第六章 寡数の防衛に係れば、創意工夫せよ
一.守りに徹せよ
ばちん、と叩かれるように強烈な危機感がある。考えるより先に叫んだ。
「伏せろッ!」
直後、ごく近い場所が被弾した。土埃が立つ。城壁がぐらぐらと揺れる。
趙萬年は顔を上げた。頑丈に固められた黄土の城壁は、投石の数十発を食らう程度では崩落しないが、しかし無傷でもない。数歩先では
「怪我人、いねえかッ?」
声を張り上げれば、無事だ、と周囲も声を張り上げる。虚勢かもしれない。それでも、勢いはまだある。襄陽の気力はくじけていない。
趙萬年は濠の対岸を睨んだ。金軍の投石機が、五台、十台の数ではない。五百か一千か、それ以上なのか。悠長に数える暇などありはしない。
ふと、
「これより全軍、守りに徹せよと、
「だよな。おい皆、聞いたか! 死ぬ気で応戦しろ、なんていう無体な命令じゃないってさ! 命あっての物種だ。今は亀になるぞ!」
おうッ、と仲間たちの返事がある。
くじけてはならない。また砲弾が飛来し、城壁が揺れた。悲鳴なんか上げるもんかと、趙萬年は奥歯を噛み締める。
一月三日である。
早朝から金軍の砲撃は開始された。東、南、西の三面は投石機の大群に包囲され、一呼吸に一度は砲弾が飛んでこようかという異常事態だ。
金軍の投石機は、
戦闘が始まってすぐ趙淳がつぶやくのを、趙萬年は聞いた。
「まずい。こいつはどうしようもない」
同じことを前夜のうちに
夜を徹して、引きも切らず、猛烈な数の灯火が襄陽へ押し寄せた。灯火は投石機の大群を引き連れていた。川も平野も山も、空までも赤々と昼間のように照らす灯火は、襄陽に対する示威でもあっただろう。
趙淏が諜知したところによれば、金軍は、持てる投石機のすべてを戦陣に投じている。投石機によって城壁を破壊し、襄陽を丸裸にする。それが
初めは襄陽も弩と投石機で応戦した。金軍の投石機を燃やしてしまおうと
標的の数が多いだけではない。標的の姿が見えないのだ。
金軍は投石機の前に大きな
趙淳は早々に作戦を切り替えた。
「守りに徹する! 金賊の
金軍の砲撃は、城壁の要所に築かれた楼閣を集中的に狙っている。趙淳は楼閣の上と正面とに皮簾を張って砲弾を防ぐべく、次々と指示を飛ばして役割を振り分けた。
楼閣から支柱を張り出して皮簾を巡らせる。視界がさえぎられ、こちらから箭や砲弾を放つ道も封じた格好だが、背は腹に替えられない。
皮簾が五十斤(約三十二.〇
堅固な城壁や楼閣よりも、柔軟な皮簾のほうが
まれに皮簾の支柱が折れると、すぐさま敢勇軍所属の船大工や
襄陽は次第に陣容を立て直した。大方の楼閣は皮簾の
趙淳は自ら城壁じゅうを駆け回って各所を激励した。
「日が落ちるまで持ち応えろ! 夜が来りゃあ、こっちのもんだ。闇にまぎれて奇襲をかけるのは敢勇軍の十八番だろう。今回もその手で行くさ。クソ金の連中に一泡吹かせるのを楽しみに、今は守りに徹しろ! いいか、最後に勝つのは俺たちだぞ!」
だが、防御の構築がはなはだしく遅れた一角がある。東南角の楼閣とその周辺は、他と比べて明らかに砲撃の層が厚かったのだ。
皮簾を張ろうと身を乗り出した兵士が二人、まともに砲弾を食らって吹っ飛び、即死した。いざ皮簾を張っても、他の箇所と同じ広さを覆うだけでは不十分。防御をかいくぐった砲弾が城壁を
趙萬年は最初からその東南角に配置されていた。兵士を励ましながら、城壁と楼閣が削られる衝撃と震動に耐え、土埃をやり過ごす。次々と兵士が負傷し、焦りが募った。
戦況を転換させたのは、敢勇軍の
「報告通り、すげえ攻勢だな。楼閣の上と正面を守るだけじゃあ足りねえ。東南角は丸ごと皮簾で覆っちまうぞ!」
旅世雄たちは網を
ちょうど作業の最中に到着した
「
言わずもがな、危険な役回りである。裴顕の返事は実にあっさりしていた。
「いいっすよ」
城壁の外側から濠までの間には、五丈(約十五.六
裴顕は作業に必要な道具を体にくくり付けると、旅世雄が一端をつかんだ綱を城壁から外へ、ぽいと放った。そして、飛んでくる砲弾を恐れる様子も見せず、城壁の外側に躍り出て、綱を伝って地面に降りていった。
身の軽さに自信のある趙萬年だが、裴顕の動きには毎度、感心を通り越して呆れるしかない。
「あいつ、人間じゃねえだろ」
「ああ、武神の申し子だ。武術の腕も何もかも、まだまだ伸びていやがる。今年はそろそろ俺より上を行き始めるんじゃねえか?」
「
「そりゃあ悔しいが、それ以上にやっぱり嬉しいからな。若い
「わかってたまるか!」
趙萬年は、いつしか肩の力が抜けていることに気が付いた。憎まれ口を叩く余裕がある。
東南角の楼閣から城壁までたっぷりと覆う皮簾は、裴顕がその裾を地面に留め付けて万全のものとなった。皮簾にさえぎられて金軍の投石機の大群がすっかり見えなくなった途端、趙萬年は膝が砕けて、へたり込んだ。
裴顕は綱を頼りに、高さ二丈六尺(約八.一
「さて、永英
「南隅中央の防御の強化は賛成だが、俺は
「細けえこと気にするなって。何すれぞ深意なからんや」
「あるのかないのか、結局どっちだ? ああ?」
気さくな軽口が飛び交う。ついさっきまで、生きて日没を迎えられるだろうかと、悲鳴を上げたいほどの不安が胸に突き刺さってばかりだったのに、なんと心強い戦友だろうか。
南隅中央への応援に向かう間際、旅世雄が趙萬年を振り返り、大きな拳を握って頼もしい笑顔を作った。
「阿萬、守り抜くぞ!」
趙萬年も拳を固めて微笑んで、旅世雄に応えた。
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