第2話 鈴本春菜の悩み事


鈴本春菜すずもとはるなには悩みがある。

人生歴はや17年、小さな身長以外平凡中の平凡だった彼女は、細かな悩みはあれどこれほど大きな悩みは抱えたことがない。


「春菜〜!」


悩みの種は、通学中、あちらの通りから嬉しそうに右手を振って走ってくる男に関係がある。


「…なんですか、江藤先輩」


それはそれとして、春菜にはひとつ欠点がある。

それは思ったことがすぐに言動に出てしまうことだ。


「は、春菜…!お前、先輩に対してなんて嫌そうな顔をするんだ…!」


目の前の先輩、江藤冬樹えとうふゆきが胸を押さえる。

(私いま嫌そうな顔してたんだ…またやってしまった)

これほどまでに、この短所が憎いことはない。


「こんな文武両道才色兼備な俺に声をかけられてそんな顔をするなんて…お前はなんて…なんて、最高の女なんだ…!」


冬樹が普段のクールな顔とは程遠い、頰を紅潮させ涎の出そうな表情でこちらを見てくる。

いや実際に出ている。

(最悪だ…)

完璧な先輩は、とんでもない変態野郎だったのだ。






「江藤先輩、今日も鈴本さんに嫌そうな顔されて喜んでたって」

「うわあ…私は殴ってくれって強制してたって聞いたよ」

「江藤先輩、あんなに格好良かったのにね…」

「ね…気持ち悪いね…」


そう言って、クラスメイトは春菜に憐憫の目を向ける。

先日まであれだけ恋慕の上を募らせていた女生徒達もこのざまだ。

(いや全く持って気持ちが悪いにも程があるよね)

その言葉にウンウン頷きながら、自分の席に着いた春菜ははあとため息をつく。

冬樹は本当に完璧だったのだ。

スポーツ万能で成績はいつもトップ、顔も格好良ければ足も長い。

性格は少々自信家すぎるきらいがあったが、彼ほどの男になればそこも魅力のひとつ。

ところがそうしてチヤホヤされすぎたせいか、彼の性癖は数多の長所では覆い隠しきれないまでに特殊な成長を遂げてしまったらしい。


「転校生男の子だって」

「本当?イケメンかなあ」


女生徒たちの今の関心は、過去の変態美男子より未来のまだ見ぬ美男子だ。

ところがそもそも目立つことが嫌いな春菜には興味が湧かないし、なにより目下の悩みは冬樹のこと。

朝礼が鳴って席に着く生徒を尻目に、ぼーっと窓の外を眺めながら考えに耽る。

(江藤先輩もあの性癖さえ無ければ少女漫画のヒーローなんだけどなあ)

変わった性癖を持つにしても、もっと人目につかないところで個人的に楽しめばいいものを、人を巻き込むからヒーローどころか単なる犯罪者だ。

おそらく1人でやらないところに彼の性癖の肝があるのだろうが。


「ヒーロー…そういえば、昔いたなあ」


ふと思い出すは幼少時代の思い出。

幼馴染のみどりの他に、春菜には遊び友達がいた。

同じ幼稚園に通っていた彼は、同い年ながらも優しくて格好良くて、おそらく春菜の初恋だ。

彼は小学校に上がる前に、家の都合で引っ越してしまった。

(なんて言ったかなあ…名前…)


「転校生を紹介するぞー」


担任の声もどこ吹く風。

曖昧な記憶を引っ張り出すことに夢中になる。

(名前、お揃いだねなんて言ってたんだよね…そうなると四季かな?春、夏、)


「春ちゃん!春ちゃんだろ?」


突然声をかけられて、春菜の脳がぴたりと動きを止めた。

動揺しながら右を見ると、春菜の机のすぐそばに、青年が立っている。

見かけない顔だが、この学校の制服を着ているところを見ると、今日転入してきた男子生徒のはずだ。

(あれ…?)

どこか面影のあるその顔は。


「あ、秋ちゃん…?」


本日付けでこの高校に転入してきた男子生徒の名前は佐々木清秋ささきせいしゅう

十数年前に一度この街からいなくなり、家の都合で再度戻ってきたのだそうだ。

春菜の初恋の人である。






「佐々木く〜ん!」


放課後のグラウンドで黄色い応援をする女生徒達。

幼稚園生だった清秋は爽やかな美男子になっていた。

転入してすぐサッカー部に入ると八面六臂の大活躍。

誰にでも分け隔てなく接し、ユーモアもあり、気遣い上手。

たちまちクラスのムードメーカーになった。

少々勉学には疎いものの、その辺りが隙があって可愛らしいのだそうだ。


「すごいなあ…」


春菜がグラウンドでサッカーをする清秋と、その取り巻き達を見ながら感嘆の声を漏らす。

清秋のファンクラブができるのも早かった。

(まあ小さい頃から人気者だったもんね)

