第82話 思い出は突然に――

 昼食を終えた僕たちは、材料の調達に戻ることにする。


「次はあの店に行ってみようか」


 僕の言葉に、笑顔で頷くエイミー。

 その店は、これまでに回ってきた中で一番品揃えが良く、商品の値段設定も適正だった。

 各商品を目利きして回るが、どれもこれも、自分でもこのくらいの値段を付けるだろう、という額の値札が付いている。

 そして値段が高いものに関しては、値段相当の優れた商品が揃っている。 

 

「バーム、これ、ずいぶん高い値段がついているけど、そんなに良いものなの? 説明には極東産、特級魔法石って書いてあるけど」


 エイミーがそう言って、僕にその商品を見せる。

 僕はそれをじっくり目利きして、最終的に自然と大きく頷いてしまう。

 エイミーが疑問に思うのも無理はない。

 この魔法石はこの辺ではほとんど出回らない、希少かつ目利きの難しいことで知られる魔法石。

 よほどの目利きの腕を持っていない限り、これに適正な値を付けることはできないだろう。

  

「この商品説明と値段で合っているよ。どうやらこの店の人は、相当な目利きの腕を持っているみたいだ」


 感心して呟くと、店員は目を見開き驚愕して、


「お客さん、分るんですか? 正直店主以外、その商品の値段設定が理解できなくて、皆首をひねっていたんです。あ、噂をすれば店主が出てきましたよ」 


 店員の言葉に、僕は店の奥から姿を現した店主と思しきゴブリンの男性に視線を向ける。

 一方の店主も僕の方に視線を向け、直後目を大きく見開き、数秒後、口を開く。


「バーム兄貴じゃないですか! 御無沙汰しております」


 店主の口から飛び出したその言葉に、僕は思わず眉をひそめる。

 なぜなら僕には店主の顔に、全く見覚えがなかったのだ。

 だが店主はそんな僕の反応に気が付かない様子で、


「いやあ、5、6年ぶりですか。兄貴もすっかりご立派になられて。あれから俺は心を入れ替えて、兄貴に少しでも追いつけるよう、柄にもなく真面目に商売と目利きの勉強をしまして、今じゃあこの通りたくさんの店員を雇って、あちこちの大陸を股にかけて行商をして回っております。それもこれもあの時、兄貴と姉御に救っていただいたおかげ……って、そういえば、今日は姉御と一緒じゃあないんですか? それにそちらの別嬪さんは? 昔の姉御に幾分か似ておられるようですが――」


 そう言って、最後にそう尋ねてくる。   

 だが僕には何の事だか全く身に覚えがない。


「えっと、あの、すいませんが、多分人違いだとおもうのですが?」


 僕は正直に告げる。

 すると店主はまた驚いた表情を浮かべるが、どうやら冗談と判断したらしく直ぐに笑顔を浮かべ、


「何言ってるんですか。いくら5、6年たっているからって、俺が兄貴を見間違うはずがないじゃないですか。それにその右肘の傷、忘れるわけがありやせん」


 そう僕の右ひじを指さす。

 その言葉に右ひじを見ると、そこには確かに筋状の大きな傷が残っていた。

 おかしい、これだけの傷が残っているというのに、僕はこの傷を負った経緯を全く覚えていない。

 それどころか今こうして実際に指摘されるまで、傷があることそのものに気が付いていなかった。

 すると同時、突如僕の頭を襲う激しい頭痛。

 思わず頭を手で抑えると、僕の様子の変化に気が付いたらしく、隣に寄り添ってくれるエイミー。

 店主も僕の異変に気付いたらしく、眉をひそめて首を傾げ、


「――まさか、本当に覚えていらっしゃらないのですか!? 俺ですよ、詐欺まがいの商売をしていて光神国の連中に目を付けられたところを、兄貴とシェミナの姉御に救って頂いた、カスルですよ」   


 そう少し驚いた様子で、必死に訴える。

 その瞬間、僕の脳を襲う、先ほどまでをはるかに上回る激痛。

 脳を直接ハンマーで殴られるかのようなその痛みに、僕は耐えきれずに膝を折り、地面に横たわる。


「バーム、バーム!」


「兄貴、大丈夫ですか兄貴! 誰か、急いで医者を!」


 エイミーとカスルの声が響き渡る中、朦朧とし、薄れていく意識。

 やがて自然と目蓋が落ち、真っ暗となった視界に映し出されたのは、僕の知らないはずの若い頃のカスルの姿と、まだ十代半ばといった年の、痣も無く元気な姿の、あのシェミナの姿だった。





「バーム、ねぇ、バーム」


 かけられる言葉に、僕ははっとして声の主の方を見る。

 そこにあるのは、腰まで伸ばした美しい金色の髪、薄い黄色を帯びた生気に満ちた肌、光にあふれた瞳を持つ、エルフの少女の姿。


「もぅ、ボーっとしちゃって、肘の傷は大丈夫なの?」


 心配と呆れが半分づつといった様子で尋ねてくる彼女。

 その言葉に、僕は努めて笑顔を作り、


「大丈夫。それにありがとう。シェミナが助けてくれなかったら、こんな傷じゃすまなかった」


 そう答える。

 だがそんな僕の言葉に、シェミナはフンと鼻を鳴らし、


「そもそもあなたは武器職人でしょ。ちょっと弓と自作の魔法道具が使えるからって、いくらなんでも調子に乗り過ぎよ。それに相手はあの光神国の連中よ、こんな詐欺師一人のために目を付けられたんじゃ、まったくシャレにならないわ」


