第2話 『黎明』嚆矢(執筆者:ラケットコワスター)
「……!……ら!」
____?
人の声。うっすらだが、確かに聞こえる。
_______誰?
「……て!……が………い!」
_______待ってよ。もっとはっきり言ってよ。
「…く!……った…!……え!……」
次第にやかましくなってくる。とにかく、頭が痛かった。
___いや___やっぱりもういい、もう黙ってよ――
「ねぇ……!ってば……」
___黙ってよ____お願いだ。起きたくないんだ。
「早く!……起き……!」
___嫌だ。黙ってくれ!
「早く!…来ちゃう!……君が…きてくれないと……!」
____うるさい、黙れ_____黙れ黙れ黙れ黙れ――!
「ねぇ!お願いだから早く起きて!」
「黙れぇぇぇぇぇ!」
その瞬間、シオンは覚醒した。同時に五感が目覚め、一斉に情報が脳に流れ込んでくる。突然与えられた膨大な情報に頭が混乱する。自分が叫んだのだと理解したのはその後だった。
「……え?あ……」
間抜けな声が漏れる。あたりを見回すと一面の青。同時に触覚が寒さを訴え、体が震えた。
「……よ、よかった、目が覚めたのね」
前方から声がする。前を見ると視界に赤いマフラーが映りこんだ。
人間がこちらを向いている。先程までの声の主はきっとこの女性だったのだろうとおぼつかない頭でシオンは理解した。
「あ……その……す、すみません! 怒鳴ったりして……!」
しかし女性は頬に汗を伝わせながらも優しく微笑んだ。
「……大丈夫。でもちょっと言うこと聞いてもらえるかしら。せっかく出会えたんだし紅茶の一杯でも飲みながら自己紹介したいところなんだけど今余裕が無くて!」
切羽詰ったようにそう言いながら女性は前方を向いた。
「う……うん!わかった!」
「メルシー。私はシェロ。無事にこの場を切り抜けられたらもうちょっと丁寧に自己紹介するわ!まずはちゃんと座席に座って!」
シェロに指摘されシオンは自分の状況を確認した。見ると戦闘機の後部座席に尻を突っ込むように座って、もといはまりこんでいた。それを理解し、恐怖心が覚醒する。
「ひえっ」
シオンは即座に体勢を立て直し座席に座りなおした。
「ベルトを!」
自動車のそれよりしっかりとつくられたシートベルトを固定する。
「……本当は専用のベルトをつけるんだけど今はそれで耐えて!足元に黒い筒があるのが見える!?」
そう言われて足元を見やる。すると無理やりとりつけられたようなベルトによって細長い黒い筒が機体に固定されているのが見えた。
これは。シオンはこの筒に見覚えがあった。
「こ……これ……
散弾銃。これを見るのは初めてのはずだ。自分は先程目覚めたばかりのはず。しかし自分はこれを知っている。実物を見たのは流石に初めてだが。
「知ってるのね!?使い方は!?」
「……なんとなくだけどわかる。テレビで見た」
「テレビ!?」
「あ……いや、とにかくなんとなくだけどわかるよ!」
シオンの記憶が段々とはっきりしてくる。しかしそれを話している暇はない。シェロの様子を見るに今は相当余裕のない状況のようだし、話したところで信じてもらえるのだろうか。
_____別の世界から来た、なんて_____
「ま、まぁいいわ。使い方知ってるなら話は早いわ!それであいつを狙える!?」
シェロがそう叫ぶと同時に背中に気配を感じた。振り返ると背後に竜が現れる。
「りゅ……竜!?」
「ガキがいる……?」
シオンと目が合ったマキナが怪訝そうな声を漏らす。マキナの視界に突然現れた子ども。黒い髪は眉を隠すほど長く、中世的な容姿に頼りない表情を浮かべている。体躯は小さく、まさしく‘少年’と言い表すにはちょうどいい程だった。
ふと、シェロの突然の急降下の理由はコイツだ____とマキナは理解した。どこから来たのかは知らないがこの子どもが突然戦闘機の上に落ちてきたのだ、と。
「おい!そこのガキ!何者だ!」
マキナが叫ぶ。
「……シオン!」
「何故ここにいる!どうやってここに来た!」
「そ、それは……!」
返答につまる。別の世界から飛ばされてきたなどと言っても頭がおかしい人間だと思われるのが関の山だ。かといって適当なことを言ってごまかせるほどシオンは要領のいい人間ではなかった。
