第五章 初めてのお得意様
第112話 ヒマワリの笑顔
――遡ること12年前――
「できたよ母さん、今回の出来はどう? 結構うまくできたと思うけど?」
僕はそう言い、仕上げの彫刻を終えた武器を母に手渡す。
受け取った母はそれを舐めるように見、ところどころさわったり工具でつついたりした後、苦笑いを浮かべ、
「仕事は丁寧だし悪くは無いけど、まだ強弱のつけ方が甘いね。せっかく完成した武器をダメにしたくない気持ちは分かるけど、もっと思い切り、それこそはみ出すくらいのつもりでいかないと、自分の殻を破ることはできないよ。それとあんたはどうしても『きれいにしよう』『上手く、美しくしよう』って気持ちが先走っちまう。みんな最初はそうだけど、そう思っているうちは、まだまださ」
そう言いながらも、僕の頭を汚れた手で乱暴に、力強くなでてくれる。
僕は落胆しながら、
「鍛冶仕事じゃ父さんには全然追いつけないし、魔法道具の製作では母さんの足元にも及ばない。どっちも中途半端だって、前お客さんにも言わたよ。僕、父さんや母さんに追いつけるかな? どっちもこのまま中途半端で終わるのはいやだな」
そう呟く。
すると母は一瞬驚いた後、その表情を優しげな微笑へと変化させ、
「何言ってんだいバーム。あんたまだ11歳だろ? そう簡単に追いつかれちまったら、私の今までの人生と苦労は一体なんだったんだって話になっちまうだろ? 安心しな。あんたの魔法道具職人として実力は、もうそこらの大人の職人に追いつきつつあるよ。それに鍛冶の方もそろそろ一人でやらせてもいいって、父さん言ってたよ」
そう慰めてくれる。
「――本当に!?」
寡黙で普段あまり褒めてくれない父が僕の事を評価してくれている。
その事実に、僕はうれしくなって言う。
母は笑顔で頷き、
「それにねバーム、あんたも知っての通り、母さんは魔法道具職人としては一流でも、鍛冶職人の技術はほとんどない。逆に異世界出身の父さんは体内にほとんど魔力を持たなければ、魔術も魔法道具も一切扱うことができない。あんたが成長するまでは、父さんと私で役割分担して何とかやってきたけれど、やっぱり両方の技術を持っていないと不便なこと、できないことはたくさんある。鍛冶職人の父さんと魔法道具職人の私、両方の知識と技術を扱うことができるのはバーム、この世でただ一人、あんただけさ。
だから腐ることは無いよ。真面目にやってりゃ、あんたは直ぐに私にも父さんにも追いつき、追い越せる。それに無理に私たちを追いかけようとしなくたっていい。あんたはあんたの道ややり方を見つけて、貫けばいいんだからね!」
そう言って景気づけに、僕の背中を叩いてくれる。
そんな母の励ましに、僕は自分の両の手を見つめると、心の奥底から湧き上がる熱い何かを感じ、ぐっと拳を握りしめる。
だが数拍後、母はふとその表情を曇らせると、
「そんな事より聞いたよ。オークの村への立ち入りを拒否されたんだってね」
そう心配げに尋ねる。
「魔物側の情報が光神国に漏れている節があるんだって。僕が疑われているというより、外部の者の村への出入りを今まで自由に許可していた事の方に問題があったんだって。そりゃそうだよ、村の中の同じオーク同士ですら互いに怪しみ、疑心暗鬼になっているのに、半分は人間の血を引いていて村の外に住んでいる僕なんて、ね。
それにもともと村には人間との戦争で家族や友達、大切な者を失った者が大勢いる。半分は人間の血を引いている僕と仲良くなんてしてたら、他のオークたちになんて思われるか。もし僕が村のオークだったとしたら、きっとそう考えると思うよ」
僕はそう努めて平静に答える。
