第4章

愛を告げないで 1

 エルセリスは聖務官として勤めることが決まった幼いうちから、着替えなど身の回りのことは自分でしてしまうように育ってきたが、非公式とはいえ王子に拝謁するときの支度はさすがに家の者の手を借りなければならなかった。

 髪はいつものまとめ髪ではなく、凝った形に結い上げてもらう。化粧で顔を装い、身にまとうドレスは最近流行の襟ぐりが大きく開いたもので、首回りがなだらかに見えるよう切り返しが肩を見せる形になっている。金糸で刺繍された薄いショールを手に、金粉をまぶしたようなまばゆい靴を履けば、ガーディラン伯爵令嬢が鏡の中に現れた。

「さすがお嬢様、ため息がつくほどの美女ぶりですわ……!」

 老齢のため辞した乳母に代わってエルセリスの身の回りの世話をしてくれる侍女たちは、目を潤ませながらため息をついた。

「普段の凛々しいお姿も素敵ですけれども、こういったドレス姿だとさらに美しさが際立って見えますわね」

「かっちりした制服ではわからない、女性らしい身体つき! 出るところは出て引き締まるところは引き締まって」

「なんかそれやらしく聞こえるぞ」

 姿勢がよく身体にめりはりがあるのは剣舞のために鍛錬を欠かさずにいたおかげだ。それでもどちらかというと一般的な女性と比べてごつごつしているのではないかと思う。たっぷりしたドレスに隠れているが、剣を振り回す腕には筋肉がついているし、飛んだり跳ねたりする足も華奢とは言い難い。

「ちゃんとして見えるのはみんなのおかげだよ。いつもありがとう」

「それが仕事ですから。これでお嬢様を好いてくださる、お金も権力もお持ちの人柄のいい男性が現れてくれれば、わたくしたちも報われるのですが」

 エルセリスは曖昧に笑った。

 悪行三昧だった子どもは、今度は結婚から逃げ回って心配されている。聖務官に就任してから仕事に没頭するようになったせいで、十八歳という適齢期を迎えても浮いた話ひとつない。そういう意図を持って近付いてくる異性を避けている状態だ。

(仕事は大変だけど楽しいし、きちんと勤めていれば首都に小さな家を借りて暮らせるくらいのお給料はもらえるしな。聖務官ならどこに行っても重宝されるから仕事にあぶれることもない。結婚してどこかの家の奥方に収まる必要はないんだもんね)

 人には向き不向きがある。家を切り盛りするのはエルセリスにとってあまり魅力的な仕事ではない。

(それに、聖務官になったんなら、やっぱりどこまでの仕事が出来るか知りたいよ)

 でもそれは裏を返せば――剣舞しごとしかない、空っぽな自分がいるということでもあった。

 そんなことを迎えに来た馬車の中で考えているうちに王宮に到着していた。

 案内役の侍従に連れられた先は、謁見の間や夜会が催される大広間ではなく、王族の私的な住居となっている内宮だった。

 緊張でこわばった肩を撫でるように風が吹く。部屋に通されるものと思いきや、道の先は庭園だった。こんな奥の庭にやってくることなど滅多にないことなので、ついきょろきょろしそうになってしまう。

 階段を降りて一段低くなった場所には模様を描くように生垣がある。同じように下がった区画は他に三つあり、緑や花の種類を変えて四季を表す趣向だ。エルセリスが下りていく庭は秋、落ち着いた色合いの薔薇が咲いている。そっと膝をかがめて花の香りを吸い込んだ。

(いい香りだなあ。王妃様がお好きだからこんなにたくさん植えられているのかな)

 けれどその王妃は現在病気療養中で首都にいない。二年前突然倒れ、未だ体力が回復しないまま副都で静養していて、久しくその姿を見ていなかった。

 そのときやってくる人の姿が見えて慌てて膝を折る。

 その人はきらめく黄金の髪と、優しくも高貴な紫色の瞳をしていた。すらりとした長身の持ち主でもあり、身につけているものは白や淡い色を使った隙なく品のよいものばかりだ。常にたたえられた微笑みは包み込むようで、彼に言葉をかけてもらえることを望む女性たちは世に溢れ、どこの街でも絵姿がよく売れるという。

「突然呼び出してすまなかったね、ガーディラン伯爵令嬢。昔馴染みだからエルセリスと呼ぼうか」

「たいへんご無沙汰しております、アルフリード殿下」

 封印塔国マリスティリア第一王子アルフリード。オルヴェインの実の兄だった。

 昔馴染みといっても一緒に遊んだことはないので、その呼びかけはきっかけなのだろう。呼び出した理由はオルヴェインについてだとぴんときた。

(理由ってひとつしか思いつかないんだよね……)

 そっと上目遣いに伺うと思いがけず見つめられていてぎょっとした。効果音をつけるなら「じいいいい」という感じだ。

(め、めちゃくちゃ見てる――!?)

