愛を告げないで 4

 翌日出勤したエルセリスは勤務表を確認して自分のうっかりを発見した。

(忘れてた、今日は午後から儀式だ!)

 三人で持ち回りしている、週に一度行われる封印塔の礼拝の担当になっていた。

 儀式の内容はもともと決まっているのでいまさら緊張することはないが、気持ちと身体を作る時間が必要だった。なにせ封印塔に集まった人々の前で祈り――エルセリスの場合は剣舞を舞わなければならないのだ。

 事務室で練習室の鍵をもらい、稽古着に着替えて午後の儀式で行う舞の練習をする。

 柔軟運動をしながらも昨日のオルヴェインとのやりとりが何度も浮かんだが、その度に振り払った。

 呼吸と思考を整える。正しい形に身体が動くよう、何度も繰り返してきた剣舞だ。集中すれば無意識でも舞える。

 何度か通しでさらっていくうちに、そろそろ封印塔へ向かう時刻になっていた。制服に着替えて剣を携え、鍵を返却した後、一声かけようと聖務官執務室を覗くとアトリーナがいた。

「あら、いたの?」

「いたけど、これから封印塔に行くから」

 何かの書類を確認していたアトリーナは少し考えるそぶりを見せると、それらを片付けて立ち上がった。

「私も行くわ。久しぶりにあなたが舞っているところが見たいから。新しい歌がなかなか自分の中に沁みなくて、ちょっと行き詰っていたところなの。あなたの舞を見れば何か掴めるかも」

 時間が合えばお互いの儀式を見届けるのはよくあることだった。歳が近いということもあるが、エルセリスにはアトリーナの歌は何度聴いても素晴らしいものだったし、ネビンの杖舞には自分にはない力強さと伸びやかさがあって勉強になる。ふたりもそれぞれ得るものがあると感じてエルセリスの舞を見に来るのだろう。

 公署にある馬車に乗り込むとアトリーナが言った。

「アルフリード殿下に呼び出されたんですって?」

 どうやらその話をするためにふたりきりになる機会をうかがっていたらしい。

「うん、実は……」

 と言って、エルセリスはアルフリードとのやりとりを説明した。塔の再活性化事業がオルヴェインに関わることで、それを知ったエルセリスを牽制するための呼び出しだったこと。エルセリスは監視下に置かれることを承諾し、必要であれば命令に従うと誓ったこと。

 だがオルヴェインの死の呪いについては「知らないままでいてほしい」と頼んだ。

「すごく気になるだろうし、気に障るだろうけど、調べることもやめてほしいんだ。知ってしまうと巻き込まれてしまうから」

「アルフリード殿下が関わっているなら手は出さないわよ。私だって自分の身がかわいいもの。あの笑顔やくざに目をつけられたらただではすまないのだから」

 不敬だがぴったりなあだ名を口にしてアトリーナは息を吐く。

「本当に困ったときには本当のことを話すと、約束して」

 友人の危機を知らないままでいるのは嫌だという彼女の矜持が見えた。エルセリスは頷いた。

「うん。頼らないように頑張るよ。ありがとう」

「オルヴェイン閣下とは何かあった?」

 さらりと尋ねられたそれは不意打ちだった。

 言葉に詰まったエルセリスを一瞥して「わかったわ」と視線を外してくれる。

「何があったのかは聞かないけれど、嘘をついてはだめよ。あなたが苦しくなるだけだから」

 封印塔に到着したことが告げられた。

 馬車を降りて門を抜けると、そこは広い公園になっている。祭礼時には多くの人々が集まる緑の広場だが、普段は中心部に建っている封印塔で儀式が行われる。

 首都の封印塔は主塔の周りを壮麗な建物が囲んでいる。建築物としては聖堂と呼ぶべきなのだろうが、中心部の床に描かれた円陣はかつて神の住まいだった塔が位置していたことを表していて、その場所を抱える建物は形や様式に関わらず『塔』や『封印塔』と呼ばれる

 封印塔の関係者入り口に向かっていると、道なりに女性たちが跪いていた。

(あ、応援団の人たちだ。今日も来てくれたんだ)

 聖務官のエルセリスを応援してくれている女性たち、数は三十人ほどだろうか。十代前半の少女から老齢のご婦人まで幅広く、儀式に参列するにふさわしいそれぞれの晴れ着姿だった。

 彼女たちはエルセリスが祈りを奉じると聞けばどこにでも駆けつけて見守ってくれるありがたい存在だ。どこから勤務表を手に入れているのかという疑問はあるし、どうやって入りの時刻を把握しているのかはわからないが、一言も発さずに静かに見送ってくれる団結感は見事しか言いようがない。

 封印塔に入る直前、振り返ったエルセリスは片手を胸に当てて深々とお辞儀をし、感謝を込めてにこりと笑った。

「お見送りありがとうございます。いってきます」

「いってらっしゃいませ!」

 揃った返答を聞いて、最後に会釈してから中に入った。

「相変わらずすごいこと」

「ありがたいよね。でも薔薇の花百本を持った人たちが出待ちしてる歌姫には敵わないかも」

 いつから始まったのかはわからないが、聖務官には私設応援団が付き物になっている。運営形態やその規則は様々だが、エルセリスの応援団は基本的に、儀式の邪魔をしない、という方針で動いているようで、見送りのときはこちらが声をかけない限り一言も発しない。またアトリーナの私設応援団は男性が多く、贈り物を受け取ってまとめて渡してくれる係りの人がいる。ネビンの場合は年配の女性がほとんどを占め、いつも熱心な手紙を渡してくれるのだそうだ。