だがそんな僕の拳は、一瞬前までと全く反対の、冷たい原動力で生み出される力で、強く握りしめられていた。
そんな僕の言葉に、母は眼を細め、
「――そう、あなたが悪いことをしたわけじゃないのにね」
そう寂しげに呟く。
ハーフの僕は小さなころから、人間からは受け入れられず、オーク達ともなじめずにいた。
当然仲の良い友達などできるはずもなく、母は以前からそのことを心配していた。
母を心配させたくない。
だから僕は精一杯口角を上げて笑顔を作り、
「いいんだ。僕には父さんも母さんもいる。それに一刻も早く技と知識を磨いて、追いつき、追い越さないと。そのためには村の子たちと遊んでいる暇なんて一瞬もないよ! さあ、次の仕事!」
そう精一杯明るい声で言って、次の仕事に取り掛かろうとする。
するとその時、入口の呼び鈴が鳴ったかと思うと、
「戻ったぞ」
見知った人影が入ってくる。
「お帰り、父さん」
僕が言うと、父は僕を見、微笑を浮かべ、
「バーム、明日は俺と一緒にデラフィアに行かないか?」
開口一番、そう問いかけてくる。
瞬間、心の奥底から再び湧きあがる熱い何かに、
「いいの!?」
僕はわずかな不安と、それをはるかに上回る興奮に逆に尋ねる。
デラフィアはエルフの大国フェルニアと光神国、それに魔族の国とを分ける国境の峠道を扼するエルフの砦。
長く鎖国を続けてきたフェルニアだが、6年前光神国との戦争に敗れた結果、その講和条約により国境の3つの砦でのみ、交易が認められることとなった。
デラフィアはその3つの砦の一つで、エルフと交易可能な数少ない拠点の一つとして、大いに賑わっていたのである。
「大丈夫なのかいあんた? 半分とはいえバームは私のオークの血をひいてるんだよ?」
エルフと魔物は出会えば即殺し合いに発展してもおかしくないほどの関係だ、ハーフの僕も安心できない。
心配そうに尋ねる母に、しかし父は微笑を浮かべ、
「砦のエルフと交渉してな。許可が出るまで1か月かかった。顔と肌は極力隠すようにとの条件だったが、俺の砦での仕事と貢献が認められたようだ」
そう言って、僕の砦入りと商業活動を許可する許可証と割符を見せてくれる。
「――ということは、行ってもいいんだね、ね!?」
魔物を嫌うエルフからどう見られるかという不安はある。
だがそれ以上に、エルフの国の珍しい産品を見られる楽しみと興奮は大きい。
そう両親を見れば、二人は笑顔を浮かべ頷いてくれる。
そんな二人の答えに、思わず喜びの声を上げる僕。
異世界人の父とオークの母の間に生まれた僕。
窮屈な思いをすることもあるけど、同等かそれ以上に、楽しくて充実した日々を送れている。
心に満ちるそんな思いに、悲しいことより楽しみな明日の事を考え、胸を躍らせるのだった。
「行ってきます!」
翌日早朝、まだ太陽が地平線から姿を覗かせる前に、僕と父は留守番の母に別れを告げ出発する。
ロバに荷物を載せた僕と父は、川を渡り、森を抜け、途中握り飯の朝食を食べ、数時間をかけてようやく国境の山の麓にたどりつく。
それから砦を目指すほかの商人たちと共に小一時間ほど細い峠道を上ったところで、ようやく、
「見えた、あれがデラフィアの砦!」
興奮して指さす僕に、父さんは頷く。
デラフィア砦は国境に連なる山の峰々に築かれたエルフ側の砦の一つで、他の砦が山の高所ごとに築かれているのと異なり、高所と高所の間の凹みを通る峠道を塞ぐように築かれている。
これは峠道を封鎖するというのは勿論、もし砦内に商人に偽装した敵兵が侵入したとしても、両隣の高所に築かれた砦から兵が駆け下り、挟み撃ちにできるようにという構造らしい。
