笑わないで 5

 野営地に合流すると、指揮を取っていたヴィザードに安堵された。オルヴェインは早々に医師の元へ運ばれていき、エルセリスはヴィザードに隠れていた間の出来事を報告したが、もちろんオルヴェインの真実については黙っていた。

 襲ってきた魔物たちは夜明け前に姿を消し、被害も怪我人が数名と天幕が傷付いた程度で済んだそうだ。

「聖務官の祈りのおかげでこのくらいで済んだ。この様子だと塔周辺で野営するのは無理そうだな」

 そうヴィザードは言ったが、魔物の襲撃を許してしまったことは聖務官としての力不足を感じるようで悔しかった。

(もっと力をつけなくちゃ、神の力を目覚めさせる聖務官になんてなれない)

 翌日の出発を数時間遅らせた調査隊は、昼過ぎにようやく目的地であった遺棄された塔にたどり着いた。

「これは……」

 エルセリスだけでなくみんなが絶句していた。

 そこは聖堂があったと思しき場所だったが、天井はすべて崩落し、壁は壊れ、床石が粉々に砕かれた廃墟だった。肌に纏わりつくような冷気が全身を凍えさせるだけでなく、ぴりぴりと肌を刺激する。

「ぐぇ……っ」

 そう思ったら奏官のひとりが激しく嘔吐し馬から落ちた。医師が慌てて駆けつけると、落馬による怪我はなかったようだが、顔を白くしてがたがたと震えていた。同じように吐き気や頭痛を訴える者は他にもいて、そうでないものは怯えたように周囲を見回していた。

(魔気が濃すぎる。汚れたままの場所だからだ)

 遺棄されたままだけあって封印塔に守られてきた人間にはよくないところなのだ。周りを見てしまうのは魔物の気配を感じ取ってしまうからだろう。いまは様子をうかがっているがここは魔物の住む土地でもあった。

「体調不良の者はここで待機。その他は予定どおり塔の調査を行う」

 ヴィザードの言葉で全員が動き出した。エルセリスも馬を下り、崩れかかった入り口だったらしいところを抜けて吹きさらしの内部に入っていく。

 塔であった証として、床には円陣の痕跡があった。建物は横長で天井の高いものだったしく、崩れた柱が木々にもたれかかり枝に絡め取られている。

 だが祈りを奉じる場所としては十分な広さがあり、ここが生きている時代には大勢の人々が訪れたことを想像させる規模だった。いまはそれぞれに散った騎士たちが、どこからどこまでが聖堂に当たるのか、柱がどのように配置され、舞台はどこだったかを確かめるため、実際に歩いて軽く雑草を刈ったり、膝をつき道具を使って計測したりしている。

 その中で、奥の方で三人集まって話をしているのが気になって側に近寄った。

「なんだろうか、これ」

「石碑でしょうか」

 彼が囲むのは聖堂の最奥に当たるところ、現在は草むらになっているところに斜めに突き出した黒い石だった。

「なんか見たことあるよな、この形」

 うんうんとエルセリスも頷いた。

(石柱でもなくて、石碑みたいなちょっと変わった形の石。どこで見たんだっけ)

 ここが時の神の住まう塔であったのなら、それに由来するような碑、彫像などの可能性が高いけれど、手がかりらしきものを探してぐるりと見回してみてもなかなか思い出せない。

(聖堂の入り口から真正面に歩いたところにあるのか。こういうのって大抵方角を示すものが多いけれど……)

「北よりちょっとずれているな」

 同じことを考えた騎士が方位磁石を確認して言ったが、エルセリスはあっと声を上げた。

 時の神。ほぼ北を向いた石碑。聖堂の奥にあって人々が祀るもの。

「もしかしたら日時計じゃありませんか?」

 騎士たちもあっという顔をした。

 日時計は真北ではなく天の動かない北星に合わせなければ機能しない。また、こうした地面に水平に陰を落とす形のものが首都の大きな公園に設置されていたから見覚えがあったのだろう。

「じゃあこの聖堂、かなり広いんじゃないか?」

「儀式の前の除草から始めなければならないみたいですね。ちょっと奥まで行ってみます」

「俺も行く」

 ふたりが剣で草を薙ぎ払いながら進み、ひとりがオルヴェインとヴィザードの報告に行った。残ったエルセリスは辺りを綺麗にしようと足で地面をならし、外套の裾で表面を磨くために石に触れた。

(え?)

