私をみつけて 2

 翌日エルセリスとアトリーナは外出着を着て街に出た。

 アトリーナのおすすめだという菓子店や雑貨店を覗き、衣装に使えそうな布地を見に行った。女性ものの服装になっているエルセリスが何者か気付いた人はいないようだったけれど、どこにいても華麗なアトリーナはよく目立ち、通りすがりの騎士に口笛を吹きかけられるなどしょっちゅうだった。

「お嬢さん、よかったら街を案内しましょうか?」

 声をかけてきた若い下士官にアトリーナを庇って、エルセリスはにっこりと笑った。

「申し訳ないけれど、彼女には私ひとりで十分だから」

 それに合わせてアトリーナが腕を絡めて肩にもたれかかると、下士官はぎょっとして硬直しエルセリスたちを見送った。だいぶ離れてからふたりで大笑いしてしまった。

 やがて封印塔のある公園まで来た。

 ここがエルセリスが行きたいところとして挙げた場所だった。

 表から入り、管理官がいないか周囲を探した。礼拝日ではないので人はまばらだが、祈りを捧げるために舞台で楽器を鳴らす人の姿がある。

 歌や踊りを嗜む人々は管理官に申し出ることで封印塔に祈りを奉じることができる。ここでの祈りは芸術家にとって腕試しの意味合いもあるのだ。

 そしてエルセリスは一般人として剣舞を奉納できないか交渉するつもりで来たのだった。

 何度思い出しても悔しさは消えない。だったら自己満足だがもう一度舞っておきたい。自分がどのように剣舞と祈人であることと向き合うべきか確かめておきたかったのだ。

 しかしもしかしたらもう申請者で枠が埋まっているかもしれない。そう考えながら管理官を探していると、演奏を終えた奏者が下がっていくのが見えた。代わりに現れたのは。

「ねえ、あれ……」

(オルヴェイン!?)

 驚くふたりは彼には遠すぎて目に入らないのだろう。オルヴェインは手にした長剣を床に置いた後、身体をほぐしている。真剣そのものの無表情だ。

「あそこにいるということは祈りを奉納するのよね。あなた、確か閣下は剣舞ができると言っていたわね?」

 アトリーナのささやきに頷き、高まる心臓を押さえながら答えた。

「王族も祈りを奉じるときがあるから、一通りは習ってたはず。でもいまも続けてるとは聞いてない……」

 だがあのときのまま訓練を続けていたとしたら、彼はどれほどの舞手になっているのだろう。

(見たい)

《剣》の聖務官として強く思った。

 彼がどんな剣舞を奉じるのか。『へたくそ』と言った彼がどんな舞手になっているか、知りたい。

 気付かれないよう慎重に移動して、舞台の隅々が見えるところに立った。応援団の女性たちが座っているそこは、さすがというべきか封印塔の円陣に立つ人の姿が余すところなく見られる席だった。

 位置についたオルヴェインが動きを止め、意識を集中させている。

 そしてゆっくりと手にした剣を高らかに掲げた。

 そうして、光を弾いた白刃が軌跡を描く。

 ぶおん、と風が唸る。ぶおん、と風が叫ぶ。

 目の前の敵を勇ましく斬り捨てた後の静止は、戦神の彫像のように雄々しく力強い。エルセリスの舞いの優美さとは異なるものだ。

 突きの鋭さにぞわりと総毛立つ。

 しかしくるりと反転すると、その舞は途端に壮麗さを増した。見えない外套の裾を翻すかのように全身を回転させ、上下に素早く斬り、再び回る。両手を広げながらの回転は全身の軸が少しもぶれない。その後跪いたその姿勢の正しさは、それこそ全身が剣であるかのように曲がらない。

 くるくると回りながら宙を切り、高く切っ先を突き上げる。

 反転しながら高く足を蹴り上げていく動きの身軽さと、相反する重みにエルセリスは何度も息を飲まされた。

(すごい)

 体幹は鍛え続けなければぶれてしまう。エルセリスが最も苦労したのは、成長期のせいで伸び続ける身長と変わってしまう身体つきを、どのように制御し、自分のものと認識させるかというところだった。結局とにかく身体を動かして全身の感覚の自分のものにするしか方法はなかったけれど、身体的成長のせいで感覚を損なったまま二流に落ちてしまうのは、聖務官も一般の舞踏家も同じだ。

 幼い頃巧みに踊っていたからといって、何もしないままこの舞ができるわけがない。そう思うと涙が出そうになった。

 真摯な剣舞だった。術師の死の呪いがそうさせたのだろうか。だが死に直面した人間が舞っているとは思えない清々しさと意志の強さは、人々のために祈る聖務官のように汚れないもの。

 聖務官のしるしを持たないあなたを、その高みまで押し上げた理由は、いったいなんだ?

