私をみつけて 5
練習室の扉は閉まっていた。未使用のときには開け放してあるので誰かが使っているのだ。ひとつからは複数の楽器の音がするので奏官たちがいるのだろうけれど、もうひとつの部屋からは何も聞こえてこない。
扉の上部にある窓からそっと中を覗くと、制服を脱いだネビンの姿があった。
上半身裸になって、棒術に使うような長い杖を振り回し、ひとつの舞を速度を落として舞っている。
温厚な普段の姿からはみんな想像しないのだが、ネビンは聖務官として以上にかなり身体を鍛えている。腹筋は六つに割れていて肩周りはごついのは、本人曰く昔から武術を習っていたからだという。
ふおんふおんと回していた杖の回転速度が増して、ぶんぶんぶんと危険な音を出し始めた。だがネビンはそれを枝切のように軽々と振り回し、身体の回転と蹴りを交えて激しく舞った。
(お、おおー!)
最後に鋭く天を突く、その力強さに拍手しそうになった。
剣舞と似たような動きが多いように見えて、運動量は杖舞の方が上だ。聖具が長いために重量があり、遠心力に振り回されやすく、動きに大ぶりなものが多くなるせいだった。
しかし彼ほど鍛えていればもっと悠々と舞えるだろうと思うと、羨ましい。
「……かっこいいなあ」
「……誰が?」
耳元で囁きかけられて悲鳴を上げかける。
振り向いたさきでしっと指を立てるオルヴェインを見なければ、確実に大声で「変質者!」と叫び拳を繰り出していただろう。
「誰がかっこいいって?」
面白くなさそうに聞かれて素直に答えられるほど、エルセリスは純粋ではない。
「ああー……ええとー……」
「ネビン・ウォリース聖務官はお前にとって『かっこいい』人物なのか」
尋ねてくる意図を想像すると怖くなってくる。彼はエルセリスに告白したのだから、迂闊なことは言えなかった。
「ご、誤解しないでほしいんですけど! ネビン……ウォリース聖務官をかっこいいと言ったのは、同じ聖務官としてで」
「具体的にどの辺りが? 参考までに聞かせてくれ」
背後は壁。相手は正面にいるので左右に逃げてもすぐ捕まられる。
答えないと解放してくれない立ち位置にいるのを確認して、仕方なく口を開いた。
「……私の剣舞の良さって、身軽なところだとよく言われるんですけど、師にはもっと筋肉量を増やせと言われているんです。ひとつひとつがまだ軽いと」
「年齢と女性の体格と体質の問題だな」
オルヴェインの言ったそのものずばりを師にも指摘された。訓練次第でぎりぎりなんとかなるかという部分だが、エルセリスの身長と筋肉のつきづらい体質では今後技術で補っていくしかない可能性もある。
「ウォリース聖務官は、私がああなりたいって思う体型に近いんです。あんな身体になればどの剣舞も安定して舞えるんじゃないかと思って。……無い物ねだりはわかってるんですけど、羨ましいです、すごく」
身長と体重、均整のとれた身体に、安定した技術。それから鋼の心。
剣舞をやるなら全部ほしい。ぜんぶ。
だからいまの自分にないものを持っているネビンやアトリーナが羨ましく映る。ふたりのそれぞれの在り方は彼ら自身のものだけれど、ああなってみたいと思わせる魅力がある。
「ウォリース聖務官がかっこいいと思うのはそれだけじゃなくて……力強い舞もそうですけれど、仕事のやり方がかっこいいと思います」
「彼を勤勉だと評価にする人間は多いようだな」
ほらみろ、とエルセリスは思った。うじうじと後ろ向きなことばかり言うけれど彼をちゃんと見てくれている人たちがいる。
「そうなんです。彼は毎日自分の立てた予定通りに仕事をするんです。きっちり鍛錬と練習の時間をとって聖務官として備えてる。それってすごいことなんだって一緒にいて知りました」
煩雑な事務仕事はほとんど奏官が受け持ってくれているが、聖務官は書類確認のような継続業務に加えて、奏官との合同練習や上層部を交えた会議など突発的な呼び出しに応じなければならないことも多発する。
そんな中で、定められた時間に出勤して、仕事をし、必ず日々の鍛錬を行う。
たったそれだけのことを毎日繰り返す様を、愚かだとか柔軟さがない、仕事ができないなどとあざ笑う人々がいる。でもどんな日であっても予定通りに仕事を収めることができるのは人間として能力が高いことを意味すると思う。
「彼はいつも決まった時間を練習に当てることができる。それに裏付けされた実力は確かなものだとみんなに信頼される。才能があっても、日々の積み重ねには負けるんです。才能だけでは人の信頼は勝ち得ないから」
「それで『かっこいい』か。なるほど、確かにそれは見習うべきやり方だ」
(あ、わかってもらえた……?)
同じようにかっこいいと感じてくれることが嬉しいと思っていると。
「……あのう、聞こえて、いるんですけれど……」
エルセリスは首をすくめた。細く扉を開いたネビンが顔を真っ赤にして項垂れていた。
「すまない、練習の邪魔をしたようだな」
「閣下、途中で目が合いましたよね? 無視しましたよね!?」
「えっ!」
オルヴェインは「どうだったかな」と考え込んではぐらかす気満々だ。エルセリスはネビンに聴こえるよう語らされたのだ。
「閣下あ!?」
「偶然だ、偶然。だって気になるだろう、『麗しい』と言われているガーディラン聖務官が『かっこいい』と評する人物の人となりが」
噛み付かんばかりに叫んだエルセリスにひらひらと手を振るオルヴェインは、そうしてネビンに優しく語りかけた。
「でもよくわかった。君は誰が見ていなくても真面目にこつこつやるから、周りは応援したくなるし、見守りたくなるんだな。今代は優秀な聖務官が揃っているから君たち三人は比較され続けて気が休まらないだろうが、君はそのまま、誰に何を言われても自分らしく積み重ねていくといい」
(……もしかしてローダー長官が何か言ったのか?)
