第3話 佐々木清秋の悩み事
その日、佐々木清秋は始業時間よりかなり前に学校に着いた。
部活の朝練もない今日に、わざわざ朝早く登校したことには理由がある。
「春ちゃん…」
まだ人の少ない校舎を教室めがけて歩きながら、幼馴染の彼女の名を思わず呟く。
本当は昨日告白するつもりではなかった。
もっと長い目で彼女を見て、こちらも見てもらって、ゆっくり会えなかった時間を埋めていこうと思っていたのだ。
だが、春菜があまりにも変わっていなかったことが嬉しかったのと、彼女にとんでもない変態がまとわりついていたことが、清秋を焦らせた。
するつもりのなかった告白で清秋は動揺し、眠れず今日は早めに登校してしまったという訳だ。
(本当になんだったんだ…昨日の変態は)
大きくため息をつきながら教室の扉を開けると、中にはその変態がいた。
「俺は春菜をここで待つ!」
「ええ…いつからそこにいるのさ…通報される前に教室戻ろうよ」
本来ならひとつ下の学年の春菜の椅子に座り、堂々と言い放つ男は昨日の変態。
その前に立って、呆れ気味に冬樹を諭すのは。
「如月先輩」
「あれ?佐々木じゃん」
「貴様ー!昨日の!!」
清秋の姿をとらえた冬樹が暴れ出す。
それを慌てて抑える男子生徒は
清秋の所属する、サッカー部の先輩だ。
「昨日一悶着あったのって、佐々木のことだったんだ」
「き、如月先輩…その人とお友達だったんですね」
「いや、そろそろやめようかと思ってるんだけど」
「賢明な判断だと思います」
その言葉にウンウンうなずく2人に冬樹が喚く。
「俺だって好きであんなことしてるわけじゃねーよ!」
「えっ」
「こんな人気者の俺様にあんな仕打ちしてくる女初めてだったんだよ!」
自分で人気者とのたまう彼に少しばかり距離を置く2人には気付かず、冬樹は手を震わせて続ける。
「春菜に冷たくされると…頭の先までビビッと電撃が走ったようになって…こう、ちびりそうになるんだよ」
「……は?」
その瞬間、光が黙って逃げ出した。
机の間を転びそうになりながら懸命に走っていく。
無理もない。
(僕も逃げたい)
その背中を見送って、清秋は白目をむきながら冬樹を見やる。
別に良いのだ。
特殊な性癖を持っていようが持ってなかろうが、個人的に楽しんだり、お金を払ってプロに頼むぶんには。
ところがこの男は、一般女性に罵ることを強制するばかりか、あまつさえその行為に失禁するほどの興奮を感じている。
清秋はこれ以上ないぐらいに血の気が引くのを感じた。
「実際にちびったことはねえから安心しろ」
「当たり前だ!アンタみたいな化物、やっぱり春ちゃんに近づけさせない!」
「なっ…!」
「これから彼女の意思を聞いてくる!答えによっては、アンタは二度と彼女に触れられないからな!」
扉を叩きつけるように閉めて教室を出て行く。
冬樹が床に膝をつく音が聞こえた。
清秋は厳格な父を持って生まれた。
一家の大黒柱を地でいくような人で、決して口数は多くはなかったが、いつでも家族を、特に母を想い、大変なことも全て一人で引き受けるような性格の持ち主。
そんな父を見ながら育った清秋は、女性は守ってあげるべき存在であると教えられてきた。
『あきちゃん』
その教えを実行しようとしたのは、幼少の頃。
同じ幼稚園のクラスメイトに、ほかの同級生より一際小さい少女がいた。
彼女は優しかったが引っ込み思案で気が弱く、よくからかわれている場面に出くわしたものだ。
(ぼくが守ってあげなくちゃ)
それからはいつも彼女を気にかけて、優しく手を引いて、守ってあげた。
お互いの呼び名は、春ちゃんと秋ちゃん。
2人とも名前に季節が入っているところからついた呼び名だった。
その後、小学校に上がる前に清秋の転園が決まってしまい、それきりになってしまった。
『清秋くん』
それからの清秋は、誰に言われるでもなく背の小さい女性に惹かれるようになる。
生憎女性に困ることはなかったので、実際にお付き合いに発展したことも多々あった。
そこでも清秋は、自身の中の漢らしさを体現していた。
女性に無理強いはしない、デートは必ずリードする、送り迎えは必ず行う。
そうすると女性はとても喜んで、清秋にさらに羨望の眼差しをむけるようになったものだ。
清秋に集まる女性は皆、可愛らしくて優しかったが、彼は頭のどこかで物足りなさを感じていた。
