第75話 その稼働率――

 決戦当日の早朝、クワネガスキの基地に、海軍の戦闘機15機と輸送機2機が到着した。

 予定より機数が少ないのは、5機が機関不調で出撃不能、または引き返したためらしい。

 このため正午までにさらに10機の戦闘機の増援が派遣されることが決定した。

 戦闘機5機の戦力減は痛いが、戦場でこのようなトラブルが発生することはむしろ当たり前なので、僕は気にしない。

 それよりもと、僕は輸送機からつみ下ろされた箱にかじりつき、ふたを開け中身を見る。


「これでいけますぞ、バーム殿!」


 整備隊長が笑顔と共に発した言葉に、僕は何度も大きく頷く。

 到着した重要物資、それは翔空機用高級潤滑薬である。

 潤滑薬とは、魔法道具の各部品間の摩擦や魔術的副産物の発生を軽減、また各魔術式同士の相互作用を円滑化する効果を持つ薬品の事。

 この薬品の生産には高い技術を必要とし、特に翔空機に用いられる高品質なものに関しては、現在も帝国には生産する技術がない。

 かつて帝国はこの薬品を、光神国以外の国からの輸入もしくは光神国商人との裏交渉で手に入れていた。

 だが近年は光神国の厳しい規制や他国への干渉により、入手が困難となっていた。

 そのため帝国ではやむなく、備蓄分をクリーニングして使用し続けていた。

 しかしそれには限界があり、潤滑薬の品質低下は翔空機機関部の不良発生の最大の要因の一つとなっていたのだ。


 クワネガスキを訪れた最初の日、翔空機の整備に品質の低下した潤滑薬を使用し続けている様子を見た時の衝撃を、僕は忘れない。

 これがまともな潤滑薬になるだけで、どれだけ不良が減る事か。

 だが無いものねだりをしていてもしょうがない、今この環境で出来ることを、精一杯こなすだけ。

 そんな諦めと前方への逃避も、もう必要ない。

 

 決戦を目前に控え、僕は整備兵達を前に、最後の訓示を行う。 


「皆さん、今日まで僕の無茶な要求についてきてくれてありがとうございます。今この基地に駐機されている50機の翔空機は、僕たちが整備運用できる限界に近い数です。それでも、その全力を発揮させることができなければ、この決戦における勝利はおぼつかないことでしょう。

 ですが、そうはなりません。僕達は今この瞬間まで、出来うる限りのことをしてきました。たった一週間、しかしその間に我々がどれほど進化したか、皆さんが一番よく理解しているはずです。その実力を発揮しさえすれば、この50機の翔空機は、必ず期待に応えてくれます。それだけのことを、皆さんはしてきたのです。胸を張ってほしい。そして我々にも、前線で命を張る兵士達に負けずとも劣らないだけの活躍をすることができるのだと、自信と誇りを持ってほしい。

 今日この日、この決戦を勝利に導くのは我々です。帝国軍にこの整備隊ありという事、敵味方双方に見せつけてやりましょう!」


 僕は整備隊以外の兵士に聞かれるのも構わず叫ぶ。

 すると、元からいた整備兵を中心に、約半数程が周りをはばからず拳を空へと突き上げ雄たけびを上げ、他の者達もやや自信なさ気だがそれに加わる。

 そんな僕達に怪訝な表情と視線を向ける整備隊以外の兵士達。

 急きょ増員された整備兵の多くは、そんな表情や視線を気にし、その勢いを弱める。

 結果が出ないうちは、この反応も当然だろう。

 だがここにいる全員が、周りの兵士たちに臆さず、自信と誇りを持って働けるようになってほしい。

 そして今日この決戦で結果さえ出せば、それは可能だ。

 出来ることをすべて、精一杯こなす。

 そんな決意と共に空を見上げれば、そこには群青の空が、どこまでも果てしなく広がっていた。



 

 光神国軍の通信量が急激に増大したのは午前11時頃の事だった。

 程なく暗号解読により、光神国軍航空基地が攻撃準備を開始したことが判明する。

 この情報をもとに、味方襲撃機7機は敵基地への低空襲撃、他の戦闘機43機は間もなく飛来するだろう敵機の邀撃準備を開始する。

 翔空機用高級潤滑薬の効果もあってか、各機の調子はすこぶる好調。

 急きょ増員された整備兵達の動きも、前回の空襲の時と比べれば大分良くなっている。

 間もなく発進した襲撃機のうち、不調で引き返したのは1機のみ。

 戦闘機も不調はかなり少ないようだ。

 しかもこのタイミングで、上空に海軍の増援の戦闘機7機が現れる。

 今なら燃料補給も間に合う。

 これで戦闘機が50機、これなら戦える。

 そんな確信を持って、僕は現場を整備兵達に任せ、クワネガスキの防空本部に移動するのだった。



 