 気付けば、エルセリスは宙に浮かんでいた。

 透明になった足元の底は暗闇の世界だ。見下ろしたそこに人がいるのを見つけなければ、我を忘れて叫んでいたかもしれない。

 緻密な文様が描かれた円形の盤の上に座る女性がいた。

 エルセリスは引き寄せられるかのようにその盤の上に降り立っていた。

 女性は足を組んで座っている。白い髪、白い衣服。何かをすくうように椀の形になった両手。だがその目は閉じられていて、どうやら眠っているようだった。表面がつるりと輝いたように感じてよく見てみると、彼女は石のようなもので出来ていることがわかった。

 けれど本当に石像なのか。生きているのではないのか。

 気になってそっと手に触れたとき、声が聞こえた。

[祈人よ]

 びくりと手を引いたが声はエルセリスに呼びかけ続けた。

[予言を遣わす。我が力を欲するならば祈りを捧げよ。我を目覚めさせるに価する祈りを捧げる者に、この力を授けん]

「エルセリス?」

 肩を叩かれてエルセリスは我に返った。

 あの不思議な空間ではなく、遺棄された塔の日時計の前に立っていたところを、オルヴェインに声をかけられたのだった。

(今のは?)

 白い女性。予言と告げた声。

「顔色が悪いぞ。少し休んだ方がいい」

 いま何か見えましたかと問おうとして口をつぐんだ。

 右手が燃えるように熱い。魔気に当てられて夢を見たのかと思ったが、おいそれとは口にできない何かを見たのは確かなようだった。ただこれが時の神によるものなのかは、判断がつかない。

「エルセリス、何かあったのか」

 異変を感じたらしいオルヴェインが尋ねたが、首を振った。報告するなら彼以外の人間にすべきだと思ったからだ。

(変に期待を抱かせたくない。もっと冷静に分析できる人に伝えた方がいい。私もいま冷静じゃないだろうから)

 呼吸を整えて微笑みを貼り付ける。

「ここは時に関する何かがある塔だと思っていたんです。この日時計は象徴のようなものだったんでしょう。これに祈りを捧げていたのかもしれません」

 オルヴェインは何か言いたげにしたが、周りの目もあって飲み込むことにしたようだった。

「事前の調査でもそのように報告を受けている」

「判断に至ったのはどなたかの指摘があったからですか?」

「塔について研究している学者や、総本山の聖職者たちが調査結果と保管されている記録を照らし合わせたと聞いた」

 神がいた時代の宗教はほとんど廃れたが、総本山と呼ばれる封印塔を抱えた小規模都市にのみ塔についての記録を残している人々がいる。その場所に住むのは聖職者と呼ばれる選ばれた者たちだけで、典礼官とは異なり俗世と必要最低限の関わりしか持たない。彼らと接触できるのは身分の高い人々、王族だけといっても過言ではなかった。

(よし。さっき見たものを報告するならその辺りの人だな)

「閣下、そろそろ引き上げた方がよろしいかと。日没よりも前に森を出なければ危険です」

 ヴィザードが言い、オルヴェインは頷いた。

「魔物を排除するために典礼騎士を多数投入しなければならにことがわかっただけでも収穫だ。儀式を行う際にも十分な人数の奏官が必要だろう。万全を期するためにも、儀式までに調査を重ねることにしよう」

 オルヴェインの言葉に頷いた第一回調査隊は仕事を終え、無事に首都に帰還した。

 その翌日も公署に出勤するはずだったエルセリスだったが、その日、王宮の使者がやってきた。

 それはエルセリスを王宮に呼び出す、第一王子アルフリードからの通達だった。

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