思い出してしまうのはいつも春菜のこと。
清秋自身、何故ここまで彼女を忘れられなかったのか、その理由はわかっていない。
確か、春菜に恋心を抱いたタイミングがあったはずなのだが覚えていない。
それでもこのまま悶々と過ごしていても仕方がない。
春菜と出会った街には祖父母が住んでいるので、無理を言って自分だけこの街で暮らすことにした。
半ば賭けのようなものではあったが、清秋は幸運に恵まれた。
見事春菜と再会することに成功し、もともとの人柄もあり学校生活は順風満帆。
ゆっくり春菜と親睦を深めようと思っていた矢先、現れたのは変態野郎だった。
あのモンスターを引き剝がさねば春菜との未来はない。
「春ちゃん」
「あ、秋ちゃん」
校門で通学中の春菜を見かけて、清秋が声をかける。
そのまま人気の少ない校舎裏にでも行こうと誘った。
春菜がいまあの教室に行ったら大変なことになるし、昨日の答えが知りたい。
「昨日は大変だったね。いつもあんなことされてるの?」
「先輩のこと?そうだね。わりと通常営業だと思うよ」
「春ちゃん目立つの嫌いだから、困るだろ?」
「うーん、前なら絶対嫌だったんだけど、最近あの人頭おかしいってみんなわかってるから、周囲の人も優しくしてくれるんだよねえ」
昔の冬樹ならば、春菜だけを特別扱いすれば、ほかの女性から尋常でない量のひんしゅくを買っただろう。
ところが今や変態と化した冬樹に恋い焦がれる女性は少なく、むしろ春菜に対し同情の目を向ける女性の方が多くなった。
春菜からしてみれば、やっかみを買っていじめられるよりは、同情の方が断然良い。
なので、意外と平和なのだ。
それに焦るのは清秋である。
(あれ?雲行きがあやしい…)
「は、春ちゃん。昨日の話なんだけど」
「あっそれね!あれから一晩考えて」
(大丈夫…)
清秋が自分に言い聞かせる。
春菜にとって、良い条件のはずなのだ。
あの変態と縁を切って、真っ当な恋愛をするチャンス。
「秋ちゃんとっても優しくて男らしくて素敵な人だよね。私と仲良くしてくれるのが不思議なぐらい。いま思えば私の初恋は秋ちゃんだったし」
「え…」
その瞬間、清秋が突然、春菜に恋に落ちた時のことを思い出す。
幼稚園の時、2人が仲良くなってそれほど時が経っていない時。
春菜が転び、清秋少年は彼女を助け起こそうとした。
(そうだ。あの時僕は春ちゃんに、守ってあげるからずっと一緒にいようねって、手を差し出したんだ)
すると、幼い春菜は涙を拭いて、嬉しそうに一言、
『わたしね、あきちゃんのことすきなんだけど、あきちゃんと仲良くするとめだつから、あんまり仲良くしないっこしよう』
「でも、人気者の秋ちゃんとお付き合いすると、いじめられたり変に目立ちそうだから、お断りするね」
そう言って、目の前の、高校生の春菜がにっこり笑う。
あの時と同じだ。
彼女には一切の悪気がないのだろう。
清秋がこんなにも長い間自分のことを想っていた事など思いもしなければ、冬樹に好かれていることに同情して助けようとしてくれただけだと、なんなら一時的な気の迷いだと思っている。
そしてただ純粋に目立ちたくない自分の素直な気持ちなのだ。
天然の鬼畜である。
「は、春ちゃん…」
人気者の清秋からアプローチをして、断らない女性などいなかった。
それどころか皆自慢げに彼を連れて歩いた。
(僕はその度に気持ちが萎えていくのを感じたんだ)
何故あの時から春菜に惹かれたのか、その理由が明らかになろうとしている。
それは開けてはならないパンドラの箱だと脳が危険信号を飛ばす。
(…下)
冬樹が近づくことは許可しておいて、清秋は駄目なあたりが、あの変態よりも下の存在と言われている気がする。
あんな、あんな変態よりも、扱いが、下。
下。
清秋がここで冬樹の言葉を思い出した。
『こんな人気者の俺様にあんな仕打ちしてくる女初めてだったんだよ!』
清秋の身体に衝撃が走る。
次の瞬間、彼はじわっとズボンの中が温かくなる感覚を覚えた。
なぜどうしようもなく春菜に惹かれたのか、10年越しに分かってしまった。
【短編】ド変態かっぷる! エノコモモ @enoko0303
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