「遠目から何度か見かけたことはあるが、こうして直接話すのは何年ぶりだろうか。お互いすっかり変わってしまったね」

 昔の所業を指しているのは明らかなので、動揺を見せないようにしてエルセリスは悠然と答えた。

「長らく不義理をいたしまして申し訳ありません。お会いしない間にも殿下がご立派にお役目を果たされていることを聞き、臣として誇らしく思っておりました。再びお目にかか、」

「ああそういうお世辞はいいから。そんなことが聞きたくて呼び出したわけじゃない」

 ばっさりと両断され口をつぐむ。

 笑顔のアルフリードは口元に手を当てて感心したようにこちらを眺めている。

「でも君の成長は喜ばしい。素晴らしい淑女ぶりだ。蛙やら蛇やらを掴んで走り回っていたとは思えないね」

 当てこすりたいのか何なのか。言い返しても口で勝てる気がしないので黙っていると、彼はくすくすと楽しそうに笑っている。

(……相変わらず性格に難がある方だなあ……)

「立ちなさい、エルセリス・ガーディラン」

 しかし強く命じられて姿勢を正すと、いつの間にか人払いされてふたりだけになっていた。

「もってまわった言い回しは好きではないから聞いてしまうけれど、エルセリス、君は今回の塔活性化事業の真の目的を知っているね?」

 想像した通りだったが、実際に尋ねられると緊張した。

 その話をしたのはつい先日のことだったというのに、すでにアルフリードの耳に入っていることが恐ろしい。オルヴェインが報告したのだろうか。どちらにせよこの人の前で偽りは通用しない。

「……オルヴェイン閣下から直接お話しいただきました。閣下には内密にすることをお約束しております」

「耳にしたのが君でよかったよ。うっかり誰かに知られれば立場が危うくなるのだから黙っていろと、オルヴェインには言い聞かせたつもりだったんだが」

 憂い顔でため息をつく姿は心底弟を心配しているように見えるが。

(……自分に面倒をかけさせるなってことだよね、多分)

 子どもの頃のときのように彼に振り回された結果、後始末をするのは彼らの仕事だから、今回もエルセリスを呼び出して釘を刺すつもりだったのだろう。これで自分の行動はすべてアルフリードの監視下に入ったと考えた方がよさそうだった。

 だから告げた。今回の事業のかなり重要な部分を担っているのがアルフリードだと考えて。

「そのことについてひとつ、ご報告があります」

 エルセリスは遺棄された塔で見た幻覚と予言について語った。事実を語るだけなのでさほど時間はかからなかったが、みるみるアルフリードの目が研ぎ澄まされていくのを見た。

 聞き終えた彼は言った。

「君は、時の神についての知識はあるかい?」

「お恥ずかしながら、不勉強です」

 頭存在する神の姿や名前についての記録は、残っていないものの方が多い。首都の封印塔に祀られている光と炎の神アルヴァルは、そこにその存在を伝える人々がいたために残っただけなのだ。

 塔を壊した人間は自責の念からか封印塔に存在しない神の名を使わず、ただ『石の神』『剣の神』などと呼び表す。時の神もそうして名前を忘れられたひとつだ。

 しかし王族しか閲覧できない禁書にはその名と姿、特徴が記されているという。

 するとアルフリードは微笑み、自らの知ることを語り出した。

「時の神は『なにものでもない』白い神と鈍色の瞳を持つ女神だとか。彼女は時を操作するための盤面に立って、祈りに応じて時の祝福を授けるのだという。彼女も神のならいとして祈りの強い者を好むのだそうだ」

 彼が言いたいことはつまり。

(彼女は本当に時の神だったのか)

 エルセリスがあの塔でその姿を見たのなら。あの予言が正しいのなら。

「オルヴェイン閣下の呪いを解くことができるということですね」

 だがアルフリードはそれに答えなかった。

 ふらりと視線を逸らして薔薇を見つめ、エルセリスが何を見ているのかと視線をやったとき。

「過去のわだかまりがあるようだと聞いていたけれど」

 薄い笑みをともなって彼は言った。

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