第110話 最後の光景

「バームいる? どうしたの? ずいぶん顔色が悪いようだけど?」


 心配そうに声をかけてくるティアさんに、


「だ、大丈夫です」


 とっさに答える僕。

 だが直後、


「午前中、東第二門付近を視察をされた際、大量に嘔吐されたのです。恐らく大量の遺体と腐敗臭に当てられたものと思われます。念のため医師が診察を行いましたが、健康状態に問題はないだろうとの回答でした」


 護衛の兵士の一人が、代わりに詳細を報告する。

 そんな護衛の説明に、僕は情けなさのあまり、思わず目を伏せる。

 城の救護所は今も、光神国軍と命を懸けて戦い、傷ついた将兵で埋め尽くされている。

 それなのに自分は、ただ敵兵の死体を見、腐敗臭を嗅いだだけで嘔吐してしまった。 

 こんな下らない理由でこれ以上、みんなを心配させたくない。

 そう思っているとティアさんは、


「――人の遺体と腐敗臭、それに誰かの命を奪ったことからくる罪悪感と重圧、他にも色々な感情や考えが湧き上がって複雑に混ざり合う。それは本人にしか理解できない苦しみよ。私も初めて戦場に立ち、特に恨みもない誰かの命を奪った日はそうだった。バーム、あなたが今何を考え、苦しんでいるのかは分からない。もしかしたらそれは私が体験したものとは全く別のものなのかもしれない。でもあまり自分を責めてはだめよ。それは決して、情けないことなんかじゃないから」


 僕の事を慮ってか、そう声をかけてくれる。


「……お気遣い、ありがとうございます」


 ティアさんの暖かいフォローはうれしい。

 思わずその優しさに甘えたくなってしまう。

 だがやはり客観的に考えて、今の自分の姿は情けないように思う。

 何より今の自分のこんな姿をエイミーに見られたくは無い。

 エイミーが追撃戦に参加したことで別れてしまったことをさみしく思っていたが、今は逆に幸運だったと感じる。


「ところでティアさんが来られたということは、何か御用でしょうか?」


 僕の事でこれ以上、ティアさんに余計な時間を割かせるわけにはいかない。

 そう話を進めようと尋ねると、ティアさんは頷き、


「実は先ほど、エルフの反光神国勢力が帝国軍に合流したんだけど、そこの代表者と技術陣が、ぜひあなたに会いたいって。高い魔法技術を持つエルフとあなたが協力すれば、きっと光神国に対抗できるだけの兵器を開発することができる、って」


 そう話の本題を告げる。

 フェルニアは光神国の西方に位置するエルフの大国だ。

 エルフは人間に勝る高い魔法技術を持つことで知られており、同時に魔術の扱いに巧みな者が多い。

 かつては鎖国体制をとり、他のどの国、どの種族ともほとんど交流を持たないことで知られ、また高い魔法技術からくる軍事力のため、攻め入る国も種族もほとんどなかった。

 だが18年前、光神国との小競り合いに敗れて以降、唯一光神国とのみ同盟を結び、交易なども行っている。

 そんなフェルニア国内は長く親光神国派と反光神国派に分かれ、激しい内戦と勢力争いが起こっていた。

 だが現在は光神国の介入もあって親光神国派が内戦に事実上勝利、反光神国派は国を追われ、ゲリラ的抵抗を続けることを余儀なくされていたのである。


 エルフの反光神国勢力としては共通の敵を持つ帝国と協力し光神国を追い詰めることで、再び勢力を取り戻したいのだろう。

 帝国からしてもエルフの戦力と高い魔法技術は極めて魅力的であり、光神国と同盟を結んでいるフェルニアとはいつかはぶつからなければならない以上、協力を拒む理由はほとんどない。