そんな人気者が何故春菜のような凡人と仲良くしてくれたのか理由は不明だが、それも過去の話。

清秋はすっかりクラスに馴染み、学校の有名人となったわけで、今更ただの幼馴染の春菜と仲良くする必要もない。

少し寂しいけれど、それが初恋ってものだ。

(江藤先輩に見つからないうちに帰ろう)


「春ちゃん!今から帰るの?」

「へ?」


快活な声をかけられ振り向けば、ボールを持った清秋がこちらに話しかけてきている。

いつの間にか、近くまで来ていたらしい。


「うん、部活終わったからね。帰るよ」

「そっか!もうそんな時間か。僕も帰るよ。一緒に帰ろう!」

「えっ、うーん…」


春菜が清秋と、グラウンドの隅っこで集まる取り巻きの女の子たちを交互に見る。

こちらが何を話しているかまでは聞こえないぐらいの距離か。


「良いんだけど、目立ちたくないから裏門からこっそり帰ろう」

「ぶはは!春ちゃん変わってない!」


清秋は楽しそうに笑った後、その条件を了承した。






「秋ちゃんが帰ってきたって、翠ちゃんにも伝えとくね」

「翠!懐かしいなあ。変わってる?」

「背がとっても伸びて、今は演劇部で活躍してるんだって。この前は男装してたよ」

「男装!会ってもわかんないかもなあ」


夕日で赤く染まる河川敷を、清秋と春菜が並んで歩く。

橋の下では少年達が野球をして居たり、買い物帰りの主婦が自転車を漕いでいたり、とても平和な空間だ。


「それに比べて春ちゃんは変わってないなあ。見てすぐわかったよ。幼稚園の時から背伸びてないんじゃない?」

「さすがにそれよりは伸びたよ!」


明らかな冗談にお互い笑い合う。

(人気者になる理由わかるなあ)

話していると楽しくて、それでいて贔屓もしない。

どうやら昔の私はだいぶ見る目があったらしい。


「春ちゃん小さいからいじられがちだったもんな。いまはどう?楽しくやってるの?」

「え。…うーん」


即答できず春菜が言葉を濁す。

日常は平和だが、冬樹のことで頭が痛い。


「春ちゃん?どうしたの?まさか…」

「春菜あああああ!」


清秋が言い終える前に、この辺り一帯に響き渡る声と足音。

(きたか…)

春菜がげんなりした顔になった。

後ろから砂煙を巻き上げながら冬樹が爆走してくる。

春菜の前でビタッと止まった。


「春菜お前ふざけんな!!」

「ちょっと、なんですかあなた」


いきなり怒鳴り始めた冬樹に、隣の清秋がフォローを入れる。

それを一切無視して、冬樹が春菜に詰め寄った。


「ちょ、」

「おま、一緒に帰る約束したのに、どうして先に帰っちゃう!?俺ずっと待ってたのに!ねえ!そんなに俺のこと嫌か!」

「はい」

「んもー!好きー!」


冬樹が嬉しそうに顔を覆った。

春菜がちらりと清秋を見れば、初めて遭遇した宇宙人を見るような目で冬樹を眺めている。

正しい反応だ。


「春ちゃんこの人…」

「ンッ!?はるちゃん…?春菜のことか?なんだお前は!」

「秋ちゃんごめん、先に帰っていいから」

「あきちゃん!?俺のこと最近名字でも呼んでくれないくせに!ニックネームっておま、」

「黙ってください豚野郎」

「はーい!…じゃない!いやこれは見過ごせないぞ春菜お前!」


(この人がいると話が進まない)

せっかく初恋の甘酸っぱい気持ちを思い出して感傷に浸っていたのに、この人が来て台無しだ。

清秋もさぞドン引きのことだろう。

(秋ちゃん巻き込むの気がひけるし、先に早く帰ってもら、)


「やめろ!」


冬樹の雑言をかき消すような大きな声。

清秋が春菜を庇うように、冬樹との間に立ちはだかった。


「春ちゃんは嫌がってるだろ?」

「んだてめぇは。お前に言われる筋合いはねえよ」

「僕は彼女の幼馴染だ」

「…!!お、おさ…!ふ、フン。ちょっとぐらい出会うのが早かったからって関係ねえよ。おぉ?」


心の余裕がないのかまるでチンピラのような絡み方だ。

驚くほど格好悪い。


「秋ちゃん、大丈夫だよ。ミジンコに構ってる場合じゃないよ。帰ろう」

「ミジンコッ!」

「春ちゃん駄目だ。この人は君に付き纏ってるんだろう?ここで釘を刺しておかないと大変なことになる」

「だからお前には関係ねえ話だろ!おっ、おさ、幼馴染だからって、」

「関係ある話だ」


清秋がぴたりと言い切った。

そして、春菜を振り返り続ける。


「僕は春ちゃんのことが好きで、彼女になってほしいと思ってる」

「ンァッ」


これに変な声を出したのは春菜だ。

いきなりの申し出に踏まれた蛙のような声を出してしまった。

清秋が冬樹をもう一度見る。


「これなら関係あるだろ?僕の彼女になる人に、変な虫はつかせない」

「……」


急に静かになったので、春菜が清秋の身体から冬樹を覗き込んだ。

すると白眼をむいて、まるで石のように止まっている。


「春ちゃん、今のうちに行こう」


清秋がそっと春菜の手を握って走り出す。

その背中を見ながら、なんとなく懐かしい気持ちにさせられる。


「背中…広くなったね」


小さな頃も、こうしてなにかと世話を焼いてくれた。

(正真正銘の、少女漫画のヒーローみたいだ)