「どうした!何故黙っている!」
「……別の世界から来た!」
言ってしまった。信じてもらえるはずはない。危機的状況であるはずなのに恐怖心よりも恥ずかしさを感じた。
しかしマキナの反応はシオンの思っているものとは違った。笑うか怒るだろうとシオンはふんでいたがマキナはそんなことはせず相変わらずの仏頂面のまま黙り込んでしまった。口元まで覆われているマスクのせいでその表情の真意は伺い知れない。
「……転生者か」
少しの沈黙の後、ぽつりと呟く。そしてそのまま弩弓を構えた。燃える矢は番えられたままだ。
「……なっ!」
「……悪く……思うな、転生者はこの世界に不要だ……!」
マキナの表情が歪む。怒りか、あるいは罪悪感か。どちらともとれた。
「墜ちろ!」
マキナが弩弓の引き金に指をかける。射つ気だ。
「待って!僕はまだ……」
「撃って!」
そこでシェロが叫ぶ。
突然の大声にシオンの精神よりも体が先に反応した。反射的に銃を向け____引き金を引いてしまった。
バン、と大きな銃声が響く。
散弾銃からは不思議な光が無数に飛び出し、これが危機的状況でなければ「綺麗」と無意識に言ってしまいそうな光景が目の前に広がった。
銃から飛び出した無数の魔素弾は真っ直ぐにマキナに向かって飛んで行き___弩弓を構える左手に当たった。
マキナが驚いたように目を見開く。左手は着弾の衝撃で後方へ弾かれ弩弓も彼の手から離れ下界へ落ちていった。
「あ……」
シオンが一瞬固まる。マキナは俯き左手を震わせていた。顔を歪めているようにも見える。
やがて顔を上げる。しかしその眼差しは確かに‘敵’を見る目に変わっていた。
「……もうガキとも思わねェ。アンタは敵だ」
小さく、しかしはっきり呟くとマキナは両手でしっかりと手綱をつかんだ。
次の瞬間、シオンの視界からマキナが消える。
「ッ……どこに……!?」
「下!」
シェロの声。同時に機体下部からマキナの声がする。
「
マキナは綺麗に澄んだ水の入ったビンを取り出し自分の頭上にぶちまけると同時に短い詠唱を唱える。すると瞬時に水は凍り、複数の鋭い氷の矢となると突き上げるように戦闘機に飛来した。
「捕まって!」
シェロが叫ぶ。同時に機体が傾き高度が下がった。間一髪氷の矢は機体を掠めて太陽に吸い込まれていった。
「次が来る!」
風に乗ってかすかに先程の詠唱が聞こえる。声の方を見るとキラリと彼方で何かが光る。
瞬間、機体が上昇した。
「うおええええ……」
段々とシオンの視界が眩み始める。覚醒してすぐにこんなジェットコースターにでも乗っているかのように揺さぶられたら酔うのは当たり前だろう。
「だ……大丈夫!?」
「……むり」
シオンは青ざめ口を手で覆う。もはや何がなにやら理解できなくなってきた。
「今が好機か……?」
シオンの反応を見てマキナはチャンスと捉えた。あれほどふらついていれば銃は撃てまい。
「いくぞカルナ、近づいて一気に燃やす」
カルナが低く唸り応える。弩弓は無し、氷の矢を始めとした魔素武器は節約したい。一方戦闘機は出力が落ち簡単に接近でき、加えて
____ならば近づき竜が持つ炎の息吹で燃やすのが一番いい。
「はっ!」
馬を操るように軽やかに手綱を引く。カルナは高らかに咆哮し、一瞬の静止の後真っ直ぐに突っ込んでいく。猛スピードで前進しながらカルナの口がゆっくりと開いていく。その口内には真っ赤な焔が燃えていた。
「来る!」
シェロの叫び声でシオンはなんとか状況を理解した。揺らぐ視界の中に段々と竜が大きく、はっきりと浮かび上がってくる。
「う……あ、おえっ」
シオンの意識が更に混沌とする。震える手でなんとか銃を持つも狙いが定まらない。マキナは更に近づいてくる。
「撃って!」
シェロの絶叫に近い叫び声。その声に従い引き金を引く。
二度目の銃声。しかし。
「がっ!」
シオンにしっかりと握られていなかった銃は射撃の反動でシオンの腕の中で暴れ吹き飛んだ。生き物のように勢いよく宙へ飛び出しシオンの顎を強打するとマキナの弩弓と同じように地上へ落ちていく。
「う……あ゛っ」
吹き飛んだ銃に顎を打たれたのがとどめになった。シオンの意識は混濁を極めついには――意識を手放した。