(私……――オルヴェインが、好きだ)

 唇を噛んで涙を拭う。

(過去の『彼』じゃない。いまの彼のことが好きだ)

 ――大嫌いと大好きは両立する。

 死を目前にした彼は後悔を残せないから真摯であろうとしていた。生来の不器用さが顔を出すこともあるけれど、間違えない人間がどこにいるだろう。彼はどこにでもいるありふれたひとり。エルセリスもそうだ。だから嫌いな部分と好きな部分を同時に持っている。

 舞を納めたオルヴェインが長く熱い息を吐いた。その場に居合わせて気付かぬうちに魅入られていた人々の拍手に混じって、エルセリスも手を打ち鳴らしていると、彼が顔を上げた。

(えっ)

 目が合った、と思った瞬間にオルヴェインがこちらに近付いてくる。逃げ出すことができずに硬直していると、目前に立った彼はまだ息を乱していたが、ほっとしたように微笑んだ。

「来ていたのか」

「あ……ぐ、偶然です!」

 顔を伏せるとオルヴェインは一列後ろに席にいたアトリーナに目をやり、お互いに目礼しあった。動いた拍子に額に浮かんでいた汗の粒が落ちるのを見て、エルセリスは慌ててハンカチを差し出す。

「汗を拭いてください。目に入ると痛みます」

「ああ、ありがとう」

 ハンカチを受け渡すときに手が触れ合う、そんな小さなことにどきんと胸が鳴る。

 おかしい。好きだと思ったら、自分のハンカチで汗を拭う姿なんかにどきどきしてしまっている。激しい運動の後で潤んだ目がきらきらして見えて、舞っているときの力強さはこの体格に由来するのだなあなんて思いながら目が離せなくなってしまっていた。

「ハンカチは後日洗って返す」

「いえ、差し上げますからどうぞお気になさらず」

 オルヴェインは少し笑ってそれをしまったけれど、きっと新しいものを贈って返してくれるのだろうと想像がついてしまった。昔は周囲にそれが礼儀だと教えられてそうしていたけれど、いまは彼自身の気持ちで返してくれるのだろうということまで。

「エルセリス、わたくし、外の空気を吸ってくるわ」

「あ、うん。ひとりで大丈夫?」

「もちろん。では閣下、御前を失礼いたします」

 舞手が突然席に向かったことで驚いていた周囲も、知り合いを見つけただけだと知ると視線を外してそれぞれに祈ったり外に行ったりと動き始めていた。アトリーナも優雅な一礼をしてその中のひとりになったが、オルヴェインは妙な顔をしていた。

「どうなさいましたか、閣下?」

「いま喧嘩を売られた気がする……」

 エルセリスが「えっ」と焦ると「いや気のせいだろう、多分」と首を振られる。

「舞ったばかりで高揚しているせいだからそう思えたんだろう。フェルトリンゲン聖務官は兄に似ているところがあるから、余計にそう感じたのかもしれない」

 その彼女はアルフリードを『笑顔やくざ』と評して避けているのだが、確かににこやかにしながらばっさばっさと障害をなぎ倒していく印象はそっくりだった。ふたりに交流があるとは聞いたことがないけれど、もしかしたら案外気が合うのかもしれない。むしろ意気投合して向かう所敵なしになりそうな……。

 と思ったところでぞっとした。何故だろう、もしそうなったら頼もしいどころか世にも恐ろしい魔王を解き放ってしまうように感じられてしまったのは。

(か、考えるのを止めよう)

 気を取り直してオルヴェインを見上げた。

「あの……剣舞、素晴らしかったです」

 オルヴェインは嬉しそうに相好を崩した。

「《剣》の聖務官に言われるのなら本物だな。鍛錬を怠らなかった甲斐があった」

「……続けていらっしゃるとは思いませんでした」

「不純な理由だぞ。発散方法がそれくらいしかなかっただけなんだ。誰かに怪我をさせると問題になるから、剣を持って何かするとなると剣術か剣舞しかなかった。身体を鍛えるのも性に合ってたんだろう」

「それだけではあそこまで舞えません。それに……」

 不純な理由で剣舞を舞っているのはエルセリスもだった。

「……『それに』、どうしたんだ?」

 優しく尋ねられたが首を振る。

 あんな剣舞を舞った人に自分の不純さを知られたくない。

 わずかに固くなったエルセリスを心配したのか、オルヴェインが席に座るよう促した。エルセリスが腰を下ろした隣に彼も腰掛ける。そうして何をするともなしに聖堂を見上げた。

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