「低空襲撃を敢行した味方襲撃機より入電。敵基地にはすでに多数の翔空機が並び、間もなく発進を開始するものと思われる。その数――」


 本部に次々ともたらされる情報。

 その情報は種類と優先順位順に整理され、中央の机に置かれた図上の駒は、その度せわしなく動かされる。

 

「低空襲撃の効果は小。敵の戦力は小型機80、中型30、大型20。計130機前後」


 報告と同時、図上に並べられる駒。

 やはり敵の戦力は相当のものだ。

 そう緊張する僕の肩に、誰かが軽く、優しく手を添える。


「大丈夫、あなたはやるべきことをやった。後は私に任せて」


 その言葉に振り返れば、そこには柔和な表情で微笑むティアさんの姿。

 本当にこの人には敵わない。 

 そう苦笑いを返せば、ティアさんはその表情を少し悪戯っぽく変化させて、


「でも私がふがいなかったら、ちゃんとサポートしてよね」


 そうウインクして他の兵士たちの方に向かう。

 僕も経験を積めば、命を懸けた戦場でもあんなふうにふるまえるのだろうか?

 あるいはどれほどの経験を積めば、あんなふうに?

 まだ若い彼女が、これまでにどれほどの修羅場をくぐってきたのか、僕には想像する事もできない。

 だが、だからこそ僕も、一歩一歩、着実に積み重ねていくしかない。

 そんな思いと共に、僕は本部に次々ともたらされる情報に集中する。

 

 

 

 事態が動いたのは、それから15分ほどが経過した時の事だった。


「丘の城の探知装置に反応。機数70機以上。方位0時30分から0時50分。距離90~110キロ。高度4000付近及び5000付近の二陣に分かれて布陣」


 遂にもたらされる敵機襲来の報告に、僕は思わず拳を握りしめる。

 この距離で探知できたとすれば、味方戦闘機は十分余裕を持って攻撃位置につけるはずだ。


「戦闘機隊、発進開始。第一班は高度6000に布陣し高空の敵機に対処。第二班は高度5000に布陣し中空の敵機へ対処。第三班はクワネガスキ上空に待機し討漏らした敵機への対処及び追撃に備えよ」


 下される指示。

 間もなく、戦闘機は次々と滑走路を飛び立ち、北方の空へと舞い上がっていく。

 

「攻撃は爆撃機を最優先に。常に4機編隊で行動し、単独行動は禁止。また無線の情報は聞き逃さないよう、細心の注意を払うように。太陽を背に急降下からすれ違いざまに攻撃し、敵機を深追いしない事。攻撃後は敵機を完全に振り切った後、十分隙を見計らってから再度上昇し、また急降下、これを繰り返せ」


 戦闘を前に、下される指示。

 その後の通信状況から、無線もしっかり聞き取れる状態であることがわかる。

 探知装置による敵の早期補足と、無線通信による指示誘導。

 これが戦闘機隊の邀撃効率を格段に引き上げてくれるはずだ。

 

「地上見張り員が敵機を発見。方位1時20分。距離80キロ。高度5000付近に小型機15、高度4000付近に大小60機余り」


 続けてもたらされる報告。

 敵は大、中型爆撃機を含む75機前後の編隊。

 高高度に布陣する15機は戦闘機だろう。

 対する我が方は、


「戦闘機隊、離陸完了。7機が機関不調により発進不能、もしくは基地に引き返し、現在戦力は43機」


 もたらされた報告に、本部は将校達の上げる感嘆の声で満たされる。


「前線基地の翔空機の稼働率など、50パーセントを切ることも珍しくないというのに。約85パーセントとは、この短期間でよくぞここまで」


 将校の一人が直接、僕に称賛の言葉をくれる。


「いえ、僕の力なんて微々たるものです。この数字が出せたのは、人員の増員や魔法道具の買い上げ、それに高級潤滑薬のおかげ。つまりほとんどは……」


 僕はそう、視線をティアさんに向ける。

 だがティアさんはそれに首を横に振り、


「いいえ、この策を提案し、実現してくれたのは間違いなくあなたの手腕。私は上に立つ者として、それに必要なものを用意しただけよ。特に一番難しい中身の具体化を、あなたと整備隊は、この劣悪な環境下で、短期間でやって見せた。だからこれはあなたと、整備隊の手柄よ」


 そう言って、また笑顔をくれる。

 この人が上司で、本当に良かった。

 だが決戦はまだこれから。

 敵機75機前後に対し、こちらは43機。

 戦闘機の数だけならば勝っているだろうが、敵は中、大型爆撃機を含んでいる。

 しかも75機というのは現時点での数で、時間が経過すれば第二波が来る可能性が高い。

 

「戦闘機隊、布陣完了。攻撃を開始します」  

  

 もたらされる報告に、僕を含め本部の者達全員が固唾をのむ。

 かくして、空戦が始まる。

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