愛を告げないで 5
儀式を行う際、責任者は聖務官ということになっている。だからエルセリスには今回の失態を自身の直接の上官であるエドリックに報告する義務があった。
公署の聖務官執務室でエドリックがやってくるのを待つ。
戻ってくるなり席について目を閉じるエルセリスと、同じように戻ってきたのにぴりぴりして会話を拒絶しているアトリーナの様子から、何か事件があったことを感じ取ったネビンが心配そうにこちらを見ている。けれどいまは気遣ってあげられない。彼は優しいから、一言でも慰められたら砕け散りそうだった。
靴音が聞こえ、扉が開く。
すでに事情を聞いていたらしいエドリックは起立するエルセリスを一瞥した。
「奥へ」
「はい」
奥にある長官室に入り、扉を閉める。
少し空気が籠っていた。エドリックはあまりこの部屋に寄り付かない。前室である執務室でエルセリスたちが仕事をしていると、仕事をしろと焦らされている感じがして嫌なのだそうだ。
しかしその部屋にある自らの執務机に着席して、エドリックは言った。
「報告を聞こう」
深く息を吐いて、今日の出来事を報告する。自身の感情は交えないように。淡々と。声を揺らさないように、失敗したことを話す。
飄々としているはずのエドリックが腕を組んで黙って聞いているのが怖い。こちらが本来の彼だと思い知らされる。天下ってきた高官ではなく実績と経験を積んだ歴戦の騎士だ。
「報告は、以上です」
「ご苦労。よくわかった。お前を含めて誰にも怪我がなくてよかった」
いたわりの言葉は胸を切る。
そんな言葉をかけられる資格はない。エルセリスは祈りを奉じる先頭にいながら、末席でもしないような失態を犯した。
「責任者として、この事故の原因は何であったと考える?」
「衣装にも聖具にも不備はありませんでした。滑りやすいよう床などに細工されていたようにも思えません。ですから原因は」
飲み込んだ息は鉛のよう。
泣くなと叱咤して声を絞り出す。
「……私の自己管理が甘かったのだと、思います」
「ではそのように報告書を上げろ」
エルセリスが頷いたのを確認してエドリックが言った。
「破損した封印塔の床は、速やかに補修が行われることになった。聖具の剣は点検も兼ねて修理に出される。その上でお前には、無期限の謹慎を言い渡す」
覚悟していたが、実際に告げられるとめまいがした。
重い処分の理由をエドリックは改めて説明する。
「儀式における聖務官の祈祷は政の一種、国王の代理人としての行いだ。ゆえに聖務官の失敗は国王の失敗、王の体面を傷付けたということになる。謹慎処分は不当に重く感じられるかもしれないが、お前たちが背負うものはそれだけ大きい。気を引き締めろ!」
「はい。――謹んでお受けいたします」
背筋を伸ばし、深く頭を下げる。
そうして、ずっとこのままでいたいなんてことも考えてしまった。
いますぐ消えてしまいたい。この話がオルヴェインの耳に入ったら、彼は何を思うだろう。あんなに勇ましいことを言っておきながら、やっぱりその程度だったのかと失望しないだろうか。
自分の命を諦めてしまわないだろうか。
(……悔しい。悔しい、悔しい、悔しい! どうしてこんな……!)
私なら出来るはずだった。『強くて優しくて美しい私』なら!
そうなろうと決めて段階を踏んで変わってきたつもりだった。粗野な振る舞いは礼儀作法の授業で、言葉遣いは話し方の練習と本を読んで矯正し、周囲を観察してどんな風に接すれば人に好意的に受け止めてもらえるか考えた。そうして完成した自分は、聖務官としても同じように目指すものになれるはずだったのに。
想像もしていなかった。失敗するなんて。
(どうしよう、取り上げられてしまう、私には)
私には
沼にはまっていく思考を引き上げたのは、エドリックの大きなため息だった。
「……あんまり深刻に受け止めるな。聖務官だって人間なんだから失敗して当たり前に決まってる」
そう言って席を立ち、いつもと同じ顔で大きく表情を作る。部下の失敗を聞いていた上官の顔は消えていた。
「ただ、お前はいままで失敗しなかった。だから失敗したってことはそれなりに理由があるんだろう。『自己管理』なんて便利な言葉で自分を縛るな。自己管理したってどうにもならないことは世の中にたくさんある。風邪をひく時はどうしたってひくんだよ」
「…………」
けれど自分を律せなかったことが失敗の原因だとエルセリスは知っている。剣舞を立て直せなかったことは運が悪かった部分もあるかもしれないが、やはりここ最近の心の乱れが影響しているのだ。いまだって、自己嫌悪の渦に飲み込まれそうになっていた。
エドリックの手がぽんとエルセリスの頭を叩く。
「しばらく休んでこい。お前がいなけりゃ例の事業も回らん。戻ってきたとき全力を出せるよう、準備を整えておいてやるから」
「……はい」
ぐるぐる考える時間が惜しい。ちゃんと前を向いて二度と失敗しないよう万全を期し、名誉を挽回できるよう整理をつけなければ。
そう思うのに答える声は小さくなってしまった。
そんなエルセリスの肩を叩いてエドリックは退室を命じた。執務室にはアトリーナとネビンの姿はなく、誰にも告げないまま荷物をまとめたエルセリスは自宅に戻り「謹慎処分を受けた」と報告して両親を卒倒させたのだった。
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