第2話 『黎明』開幕(執筆者:ラケットコワスター)
その日は良い天気だった。
空に雲が二割から八割程度の天気のことを晴れと言うらしい――この日の雲は大きいものが多いが全体的に空は青の比率が高かった。
鳥が隊列を組んで空を飛び、木々は青々と茂る。何も知らない者からすればこの光景は当たり前かつのどかなもの。
いや、当たり前かつのどかなもので間違いはないのだ。しかしそれだけにそこに異質なものが紛れ込むと違和感が際立って見える。
ふと、やかましい音を立て大きな物体が勢いよく空を横切っていった。
一機の複葉機だ。
乱暴にプロペラを回しながら飛んでいく。操縦席が二つある複座機のようだがパイロットは前の座席に一人だけ。どうやらこの後部座席に意味はないようだ。加えて機首の先端からかすかに機銃の銃口が見える。武装した戦闘機だ。
パイロットはふと操縦席に取り付けられたバックミラーで後方を確認すると小さく舌打ちした。首に巻かれた赤いマフラーと一本にまとめられた美しいプラチナブロンドが風になびき、青い空の中で余計に浮いて見える。女性のようだ。薄茶色の飛行服を着用し、これまた焦げ茶色のゴーグルを着用していたが頭巾は被っていなかった。
「っ……しつこいわね」
パイロットは鏡を見つめ愚痴を洩らす。その鏡にはもう一つの飛行物が映りこんでいた。
戦闘機と同じ速度でついて来る飛行物体。高速で飛行するそれは黒く、禍々しいシルエットだった。
竜。
それがその生き物の名前だった。高い知能と高い運動能力を有する高度生命体。その双翼は戦闘機に追随する速度を生み出すには充分だった。
しかしパイロットが見ているのは竜そのものではなかった。よく見ると竜の背中に人間が乗っている。薄汚れた外套をまとい、その下に軽装のくすんだ灰色の鎧を着込んでいる。竜の頭に回された手綱を握り、こちらを真っ直ぐに見据える人間。パイロットとは対照的に髪は黒くまとまりのない短髪だった。こちらは男性のようである。
竜騎兵である。といっても、銃を担ぎ馬に乗る
「……しょうがない」
パイロットは操縦席の傍らのレバーに手を伸ばしエンジンの出力を落とした。それに合わせて竜が加速し、戦闘機の横について併走した。
「……空賊シェロ、大人しくお縄にかかってもらうぞ」
戦闘機の横につくと竜騎兵はいきなり冷たく告げた。その瞳は冷たく、思考が読み取れない。口元まで覆い隠す黒いフェイスマスクのせいで表情が読み取れないというのも大きいだろう。
「……あら、あなた、知ってるわよ。竜騎兵マキナとその騎竜カルナ。あなた達ほどの大物が私みたいな小物を相手にして、名前に傷がつかないかしら?それに私は空賊じゃなくて冒険家よ」
シェロと呼ばれたパイロットは竜に併走されながらも飄々と告げる。ゴーグルに隠されその瞳の色は伺いしれないがその頬には冷や汗一つかいていない。大物を前にしてまるで恐れていない証拠だ。
「生憎今更気にするような誇りなんか持ち合わせていなくてな。禁止区域飛行の罪でアンタを拿捕する。今すぐ着陸態勢に入れ。さもなくば撃墜する」
「禁止区域飛行なんてもう大分前の話じゃない。時効よ時効」
「三ヶ月前に犯した罪がもう時効を迎えるとは、この世界の法は随分罪人に優しいんじゃないか?」
「罪人どうこう以前に私はこの世界の国民よ?法は国民に優しくあるべきじゃないかしら」
この言葉が交渉決裂の合図だと双方瞬時に理解した。マキナは一瞬で弩弓に矢を番え、右手に手綱、左手に弩弓を構えシェロに向けた。
「口の減らない女だ」
「あら、つれない人」
そう言ってシェロは操縦桿をいきなり真横に倒した。それに呼応して機体はその場で旋転する。あまりに突然のことにマキナの思考はほんの一瞬混乱した。シェロに向けていた弩弓を瞬時に引き上げ、同時に手綱を右に引き戦闘機から距離を取る。
その一瞬をシェロは見逃さなかった。
カルナが自分から距離を取ったのを視界の隅で捉えると二九〇度近く旋転した瞬間に今度は操縦桿を力いっぱい手前に引いた。
するとそれまでそれぞれ真逆の方向を向いていた
本来ならば上昇の形態だが機体が横転している今、これは横旋回の形態になる。シェロの戦闘機は進路を左に大きくとり、更にマキナとの距離が離れた。
「しまった……ッ!」
マキナの方はと言うとシェロとは違った。マキナ自身はほんの一瞬の混乱で済んだがその一瞬で犯してしまった重大なミスの為に苦しんでいた。
「落ち着け、落ち着けカルナ!大丈夫だ!」
予期せぬタイミングで突然手綱を力いっぱい引かれたカルナの方がマキナよりも長い混乱に陥ってしまっていた。ほんの一瞬の油断。本来ならさほど問題にはならないことだがシェロは実に巧みにそれを利用した。それができるほど、それほどこのパイロットは空戦というものを理解していた。