そんな砦は峠道を塞ぐ石垣造りの城門などの要所部を除いて、土塁に木製の柵や壁や逆茂木、竪堀を兼ねた堀切などで構成されていて、素朴だが元々の険しい地形を活かした、純粋に実用向けの要衝という印象を僕は受けた。
城門では革製の軽量な防具を身にまとったエルフの兵士が、許可証と割符、持ち込む荷物の確認を行っている。
初めて見るエルフの兵士は、噂に違わず整った顔立ちをしていて、そのどこか冷たく鋭い瞳を僕へと向ける。
だが一瞬後、同伴していた父の姿を見、エルフの兵士はわずかに表情を和らげると、
「これが言っていた息子か、くれぐれも顔と肌は隠してくれ。魔物の血を引いていることが知られれば、いくら許可が下りているとはいってもやっかいなことになる可能性が高い」
そう小声で耳打ちする。
かくいう僕も心得ていて、山の麓につく前からすでに顔も肌も極力布と衣服で隠していた。
「だそうだバーム。窮屈だろうが今日一日、我慢してくれ」
そう申し訳なさそうに告げる父に、しかし僕は笑顔を浮かべて大きく頷く。
せっかくデラフィアまで来られたのだ、このくらいの我慢、なんてことない。
かくして許可証と割符、荷物の確認を終えた僕達は、堂々と砦に入る。
そしてそこに広がる景色に、思わず目を見開いた。
狭い砦内をほとんど隙間なく行きかう人々とエルフ達。
並ぶは古今東西から集まった見たこともない品々。
人間の商人たちも選りすぐりの珍品を持ち込んではいるが、注目すべきはやはりエルフ側の産品だろう。
文字通りここでしか手に入れることができないフェルニアの産品には、文字通り桁違いの、同じ重量の金より高いのではというほどの値がつき、しかもそれが飛ぶように売れていくのだ。
「すごい、すごい! あんなお金、どっから湧いてくるんだ?」
驚き興奮して呟き、辺りを見回す僕に、父は笑顔を向け、
「店の準備もしなければならんが、その前に母さんに言われた品の仕入れをしよう。魔力を感じることができない俺じゃあ、魔法道具関連の素材の目利きはできないしな。頼むぞバーム」
そう言ってくれる。
「任せてよ父さん!」
母から素材の目利きのイロハを教わり、これに関してはもう一流と太鼓判を押されていた僕は、自信満々、店を回る。
エルフの店には実物を見るのは初めてというような品も多く並んでいたが、ポイントさえしっかり押さえることができれば、大部分の品はある程度の目利きが可能である。
中にはよく知らない人間相手にふっかけるような値段がつけてあることもあるが、逆に人間や魔物の国では高価なものが、エルフ達にとってはどうでもよいのか安値で売られていることもある。
予算には限りがあるので、僕は時間をかけて丁寧に目利きし、特に珍しい品を厳選して購入したが、その度にエルフの商人は少し驚いた表情を見せていたように僕には見えた。
さて仕入れが終われば今度は僕たちが出店する店の準備である。
売る品は父が鍛えた武器。
本当は母の作った魔法道具も売りたいのだが、魔法技術に高い自信とプライドを持つエルフ相手に魔法道具を売るのは、場合によっては挑発ととられかねないということで持ち込んでいない。
この砦で商売を行うにはかなりの場所代を払わなければならないので、売れなければ大赤字となってしまう。
そこへくると店の小さい僕たちに対し、砦では他にも人間の大きい武器商人数件が店を出していて、同じような商品を僕達より安く売っているのでかなり不利だ。
品の出来では父さんのはほかの店より格段に上だが、品の良さを理解してくれる客が来てくれないことには話にならない。
僕の心配通り店を開けても客はしばらくつかなかった。
エルフはとかく美しいものを好むというが、確かに父の鍛える武器は純粋な実戦向けの無骨なもので、多くのエルフ達は他の店のきらびやかな上に安い商品に向かった。