先日揉めたことをそれとなく聞かされていたからネビンを励ますのかもしれない、と思ったけれどオルヴェインはおくびにも出さなかった。ただ自分の見聞きしたことを踏まえてネビンを評価している。
そのネビンはというと、顔を真っ赤にして震えていた。大声で喜びたいがみっともないと思ったので耐えているらしい。すごい人だと思っていた相手から応援されると、照れくさいけれどとても嬉しいものだ。彼はその驚きと興奮を味わっている。
「俺も剣舞をやるから教えを請いたい。いまは立て込んでいるから、落ち着いてからになるが」
「あっ、私も! 私も一緒にやりたい!」
剣舞と聞いて手を挙げる貪欲さにオルヴェインは苦笑した。
「ふたり一緒だとウォリース聖務官の負担になるだろう」
「じゃあ別日に、別々で。それならいいでしょう?」
「……いや、それは……」
何故かオルヴェインが反対する。するとネビンは顔を赤くして言った。
「し、心配なさらずとも、僕はガーディラン聖務官の想い人ではないので! 彼女は確かに綺麗な人ですけれど、僕みたいな一般人が高貴な方を押しのけて横恋慕などいたしませんから!」
(……ん、ん?)
彼の叫ぶ内容が理解できずにいると、オルヴェインが大きく咳払いした。
「あー、ウォリース聖務官? 自分が何を言っているかわかっているか?」
「え? ……あ!」
赤い顔が青くなる。
「申し訳ありません! 僕は何も気付いてません! 何も聞いていないし見てもいません!」
「それでいい」
もしかして、と気付いたエルセリスは青くなった。
(アトリーナが言ってた……オルヴェインが私を恋愛対象として見てることにみんな気付いてるっていうあれ! 本当だったんだ!?)
知らないうちに隣室の練習音も止んでいて、こちらに声にみんな耳をそばだてているようだ。エルセリスはどっと汗を吹き出し赤くなった。
「閣下! こんなところにいらしたんですか。次の会議が始まりますのでお急ぎください!」
「ああ! いま行く!」
向こうの廊下を通りがかった奏官に答えてオルヴェインは逃走した。「じゃあな」と声をかけてはいったが、自分たちがどのように見られているのかがわかっていたたまれなかったのだろう。
(し、仕事しづらい……! 早めになんとかしないと……)
「……エルセリスさんって、僕のことそんな風に思ってたんですか?」
低く問いかけられた。どこまで聞かれていたかはわからないけれど、全部聞いていたものとしてエルセリスは頷いた。
「うん。尊敬してる」
彼は顔を背けてしまった。
「……そういうさらっと『尊敬してる』って言えちゃうところ、すごく嫉妬します。辛いです」
「だったらどう言えばいいの?」
少しむきになって言い返す。
「ひとりひとり違う人間なんだってわかった上で、私はネビンが羨ましい。ネビンのいいところが自分にも欲しいってすごく思うんだよ」
「素直に『欲しい』って言えるのはすごく純粋でまっすぐな人だけなんです。僕みたいな人間は、嫉妬して腹を立てて、悔しさと恥ずかしさでじわじわと人を呪いながら自己嫌悪に陥るんですよ。エルセリスさんはすごいと言ってくれるけれど、僕は僕自身が嫌いなんです」
ネビンは肩を落とした。
でも続く言葉はいつもと違っていた。
「……それでも、そういう自分を丸ごと飲み込んで生きていくしかないなって思うところもあるんです。自分を好きになるって至難の技だから、程よく付き合っていくしかないんですよね。……だからこの前エルセリスさんたちに当たったのは間違ってました。すみませんでした」
勢いよく頭を下げられて、構えていなかったエルセリスは驚き慌てた。
「あっ……いや、私も無神経だったかもしれない。私の感じる不安とネビンの感じる不安は別のものだよね。わかってあげられなくて、ごめんなさい」
同じように頭を下げて、同時に起こす。そうして困ったように微笑むことができるのはネビンが年長者だからだろう。納得しきれなくても自分のささくれ立った気持ちを引っ込めたのだ。
「……ネビンは自分を嫌いでも、私はネビンの好きなところがたくさんあるし、羨ましいと思うんだ」
本当だよと言うと彼はふんわりと笑ったけれど、きっと真意は伝わらなかった。うまく伝える術を見つけられないまま、エルセリスは練習の邪魔をしたことを詫びて立ち去った。
まっすぐなことが誰かにとってわずらわしいときがあるのだと、改めて気付かされた。エドリックが言った『辛い』はそういう意味だろう。感じ方はそれぞれだけれど、受け入れてほしいと思うわがままな自分がいる。だってそれが私なんだから。
(でも、ネビンがちゃんと自分の力に気付いてくれるといいな)
自分がすごいと思っている人物が、不当に自分を卑下しているのを見たり聞いたりするのは、実は結構辛いものがあるのだということをきっと彼は知らない。どんなに言葉を尽くしても励ますことができない無力さを覚えたり、自分の言葉を信じてもらえない失望を味わったりすること。届かない言葉を投げ続けて諦めてしまうことは見捨てることだけれど、時々どうしようもなく腹が立って悲しくなることもある。
たとえこの後でまた後ろ向きに考えて落ち込むことはあっても、いつか大事なときにオルヴェインの言葉を思い出してくれればいいと思う。
(それが私じゃないのが、ちょっと悔しいけど)
よし、と声に出してエルセリスは背筋を伸ばした。
その日が、少しずつ近付いてきていた。
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