第88話 泣き顔
「私の開発した新装備を全面採用? それに新兵器に装着する追加部品の設計を私に?」
驚愕に目を丸くして呟くハンナに、僕は頷いて、
「どちらも可能な限り早くものにしなくちゃいけない。そしてそれが可能なのはハンナさんだけだ。必要な資材も人員もこちらで可能な限り準備する。失敗した場合の事なんて考えなくていい。だから、やってくれませんか?」
そう尋ねる。
その言葉に、ハンナは驚愕を戸惑いへと変化させ、
「で、でも、私まだここに入って2週間もたっていません。それにまだ17歳で、しかも女、です。こんな年端もいかない小娘のいう事、皆聞かないでしょう。とてもそんな大役、務まらないと思います」
そう声のトーンを落とし、引き下がろうとする。
そんな自信なさ気な姿も、エイミーと出会う前のあの頃の僕に重なって見える。
僕は彼女のエイミーにはきっとなれないだろう。
だがそれでも、
「そこは大丈夫、僕が全力でサポートする。文句なんて言わせないし、なんでも一人でしようとする必要なんてない。僕だってハーフオークだし、帝国軍に入ってまだ1か月たってない。勿論最初から信用されていたわけじゃない。きっと僕一人では何もできなかった。でもみんなが協力してくれたから、結果を出すことができた。
それにハンナさんには確かな実力がある。こと空に関する知識や技術は、僕なんて足元にも及ばない。その実力は、年齢や性別なんてつまらない理由で、
そう彼女を励まし、説得する。
その言葉に、彼女はようやくその不安げな表情を少し和らげ、だが、
「でも、あの新装備を短期間でものにするなんて…… 既存の機体を改造するにしても、専用の部品も無く手前でつくるだけでは、手も追いつかないし、不具合が続出することは目に見えています。それに、新兵器に装着する追加部品の方も、何度も試験を繰り返し、不具合を洗いださない事には、成功は確約できません。でも、そうなると時間も手間も……」
そう懸念を口にする。
僕はその言葉に頷きを返しつつも、
「その点は分ってる。だから改修キットの生産とマニュアルの整備、現場指導員の養成を海軍にお願いする手はずになってる。その他の事も、自分だけで解決しようなんて思わなくていいから」
そう答える。
その言葉に、ハンナは視線を一度地面に落とし、だが数秒の思考の後頷くと、
「分りました。やってみます!」
視線を上げ、決意の表情と共にそう答える。
僕よりなお若い、しかも女性の彼女に、いきなりこれだけ重大な使命を背負わせなければならない。
その事実に、僕は責任を感じつつ、しかしそれ以上に思う。
彼女ならきっとやり遂げられる、そして近い将来、彼女はこの帝国軍を引っ張っていく存在となる。
もしそうなれば、帝国に蔓延する男尊女卑の考え方も、きっと変わるはずだ。
そんな風に考えていると、
「バーム殿、ゲウツニー中将が鉄砲の尾栓の件で話があるとのこと。至急鍛冶場までお越しください」
そう伝令の兵が声をかけてくる。
「ごめんハンナ、本当は僕も手伝いたいのだけど……」
そう告げると、ハンナはそれだけで察して、
「私の事は大丈夫です。それよりバーム様は今やこの帝国軍に無くてはならない存在、どうぞご自分の事に集中なさってください」
そう笑顔で言ってくれる。
「ごめん、こっちの件がひと段落したら僕も手伝うから」
そう言って、僕は顔の前で両手を合わせると、伝令に従って鍛冶場に向かうのだった。
「昼間に来るなんて珍しいじゃない。それで、急に何の用?」
鍛冶場に向かうバームの背中を見送りながら、ハンナは呟く。
そんな彼女の隣をすれ違う、一人の兵士。
瞬間、重ねられる手のひら、握らされるひとひらの紙片。
「家族のことは心配するな。だが逆らえば……」
そう言い残して去っていく兵の背中も見送らず、ハンナは周囲を見回し、人目がない事を確認して、紙片に視線を向ける。
そして文面を確認して思わず目を見開き、今度こそ、先ほどすれ違った兵士に慌てて視線を向ける。
