第五章 Wave Of Mutilation⑤

ホールデンはぬるくなった麦酒を飲み干すと視線を外し、小さく舌打ちをした。


「こんなしみったれた話なんかして悪かったな。口では大層なたく並べたけど、俺は結局自分のために金持ちになりたいわけなんだよ」


「……やっぱりアンタはあんなやつらとは違うわね」


「あんな奴ら?」


 メグはぼそりとつぶやくように言ったが、ホールデンは聞きのがさなかった。


「……昔、私にはたくさんの友達がいると思っていたの」


 静かに語りだしたメグ。今度はホールデンが静かに聞く番だった。


「でも違ったの……。アイツらは私じゃなくて、後ろにいるお父さんのお金と力しか見ていなかった。私と仲良くなれば、将来あんたいだとか、親に言われて私と仲良くなるだとか。何かと理由はあったけど、結局はだれ一人ひとりとして私自身を見てくれていなかった。お金っていうものはぜいじやくな人間をくるわすにはじゆうぶん過ぎるりよくを持っているわ。だから私はお金なんかに左右されたくないし、それだけしか見ていないアイツらなんかと一緒になりたくない」


 強い意志を感じさせる声と表情であった。その瞳の色には金へのけんにじんでいた。ホールデンは想像するしかできないが、周りに居る者すべてが自分ではなく金のために接してきたらそれはなんというごくだろうか?


「お金は嫌いよ。でも……お金がどうしても必要なの」


 先ほどまでのメグの瞳には、嫌悪の色がかったが、今は悲しみの色に染められていた。


「探したい人がいるの」


「探したい人? それとお前が金を必要なのはどう関係してくるんだ?」


「……『悲嘆主義者の月曜日ブルーマンデイ』って覚えてる?」


「10年くらい前の事件だな。確か……自殺者が1日で、すごい数でたって話だよな?」


「そう。アレをけたのは……私のお兄ちゃんなの」


 ホールデンはおどろきをかくせなかった。


「どういうことだ? そもそもお前の兄貴って10年前に病死したって話じゃ……」


「私のお兄ちゃん……リアム・フラワーズは大逆無道の職イービルジヨブだった」


「カースティさんが言ってた?」


「そう。具体的な話はわからないんだけど、あの日……お兄ちゃんは出て行く前に私に言ったの。一連の自殺そうどうの犯人は自分だと」


 つらい思い出を口にしているためか、一言一句ふるえているように聞こえた。


「そして、いつもやさしかったお兄ちゃんは、見たことない顔で私に言ったの『この世界は狂っている』。そう言い残して二度と帰って来なかった」


 メグは視線を落とす。


「お父様とお母様に聞いても、『リアムの事は忘れなさい』と言ったきりくわしく聞くことを禁じられた。それどころか、お父様は王の剣ライトハンドオブキングに暗殺指令を出している。だけど、この10年お兄ちゃんを見つけられていない。私は知りたい。あの優しかったお兄ちゃんが何でそんな事をしたのかを。そして、最後の夜私に言ったあの言葉の意味を……」


 メグは視線を上げると、固い意志を表明するかのように静かだが強くつぶやいた。


「だから私は必ずお兄ちゃんを見つけ出す。そのためにお金をめないといけない。嫌いなお金を貯めるなんて笑えるくらい皮肉に満ちてるけどね」


「……だから、金が必要なのか。親にたよれないなら、自分の金と力で探すしかないもんな」


 実際、行方をくらませた人物を探すのはかなりの金が必要だ。特に国家を上げて探しても見つからない相手だ。一体いくらかかるのか見当もつかない。

 ホールデンは、メグのひめらしくないキツい性格の背景をかいみた気がする。じように振るい、しんらいできる友も作れず、誰にも理解されない目標を内に秘める。それはどれだけの重さなのだろうか。


「……すげぇな。尊敬なんて簡単に言うべき言葉じゃないけど、今の俺の気持ちを言葉にするのであれば尊敬って言葉が一番しっくりくるよ」


「……気持ち悪いわね。アンタにそんなこと言われるなんて」


 メグは目を丸くしながらもじようだんめかした口調で言う。


「ひでーな。これでも真面目に俺は言ってんだぞ」


 場の空気がかんするのが分かる。あの気まずい雰囲気は元からなかったみたいだった。


「フフフ……」


 メグのその悪戯いたずらめいたしようなまめかしくもあり、こうごうしさすら感じられた。初めて心の底からのがおをホールデンに向けているのであろう。この笑顔には1億ルード以上……いや、金では買えない物なんじゃないかとホールデンは思う。その笑顔があまりにもじよういつだつした可愛かわいさであり、ふいにそんな笑顔を向けられたホールデンはいつしゆんで頭がふつとうし、どうね上がった。そして──

 ホールデンの瞳はももいろに染め上がる。

女殺しジゴロ》が発動した。


(押さえ込む余地すらなかったぞ今……たのむから変なことは言わないでくれよ……)