 そう厳しい口調で言う。

 その言葉に、僕は苦笑いを浮かべ、


「ごめん。巻き込むつもりはなかったんだ」


 そう答える。

 するとシェミナは一層厳しい表情を浮かべ、


「それよ、私が一番怒っているのは」


 そう詰め寄ってくる。

 その剣幕に、僕はたじろいで一歩下がるが、シェミナはさらに詰め寄って、


「私はあなたの母親に頼まれたの、バームを守ってあげて、って。それにあなた、言われたでしょう? 我慢できないことがあっても、無茶をしてはダメ。命を大事にしなさい。それでもどうしても我慢できないことがあった時は、決して一人で抱え込んじゃダメ。信頼できる周りの人に相談をして、時には頼りなさい。巻き込みたくないと思うかもしれないけど、それもまた勇気だ、って。なのにあなたはいつも一人で突っ走る。そうして新しい傷を作って、いつもそうやって苦笑いで済ませる」


 そう最初は怒った様子で言って、だが徐々にその表情を暗く沈んだものへと変化させると、やがて視線を地面へと落とし、ぽつりと、


「私の事――そんなに信頼できない?」


 そう、呟く。

 その言葉に、僕はとっさに、シェミナの手をとり両手で握る。

 突然の事に驚いて目を丸くし、頬を染めながらもたじろいで一歩下がる彼女。

 そんな彼女に、僕は口を開くと、


「ごめん、僕が間違ってた。光神国の事とか、エルフの国の事とか、君の出自とか、いろいろ考えて、君を巻き込んじゃいけないなんて思ってた。けど、やっぱり最初っから言うべきだった。僕一人の力じゃあ何もできはしない。でも、罪のない人が傷ついたり、誰かが力や権力に物を言わせて横暴を振るうのを、ただ黙って見ているなんて、僕にはできない。だからシェミナ!」


 そう、決意と共に一歩前に出て、彼女の瞳を真っ直ぐ見据え、


「これからこんな事があった時は、必ず正直に言う。そして真っ先に君を頼る。きっと面倒に巻き込んでしまうと思うけど、こんな僕に力を貸して!」 


 そう言って、頭を下げる。

 

 しばらくの沈黙があった。

 やがて頭上から、彼女のため息が聞こえてくる。


「弓矢、今日の戦いで痛んじゃったから、修理お願いできる? なるべく早急に。きっとあなたの事だから、また直ぐに新たな面倒事を持ち込んでくるのだろうから」    


 その言葉に、顔を上げる僕。

 そんな僕に彼女は、


「それでチャラ」 


 そう言って微笑と共に、ウインクをくれる。

 

「ありがとう」


 僕が言うと、彼女は続けて、


「バーム、指切りって知ってる?」


 不意にそう尋ねてくる。


「えっと……確か異世界から伝わった、約束を守ることを誓う儀式……だよね? 魔術的効果は一切ないはずだけど……」


 答えると、彼女は頷き、


「それしましょ。次にこんな事があったら必ず約束を守る、そしてこの誓いを決して忘れない、って」


 そう言って、小指を差し出してくる。

 その言葉に僕もまた小指を差し出しながらも、小首をかしげて言う。


「そういう実際に効果のない儀式の類、シェミナは嫌っていると思っていたけど」


 その言葉に、シェミナは頷きながら、


「ええ、でも、今日はこれがいいの。バームとなら、こっちの方が良い」


 瞳を閉じて静かに、そう答える。

 そうして指切りを唱える僕達。

 そして彼女はまた微笑を浮かべ、最後に言い添える。


「忘れないでね。約束よ」


 忘れるわけがない。

 そう思った僕の頬を、冷たい風が撫でた。






「バーム、バーム!」


 聞き覚えのある声に、僕は目蓋を開く。

 ぼやけた視界に映し出される、女性の姿。

 一瞬、あの十代のシェミナの姿が重なる。

 だが数秒の後、目の焦点が合った時、そこにあったのはエイミーの姿だった。


「バーム! よかった、気が付いた。私の事、分る?」


 笑顔を浮かべ確認の言葉を投げるエイミー。

 それに僕は頷きで応える。

 すると、今度はティアさんが顔をだし、


「バーム大丈夫? あなた、昼間に市場で倒れて夜までずっとうなされていたのよ。ここは城のいつもあなたが寝ていた宿舎よ。何が起こったか、覚えてる?」


 そう尋ねてくる。

 

「市場で、カスルさんという人の店で話を聞いていたら、突然ひどい頭痛に襲われて、そこで意識を失ったところまでは」


 よくよく記憶をたどった上で答えると、ティアさんは頷き、そして深刻な表情を浮かべ、


「そのカスルさんというゴブリンから事情を聞いたの。それで勝手ながら、あなたの脳を調べさせてもらったのだけれど、驚かないで聞いてね」


 そう言って一拍の間を置くと、おもむろに口を開く。

 だが僕には、次にその口からどんな言葉が出てくるのか、半分は分っていた。

 そしてようやく今になって思い出した、決して忘れてはならなかった思い出、そして一部を思い出した今となっても辿る事の出来ない記憶に、唇をかむ。


「バーム、あなたの脳には記憶封印の魔術が施されているみたいなの。それもきわめて強力な。あなたの記憶は、一部が意図的に思い出せないように、そしてその事に違和感を感じないように改変されている。そして今の所その封印を解く術は、私たちにはない」


 告げられた言葉に、歯をかみしめ、拳を握りしめる。

 思い出したその記憶が、誰かにねつ造されたようなものではなく、本当に自分の記憶であることを、僕は確信していた。

 そして記憶の中のシェミナの約束に応えられなかった自分を、僕はただ、ひたすらに呪う。

 だがそんな僕を悲しげに見つめるエイミーの姿に、この時の僕は気づく事ができていなかったのだった。

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