だがそこにはすでに、先ほどの兵士の姿は無かった。
「――ほんと、悪趣味にもほどがあるわ」
そう呟いて頬に一筋の汗の粒を伝わせ、唇をかみしめるハンナ。
そして数秒の内、受け取った紙片を口に入れ呑み込むと、拳を握りしめ、空を仰ぐ。
その表情は険しく、しかしそこに迷いはわずかもなかった。
「そろそろ寝るか」
僕が呟いたのは、夜もすっかりふけた頃だった。
魚雷に機雷、探知装置の改修に鉄砲の尾栓。
やらなければならないことは山積しているが、無理は禁物。
むしろ能力を十分に発揮するためには、休息は必要不可欠だ。
そう灯りを消し床につこうとした僕の部屋の扉を、誰かが叩く。
「バーム殿、ハンナ殿が見せたいものがあると言っておられますが、いかがしましょう?」
護衛と監視を兼ねてつけられている兵士の言葉に、
「分りました、入れてあげてください」
僕は即座に言葉を返す。
きっと新装備の事だろう。
そんな風に考えていると扉が開き、ハンナが中に入ってくる。
「ごめんなさいこんな夜更けに。でも、新装備の図面と改修キットの製作案が完成したから、今夜のうちに見てほしくって」
そう言って図面を広げる彼女。
僕も自信作が完成した時には、こんな風に親父さんに見てもらったものだ。
そう自分の経験と重ね合わせながら、僕は図面に目を通す。
だが一日働き通し、図面と向き合い続けたせいか、目がかすんで、視界がぼやけてしまう。
僕は目をこすりながら、眠気覚ましの飲み物を煽ろうとするが、コップの中身はすでに空となっていた。
「あの、眠気覚ましの飲み物、作って来たんです。もしよかったら」
そう言って、水筒を差し出してくるハンナ。
その厚意に、
「ありがとう。なら、頂こうかな」
僕は応え、先ほどの空のコップを差し出す。
そこに飲み物を注ぎ込む彼女。
「お待ちください」
そこにかけられる言葉。
護衛の兵士だった。
「申し訳ありませんが、バーム殿のお召しになるものは必ず毒見するよう、総帥から仰せつかっております」
それは事実で、僕の口にするものは必ず護衛が毒見を行っていた。
一々警戒しすぎだと思わなくもないが、これも彼らの仕事だ。
「分りました、お願いします」
僕はそう言って、護衛にコップを手渡す。
護衛は手に取ったそれを口元に運び、コップを傾ける。
その一瞬、ハンナの手が図面の裏に伸びるのを、僕の目は見逃さなかった。
だが、気づく事ができたからといって、対処ができるとは限らない。
直後、図面の裏に隠していたらしい刃物を握った彼女の手が、真っ直ぐ僕へと伸びる。
コマ送りのようにゆっくりとなる世界の中、僕の喉元へと迫る刃の切っ先。
わずかも身動きする事ができなかった。
次の一瞬、
「危ない!」
叫びと共にコップを手放し、手を伸ばす護衛。
その手はハンナの腕を上から叩き、刃の切っ先は僕からわずかに逸れ、虚空を貫く。
「邪魔をするなぁ!」
叫びと共に逸れた刃を翻し、護衛に向け刃を一閃するハンナ。
護衛はそれを見、とっさに後ずさるが、わずかに挙動が遅れ、その胸を刃が真一文字に斬り裂く。
その時になってようやく我に返った僕は慌てて後ずさろうとし、だが足が椅子に当たってバランスを崩し、床に尻餅をついてしまう。
その時になって刃を翻し、室内に駆け込んでくるもう一人の護衛。
胸を斬られた護衛も、ひるまず果敢にハンナに立ち向かう。
ハンナはそれを見、立ち向かっても勝ち目はないとみたのか、身を翻すと刃を握った腕を振り上げる。
そのまま振り下ろしても僕には届かないが、投げれば届くし、この距離で外すことはないだろう。
僕はそう理解すると、とっさに両腕で頭をかばい、思わず目蓋を閉じる。
その直前、刃を握った腕を振り上げた彼女の、その今にも泣きだしそうな表情が、目蓋を閉じてからも、僕の脳裏を離れなかった。
そして次の一瞬、何かが高速で空を切り裂く音が、僕の耳に響き渡った。
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