八.距堙の土山をぶち壊せ

 一月最後の夜に、金軍の土山は粉々に砕けた。

 闇に乗じた襄陽軍三千四百は濠を渡り、土山警備の騎兵と激烈な戦闘を繰り広げた。幾次もの局面を経た戦闘は、城壁上に配した三層の弩兵に助けられ、襄陽軍の勝利に終わった。

 破壊した土山は、長さ約百歩(約百五十六メートル)に及んだ。高さは、城壁よりも半丈増しの三丈(約九.三六メートル)。幅は五丈(約十五.六メートル)もあり、城内で一番の大通りよりも広いほどだった。

 そして仲春、二月に入った。

 今年は季節の巡りよりも先に暦が巡っているようで、ひどく肌寒い朝だった。奇襲から帰って床に就いたばかりの趙萬年は、急を告げて趙淳を呼ぶ声のために眠りから引き剥がされた。趙淳はもちろん、趙こうも王才も同じだ。

 城壁に上がって、愕然とした。

「またかよ……」

 金軍は再びきょいんの策に着手している。つい数刻前に叩き壊した土山の跡地に、ちょうど前回と同じ起点に洞子とれんの覆いをこしらえて、新たな土山の建造が開始されている。

 ただ、いくらか様子が違うようにも見受けられる。作業進度が前回よりも遅い。材料の運搬を担う兵士の列の動きがひどく整然としている。その運搬される材料の品目が前回と異なる。

 目のよい趙萬年が金軍の様子を細かに観察した。

「でっかい木材がどんどん運び込まれてる。土そのものものうも運ばれてくるけど、干し草とか薪用の柴とかも同じくらい多い」

 趙萬年の報告に、敢勇軍の兵士が幾人か反応した。旅世雄が代表して発言する。

「土手の護岸工事や防波堤の設置で、似たような材料を使うことがある。木材で枠組みを作って、内側を草や小枝、家畜の毛、網の切れっ端なんかを詰める。その上に、湿らせた土をかぶせて、叩いて固める。このやり方なら、しんの素人でも頑丈な土壁を造れるんだ」

 趙淳が唸った。

「金賊の中にも同じ技術を知る者がいるってことか」

「伯洌将軍のおっしゃる通りでしょう。土手を造ったことがあるのか、あるいはあの土山を造ったことがあるのか」

「あれを壊すにはどうすりゃいい? 前の土山と同じやり方だと、やはり時間がかかっちまうか?」

「土でできた部分は、まあ、叩き壊すっきゃねえでしょう。内側の部分は、油をぶっ掛けて燃やしちまうのがいいかもしれません。炎の勢いがつけば、俺たちが手をわずらわせるまでもなくなりまさあ」

 路世忠が髭を撫でながら言った。

「薪を土山なんぞに突っ込むとは、もったいないことをしてくれるものですな。襄陽では薪が不足して、ひどい値の上がりようです。銭の蓄えの少ない家では、自宅のはりを削いで薪に転用したり、屠畜場から拾ってきた骨を炎にくべたりする有り様だというのに」

 趙淳が身も蓋もない言い方で応じた。

「土山を破壊するとき、燃やしちまう前に薪をかっぱらおう。城内の皆に配ってやれるくらい、ごっそりとな」

 旅世雄が下を向いて噴き出し、路世忠がにやにやする口元を手で覆った。呆れ笑いをする趙淏が、大哥あにうえは言葉を選ぶべきだ、と御小言を垂れた。

 ところが、敵陣から薪をかっぱらってくるという行儀の悪いことを即座に実行に移したのは、兄の言葉をたしなめた趙淏だった。

「偵察のために金賊のさいに潜入して、薪を持てるだけ持って帰ってきた」

 涼しい顔で、趙淏は言ってのけた。城西の水路からひそかに戻ってきたとき、趙淏は泥だらけの格好で、軽舟にと荷車いっぱいの薪を積んでいたのだ。

 薪の分配を敢勇軍の船乗りに任せ、趙淏は庁舎にある趙淳の執務室で、金軍について諜知し得たことを逐一細かに報告した。

 趙淏の報告によると、距堙の策は、先月下旬に徳安からやって来た約五万の援軍がもたらしたものだという。

「前回の土山は、蒲察家軍が中心となって建造した。が、周囲の声に押し切られて土山の堅さより工事の速さを優先した結果、失敗に終わった。今回は、名誉挽回を懸けた蒲察家軍が、協力関係にある納合家軍と合同で作業を進めているらしい」

「その話しぶりだと、納合家軍に手強い人物がいるようだが」

大哥あにうえの読みで正しいと思う。それとまた同時に、蒲察家と納合家の若い貴族が率先して両軍の連携のために動いていることが、金賊の作戦行動の質が格段に上がったことの直接的な要因だそうだ」

 趙萬年には心当たりがあった。金国の名門である蒲察家や納合家の若者といえば、忘れようのないまなざしが三つ、胸に刺さっている。

「蒲察とく寿じゅと、納合道僧。それと、徳寿の姉だっていう女。連絡役をやってるのは、道僧とあの女なのかな」

 十二月、金軍の激しい攻城を退けた後、道僧とあの女によって手ひどい怪我を負わされた。傷はまだ完全には治っていない。を受けた痕はたまに疼く。

 傷の痛みを以て道僧とあの女に恨みをいだくのは、きっと都合がよすぎる考え方だ。趙萬年は徳寿を殺した。彼らにこそ趙萬年を恨む真っ当な理由がある。

 趙萬年は、己の一箭が本格的な戦闘を引き起こしたことを思い、きゅっと胃が縮まるように感じた。

 いや、趙萬年が放たずとも、ほかの誰かが箭を放ったはずだ。襄陽軍が金軍と殺し合いを演じる筋書きは、くつがえしようのない運命だった。

 趙淳は、情報をもたらす趙淏と共にしばらく議論していたが、やがて庁舎を出て城壁の東南角に上った。趙萬年と王才も当然ながら付いていく。

 東南角から見晴らすと、作業二日目に入った金軍は、まだ疲れや乱れをにじませることもなく働いている。やはり多い。

 不確かな情報だが、と趙淏は前置きして告げた。

「襄陽の城壁に一番手で到達した者には破格の賞与が加えられる、と金賊の寨で噂を聞いた。それがあの働きぶりを促す一つの理由になっているのかもしれない」

 趙萬年は趙淳に尋ねた。

「どんな手が打てるかな? 一糸乱れぬ行軍なんてされた日には、少なすぎる襄陽軍には勝ち目がねえ。今までは、あいつらがばらばらだったからどうにかなったんだ。これからオレたちに何ができるんだろう?」

 趙淳は事もなげに答えた。

「隙を突いて奇襲する」

「このまま隙がない感じだったら?」

「腹をくくって奇襲する」

「どっちにしろ奇襲かよ!」

「奇襲しかねえだろう。薪をかっぱらいに行くぞ」

 土山はまだ城壁から遠い。だが、最初の土山の三倍ほどの時間をかけて、じりじりと迫ってくる。あれをいつ壊しに行けるだろうか。

 二月上旬。襄陽に、春はまだ来ない。

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