことはわかっていたの。庶民は働かないと生きていけないもの」


 エドの顔は見なかった。そこに憐みの表情が浮かんでいたら涙がこぼれる気がしたからだ。

 私が俯いて間、エドはただ黙っていた。馬車はどこを走っているのだろうか…。

 あまり遅くなると母が心配するかもしれない。でもここでエドと別れれば一生会えない気がして言葉が出ない。


「あのさ、さっきの話だけど……」


 しばらくしてエドが話しかけてきた。そのことにホッとした。


「さっきの話?」

「そう、クレープの屋台が冬は出来なくなるって話さ。冬でも売れそうなのにどうして駄目なの?」

「屋台って車輪が横についてて、毎朝サラが市場まで引いて運んでいるんだけど雪が降ると難しいらしいの。それに冬は寒いから屋台で買う人も減るみたい」


 私はサラから聞いたことをエドに話した。エドは腕を組んで聞いていたけど首を傾げた。


「どうして屋台にこだわるんだ?」

「こだわってないけど?」

「そうなのか? じゃあ店舗で売ればいいじゃないか。そうすれば全部解決だ」


 えーー? まさかそう来るとは。

 確かに店舗で売れば解決だけど、その店舗を借りるお金をどうするのよ。

 屋台で商売している人は、決して好きで屋台で商売しているわけではない。誰だっていつかは店舗を借りて商売をしたいと思っている。

 これだから坊ちゃまは……。


「あのね、店舗を借りるには莫大なお金がいるの。サラは屋台を借りるのが精一杯だって話していたわ」

「そうだろうな。アンナは? アンナがオーナーになればいいだろ?」

「わ、私? 無理よ。そんな大金用意できないわ」

「侯爵家から何ももらえなかったの?」

「少しはもらえたけど、家族を養うのに使いたいの。お金を使って店をはじめても失敗したら困るわ」

「だが投資は必要だ。そこで躊躇していたらいつまでたっても変われない」


 伯爵家の跡取り息子であるエドは、私とは考え方が根本的に違うようだ。

 エドの言うように冒険しなかったらいつまでたっても小金しか手に入れることは出来ない。サラの屋台で夏だけ稼いで冬はそのお金とドレスを売ったお金で暮らす? いつまでそんな生活を続けることができる? お金を食いつぶす前に投資したほうがいいのかもしれない。でも失敗したら?


「もしお金のことが心配なら私が用意しようか?」


 エドは何でもないような顔で提案してくる。


「エドにお金を出してもらうわけにはいかないわ」

「私は君の婚約者なのに?」

「な、何を言っているの? 私たちの婚約は解消されたはずよ。私はそう聞いたわ」


 エドと私の婚約は私が庶民だとわかった時点で解消されたはずだ。私がそう指摘するとエドは困ったような顔をした。

「た、確かにセネット侯爵令嬢との婚約は解消された。でもアンナはセネット侯爵令嬢ではないわけだから解消されたわけではない」

「何を言っているの? エドは伯爵令息なのよ。庶民の私と婚約なんてあり得ないでしょ」

「私が婚約解消に同意していないのだから、君はまだ婚約者だ」


 あり得ない話だ。伯爵である彼の父が許すはずがない。エドはどうしてこんな馬鹿な話をするのだろう。


「エドの言っていることは滅茶苦茶よ」

「そうだ、滅茶苦茶だ。でも君の店に投資する理由にはなるだろ? 今後婚約が解消されることになってもそれはいまではない」

「どうしてそこまでしてくれるの?」

「どうしてって…、それはサラの料理が好きだからだ。彼女の故郷の料理は投資しても損をしないと断言できる」


 確かにサラの故郷の料理は、このあたりではお目にかからないものばかりだ。でもエドがわざわざ投資するほどのものだろうか。


「エドに投資してもらうわけにはいかないわ」

「もちろん全部私が投資するわけじゃない。共同経営者ならどうだ?」

「きょうどうけいえいしゃ?」


 誰と誰が共同経営者になるの? サラとエド? それとも私とエドだろうか?

 困惑する私を乗せた馬車は走り続けている。

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