「なるほど、確かにエルフの技術者の協力を得ることができれば、さらに強力な兵器を開発することができると思います」


 そうしてまた僕の生み出した兵器が、たくさんの命を奪うことになる。

 脳裏をよぎる思いに、チクリと痛む心。

 何を今更きれいごとを、戦争は生きるか死ぬか、食うか食われるか、そんな事、初めからわかっていたことだろう。

 そう唇をかみ、自分を叱咤する僕。

 そんな僕の葛藤に気づいてか、わずかに首をかしげるティアさんに、


「なら善は急げ、早速会いに行きましょう」


 僕は話を逸らすように言い、足を前へと踏み出すのだった。





 城の中央の櫓に出向くと、エルフの反光神国勢力の代表と技術者らしい者十数名の姿があった。

 かつてフェルニアが鎖国体制をとり、人間がエルフの事をよく知らなかった頃、人々はエルフの寿命を300年以上、死ぬまで老いないなどと、まことしやかに語っていた。

 実際のエルフの平均寿命は120年前後、人間より長く若い姿を保つが、決して老いないなどということはない。

 また一生のうちに産める子供の数も人間より少なく、数を増やしにくい種族でもある。

 このため魔術の扱いに巧みなどという優れた特徴を持つにもかかわらず、その勢力が人間をしのぐことはこれまでなかったのである。


 程なくエルフ達は僕たちの存在に気づき、視線を向けてくる。

 だが次の一瞬、代表と思しき一人を含む数名のエルフが、僕の顔を見、ギョッとした表情を見せる。

 そんな彼らの反応の意味が分からず、僕が思わず首をかしげると、


「――まさかとは思っていたが、本当に? バーム殿、バーム殿ではありませんか!?」


 代表と思しきエルフが、わずかな喜びとそれ以上の驚愕が混ざり合った表情を浮かべて叫ぶと、総帥たるティアさんそっちのけで僕に駆け寄り、手を握ってくる。


「ファラスルの決戦の折、別れて以来ですな。あの日ゾルデンと刺し違えるべく突撃したシェミナ様を追って敵陣に駆け入り、消息不明となったあなたを必死に探し続けること3年、どれほど手を尽くしてもわずかの手がかりもつかめず、もはや諦めかけておりました。あの地獄のような戦況の中、よくぞ、よくぞご無事で。

 積もる話は山とありますが、もし知っていたらお聞かせ願いたい。あの日ゾルデンと刺し違えるべく突撃したシェミナ様の身に一体何があったのか? なぜあのシェミナ様が憎むべき光神国側に寝返り、あのゾルデンの妃となり、あまつさえ我々に刃を向けてくるのか? わずかでもいい、何かご存じのことはありませんか? バーム殿!?」


 そう必死に尋ねてくるエルフの代表者。

 だが僕はこの人の顔も名前も知らない、全くの初対面のはず。

 そう思い困惑する僕を、不意に襲う強烈な頭痛。

 思わず頭を抑えれば、脳裏をよぎる鮮烈な光景。

 

 万を越える人間とエルフの大軍勢が激しくぶつかり合う戦場。

 絶望的な戦況の中、自ら軍勢の先頭近くに立ち、敵の本陣に向けて突撃していくシェミナ。

 もはや救援は不可能、シェミナ様の犠牲を無駄にしないためにも、今は命を捨てるような真似はせず、退いて再起を図るべき。

 そう説得する彼に、僕は率いていた兵のほとんどを預け、最後まで付き従うと譲らない少数のみを率い、シェミナを追って敵陣へと駆け入る。

 今までありがとう、後は頼みます。

  

「――エドラス殿」


 不意に口を突いて出た名に、僕自身が驚く。

 だが確かに、僕はこの人のことを知っている。

 

「……ちょっと待ってエドラス殿。その人は――」


 直後、間に入ろうとしてくれるティアさん。

 だがそれと同時、不意に襲う先ほどを大きく上回る頭痛に、僕は思わず地面にうずくまる。

 一体何が起こっている?

 混乱する僕の脳裏をさらによぎる光景。


 五大神、海洋の神ゾルデンと、文字通りの死闘を演じるシェミナ。

 生きる希望を一切捨て、命を燃やし尽くすように猛攻を仕掛ける彼女。

 対するゾルデンは圧倒的地力の差、時間とともに有利になっていく戦況を背景に、余裕の笑みを見せ、彼女の猛攻をいなしていく。

 普段の精彩を欠き追い詰められていく彼女の下に、部下たちの犠牲を糧にようやく駆けつける僕。

 圧倒的力の差、本来なら勝ち目など一切ない。

 だが、僕たち二人がそろえば、例え神が相手だろうと、負ける事なんて絶対にありえない。

 そんな僕たちの渾身の一撃が、神としての力を顕現したゾルデンの眉間を穿とうとする。

 しかしその一瞬、視界を覆う猛烈な閃光。

 

 その瞬間、途切れる記憶。

 同時に現実の僕もまた、あまりの激痛に耐えきれず地面に倒れこむ。

 遠ざかる意識の中、響き渡るエドラスの声を懐かしく感じる心に、僕はこの記憶が作られたものではない真実のものであることを悟るのだった。

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