第83話 和弓の心得

「――その様子だと何か心当たりがあるみたいね。それとも、何か少しでも思い出したことがある? よかったら話してみてくれない」 

 

 ティアさんが僕の様子を察し、問いかけてくる。

 恩人のティアさんだ、正直に話すべきだ。

 僕はそう判断し、数度呼吸して心を落ち着け、記憶を整理してから、思い出したことを正直に話す。

 ティアさんは僕の話に、終始静かに、口を挟まず耳を傾ける。

 そして僕が話を終えると、しばらくの間思考したのち、


「なるほど、それは興味深い話ね。ただ専門家の話だと、あなたに施されている記憶封印は極めて強力で、術者が解除しない限り思いだすことはほぼ不可能という話だったわ。それに、単に思いだせなくするだけじゃなく、その事に違和感を感じないように改変されている、というくらいだから、あなたが思い出したという記憶も、ねつ造されたものである可能性も否定できない。とりあえず、直ぐに真実と決めてかかるのは危険だと思うわ。それに今後何か思い出したことがあったとして、その記憶に関しても、ね」


 そう冷静に告げる。

 ティアさんの判断は合理的だ。

 ただ今回に関しては、僕の思いだした記憶がねつ造されたものだとはとても思えない。

 だがそれも単なる僕の勘で、根拠は全くない。

 だから今はティアさんの言う通り、思いだした記憶が真実のものだと鵜呑みにしないよう、心に決める。

 そうして僕が頷きを返すと、ティアさんは続けて、 


「それと記憶封印が施された時期に関してだけど、恐らく今から2~5年程度前で、ごく最近のものである可能性は極めて低いという事だった。つまりバームを光神国側に寝返らせるための策として施されたものである可能性は低いということになる。そうでなければ、このような事態になることを2~5年前から予想していたということになってしまうから。

 不思議なのは単に記憶を焼くのではなく、封印と改変という極めて高度で手間のかかる手段を用いている事。単に思いだせなくするだけなら、記憶そのものを焼いてしまう方がはるかに簡単で確実。でも術者はそれをせず、あえて手間のかかる方法を選んだ。そこに何かヒントがある気がするわ。

 たださっきも少し言ったけど、あなたに施された記憶封印は極めて強力で、そう簡単に解除することはできない。無理に解除しようとすれば、今度こそ記憶が、あるいは脳そのものが焼かれてしまう可能性もある。だから今、帝国内で最もその道に精通した者に呼び出しをかけている。その人なら封印が解除できる、という保証はないけれど、とりあえずその人が到着するまで、封印には手を出さない方が良いわ」


 そう静かに告げる。

 その言葉に僕は頷きつつ、


「そう言えばカスルさんは? あの人なら事情を少し知っているかもしれない。それに親父さんも」


 そう思い当たる節を口に出してみる。

 するとティアさんは頷き、


「カスルさんに関してはもう事情はあらかた聞き終わったわ。それにしばらくは帝国軍で保護する事にしたから、話はいつでも聞くことができる。それとあなたの言う親父さんに関しても、何とか接触できないか計画を練っている所。ただ今は戦況が戦況だし、住んでいる所が光神国領内となれば、簡単にはいかない。だからそっちはもう少し待って」


 そう先回りして答えてくれる。

 

「色々手をまわして下さり、本当にありがとうございます。でも、今の戦況でそんなにしてもらって大丈夫でしょうか? 僕が言う事ではないとは思いますけど、僕個人の事より、帝国全体の事を優先していただいた方が良いのではないでしょうか? 僕もみんなに迷惑をかけたくありません」


 帝国全体の運命がかかっているこの決戦。

 加えて危機的戦況の中だ、僕個人のために人員を割いて、皆に迷惑をかけるわけにはいかない。 

 だがそんな僕の言葉に、ティアさんは笑顔を浮かべ、


「心配しないで。勿論、この決戦に影響が出る範囲で人員や労力を割くことはないから。ただ、これは私と緑の勘なの。この件をこのまま放っておいてはいけない。多少の労力を割いてでも、今の内に手を打っておいた方が良いって。そのくらい今の帝国軍にとって、あなたの存在は大きいの。それはあなたも頭に入れておいて」


 そう優しく告げる。

 ティアさんと緑さんの勘。

 そう言われてしまえば、僕もこれ以上反論する理由はない。

 

「分りました。ありがとうございます。ところで、カスルさんは僕の記憶封印に関して、何か言っていましたか?」


 そう尋ねると、ティアさんは少し複雑な表情を浮かべ、


「記憶封印の事そのものに関しては心当たりが無いようだったけど、封印された記憶の中身と思われる情報については、いくつか話が聴けたわ。それで、一つ確かめたいことがあってね。起きたばかりのところ悪いのだけれど、一つ協力してくれる?」