 ちなみに聖務官に限らず、奏官や典礼騎士にも応援団があるが、聖務官の応援団の邪魔をしないよう控えめに活動するといった序列が存在しているらしい。

 アトリーナは席へ行き、エルセリスは控え室に向かった。身支度を整えて剣を確かめ、封印塔を管理している管理官と今日演奏する奏官たちに挨拶をする。そうしているうちに時間となり、儀式が始まった。

 円陣のある場所は大広間になっていて、左右に奏官が演奏を行う場所が設置されている。中央に至る通路の両側に人々が座る座席があり、王侯貴族のための席は中二階に設置されている。劇場と変わらない作りをしているのは、ここで継続的に儀式が行われることが想定されているためだ。

 週に一度行われる礼拝では、奏官の演奏、居合わせた全員で祈祷書の一文を読み上げる祈祷を行い、最後に聖務官が祈りを奉納する、という式次第になっている。たまに名高い奏者や歌い手、舞手や、管理官に承認された一般人が客演のようにして祈りを奉じることもあるが、今日は普段通りの進行だ。

 礼拝に参加するのは、熱心な塔信者や、奏官の演奏と聖務官の祈祷を見るためにやってくる人々、強く願いたいことがあって訪れた人や、休日なので封印塔へ行こうと思い立った人のほか、別の都市からの観光客もいる。席がぎっしり埋まることはないけれど、今日も半分くらいは席が埋まっていた。

 応援団は席半ばに固まって座っていた。前方は信者に譲ると決めているらしい彼女たちは、その人たちの邪魔にならないけれどエルセリスの姿よく見えるそこを定位置にしている。

 見知った顔があるとほっとしたけれど、いつもと違って感じられた。

(変だな、緊張してるのかな)

 舞台袖で軽く飛び跳ね、肩を上下に動かす。深呼吸してみるが妙に落ち着かない、意識がふわりと浮く感覚を覚えて、急いで落ち着かせようとするのが急に変わってきた。手のひらが汗ばんで気持ち悪い。

(大丈夫、落ち着け。いつもやっているようにするだけだ)

 意識して呼吸し、頭の中を空っぽにする。やがて始まった祈祷の声に聖言を諳んじ、歌を歌う。いよいよ出番だ。

 鞘に収まった剣を左手に、中央に進み出る。長い袖と裾を広げるようにして封印塔の守護の力に一礼し、剣を抜いて後ろに引いた。

 ゆっくりと息を吐く。

 どん。どんどん。という太鼓に合わせて身体を起こす。笛の音が重なり、弦楽器が鳴る。音階の波がゆっくりとうねり出す。

 立ち上がった姿勢から一閃。止めの姿は時が止まったように。

 そして大きく袖を広げて剣の軌跡を描く。

 舞に使われる曲は壮大だが拍が速い。動きがひとつ鈍ると一気に崩れる。回転する速度がずれただけでだめになるのだ。

 なのに今日はその回転が速くなっている。瞬きよりも短い一瞬、曲と舞がずれるのがわかった。

(まずい)

 立て直すために止めの動作を使い、落ち着けと言い聞かせていただけれど、どくどくと焦りが増していくのを感じていた。

 嫌な感じがする。汗が出るのに全身が冷たい。身体が自分のものではないかのように動きが鈍くなっている。

 それでも積み重ねた練習量がエルセリスの舞を支えていた。次の振りを考えなくても勝手に身体が動いてくれる。

 けれど。

「あっ」

 ぐにゃりと音が歪んだ。気持ち悪い。そう思った瞬間、切っ先を下げていた剣がするりと手を離れ、音高く床に突き刺さった。

 静まり返る音というのはこのことを言うのだろう。さっと自分と観衆が息を飲んだ。

 剣を抜くべきか、そのままにすべきか。瞬間的に、いまの震える手では床から刃を抜くことはできないと判断して、剣がないまま舞った。

 曲が終わるまで長かったような気がするし一瞬だったような気もしたけれど、最後に跪きながら溢れそうになる涙を必死に堪えた。

 そうして顔を伏せたまま控え室に続く通路に下がるエルセリスは逃げたように見えたにちがいない。儀式の終了を宣言する「祈りとともに」の声の後、一同が解散する音が裏にも届いてきた。

 忙しない呼吸のせいか視界がぶれて、うまく立っていられない。

 エルセリスはとうとう力をなくしてその場に座り込んだ。

(こんな)

 こんな大失敗をするなんて。

 みんな失望しただろう。応援してくれる人たちも、エルセリスを信頼してくれている典礼官たちも、こんな日業務の儀式で聖具を取り落とすだなんて夢にも思わなかったはずだ。

 けれど誰よりも失望したのは、エルセリス自身だった。

(……何が、『強く優しく美しい私』だよ。名を残す聖務官になる、だ。こんなつまらない失敗をして、誰も失敗しようもない基本的な剣舞で、聖具を落として……こんなんじゃ)

 神に届く祈りなんて。

 オルヴェインを助けることなんて……――。

 袖に戻ってきた奏官たちが「大丈夫ですか!?」「怪我は」と案じてくれる声に首を振り続け、エルセリスは青ざめた顔のまま公署に戻った。応援団にはとても顔を見せることはできなかった。

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