「しまった……!」
ついにシェロが一切の余裕の無くなった声で呟く。後部座席で銃座の役割を果たしていたシオンは気絶し、戦闘機の方にも回避機動を行えるだけの速度、エネルギーが残っていない。
「行くぞ」
「……!」
カルナの口が勢いよく、大きく開く。既にそこには炎の塊が放出されるのを今か今かと待っている。マキナが手綱を持ち直す。シェロの目が見開かれる。
「
「ううう……!」
マキナの号令。カルナの双瞳がぎょろりと動く。狙いは目の前。冒険家の戦闘機。
しかし。
そこでカルナの目は奇妙なものを捉えた。
____後部座席で気絶しているはずの人間が右手を突き出している。
「________叡智の世界」
「……え?」
突然、シオンの声がする。
「________夢幻の世界」
「……!待てカルナ、様子がおかしい」
マキナも異変に気付く。手綱を引きカルナの火炎放射を止めた。
「_____________知恵と夢想は表裏一体」
「これって……」
シェロが振り返る。気絶しているはずのシオンが体を起こしマキナに向き合うと片腕を真っ直ぐに突き出していた。
「___________希望の大志が幕を開け、幾万の慈愛によって幕が降りる」
「聞いたことの無い詠唱だぞ……おい、まさか……まさかあのガキ!?」
シオンが顔を上げる。
その表情は酔った死にかけの顔ではなく引き締まった戦士の顔だった。
「____二者の道を分けたのは。世界に降り立つは原初の大志と終末の慈愛」
空が不意に光を失う。突然の変調にマキナでさえ狼狽しているように見える。
「間違いない……あれは」
「間違いないわ……これは」
左手も突き出される。シオンは淡い光に包まれ、彼自身の魔素が可視化している。空模様がにわかに怪しくなり、今度は音が失われた。
「____大志と慈愛は引かれ合い、くさびを引き抜き理を穿つ」
「……‘異能’!」
シオンの両目が開かれる。その瞳には不思議な光が宿り、一際目立って見えた。
「___なればこれはその序章。我は______世界を修正する者なり!」
その瞬間、消えた光と音が戻ってくる。
あまりに一度に大量の情報が溢れ、まるで世界が破裂したかのようにその場にいた者の感覚を容赦なく激しく刺激した。
「うっ……!」
シェロが思わず目を瞑る。眩い程の白い閃光。そして耳をつんざく爆音。操縦桿を握っているだけで精一杯だ。
同時に発生した暴風にあおられ機体がバランスを崩しかけるのを必死に制御する。
「ううぅ……ぐ……うっ!」
ほんの一瞬の出来事だったのかもしれない。しかしシェロにとっては長い時間のように感じられた。いつの間にか光も、音も、風もおさまり空は先程までのようにのどかに晴れ渡っていた。
「……今のが……今のが……!」
シェロは肩で息をしながら状況を整理する。瞳が震え、目の焦点が合わなかった。
「……!あ……ね、ねぇ!君!」
シェロが振り返る。先程の強烈な一撃を放ったシオンはまた気を失い、後部座席でぐったりとしていた。
「……!」
しかしそこでばさ、と大きな羽音がする。横を向くと竜がいる。
マキナだ。いつの間にか戦闘機の横につけられていた。
「まだ……やる気?」
シェロは先程併走された時とは違い少し焦ったような顔をしていた。
「……」
対してマキナは無表情のまま進行方向を向いている。手綱を右手だけで掴み、ぼんやりとしているようにも見える。その左腕は――ひどく焼きただれていた。
「……ねぇ……何か言ったら」
「命拾いしたな」
唐突にマキナが口を開く。相変わらずシェロと目を合わせようとしない。
「……ガキじゃなかったらこのまま無理にでも殺してた」
それだけ言うとマキナは片手で手綱を引き戦闘機から離れどこかへ飛び去って行った。
シェロは小さくなっていくマキナを見つめた。助かった、と思うよりあの焼きただれた左腕が脳裏に焼き付けた衝撃の方が大きかった。
「……“気にするような誇りなんて持ち合わせていない”ね……」
シェロはそう呟くと後ろを振り返る。そこには相変わらずシオンがぐったりと座って、もとい座席に縛り付けられていた。
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