第5章

私をみつけて 1

 エルセリスに与えられた謹慎は出仕を慎むべしというもので、罪人のように監視をつけられたり、外出できなかったりという重さではない。しかし登城できないエルセリスは外出を控える気持ちから、必然的に家で鍛錬をするか、母の相手をすることになった。

「エルセリス、お茶会に誘われているのだけれど一緒に」

「申し訳ありません、母上。私は謹慎中ですので、人前に出ることは控えさせてください」

 娘が家にいることを幸いとして、男性が同席するお見合い目的のお茶会に誘う母に、エルセリスは微笑をもって答えた。

 伯爵家唯一の子どもでありながら、祈人の痣を持ったために、将来的に出仕することが約束されていたエルセリスは、両親にとってあまりいい娘はないという自覚がある。子どもの頃に散々困らせたこともさることながら、現在は後継として気を揉ませていた。

 残念そうに肩を落とす母に流石に悪いと思って、エルセリスは家にいる間、母が用意していたドレスを着て過ごしている。少女のように可愛らしい母は娘にも同じような服装をさせたがっていたが、最近になってそれらは似合わないと気付いたらしく、秘蔵のドレスはどれもレースやひだが少ないものに変わっていた。

(審美眼は優れてるんだよね。私に似合うのがご自分の趣味じゃないだけで)

 柔らかい菫色と生成り色のドレスは、一見すると簡素だが精緻な刺繍が施されている大きな襟が、エルセリスをぐっと大人っぽく女性らしく見せている。

 娘の似合う服と趣味が兼ね合わない母ではあるが、似合わない服を選ぶことはないとわかってきたので近頃は頼るようにしている。交友関係が広い母は流行にも敏感だから恩恵に預かっている形だ。

 しかし母の主目的は使用人たちと同じ。エルセリスにふさわしい婿取りをしてもらいたいというものだったので、このときも少し食い下がってきた。

「エルセリス、そう言ってあなた、もう十日も家に籠りきりよ。鍛錬もいいけれどそろそろ綺麗な格好をして誰かに会ってみない? きっと気分転換になるわ」

「母上」

「あなたは全然話してくれないけれど、最近ずっと変だったでしょう。謹慎と聞いて驚いたけれど、その後ゆっくりするのかと思ったらずっと何か考え込んでいるようだし、夜も眠れていないんでしょう。いったい何に困っているの?」

 びっくりしていると苦笑されてしまった。

「何を驚いているの。私はあなたの母ですよ」

 これだからこの人は。

 心配をかけ通しだったからだろうか、両親はよく自分を見ているのだろう。現に使用人たちには何も言われなかったから、エルセリスがあまり眠っていないことに気付いているのは両親くらいだろう。

(……いや、母上だけかもしれない)

 悩みの原因が原因だけに、なんとなくそう思った。

「……ご心配をおかけして申し訳ありません。でも大丈夫です」

 多分、と心の中で付け加える。

 答えは自分の心にしかない。それを導くためには時間が必要なのだということもちゃんとわかっている、つもりだ。

 すると母はふうっとため息をつき、つまらなさそうに唇を尖らせた。

「やっぱりお勤めをすると大人びてしまうのかしら。よそのお宅では、お嬢さんが甘えたで大変だというお話を聞くのに、あなたったらちっとも私たちを頼ってくれないんですもの」

「あ……申し訳ありません」

 可愛げがなかったか、失敗した、とそれこそ可愛げのないことを思うと、母は笑ってエルセリスの額を小突いた。

「あなたのそんな顔を見られるのは母の特権だわ。でも、覚えておいて。あなたがたとえなにひとつ取り柄のない娘であっても、生まれてきただけで愛される権利があるの。何もできなかったとしても、生きる資格が取り上げられるわけではないのよ」

「……母上」

 でも私は。みんなに好きでいてもらうためには。

 剣舞を。

「あ痛っ」

「ふふ、もう少し困っていらっしゃい。でもあんまりうじうじしていると、お茶会に引っ張っていきますからね」

 ぴんと額を弾いた母は、時間が迫っていたらしくそうして外出していった。

 額をこすりながら本当にかなわないなあと思う。

 あの人はエルセリスの執着を見抜いて指摘したのだ――剣舞を舞って、名を残せるほどの聖務官でいなければ、誰にも愛されることはないのではないかと怯えていることを。

『お前を好きになるやつなんていない』

 だったらみんなに愛されるものに――強くて優しくて美しい、語り継がれる祈人舞手になろう。聖務官として名を残せばいつまでも敬愛を込めて名を呼んでもらえるから。そう思ってきたのだ。

(……不純、だよね)

 知っていたよ、と呟く。

 きっと罰が下ったのだ。守護者であることをないがしろにして自分の居場所が欲しいと叫び続けていたから、中立で公平であるべき聖務官にふさわしくないのは自分でもわかっていた。

 でも必死だった。

 好かれたいと思うことが間違っているとは思わない。好きになってもらえると居場所ができる。安心して、守られていると感じられる。ひとりでいる勇気が自分にはないから。

(けれど、手段を、間違った……)

 祈りを行使するための剣舞、聖務官であることを使って、人に好かれようとすること自体がそもそもの間違いであったことを痛感させられた。仕事は仕事、個人が好かれるために利用すれば齟齬が出るのは当たり前だった。

 でも仕方がないじゃないか、私にはそれしかなかったんだから!

