第111話 立ちはだかる過去

「バーム、聞こえる? バーム!」


 耳元に響き渡るエイミーの声に、僕は目を覚ます。

 目蓋を開きぼやけた視界に、僕の顔を覗く誰かの顔がぼんやり映し出されて数拍、ようやく焦点の合いはっきりと映し出されるエイミーの顔に、


「――エイミー? あれ、どうして?」


 僕は笑顔を浮かべながらも、思わず疑問を口にする。

 彼女は追撃隊を任され、平城からはるか最前線に出張っていたはず、どうしてこんな所に?

 いや、そもそも僕はどうして倒れている? ここはどこだ?

 脳裏に次々と浮かぶ疑問に、答えを出せないでいると、


「混乱しているようねバーム。あなた、エドラスの話を聞いていたら突然倒れて、しばらく気を失っていたのよ。エイミーは別件で呼び戻していたのだけど、このことを聞いて慌てて駆けつけてくれたという訳」


 横から聞こえてくる言葉に、僕は視線を向ける。

 ティアさんだ。

 直後僕の脳裏をよぎる、倒れる直前の光景。

 僕はエルフの代表者の話を聞くうちひどい頭痛に襲われ、ついに意識まで失ってしまったのだ。


「……思い出しました」


 僕は答えると同時、辺りを見回す。

 そこは良く見知った、平城の救護所。

 倒れたころまだ天頂にあった太陽が、西の大地に沈みかかっているのを見、僕は気を失ってから半日が経過しようとしているのを知って、


「――申し訳ありません。皆さんに迷惑をかけてしまって」


 思わずそう口にする。

 だがティアさんは首を横に振り、


「今回の問題はあなたの記憶の件と関係している。強力な記憶封印とあなたの脳が格闘している訳だから、頭痛で倒れて気絶するくらいは起きても全くおかしくないと、その道の専門家が言っていたわ。

 それよりエドラスから話は聞いたけど、あなたの方も、何か思い出したことがあったら教えてくれる? 事としだいによっては、問題は帝国軍全体に関わってくる事になりそうだから」


 そう問いかけてくる。


「……帝国軍全体に?」


 僕の疑念に、ティアさんは頷き、


「光神国軍内の内通者から情報提供があったの。近く光神国の対帝国方面軍の総大将がゾルデンに交代する。そのゾルデン軍の参謀は――」


 そこで言葉を止める。


「……シェミナ」


 引き継ぐように言葉を発した僕に、ティアさんは頷き、


「すでに彼女は謀略工作に光神国内の兵器の生産、開発、部隊編成、訓練に至るまで、ありとあらゆることに手を加え始めている。光神国内の取り締まりも強化され、内通者も捕まり始めてるし、暗号も強化されて、以前のように簡単に解読とはいかなくなった。この短期間で光神国の体制にこれだけの変化が生じてきている、手加減するつもりは全くないみたいね」


 そう鋭く告げる。

 既に事は僕一人の問題では済まなくなっている。

 僕はそれを理解し頷くと、


「分かりました、思い出したことは全て話します。それがどれだけ帝国軍の役に立つかは分かりませんが……」


 そう前置きした上で、思い出したことを全て話すのだった。





「――なるほど、エドラスの話と矛盾するところは無いようね」


 納得するように言うティアさんに、


「差支えなければ僕にも教えていただけませんか? エドラス殿が話した内容について」


 僕はすかさず問いかける。

 まだ思い出せた記憶は一部のみ。

 だがそれでも、僕はそれが確かに自分の身に実際に起き、体験した事なのだと、少しづつ実感をつかみ始めていた。

 もっと知りたい。

 知って取り戻さなければならない、本当の自分を。


「……また頭痛で意識を失うかもしれないわよ。それに、思い出さない方が楽かもしれない」


 鋭い表情で忠告するティアさんに、


「かまいません。それに、過去の自分から背を向けることはできません」


 僕は即座に告げる。

 ティアさんは頷くと、語り始める。


「事の始まりは18年前――」


 ティアさんの言葉に、頭を再び襲う頭痛。

 頭を抑えれば直後、やがてまざまざと蘇っていく鮮明な光景。

 そうして僕はティアさんの語る言葉を頼りに、今だ深い霧に包まれた記憶の海へと一人舟をこぎ出す。

 霧は今だ濃く深く、僕に引き返せと言うかのように、世界を閉ざす。

だが僕が櫓をこぐ手を止めることは無い。

 この霧の先に恐ろしい何かが待ち受けているのだとしても、僕はこの目で確かめなければならないのだ。

 そんな決意と共に痛みをこらえ、はるか水平線の先へと舟を進めれば、周囲を包んできた霧も少しずつ晴れ、やがて世界は徐々に姿を現す。

 そうして見えてきた景色を恐る々る見回せば、熱く、優しく、時に悲しく、切ない、様々な記憶や感情が心の奥底から湧き上がって、どこか足りていなかった僕の心を、確かに満たしていくのだった。




 ――話は12年前へと遡る。そして僕は、本当の自分を取り戻す――

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