一章 異世界に降り立つ聖女 ②
目が覚めた時、最初に目に入ったのは
理沙は「ああ」と深く息を
──まだいる。私、今日もこの世界にいなくちゃいけないんだ。
理沙が王宮に連れてこられて、すでに三日が経っていた。
夢だ、これは夢なんだと言い聞かせて、昨日もその前日も
理沙はのそりとベッドから
──仕事を三日間も無断欠勤して、職場はどうなっているだろう。月末までにまとめないといけない報告書があるのに。
理沙は広いテーブルの
もしこれが夢でないとして、次に考えたのはここが地球上のどこかの国である、ということだった。世界にルシアン王国という国があるなんて聞いたことはないが、万が一ということもある。どうか万が一の、実在する国であってほしかった。地球上にあってさえくれれば、帰ることだって可能だからだ。
──結果、望みは打ち
理沙は昨日の夜見て絶望した地図を、もう一度見返した。見たことのない形の大陸の中で、
──でもだったら、どうして私は言葉が通じるの?
この世界に来てから、次々飛び込んでくる出来事を受け止めるだけで精いっぱいで、ここ二日でようやくそんな基本的なことに思い至っていた。話す言葉だけでなく、今読んでいる本も、理沙には日本語で書かれているように見える。
──まさか、言葉が通じることが聖女の能力だとでも言うの?
その後も、理沙は帰る方法を見つけるために、聖女の伝説が書かれた本など読み
その時、タイミングを見計らうかのようにノックがされ、理沙が「はい」と声をかける。
「聖女様。おはようございます。朝食の準備ができましたので、運んでよろしいですか?」
理沙より三つ上のハンナは、
「ハンナさん。おはようございます」
理沙が言うと、ハンナは困った顔で首を
「聖女様。私に敬語を使う必要はございませんよ。名前も呼び捨てていただいて結構です」
「そんな
三日経っても、周囲から聖女と呼ばれることに強い
「あら。私こそ、聖女様にそんな礼儀知らずなことはできませんわ」
今度は理沙が困った顔になる。その顔が
「それでお勉強は
食事をテーブルに並べながら、ハンナが
「あ、はい。貸してくださってありがとうございます。それであの、ハンナさんにお願いがあるんです」
「なんですか?」
「私、この国のことをもっと知りたいんです。とりあえず城で働いている方と、お話ができませんか? よかったら協力してもらいたいんです。あっ、でもハンナさんが
「まあ! 我が国の現状をお知りになりたいと思ってくださっているんですね。そういうことなら、もちろん協力させていただきます」
ハンナは感激した
──ホントの聖女様だって
そんなことを考えていると、視線を感じた。ハンナが、理沙の右手をうっとり見つめているのだ。
「ああ。指輪ですか?」
理沙は右手を持ち上げた。薬指には、0・17カラットのダイヤモンドがセッティングされた、プラチナリングがはまっている。給料三か月分とまではいかないが、理沙としてはかなり思い切った買い物だった。仕事にもようやく慣れてきた二十四歳の誕生日に、自分へのご
「こんな宝石は見たことがありません。さすが、聖女様の指輪ですわね」
ハンナの言葉通り、ルシアンでダイヤモンドは
美しいダイヤモンドは、しかし見る人間の心理状態が
それから丸一日、理沙はハンナの
司書は、今のルシアンの現状を分かりやすく教えてくれた。国の収入の三分の一を
更に、王宮では別の
理沙は息を吐く。どれも聞いたことがある話だ。ルシアン王国物語に書いてあった通りの現状。信じられないがやはり自分は今、本の中の世界にいるのだ。
──しかも、『聖女』として現れることになるなんて……。
ルシアンの
「あ、ありえない……。
ぶつぶつ言いながら、広い
「──おや。聖女様ではありませんか」
しっとりと落ち着いた低音が背後にかかり、理沙は
ルシアン王国のトップ2であり、宝石事業のすべてを取り仕切っている
「王宮に来てからずっとお部屋に
態度も言葉もその表情も、
「部屋に籠っていたのは少々体調を
当たり
部屋に戻った理沙は、今度は休む間もなくハンナの訪問を受けた。
「実はリサ様にお会いしたいと仰っている方がいるのですが……」
開口一番そう言うハンナに、理沙は「誰ですか?」と
「我が国の王子、ロレンツ・フェル・エドゥアルト様です」
理沙は体を
ロレンツ王子。それはルシアン王国の
ロレンツ王子の部屋は、日当たりのよい西側の角にあった。
扉の先には、二人のメイドが
「ようこそおいでくださいました! 聖女様!」
「どうぞこちらへ! お茶の準備をさせていただきました!」
片方の言葉を繫ぐようにしてもう片方が口を開く。双子はそわそわと落ち着かない様子だったが、急に部屋の奥に向き直ったと思ったら、二人ぴったり息を揃えて呼びかけた。
「ロレンツ様! 聖女様がいらっしゃいましたよ!」
「……レーアもレーナも、少し落ち着いて。聖女様が驚いてしまうよ」
──わあ。美少年……。
理沙は目を丸くして、目の前の整った
──エメラルドみたいな瞳。
理沙がそんな感想を
「初めまして。ルシアン王国王子ロレンツ・フェル・エドゥアルトと申します。お会いできてとても光栄です」
まさに
「初めまして。鈴木理沙と申します。私もロレンツ王子とお会いできて光栄です。でも聖女ではなく、理沙と呼んでくださると
理沙の言葉にロレンツは目を
「リサ様とお呼びしてよろしいんですか?」
「
理沙が首を