だが時間がたつにつれ、エルフの中でも体に傷があるような、いかにも実戦派という感じの者達が、一人、二人と店に立ち寄るようになってくる。
彼らは商品を舐めるように見、父にいくつも質問をし、仕上げに複数の注文を付けた上で購入したり、あるいは次の出店日までにと品を注文していく。
魔術的な仕上げと手直しは僕にしか出来ないので、休む間も無い程の大忙しだ。
昼過ぎまでに僕たちはそれなりの人数の客をさばき切り、その時点で店の黒字は確定していた。
一人のエルフの兵士が何やら慌てた様子で父の下にやってきたのは、丁度そんな頃だった。
「すまんバーム、急ぎ砦の修理で俺の手を借りたいそうだ。ピークは過ぎたし客は来てもあと一人か二人だと思う。店を任せても大丈夫か?」
砦の内部構造の修理の一部を父が手掛けているという話は以前から聞いていた。
父が苦労して勝ち取ったエルフ達からの信頼を、僕のせいで失わせるわけにはいかない。
問いかける父に、僕は心配させまいと大きく頷く。
「何かあったらすぐに魔術で知らせろ。30秒で駆けつける」
そうエルフの兵士と共に砦に向かう父に、僕は大きく手を振って見せた。
それから小1時間、僕一人が店番する間、訪れた客は一人。
それも捌いてしまうと、やることが無くなってしまう。
僕の肌がビリビリとした魔力の反応を感じ取ったのはちょうどそんな時だった。
「通信の魔術? 北西方向からか?」
一人周りに聞こえないように呟く僕。
村の外に住み常に外敵の脅威にさらされている僕達家族は、脅威の接近を感じ取る術を特に磨いてきた。
その術の一つが、通信の魔術の傍受と方向探知である。
「……念のため探ってみるか」
僕はそう、方位磁針にも似た外見を持つ母特製の魔力の方向探知装置を二つ取出し、店の机の両端に置く。
これ一つでは通信の発せられた方角しかわからないが、二つを離れた場所に置き、針の指し示す方角を線で結ぶ事で、大まかな距離を算出することができるのだ。
「方位10時20分、距離3000~3500。ほぼ真っ直ぐこっちに向かってきているみたいだ。ここまであと30分ちょっとってところかな?」
僕は一人呟きながら、今度は通信の内容に注意を傾ける。
――ヒ…サマ…オエ、オ……ク、ム………サキハ、……フィア、……ゲ。
「傍受対策に出力を抑えて細かく中継しているのかな? おまけに周りの雑音も大きくて聞き取りにくいな」
そんな風に小声で悪態をつきながら、聞き取れた通信内容をメモしていると、
「それ、何してるの?」
どこからかそんな女の子の声が聞こえてくる。
「いや、誰かがつうし……うわっ!」
そこまで言いかけて、僕は目の前にそれまでいなかった一人の少女が立っていることに気づき、驚いて変な声を出してしまう。
そんな僕の反応を見、少女は両手を腰に当て、
「何よ、お客を相手にその反応はご挨拶じゃない?」
そう少しむっとした表情を浮かべて言う。
「いやあの、ごめんなさい、少し考え事をしていて……」
そんな風に言い訳しながら、僕は現れた少女の姿を改めてまじまじと見る。
そして一瞬後、思わず息を飲む。
深緑色のローブに身を包み、晴れているというのにフードを目深に被り、鼻から下を表情がかすかに透けて見える薄く白いレースの布で覆った彼女。
だがそうして隠していても分かるほどに、彼女の顔立ちは整っている。
加えて特徴的な長く尖った耳、フードの向こうに覗く長く美しい金の髪は、彼女がエルフである事を示している。
一方で見た目には美しいがあまり健康的に見えない白い肌を持つことが多い他のエルフ達と比べ、彼女はやや薄い黄色を帯びた、生気のある肌をしている。