「いくよ」
そうこうしているうちに旋回を終えたシェロがマキナの後ろについた。
空戦において――少なくとも戦闘機同士の戦いでは相手の背後を取ったものが圧倒的に有利になる。それはこの場合にも当てはまった。照準器を覗き、中央の点をカルナに合わせる。
「来るぞ!」
そこでやっとカルナが冷静さを取り戻した。マキナは即座に手綱を引き瞬時に姿勢を立て直すと回避行動を取った。カルナもそれに応え首から姿勢を転換する。シェロの照準器から竜が消える。
「逃がさない」
しかしシェロはそこで止まらない。即座に操縦席のペダルを踏み込み
機首のあたりで軽快な音がする。シェロの操作によって撃鉄が落ち、機銃から弾が撃ちだされ薙ぎ払うような横一閃の弾幕が展開された。
「かわせ!」
マキナは巧みに手綱を操りカルナに降下の指示を与える。するとカルナは瞬時に進路を変更し急降下に転じる。その瞬間、マキナの視界の隅に不思議な光を放つ弾丸の軌跡が見えた。
「魔素弾……殺す気はないらしいな」
マキナは自分達を追い越して消えていった弾を見てそう分析した。
魔素弾とは本来鋼鉄の弾丸を撃ちだす機銃に鉄塊の代わりに魔素を固めたものを撃ち出させる擬似的な弾丸だ。薬莢におさまっている間は不思議な色合いの固体だが着弾と同時に気化し消滅する。
着弾地点には着弾による衝撃だけが残り、見た目の割に破壊力は薄く、また生産も安価かつ容易であるため演習や暴動の鎮圧に重宝された。
とはいえ当たれば痛いのは当たり前。物言わぬ機械である戦闘機なら効果は皆無だが竜は生き物である。いくら多くの戦場を飛んできたカルナとはいえ、弾幕にさらされ続けて平気であるはずがない。
「っ……まぁそう簡単にはあたってくれないわよね……」
だが丁度いい状況になった。マキナは急降下によって速度を得た。あれだけの速度を得てしまえば竜といえど小回りはきかなくなる。無理な機動を行えば竜も操縦者もGや大きな空気抵抗にさらされ、最悪身体そのものをやられ自滅しかねない。
かと言って不用意に減速すればそこを狙われてしまう。と、なれば速度を維持したまま無理な機動を行わず旋回戦を行うしかない。
こうなればシェロにとっては戦闘機を相手している状況と同じだ。加えてシェロの戦闘機は機動性を重視した機体であり、旋回戦は彼女の得意とするところ。マキナの不利は依然として変わらない。それどころか更に悪化している。
とはいえもとよりシェロにマキナと本気で戦うつもりはない。それは非殺傷の魔素弾を使用している点からも明らかだ。何故ならそれは――
「……流石にそろそろマズいかしらね……」
マキナは軍人。ありていに言ってしまえば公務員である。そんな男を相手に戦うなど、完全に悪人の所業だ。それに今でこそ有利な状況だがマキナは戦闘のプロ。長期戦になれば必ずどこかで逆転されるのは目に見えている。彼女としてはマキナを撒いてしまいたいのだがここで反転し逃げればこの男は必ず追ってくる。ならばある程度被弾させ追い払うしかない。
しかし相手は名の知れた軍人。しかも手加減無しの本気だ。成功する確率は高くはないだろう。
「!」
ここでマキナが動く。やはり無茶な機動など行わず大きく旋回し旋回戦を挑んできた。横旋回を行いながらも上昇を行う。即座にシェロも操縦桿を引き上昇体勢に入る。しかしこれでは上昇開始点が高いシェロの下にマキナが入り込む形になり、死角に入られてしまう。シェロの視点には機首に遮られマキナの姿が見えない。
「うっ……」
シェロの脳裏にちらとよぎる嫌な予感。
空戦に慣れているのは相手も同じ。旋回戦に持ち込めたからといって勝てるというわけではない。視界から消える瞬間に見えたマキナの進行方向から進路を予測し操縦桿を操る。操縦桿を引き機体の前方下部にマキナを抑えたままマキナと同じ方向に旋回上昇した。そのまま操縦桿を倒し旋転する。上下反転すれば視界も反転し下の様子もわかりやすくなってくる。
その時だった。
「流石に浅慮じゃないか?」
右に九十度旋転したあたりで突然声と同時に頭上にマキナが現れた。シェロが旋転し始めた時、マキナは進路を右にずらし緩上昇から急上昇に切り替えたのだ。丁度そのまま上方向にすれ違い、結果死角からマキナが現れる形になった。
しかしマキナはそのままシェロの機体を飛び越し、再び死角へ消えた。
「混乱させる気ね……」
マキナの頭は冷静だった。不覚をとったとはいえ、このようなケースは無かったわけではない。当然対処法を持っている。無闇に決めに行くよりシェロを混乱させ、確実に仕留められる状況になってから仕留める気だ。