「ああ……なんて尊いんだ。まるで世界の終わりをむかえた地にこうほこる気高きはなのようだ。その笑顔が今僕にだけ向けられているなんて……きんじやくやく、千姿万態のおどりを演じたい気分さ。去者日疎さるものはひびにうとしとよく言ったものだが、この笑顔さえあればらいえいごう、この身がち果てたとしても僕のたましいに刻み込まれたのでぼうきやくする事はありえない。りんてんせい後すら僕は忘れないだろう。それほど、今の笑顔は僕の心を穿うがったんだ!」


(なんなんだよそれ! そもそも俺のの中に存在しない言葉が多数入り混じってるんだが……一体どういう原理でしやべれてるんだよ……)


「ええっと……あの、その……ありがと……」


 メグはホールデンのぎようぎようしいめ句に対して、あわててうなずくと小さく謝辞を口にした。その顔は耳まで真っ赤に染まっていた。

 ホールデンは人差し指を立てると、左右に振った。


「ちっちっちっ! お礼を言うのはこちらの方さ! むしろ、今のその照れている顔もどんな宝石よりも価値がある。うつむいていないで、よく見せてくれないかい?」


 そういうと、メグのあごを手で持ちクイッと持ち上げた。


「あ、アンタ……たまに性格ががらっと変わるけど、一体どういうことなの?」


「性格? そんな事はまつ過ぎる問題さ。今問題にしているのは君の笑顔が犯罪的だって事だよねこちゃん」


 メグの問いには一切答えず、問題のすりえをするホールデン(ジゴロVer.)。


「だ、誰が子猫ちゃんよ……」


 メグはホールデンに褒め千切られ、まんざらでもない様子だった。

 だが、ホールデンの次の言葉で空気が一変する。



「罪をおかしたお兄さんの事なんて早く忘れて、ずっとその笑顔を絶やさないでおくれ」



 どこかゆるやかなふんであったが、一瞬でこおりついた。


「……ごめん。今……なんていったのか良く聞こえなかったんだけど……もう1度言ってくれない?」


「もちろんさ! 君の頼みをにしたら神からの裁きが下ってしまうよ」


 ホールデンはメグの冷えきった表情に全く気がついていないようだった。むしろ、気がついていたところでそれをこうりよするかははなはだ疑問であるが。


「お兄さんなんて早く忘れなよ。君の心は罪を犯したおろか者のためにとらわれることなんてない。そのお兄さんはクズだね。明言できる。何よりも尊い君の笑顔をくもらせるんだから」


「本気で……言ってるの?」


「当たり前さ。本気に決まっている。君の美しさにちかってうそいつわりはない。何度だって言ってあげるよ。君のお兄さんは真性のクズだね。この場にいたら僕がくびり殺してやりたいくらいだ。なんだったら今から探し──」


 その後の言葉はホールデンの口から出ることはなかった。

 かわいた音がけんそうを引きいた。その音は、メグがホールデンのほおを平手打ちした音だ。その場にいた客はことごとくだまり込み、ホールデン達の方に視線をやる。みな一様に何がおきたのかと、野次馬心で見物していた。


「いつつつつつ……」


 ホールデンは《女殺しジゴロ》から解放されると同時に、頰ににぶい痛みを感じる。


「……最低ね。少しでもあなたを信頼しようとした私がバカだったわ」


「い、いや……今のは……」


 ホールデンはしやくめいしようと声を上げようとしたが、その瞬間に再度頰をたたかれた。今度は1度ではなく何度も。

 メグはその後、走って店から出て行ってしまう。


「お、おいちょっと待ってくれ……」


 その呼びかけも、静まり返った店内にむなしく吸い込まれて行く。

 一瞬、走り去るメグの横顔が見えた。

 大きくれいひとみからはなみだひとしずくこぼれていた。

 ホールデンは席にもどると、気を落ち着かせるために麦酒を注文しようとした、が。


「ウチの店には女を泣かせるような男に飲ませる酒はねぇ。とっとと追いかけて行ってやんな。金はつけといてやるから」


 と、マスターに言われてしまう。

 店内のあちこちから似たような声が上がると、ぼけっとしていたホールデンはその声にかされ外に出た。辺りをキョロキョロわたすがすでにメグの姿はなく、時計台広場まで探しまわったが、見当たらない。


「どこ行ったんだ……」


 あちこち探し回っていも完全に冷める。《女殺しジゴロ》のえいきよう下にあったとはいえ、メグには関係のない話だ。最低、とメグの言葉がホールデンの頭の中でリフレインする。あれだけ大事に思っている兄を、ホールデンはおとしめたのだ。メグがげきするのは当然であろう。いや、おこっているだけならばまだマシかもしれない。それよりも悲しませてしまった。そのことにひどい罪悪感を覚える。

 ホールデンが走り回っていると、路地裏の地面にけんが落ちていた。


「これは……!」


 その剣を拾い上げる。その剣はメグのものであった。走り去る時に落としたのだろうか? ホールデンの胸にいちまつの不安が去来する。その不安がゆうであることをいのった。

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