そうしてしばらく走った後、清秋が春菜の家まで送ってくれた。

家の前で、清秋がパンと顔の前で手を合わせる。


「本当ごめん!急にあんなこと言っちゃって」

「あ、ううん。むしろ私を助けるために言ってくれたんだよね。ありがとう」

「それなんだけど…」


清秋が後頭部をかきながら、恥ずかしそうに口を開く。


「…本気で考えてくれないかな?」

「ンァッ!?」


また踏まれた蛙のような声が出た。






「…と言うわけなんだけど」

「え!秋ちゃんってあの男の子でしょ!」


夕飯後、春菜の部屋で翠が興奮気味に話に食いついていた。

話したいことがあると伝えると、翠が泊まりに来てくれたのだ。


「秋ちゃんが言うには、もし彼氏ができれば江藤先輩も諦めるだろうし気軽に考えてくれって」

「そっかー。でも秋ちゃん、あの頃ずっと春菜のことが好きだったみたいだし、春菜が初恋な人なのかもね!」

「……そうなの?」


それは奇遇な話だ。


「でも秋ちゃん人気者だからなあ。女の子達全員を敵に回しそう」

「んーでも秋ちゃんは、春菜が目立つの嫌いって知ってるから、隠してくれると思うよ。というより、そんなに好意を向けられても関係を断った方がいい江藤先輩ってそもそも誰なの?」

「翠ちゃん一度会ったことあるよ」


その言葉に翠がしばし考える。

たしかに会うには会ったがかなり凄惨な思い出なので、思い出したくないフォルダに入れているのかもしれない。


「…もしかして、あの土下座の人?」

「そう」

「…もう迷うことないじゃん!早く秋ちゃんと付き合お!」


翠が静かに冬樹を全否定してくる。


「秋ちゃんのこと好きだったんでしょ?気軽に考えてくれていいって言ってるんだし、そのうちまた情が芽生えることもあるんじゃない?」

「…そうだね」


そうは答えながらも、春菜の頭の中ではぐるぐる考えが回っている。

(秋ちゃんは優しいし格好良いし、むしろ私のような女で良いのか不明なぐらい素敵な人だ)

幼馴染と十数年間ぶりに会って告白されるなんて、まるで本当に少女漫画みたいだ。

誰もが関わりたくないであろう変態から守ってくれた清秋は、とても頼もしかった。

(秋ちゃんのそういうところが好きだったんだろうなあ)

きっと付き合ったら、また好きになるに違いない。

春菜は告白の答えを決めて、眠りについた。






「……」


翌日春菜が登校すると、教室が少し騒がしかった。

冬樹が来なかった為通学中はとても平和だったのだが、だからといって大人しくしている男でもない。


「はるなぁ…はるなぁ…」


ぐすんぐすんと鼻水なんだか涙なんだかわからない液体を流しながら、春菜の机にしがみついている。

寝ているようだが、相当な悪夢を見ているようだ。


「先輩」

「どっ、どうじて…おれは、お前のことあんなにぃっ…」

「おいドM野郎」

「はっ!?」


がばりと冬樹が起き上がる。

目が腫れすぎて、開いているのかよくわからない。

(まさか…あれから一晩中いたわけじゃないよね?)

恐ろしいので思考をやめたところで、現実を認識した冬樹が春菜の肩を掴む。


「春菜!あのクソガキとどうなったんだ!?」

「もう返事をしてきましたよ」

「え!!結局どうしたんだ!?なあ!?おい!おいって!!」

「机こんなにしちゃってどうするんですか。早く掃除してください」


その言葉に冬樹が泣きながら雑巾でズルズルの机を拭き出した。


「……はあ〜」


その哀愁漂う背中を見ながら、春菜が深いため息をつく。

一体どうして、この人は道を踏み間違えてしまったのだろうか。

普通にしていれば、清秋のような少女漫画のヒーロー役でも遜色ないのに。


「春菜ぁ!掃除できた!」


鈴本春菜には悩みがある。

それは、目の前で犬のように座るこの変態が、たまに、たまにだが、愛おしく見えてしまう時があるということだ。

(私も変態なのかなあ…)

少なくとも、少女漫画のヒーローからの告白を、きっぱり断る程度には。

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