「嫌らしい戦術……」
操縦桿を倒し、機体を横転させると先程のように横旋回の体勢に入る。そのまま緩降下へシフトし、スロットルを全開にし速度を得た。
そしてある程度に達するといきなり操縦桿を引き急上昇した。未だにマキナは死角に隠れているようで姿を表さない。
しかし次の瞬間、下方から矢が飛来した。シェロは即座に反応し、ペダルを踏んで機体の向きを変え矢をかわす。その時だった。不意にマキナが不用意に機体の前に踊り出た。
「チャンス!」
撃鉄が落とされる。魔素弾が撃ち出され、無数の光が先程の矢のお返しと言わんばかりにマキナに飛来する。
カルナがよろめいた。にわかに速度が落ち、カルナは降下していく。
「うっ……!」
「当たった……!?今が決め時ね……」
シェロも後を追い降下していく。マキナはコントロールを失ったように見える。シェロとしてはこのまま決めてしまいたい。千載一遇の好機。これをものにしない手はない。
照準器を覗き、再び中央の点にふらつくカルナを捉えた。
いける。このままボタンを押すだけ――
「
突然、マキナが叫び強く手綱を引いた。即座にカルナが急停止する。その瞬間、シェロは我に返りマキナの狙いを理解する。
「しまっ……!」
「あれほど見え透いた罠にかかるとはな。当たるわけねえだろあんなの」
しでかした。
そう気付いた時にはもう遅い。シェロは先程彼女自身がそうしたように意識の隙を突かれてしまった。カルナの急停止に対する対応が一瞬遅れ、戦闘機は猛スピードでカルナに突っ込む。
「っ……!」
間一髪操縦桿を倒し旋転したおかげで衝突は免れた。そのまま操縦桿を引き水平飛行へもどる――が。
「……!」
背後を取られた。
先程まで絶対的に有利な状況にあったはずなのに一瞬で危機的状況へ転落した。戦闘機に竜程の機動性は無く、また急停止もできない。現状シェロに残された逃走手段は――無くなった。
これが‘空戦’。陸戦並みの手数と海戦並みの破壊力を持ち、その上でほんの一瞬で形勢がいくらでも変わる。
シェロも当然それは理解している。だからこそ今自分が犯したミスがどれほど重大であるかも充分に理解できていた。
初めて、冷や汗が頬を伝う。
「
短い詠唱と共にマキナが弩弓に番えた矢をなでる。
するとその瞬間矢とカルナの首に固定された非常に小さなランタンの火が紅く輝き、たちまち矢が発火した。
「主翼は木製かつ羽布張り、胴体も一部金属だがおおよそ木製……」
マキナは燃える矢を番えた弩弓を目の前の戦闘機に向け、先程シェロに併走した時に言葉の応酬をしながらもぬかりなく機体を観察した結果得た情報を復唱しながら狙いをつける。
そんなマキナの様子を操縦席に取り付けられたバックミラーで確認し、シェロの焦りは加速した。
――墜ちる。墜とされる。
自身にマキナを墜とす気はないがマキナの方は始めからシェロを墜とす気で戦っているのだ。当然、躊躇などあるはずもない。
「……じゃあな。冒険家」
「う……ッ!」
引き金にマキナの指がかかる。
「――!」
決まった。マキナも、カルナも、シェロでさえもそう思った。このまま弩弓から火矢が放たれ、戦闘機は燃え尽きる。シェロはそのまま焼き尽くされるか、大空に放りだされるか。そこまで状況が揃っていた。
しかし、だ。
錯覚しがちだが確定事項というものは本来存在しない。そこにある事象が頑丈なのではない。“ありえない”がなかなか会いに来ないだけなのだ。
それが来る時は何の前触れも無く、何の伏線も無く、何の遠慮も無しにやってくる。
___マキナが矢を放とうとした瞬間、突然戦闘機が凄まじい音を立てた。突然の爆音にマキナは思わず弩弓を持った右腕で顔を覆う。
「うわあああぁぁぁぁぁ!」
シェロの悲鳴だけが聞こえた。エンジンがオーバーヒートし爆発でもしたか。思考が動き出すと同時に右腕を下ろし前方を見やる。右を、左を確認する。
しかしそこに木製戦闘機の姿はない。忽然と消えてしまっている。
「っ……!?どこだ、どこへ行った!」
突如姿を消したシェロ。マキナの視界には彼女に繋がる出がかりすら映らない。
しかし突然カルナが奇妙な動きをする。
「?どうしたカルナ」
カルナが下を向きやたらに咆えたてる。その声に従い身を乗り出し下方を覗きこむ。
するとそこにシェロはいた。バランスを崩し先程よりも弱々しいがまだ飛んでいる。
「くそ……何が起こったのか知らないが幸運な奴だ」
マキナは手綱を取り再び降下の体勢に入る。
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