(……って言いたいけど、甘えだよなあ……)

 穴に埋まりたい気持ちで顔を覆って視界を塞ぎ、深く深く息を吐いたときだった。

「お嬢様、フェルトリンゲン伯爵令嬢がお越しです」

 家令にそう告げられ、驚いた。

 仲がいいことは家の者は周知していたから、彼女はすでに客間に通されていた。急いで向かうと、アトリーナは制服ではなく普段着の真紅の華やかなドレス姿でエルセリスを待ち構えていた。

「ごきげんよう、エルセリス。思ったよりも元気そうね」

(げ、元気、かなあ……いま結構落ち込んでたけど……)

 と思ったが友人が訪ねてきてくれたことは嬉しい。

「いらっしゃい、アトリーナ。今日仕事は?」

「連勤が続いたから今日の午後と明日一日、休みをもぎ取ってきたの。ネビンは出張中だし、ひとりで執務室に詰めていても出来る仕事は限られているしね」

「…………ごめん……」

 自分が抜けた負担がふたりにかかっているとわかって謝罪を口にしたが、「別に」とアトリーナは素っ気ない。

「それよりもせっかく休みをもらってきたんだから、今日ここに泊まっていいかしら?」

「もちろん! 両親も喜ぶよ」

 すぐさまそう答えてから、十日間家に籠っていた自分は案外退屈していたのだな、と気付かされたエルセリスだった。


 帰宅した父と母はアトリーナの訪問を喜び、宿泊も歓迎してくれた。エルセリスにとってアトリーナは見本にもなる素晴らしい友人だったからだし、情緒不安定気味な娘を訪ねてくれる存在が嬉しかったのだろう。

 髪結いも知らない少女のように同じ部屋で寝ることを決めたエルセリスたちは、ベッドの上でお互いの髪を梳かしながら話をした。夕食の話、今日着ていたドレスの話。お茶会の猛勢。仕事の話ももちろん。

「あなたが調子を崩したって公署は大騒ぎになったわ。私設応援団からのお見舞いの花は届いた? 代表の人、目を真っ赤にして『よろしくお伝えください』って。『待っています』と言っていたわ」

 謹慎初日にそれを受け取っていた。見事な白百合の花束でいまは玄関に飾らせてもらっている。

「……がっかりしてなかった?」

「それよりもびっくりしたみたいよ。『体調不良に気付かなかったなんて応援団失格!』くらいに思っているんじゃない?」

 でもきっとがっかりしたんだろうな、と抱えた膝頭に息を落とす。

「……アトリーナは? どう思った?」

「がっかりしたわ。もちろん」

 アトリーナの口撃は容赦がない。

「あれがあなたの舞かと思うと腹が立って腹が立って仕方がなかった。よくもあれで神の力を目覚めさせるなんて言えたものよね。まあおかげで譜読みが捗ったわ。私はあんな失敗を絶対にしないと覚悟できたから」

「……反面教師になったなら、何よりです……」

 ぐったりしながら息も絶え絶えに言うと、髪を梳きにくいと文句を言われた。座り直して、ぐいぐいと梳かれるままに任せる。

「あなた、私が何に怒ってるのかわかっているの? どうしてああなるまで相談しなかったのと言っているの」

「それは……自分のことだから。自分の調子が悪いことをわかっていなかったのが悪いんだし……痛っ!」

 背中に硬いものがぶつかる。見るとアトリーナの手にあったはずのブラシがベッドの上に転がっていた。

「……いいわ、わかっていないなら。いつまでもそうやってひとりで考え込んでいなさい」

「あ、アトリーナ?」

「閣下のことだけれど」

 これ以上聞くなとばかりに豪快に話題を変えられ、しかも内容がオルヴェインのこととあっては口を閉じざるを得なかった。

「あの日副都に言っていたみたいで、帰ってきたのが次の日だったのよ。遅れて報告を受けるなり、飛び出していこうとしたところをローダー長官に止められたの。でも押し問答になって……」