 そう言って外を指し示す。

 僕としてもこの問題には出来るだけ早くけりをつけたい。

 頭痛はまだ完全には収まっていなかったが、僕は意を決して頷くと、布団を横へ押しやり立ち上がるのだった。





「これは? 僕は何をすれば?」


 用意されていた物を見、僕は思わず戸惑い呟く。

 それは和弓と、矢と、弓懸ゆがけと呼ばれる弓を引くための道具だった。

 僕は武器職人として、和弓を製造、修理する知識と技術を一応は有している。

 だがそれはあくまで、扱えないこともない、という程度のものであり、それを専門に扱っているような者に比べれば遥かに劣っているというのが実情だ。

 だが僕が戸惑った最大の理由はそこではない。

 しかしそれを理解していると言わないばかりに、ティアさんは口を開くと、


「ええ、あなたにはその弓を製造とか修理してほしい訳じゃない。今からためしにその弓を引いてほしいの。あの的を狙ってね」


 そう言って遥か70メートル程先に置かれた的を指さす。 

 だが言われた瞬間、僕は思わず首を横に振る。


「ティアさん、その弓、照準や動作を補助する魔術が一切施されていないですよ。勿論僕自身、そんな高度な魔術、覚えていないですし。それともまさか、一切魔術の補助なしであの的に当てろって言うのですか?」


 弓の扱いというのは、一般的にボウガンや鉄砲に比べて高い技術を要する。

 照準や動作を補助する魔術を術者が習得するか、さもなければ弓矢そのものに施しておくのが当たり前で、それがあったとしても、まともに扱うにはやはり一通りの訓練が必要になる。

 さらに和弓は、数ある弓の中でも特に扱いが難しいとされている。

 まして魔術の補助一切なしで扱い、矢を命中させるなど、この世界でできるのは緑さんくらいのものだろう。

 そんなこと試す前から、不可能なのはわかりきっている。

 だがそんなことを考える僕に、ティアさんは真剣な表情をわずかも崩さず、


「いいから。物は試し、よ」


 そう言ってウインクする。

 そんなことを言われたところで、出来ないものは出来ない。

 だがティアさんの言葉をむげにするわけにもいかない。

 僕はそう、戸惑いながらも用意されたものに手を伸ばす。

 

 最初は弓懸ゆがけ、一応はめ方は知っているが、実際にはめるのは初めてだ。

 だが実際にやってみると、意外とスムーズにはめることができる。

 続いて左手で弓を取る。

 握る部分には革が巻いてあるので直ぐに分る。

 握り方は詳しくは分らないが、なんとなくしっくりする握り方がすぐに見つかったので、そのままやってみることにする。

 続いて右手で矢を握る。

 僕はなぜだかとっさに矢を二本握ってしまうが、初心者がいきなり矢を二本も握ろうとするのはダメだと思い、一本だけに取り直す。 

 

 それから僕は的を見ると、足を大きく開き体勢を安定させる。

 全く初めての体験だというのに、弓と矢を握った体勢は、不自然なくらいしっかり据わって安定しているような気がした。

 それから僕は弓を持ちあげ、矢をつがえる。

 矢を番えた経験などなかったが、意外にもスムーズに番えることができたので、僕はほっとしながら、的をもう一度見る。

 そしてそれから視線を手元に戻し、弓懸で弦を保持する。

 ここまでは初めてにしては不気味なくらい順調だ。

 その事に僕は得体のしれない何かを感じながら、再び的を見、とうとう弓を持ち上げ始める。


 その動作は不気味なくらい体に馴染んで、違和感がなかった。

 弓を一定の高さまで持ち上げると、僕はついに弦を引き始める。

 保持した弦が途中で外れないか。

 不安に思うと、なぜだかとっさに、僕は手元をひねるように動かしていた。

 弦が外れない、その気配はない。

 僕はそれを確認して、とうとう弦を大きく引き分け始める。

 この頃には僕も、周りの人々の表情の変化に気が付いていた。

 そしてその理由にも察しがついていた。


 明らかに上手く行きすぎているのだ。

 こんなこと初めてで、何の魔術の補助も無くできるわけがない。

 なのに、僕はほとんど何も考えないうち、自然と動作を続けている。

 まるで体が動作を覚えているかのように。

 そんな状況に僕が恐怖を覚える間にも、体は勝手に動く。

 僕は弦を耳の後ろまで大きくしっかり引き分けると、なぜだか口角を釣り上げ、無理に笑顔を浮かべようとする。

 まるでそれを強制する呪いに強いられているかのように。

 やめようと思えばやめることも出来ただろう。

 だが僕はなぜだか逆らってはいけないように思い、笑顔を浮かべたまま細くゆっくり息を吐き、体を伸ばしていく。

 

 途中、口角が引きつると同時、体に力が入っているのを感じる。

 そこで一度力を抜きなおし、また息を吐いて体を伸ばす。

 そして体が十分伸び、心が安定したところで、僕は自然と矢を放つ。

 瞬間、ほんの少しだけ右手に力が入ったのを感じた。

 放たれた矢は放物線を描き、狙いをわずかに逸れ、矢は的の端のほうに命中する。

 

 瞬間、全身からどっと汗が噴き出し、肌を伝い落ちる。

 僕は魔術の補助一切なしで和弓を引くだけでなく、矢が逸れた原因が自分で分る程、その技術を身に着けている。

 だがそれほどの技術を身に着けているというのに、僕には全く何の心当たりもない。

 その事実にこの時の僕はただ、得体のしれない恐怖を感じ、立ちすくむことしかできなかった。

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