体つきもエルフ族の特徴を示すように凹凸の少ないものだが、容易に折れてしまいそうなほどに華奢でか細い他のエルフの女性達と比べれば、十分な肉体の強度と運動力を保証できる程度の体格は持ち合わせているように見える。
外見年齢は僕と同じ11歳前後。
僕がこれまでの人生に出会った中で、ダントツで一番と断言できる美少女が、そこにはいた。
そうして僕が彼女の姿に見とれていると、彼女は僕の方に身を乗り出し、耳元で小声で、
「聞いたわよ、あなた実はハーフオークなんですって?」
そう尋ねてくる。
その言葉に思わず僕がたじろぐと、彼女は含みの無い純粋な笑顔を浮かべ、
「体格も普通の人間にしては少し大きいし、目元に見える肌も少し緑がかってるし、今日は日差しも強くて少し暑いくらいなのに、顔も肌もやたらと隠していて不思議だなって思ってね。門番に聞いたら大当たりってわけ。大丈夫、周りにバラしたりなんてしないわ」
そう嬉しそうに言う。
顔も肌も隠しているという点に関しては彼女に言われる筋合いはないが、周りに知られないよう配慮してくれている彼女に感謝し、僕は安心してほっと息をつく。
だが直後、彼女はそんな事よりもと興味と話題を移し、
「それより、机の両端のその道具と今のメモ、あなた今、何かしてたでしょ? 教えてよ」
そう僕の方向探知装置とメモを見て尋ねてくる。
だがフェルニア国内の通信を傍受したり位置を探知していたことが知られるのはまずい。
「えっと、これは僕の私物で売り物じゃないし、ほんの暇つぶしの遊びのようなものなんだ。だから気にするほどの事は無いよ」
僕はそうごまかしつつ、慌ててメモと探知装置を片付けにかかる。
「――ふぅん、そうくるんだ?」
彼女はそんな僕の動きを見て呟くと、その純粋な笑顔を一転して小悪魔的なものに変化させて、
「いいのかなぁ、さっきはバラさないなんて言ったけど、あなたがそんな態度じゃ、気が変わっちゃうかもしれないなぁ。もしバレたら大騒ぎになるんだろうなぁ。許可証も出てる事だし処分とかはないだろうけど、もうこの砦には入れないだろうなぁ。そうなったら私もせっかく面白そうな子を見つけたのに残念だなぁ」
そう言って僕の瞳を覗くと、ニヤリと笑みを浮かべた後、わざとらしく周りを見回し、息を大きく吸い込んで口を目一杯開こうとする。
「わ、分かったよ、隠してごめん。説明するから!」
僕が慌てて止めると、彼女は再び僕の方を見、ニッと笑って、
「それじゃあ説明、お願いね!」
そう心底楽しげに言う。
一方の僕はちっとも愉快どころではなく、げんなりしてため息を一つつくが、今は他に選択肢がないので、一旦は片づけた方向探知装置を取出し、口を開く。
「これは魔力の方向探知装置、魔力の発せられている方角を指し示す。どういう種類の魔力波を探知するかとか、魔力の発生源が複数ある場合、どの目標を探知するかとかは、こっちで念じれば指定できる。さっきは通信の魔術の発生源を探知していたんだ」
そう説明すると、彼女は興味深げに頷き、
「なるほどねぇ、――じゃあ同じ道具をどうして二つ、それも机の両端においてたの?」
わずかに思考した後、そう尋ねてくる。
目ざといな、これは隠し事なんてできそうにない。
僕はそう感心しながら、
「こうして二つを離れた場所に置いて、針の指し示す方角を線で結ぶ、そうすることで大まかな距離を算出することができるんだ」
そう正直に答える。
すると彼女は先ほどより深く頷き、
「やっぱりね、さっき距離が云々とか呟いていたでしょ? 方角を探知していたのは何となく分かっていたけど、距離をどうやって算出したのかは分からなくてね。同じ道具を二つ机の両端に置いているのと何か関係があるのかと思ったのだけど、やっぱり当たりだったってわけね。
という事はさっきメモしていたのは通信の内容の方ね、それも何か道具を使っていたんでしょ?」
そうまた含みのある笑みを浮かべて尋ねてくる。
僕は観念し、黙って右耳から装置を取り外して彼女に見せる。
すると彼女はまた楽しげに、
「魔力反応がほとんどなかったから魔法道具なんだと思っていたけど、やっぱりね。あいつらだって傍受対策に出力を抑えて細かく中継していたでしょうに、なかなかよくできた装置みたいね」
予想が当たったことを喜びつつも感心してみせる。
「まあ通信の魔力波は拾いやすいから、完璧に対策するのは難しいよ。暗号化したら即座に伝達するのが難しくなっちゃうしね。まあでも、一部しか聞き取れなかったけど……」
僕が言うと、彼女は小さく頷きながらもまた関心を他へと移し、
「他にも面白い道具は無いの? 例えば、その変な模様のマントとか!」
そう僕の身に着けたマントを指さし、笑顔で尋ねてくる。
やっぱり気が付いていたか。
僕はやれやれとまた小さく息を吐きながら、しかしこの頃には彼女がこれだけの興味と感心を向けてくれる事を逆に嬉しくも感じ、
「これには単に攻撃魔術を防ぐだけじゃなくて、探知の魔力波を吸収したり、一部あらぬ方向に反射する加工とまじないが施してあるんだ。それにこの模様は迷彩と言って、周囲の景色に溶け込んで視認されにくくするカモフラージュの効果があるんだ。ちなみに緑色基調のこれは森とか山向けだけど、場所によって向いた色とか柄があるから、使い分けてるんだ」
そうついつい少し踏み込んだ説明をしてしまう。
すると彼女は、
「なるほどねぇ……でもそれならいちいち色んな柄のマントを用意するより、魔術で柄だけ変えた方が楽じゃない?」
そう少し考えた上で尋ねてくる。
「それはそうなんだけど、魔術を使えばどうしても魔力反応が出ちゃうから、逆探知されるリスクは避けられないしね。魔術には極力頼るなっていうのが母さんの教えなんだ。それでまあ逆に道具に頼ることになってるわけだけど……」
僕が少し自嘲も交えて答えると、彼女はまた考え深げに頷いて、
「なるほどね、エルフの国では逆に『魔法道具に頼るな』『使っても使われるな』なんてよく言われるけど、考え方次第ってわけね。お父様の言う通り、他種族の知識や技術、考え方に触れるって、とても大切なことなんだ……。ちなみにこの道具はあなたが作ったの?」
そう一人納得した上で、また尋ねてくる。
「方向探知装置と通信装置は母だけど、このマントは僕が自分で考えて作ったんだ。我ながら結構な自信作だよ」
彼女の問いに、少し胸を張って答える僕。
すると彼女は、ふぅん、とまた少し感心した後、僕の方を見、
「――ねぇあなた、名前はなんていうの?」
唐突に尋ねてくる。
「バーム、です」
答えると、彼女は微笑を浮かべて小さく頷き、
「バームね、私の事はシェミナと呼んで。バーム、その魔法道具、いくらでなら売ってくれる?」
そう予想外の事を問いかけてくる。
「え、この魔法道具を? 方向探知装置と通信装置とマントを?」
確認のためもう一度尋ねるが、
「そうよ」
彼女は間違いなく頷いて言う。
「エルフにこういうのを売るのは挑発行為だって聞いたんだけどなぁ」
僕が言うと、
「そりゃ他のエルフ相手ならそうとられかねないから、やめておいた方がいいわ。でも私は日頃お父様から常々教えられてるからね、『他種族を侮ってはいけない。いつまでもエルフの方が上と侮っていては必ず足元をすくわれる事になる。井の中の蛙とならず、広く世界を見て、色々な知識や技術、考え方に触れなければならない』ってね。だから私はこうしてあなたからその面白い魔法道具を買って、見分を広げようってわけ。それで、いくらでなら売ってくれるの?」
そう重ねて尋ねる。
「えっと、そうだなぁ、母さんはそれぞれ金貨5枚で売っていたかな。マントは売ったことないけど、今回は金貨1枚でいいよ。でも失礼だけど……払える?」
職人の月収が大体金貨18枚、騎士で72枚であることを考えれば、かなりの大金である。
僕が金額を考えてそう尋ねると、彼女は唇のあたりに手を当て首を少し傾け、考える仕草をし、
「――そうねぇ……ならこれと交換なんてどう?」
そう言って被ったフードの中に手を入れると、精巧な花と蝶の彫刻がなされた美しい銀の髪飾りを差し出してくる。
パッと見て、ただの髪飾りではないような気がした。
だから次の一瞬、僕はつばを飲み込んだのち、それを両手で恐る々る受け取ると、ゆっくり丁寧に目利きし、そこにはめ込まれた小さな白い魔法石がなんなのか理解して目を見開き、
「ちょ、これって――」
そう驚きの声をあげようとして、だがその直前、彼女が僕の唇の前に立てた美しい人差し指に、言葉を止める。
「いいの、こんな装飾品なんかより、よっぽどあなたの道具の方が役に立つでしょうから。それより、周りの連中に見られる前に隠しちゃって。これの価値がわかる奴なんてそうはいないでしょうけど、もし知られたら面倒なことになるだろうから。お釣りもいらないわ。その代り二つ、私のいう事を聞いて。あなたの所、毎週ここに店を出してるって聞いたわ。だからバーム、あなた来週以降もここにきて。そして魔法道具とか武器とか、何でもいいから、エルフの世界にはない面白いもの、私に見せて」
彼女は囁くようにそう言って、美しい両の手を髪飾りを手にした僕の手へと伸ばして包み込み、僕の懐の方へと押しやる。
その予想外の言葉、やわらかく暖かい手の感触に、僕の心は奥底から湧き上がってきた熱い何かで満たされ、溢れ出す。
人生で初めて味わうその感覚に、僕の頭は真っ白になって思わず言葉を失い、気づけばその髪飾りを、懐へと収めてしまう。
彼女はそんな僕を見、悪戯っぽく微笑を浮かべ、
「どうしたの固まっちゃって。接客はどうしたの?」
そう問いかけてくる。
そんな彼女の言葉に、ようやく我に返った僕は、
「は、はい。お買い上げありがとうございます。えっと、えっと……」
しかし混乱して次に何をすればよいか分からなくなってしまい、右往左往してしまう。
するとそんな僕を見、彼女はクスリと笑って、
「梱包とか包装なんていらないわ、使い方だけ教えて」
そう言って早くも通信装置を耳に取り付け始める。
僕はそんな彼女に流されるまま、方向探知装置2つとマントを彼女に手渡し、使い方を説明する。
彼女はそれに従い、実際に使用してみて、
「うん、あいつらの通信内容も位置もばっちり丸わかり、これはいいわ!」
そう心底愉快そうに言い、その場で軽やかに一回転して見せ、
「ありがとうバーム。それじゃまた来週、この場所で。絶対よ。もし約束を破ったら、魔物の領土まで追いかけていくからね!」
最後にニッと笑うと、跳ねるように軽やかな足取りで駆け去っていく。
その笑顔は夏の日差しを背に受け咲き誇るヒマワリのように、強く、明るく、眩しいものだった。
こんな夢みたいなこと、現実に起こりうるだろうか?
そう考えて懐に手を入れれば、その指に伝わるあの銀の髪飾りの冷たく重い感触が、これが確かに現実であることを僕に伝えるのだった。
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