『ガーディラン聖務官は臣下のひとりに過ぎません。閣下がお出ましになる理由はないでしょう』

『そんなのクソの理由にもならんわ!!』

「大声だったから多分公署にいた全員が聞いたでしょうね」

 絶句した。よりにもよって『クソ』とは。いままで積み上げた信頼がぶち壊しになる台詞だった。

「それを聞いたヴィザード騎士長が飛んできて、三人で長官室に閉じこもったから詳しいことはわからないけれど、びっくりするくらい口汚く言い争っていたみたいね。後でローダー長官は『気持ちいいくらいだった』と笑っていたけれど、ヴィザード騎士長は『もう聞きたくない』と十歳くらい老け込んで見えるほど疲れ切っていたから。……そんな感じで、閣下はエルセリスのところへ駆けつけようとして、説得されて渋々行動に移さなかった、というところらしいわ」

 エルセリスは長いため息をついた。

「もう……何考えてるんだろう! 人気者のくせに。馬鹿じゃないの」

 しかしアトリーナはにやにやしていた。

「なに笑ってるの」

「顔に『心配してくれて嬉しい』と書いてあるのを読んでいるのよ」

 覗き込まれて飛び退いた。

「な、か、書いてないよ!?」

「なりふり構わない態度を見せられるとやっぱりきゅんとくるものなのかしら? 彼の態度で察した人たち、多かったみたいよ」

「何が!?」

「閣下があなたを恋愛対象として見ていること」

 ひゅっと息を飲んだエルセリスに、アトリーナは猫のように滑り寄ってくる。上目遣いに見つめられて視線を逃し、身体を回転させて彼女から逃げる。だが広くはないベッドの上でいつまでもそうしていられるわけがない。心を決めるしかなかった。

「……それは、知ってる。けど……どうしようか悩んでるんだ」

 アトリーナは驚かなかった。むしろそうなっていて当然だと思っているようだった。

「何に悩むの? 好きか嫌いかの二択でしょう。それとも宙ぶらりんにした挙句、その気を見せながらこっぴどく振ってやるつもり?」

「そこまで非道じゃないよ!?」

 そう叫びながら、そうかその手があったかと考えてしまう自分がちょっといやだ。

「ねえ。『大嫌い』と『大好き』は両立できないものなのかしら?」

「え?」

 アトリーナはベッドにうつ伏せながら言った。

「あなたが誰も嫌いになりたくないように、その人のすべてを好きになるのは難しいことでしょう。私、あなたのことが大好きだけれど、自分で何もかも抱えてしまうところは好きではないわ。私より人に好かれるところを羨ましいと思うのは、裏を返せば嫉妬しているということでもあるし」

 エルセリスも考えた。

「それは……あり得ないわけじゃないよ。恋をしている人たちの中には、相手のすべてが好きだっていう人たちもいるはずだ」

「でもいずれ嫌いになることもある。だって人は変化するものよ。たとえば私の恋人が私の何もかもを好きだとして、そのうち特別金髪が好きだったとする。でも昨日より今日白髪が増えていたら、やっぱり少しは嫌いになるのではないかしら?」

 彼女は笑っていた。そんな相手がいたら楽しいと思っているようだ。

(大嫌いと大好きの両立……?)

 考え込むエルセリスにアトリーナは言った。

「みんな、愛する人の何もかもを好きでいなくてはならないという呪いにかかっている気がしない?」

 エルセリスは人が好きだ。みんなのことを好きでいたい、みんなに自分を好きでいてほしいと思ってきた。将来愛する人に嫌いなところがあるかもしれないと考えもしなかったのは、そのすべてを愛すると決めていたからだ。

 実際にそううまくはいかないことはわかっている。エルセリスだって、アトリーナの時々自暴自棄になるみたいにして周囲を傷付けて回るところは好ましくないと感じる。大好きな親友の彼女に対してでさえだ。

「……嫌いで、いいのか。嫌いなところがあっても……許せたらいいってことなのかな」

「それを確かめてみるいい機会ではない?」

 うん、とエルセリスは頷いた。

 少なくとも、アトリーナのことは直してほしいと思う部分も含めて好きだった。果たしてそれがオルヴェインにも当てはまるかどうかは実際に接してみないとわからない。

「そろそろ寝ましょう。明日は出掛けるのだから」

「うん」

 エルセリスは明かりを消し、ベッドに潜り込んだ。隣に寝るアトリーナがささやき声で問いかける。

「明日はどこに行こうかしらね」

「そのことなんだけど……行きたいところがあるんだ」

 行き先を告げるとアトリーナが苦笑する気配がしたけれど「わかった」と答えが返ってきた。ありがとうと言ってエルセリスは目を閉じた。寝つきがいいせいで間もなく眠りに落ちたのを知ったアトリーナが切なそうに笑っていたことは、もちろん知らなかった。

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