「聖女様に名前を呼んでいただけるなんて! どうしよう、夢みたい!」
「夢よ! そうに決まってる! でもとても光栄だわ!」
双子はそう言って喜んでくれたが、なにかに気付いたのか困った顔で
「ですがリサ様。私達双子の顔を見分けるのは至難の
確かに双子は顔も声も体型もよく似ていて、例えば
「私達はひとりだと思って、レーアでもレーナでも、好きなようにお呼びくださいませ」
「とんでもない。そんなことはできません」
「リサ様。ご無理はなさらないでください。僕も見分けるのに時間がかかりましたし」
ロレンツも言い
「無理してるわけじゃありませんよ。うーん、そうですね……」
理沙は、自身の
「お名前は?」
「え、っと、レーアです。レーア・フェヒトと申します」
今度は百合の飾りをしていない方に「そちらのお名前は?」と聞いた。
「レーナ・フェヒトです、リサ様」
「では今日は、この胸元の花の
「リサ様、本当によろしいんですよ。私達はどちらの名前でも
「でも、名前を
そう言うと、双子は互いに顔を見合わせて、それから「ありがとうございます、リサ様」と嬉しげな笑みを見せる。それを
それからロレンツは理沙をティーセットの用意できたテーブルへと招き、お茶会が始まった。
「すごい本の数ですね」
お茶を飲みながら、理沙は部屋に置かれた大きな
ロレンツは自身を
「幼い
理沙は大いに共感して
「僕はその……、救国の聖女にずっと
「憧れ?」
ロレンツが少しだけ照れたように、組んでいた両手に視線を落とした。先ほどまでの大人びた様子が一転して、年相応の少年らしさが
「聖女の伝説を読んだ時も、とても心を動かされました。彼女はただの
理沙はルシアン王国物語を思い返す。ロレンツ王子は幼少から体が弱く、そのせいで今も王位継承者としての立場を不安視されている。
「それから少しずつ、体を動かすようになりました。散歩とかからですけど……、今は
双子がロレンツの言葉に大きく頷いた。この年若い主人を大切にしているのだろう。
「僕は聖女をとても尊敬しています。今こうしてお会いできて……、本当に嬉しいんです」
きらきらと
「それは私ではありませんよ」
「いいえ。あなたは聖女です。僕が本を読んでずっと想像してきた通りの、優しい方だ」
真っ
理沙の
「こんな話をするのはこの部屋でだけですから、どうかお許しください。病弱だろうが、僕はこの国ただひとりの王子です。王子が聖女にあまりにも
理沙は目を丸くし、目の前の人物への印象を改めた。きちんと自分の立場が分かっていて、周りに対して公平でいようとしている。
でも、彼はもうすぐ死ぬ。
心の隙間に入り込んできたその言葉は、冷たく
──今、警告のつもりで本人に言ってしまおうか?
そんな考えが頭を
──でも、本当に本の通りに話は進む? そもそも私自体の存在がイレギュラーなのに。
ルシアン王国物語に、言い伝え以外で聖女が現れたという記述は
──それに、私はこの世界の人間じゃない。いつかは絶対帰る。部外者が無責任に口出ししていいことなの? 未来を教えて、状況が
様々な
「リサ様? どうかしましたか? あ、お
ロレンツが心配そうに理沙を見やる。計算などない、
今の理沙に、答えは出なかった。
翌朝、理沙はハンナに手伝ってもらって鏡の前で
──早く元の世界に帰る方法を
その時、バタバタと
「聖女様はいらっしゃいますか」
扉を開けて入ってきたのは、王家の使者として理沙を
「朝の支度中に申し訳ございません。国王様がお呼びですので、
「玉座の間? どなたか
ハンナが首を傾げた。彼女の話によると、玉座の間とは国賓や他国の大使などと
「ああ。キンバリー王国の第一王子であられるリカルド様が、本日我が国を訪問された。当分の間、勉学のために
「まあ! それは大変ですわ。
最後のディルクとハンナの会話はもう聞いていなかった。ただひとつのことだけが理沙の頭をぐるぐると回る。
──ちょっと待って。キンバリー王国? 第一王子? そんなの本に出てこなかったのに!
ルシアン王国物語の本に登場する他国は、最後にルシアンを
心の中が一気に
正直こんなことをしている場合ではないし、王子になど会いたくもないと言いたいが、言えない。なんの予備知識もないまま、ディルクに連れられて玉座の前へと向かった。
これまた
「聖女様が参られました」
ディルクの言葉に、部屋にいた人々の視線が
そして理沙の目の前には、映画で見たような玉座が二つ並んでいた。この国を
その椅子に座っているのは、一人はルシアン王国の国王。そして
青年と目が合う。
「あっ」
「あなた──」
青年が椅子から立ち上がり、
「あの時の……」
「──初めまして。キンバリー王国第一王子、リカルド・フリードリヒ・デ・バシリウスと申します。救国の聖女にお会いできるなんて、私は幸運ですね」
『初めまして』。その言葉の真意を
「貴国に聖女が現れたと聞いてはいましたが、本当に
さも今初めて見たとばかりに首を
──
そう、リカルドは
どういうつもりで
「こんなに美しい聖女なら、我が国にも来て欲しい。連れて帰ってもいいですか?」
言うなりリカルドは、理沙の手を
「リカルド王子。お
国王の弱り切った声が
しかしリカルドは手を
「だが、美しいと思ったのは本当です。こういうのを
「──はい!?」
リカルドの
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます