第89話 現実という名の怪物

 金属同士がぶつかり弾ける音と、刃物が何かに突き刺さる音が響き渡るのは、ほぼ同時の事だった。

 その直後、誰かが激しく格闘し争う音と声が聞こえてくる。

 そして数秒の内、誰かが床に倒れる音と衝撃が伝わってきたかと思うと、 


「離せ、離せ!」


 直後、室内に反響するハンナの必死な声と、


「無駄な抵抗はよせ、おとなしくしろ」


 ハンナと比べやや余裕と冷静さを感じさせる護衛の言葉。

 その頃になって僕は腕で頭をかばった体勢のまま、恐る々る目蓋を開く。

 その視界に先ず映し出されたのは、鼻先わずか30センチほどの所に斜め上方から突き出された、槍の穂先だった。

 その一瞬、思わず息を呑む僕。

 だが数秒の内、僕はその槍の穂先が見知ったものであることに気付く。

 そう、僕が鍛え、彼女に送ったあの槍だ。

 

「大丈夫バーム?」


 隣から聞こえてくるエイミーの声。

 床に突き刺さったハンナさんの刃物。

 槍の穂先の向こうで二人の護衛に押し倒され、激しく抵抗しながらも取り押さえられるハンナさん。

 それらの状況から、僕はようやくほっと息をつくと、頭をかばった腕を下して、隣の彼女に視線を向ける。


「ありがとうエイミー。刃物を弾いて助けてくれたんだよね? 助かったよ」


 未だに激しく脈打つ心の蔵の鼓動を聞きながら、その言葉を吐き出す僕。

 だがエイミーは険しい表情を浮かべたまま、床に突き刺さったハンナの刃物を引き抜き、まじまじと見つめる。

 そして刃物の刃を白い布で拭うと、そこには紫色の液体が付着した。

 エイミーはそれを見、浮かべた険しい表情を変えないまま僕の前にしゃがむと、刃のように鋭い瞳を僕に向けて、


「バーム、これが何かわかる? 毒よ。専用の対策をしていなければ、かすり傷でも人を死に至らしめる事ができるほどの猛毒。もし私が間に合っていなかったら、あなたは死んでいたのよ」


 そう、斬り裂くように鋭く、だがわずかに震える声で言い放つ。

 そこに秘められた怒り、それ以上の不安、心配。

 

「ご、ごめん。僕ももう少し、気を付けるべきだった」


 とっさにそう答えると、


「少しじゃダメ!」


 間髪入れず放たれる彼女の声。

 そのあまりの必死さに、僕は目を見開く。

 彼女は僕の両肩に手を置き、ぐっと握りしめて、


「あなたの命はあなただけのものじゃない。そう簡単に死ぬわけないなんて思っているのかもしれないけど、命なんて儚いものよ。ほんのわずかな油断、刹那にも満たない一瞬のうちに、かけがえのないものが失われる。私も人の事は言えない部分もある。でもあなたも、もっともっと、自分の命を大切にしなきゃダメよ」


 そう一気にまくし立てる。

 その瞳に浮かぶ小さな滴に、僕はぐっとつばを飲み込む。

 彼女の言う通り、僕は完全に油断していた。

 ブルゴスの一件もあったというのに、僕はまるで成長していない。

 そうしてまた彼女に命を助けられた。

 

「ごめんエイミー。本当に僕が悪かった。戦場の真っただ中にいる自覚が足りていなかった。次からは絶対に油断しない。それにもっと腕を磨く。そして君に頼らなくてもいいようになって見せるから」


 そう、心の奥底から思い、それをそのまま言葉にする。

 エイミーはそれを聞いてようやく微笑みを浮かべると、僕の体を抱きしめて、


「約束よ」 


 そう言ってくれる。

 僕はそれを聞いて、彼女の体をゆっくり抱きしめ返す。

 その約束を、胸に刻みつけながら。




「皆、怪我は無い?」


 その言葉と共に、ゲウツニーを従えて姿を現すティアさん。

 だが情報を伝達してからにしては早すぎるその登場、そして落ち着き払ったその声に、僕は違和感を覚える。

 思えばエイミーが助けに来たタイミングも、あまりに完璧すぎるように思われた。


「はっ、護衛一名が胸を斬りつけられましたが、防具のため刃は肌まで達しておらず、ケガ人はおりません」


 その報告に、ティアさんは小さく頷くと、


「危険な任務、ご苦労でした。追って褒美をとらせます」


 そう静かに告げる。

 ハンナはそんな彼女を苦々しげな表情を浮かべ見上げると、


「くそっ、初めからお見通しだったってわけ?」 


 そう吐き捨てるように言い放つ。

 その言葉に、ティアさんは涼しげな表情を浮かべたまま、


「初めから、というのがどの時点を指しているのかはわからないけれど、まあバームからあなたの話を聞いた時点で、怪しいとは思っていたわ。そもそも、技術者の緊急募集をかけた時点で、あなたのようなスパイが潜り込んでくるのは目に見えていたしね。ただ、あなたの提出した新兵器の案が良くできていたこととか、ついでに他のスパイもあぶり出したかった事とか、他にも色々気になる事があって泳がせておいたの。

 この数日中に事が動くことは、他のスパイたちの動きからも良く分っていたわ。だからここにはエイミーにあらかじめ裏口に待機してもらっていたし、他も十分備えた上で待ち伏せることができた。あなたの他のお仲間も捕えたという報告が、今も続々と上がってきているわ」


 そうこともなげに言って見せる。

 その言葉に、ハンナは忌々しげに舌を打ち、


「ということは、私がスパイになった経緯も、もうあたりが付いているんでしょ? 涼しい顔して、何が救国の英雄よ。やっぱりあなたには、闇の帝王の呼び名がふさわしいわ!」


 そう吐き捨てるように言い放つ。

 その言葉に唇を噛み、険しい表情を浮かべるゲウツニー。

 だがティアさんの方は表情を崩さないまま、


「元々光神国との国境付近に住んでいたあなたは、帝国軍の避難命令にも直ぐには従わず村に止まっていた――」


 そう語り始める。

 だが、 


「足腰の弱い祖母に病弱な母、おいていけるわけがないでしょ!」


 その言葉を遮るように、ハンナは叫ぶ。

 だがその言葉にも、ティアさんは眉一つ動かさず、


「帝国軍が決戦に敗れた翌日、ようやく避難を開始するも、光神国軍の追撃部隊に追いつかれ、以降消息不明。これが帝国軍に残されたあなた達の最後の記録。でもそのあとの経過もおおよそ察しはつく。逃げ切れなかった避難民の大部分は殺されるけど、一部例外がある。それが光神国軍のスパイとなる道を選んだ者」


 そう淡々と告げる。 

 その言葉に、ハンナは唇を噛み視線を逸らす。

 ティアさんは続ける。


「スパイになることを承諾した者は、家族や大切な者を人質に取られたうえ、光神国軍から辛くも逃げ切ったかのように見せかけ、帝国領に送り出される。そして光神国軍に有益な情報を持ち帰ったり、帝国側の要人の暗殺に成功する等、何か大きな成果を上げた者は、人質ともども、光神国で多少の不自由はあれど裕福な生活を送ることができる。だが逃げたり、何の成果もあげることができず一定期間が経過する、わざと帝国側に捕えられる、光神国の指示を無視、あるいは逆らう等した場合、当然人質の命は奪われる。

 あなたは家族を人質に取られ、スパイとなる道を選んだ。違う?」 

 

 そう問いかけるティアさん。

 その声は責めるものでも、慰めるものでもない、感情を意図的に隠した、単なる事実確認のそれ。

 その言葉に、ハンナ数秒の思考の後、


「その通りよ。私は家族のために、帝国の仲間を売る道を選んだの。でも元はと言えば、帝国軍が私たちを守ってくれれば、あるいは祖母や母も避難できるような手段を用意してくれれば、こんな事にはならなかった」


 そう答える。

 だがその言葉に、


「それは不可能だ。あの時の情勢で、避難民の一人一人にそんな手厚い支援を行うことなど。光神国軍の進撃を遅らせるので手一杯だ」


 そう険しい表情を浮かべ、強い口調で答えるゲウツニー。

 だがその言葉に、ハンナはその口調をあざけるように変化させ、


「それは帝国軍の事情でしょ? 勿論私たちも、私たちの事情で避難が遅れ、敵につかまって、スパイになる道を選んだ。だから、これはお互い様ってものよ。帝国軍はこうして、自らの失態のしりぬぐいをした。ただそれだけの話よ。さあ、もういいでしょ。早く私を殺しなさい。それとも、ただ殺すだけじゃ足りない? ならいいわ、拷問するでも晒し者にするでも好きにしなさい。覚悟はできているわ」


 そう強く叫ぶ。

 そんな彼女を、怒りと憐れみが入り混じった表情で見下ろす周りの者達。

 だがその時、


「あなた、捕まると分っていてここに来たでしょ?」


 かけられたその言葉が、場の空気を一瞬にして変えてしまう。

 エイミーだった。


「――そんなわけないでしょ」


 わずかに視線を逸らし答えるハンナ。


「いいえ、確かに毒は本物だったし、暴れ方も本気のようだった。でも最初に刃を突いた時と、最後に刃を投げる時、あなたはほんの少し躊躇したわ。護衛の胸を切った時も、なぜか驚いて、怯えていたようだった。まるで人を殺すことを恐れるかのように。あなたは、本気で殺そうとしたかのように見せかけたかった。けれど、本気で殺す気は無かった。違う?」


 そう真っ直ぐ問いかけるエイミー。

 その言葉に、ハンナは黙したまま、さらに視線を逸らす。

 だがそんなエイミーに、


「エイルミナ殿、今そんな話をしても――」


 なぜだか鋭い視線を向け声をかけるゲウツニー。

 だがその言葉を遮るように、


「ええ、きっとそうでしょう」


 言葉を発したのはティアさんだった。


「ハンナ、あなたは帝国軍の事を快くは思っていないのかもしれない。けれど一方で、仲間を殺し、家族を人質にとり、スパイとなることを強要した光神国軍の事はもっと憎んでいるのでしょう。かといって、人質となった家族を見捨てるわけにもいかない。

 光神国軍のスパイとなった者のとる道は大きく三つ。一つはスパイとして働き、かつての仲間を売って成果をだし、光神国で裕福な暮らしを送る道。一つは人質を見捨て、自分一人で再び帝国で生きる道。そして最後、それがスパイとして成果を出すよう努力したように見せかけたうえ、わざと帝国側に捕えられる道」


 ティアさんの言葉に、やはり黙したままながら目を細めるハンナ。

 ティアさんは続ける。


「先ほど私は言った、わざと帝国側に捕えられるような事をした者は、人質の命を奪われると。でも逆に言えば、わざとではなく、スパイとして成果を出そうと必死に働き、努力した末、結果的に帝国側に捕らえられたような場合、少なくとも人質の命は奪われることはない。そうでなければ、ほとんどのスパイが人質を見捨て、再び帝国で生きる道を選んでしまうから。

 人質の命を見捨てる事ができず、かと言って仲間を売ることも出来ない者の多くが、この道を選ぶ。あなたが新兵器の開発に全力を尽くしたのも、単に信頼を得るためとか、内部に深く入りこむためではない。それを口実に優れた兵器を帝国軍に提供することで、光神国に一矢報いるため。それは下手をすれば帝国に協力したとみなされ、人質の命を奪われるかもしれないという大きな危険をはらんだ行為。それでもあなたはそんな危険な道を選んだ。もしかしたらそこには、自分を正当に評価してくれたバームに、少しでも報いたいという思いがあったのかもしれないわね」


 そう、それまでの淡々とした態度を維持しているようで、しかし隠しきれない感情がにじみ出るような表情と声音で告げるティアさん。

 だがそれでも彼女は、一拍の後、告げるのだ。


「それでも私は総帥として、あなたを処断しなければならないわ」


 放たれたその言葉に、ハンナを除くその場の全員が息を呑んだ。

 ただハンナだけが微動だにせず、黙ってその言葉に耳を傾けていた。

 ティアさんはほんの僅かに震える声で続け、


「そこにどんな経緯があるのだとしても、帝国に仇為す者は処断しなければならない。そうでなければ、敵国に与する者はますます増えてしまう。これは帝国を守るために、絶対に必要な事よ」


 そう淀みなく言い切る。

 その冷たく、容赦のない言葉に、誰もがつばを飲む。

 だがハンナを含め、反論する者は誰もいない。

 スパイに対し甘い対応をとれば、スパイはますます増える。

 情報の漏えいに要人の暗殺、野放しにすれば国はやすやすと亡びる。

 ハンナがスパイになった経緯はどうであれ、厳しい態度で臨む必要がある。

 その理屈は分るのだが、


「連れて行きなさい」


 ティアさんの発した言葉に、


「待ってください!」

      

 僕は思わず、その言葉を発していた。

 その一瞬、この場の全員の視線が、僕に集まる。 

 

「――どうしたのバーム? 何か言いたい事でもあるの?」


 問いかけるティアさん。

 そのまとう雰囲気は普段のそれと全く異なり、凍てつく氷のように冷たく、刃物のように鋭い。

 その雰囲気にあてられて、僕は思わず息を飲み、言い淀んでしまう。

 そんな僕の様子を見、ティアさんは目を細めると、


「――しゃべれないなら後にして。こんな事に時間をかけている余裕はないの」


 そう容赦なく斬り捨て、黒いマントを翻し踵を返す。

 だがその背中に向かって僕は、


「彼女を殺すのは間違いです!」


 全く思考を挟まず、とっさに叫んでいた。

 

 周りの者達が驚愕に目を丸く見開き、僕を見つめる。

 そのほんの一拍の後、ティアさんは再度踵を返すと、僕の瞳を鋭く、真っ直ぐ見つめる。

 そこに佇む彼女はまさしく、人を寄せ付けない氷壁と吹雪をまとった高山のよう。

 だがそれでも、僕は彼女に挑まなければならない。

 心がそう、叫んでいるから。

 次の一瞬、頬を冷や汗が流れ落ちるのを感じながら、僕は息を吸い込み、口を開く。

 優しい彼女に冷酷な闇の帝王であること強いる、現実という名の恐ろしい怪物に立ち向かうために。 

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