第70話 仕事と理性と本心と
「――という経緯で、ハンナさんを僕の助手にしたいのですが、よろしいでしょうか?」
その夜の内、僕とエイミーはティアさんとゲウツニー中将の元を訪れる。
事の経緯を説明すると、ティアさんは期待と、それ以上の懸念がないまぜになった複雑な表情を浮かべる。
「――バームが必要だというなら、私から口を挟むべきではないのでしょうけど……エイミーはいいの?」
その問いに、エイミーは間髪入れず、
「問題ないです。この分野において私はバームの足元にも及びません。バームが必要だというならその通りなのでしょうし、帝国には必ず利益をもたらすと思います。ただ、私の立場から指摘するのもどうかとは思いますが、個人を特別扱いすれば、どうしても批判と摩擦を招きます。その点のフォローは必要かと」
そう、至って平静な表情で答える。
エイミーが内心でどう思っているのかはわからない。
だが今は帝国の勝利のため、ハンナさんの才能を埋もれさせるわけにはいかない。
エイミーに変な勘違いをされているとすれば、それは嫌だけど、仕事に私情は挟めない。
実戦でならしてきたエイミーならば、その事はきっとわかってくれるはずだし、これからのハンナの働きでも証明されるはずだ。
僕はそう考えるが、ティアさんは複雑な表情を崩さないまま、
「――本当にいいの?」
もう一度、念を押す。
「良いも何も、私は口を挟むべき立場に――」
「嫌なら嫌とはっきり言って」
先ほどと同じ表情で答えるエイミーに、ティアさんはその言葉を言い終えるより先、遮るように言う。
その言葉に声を詰まらせ、驚愕と困惑が半々といった表情を浮かべるエイミー。
そんなエイミーの瞳を真っ直ぐ覗き、ティアさんは真剣な表情を浮かべ、
「あなた今の自分の本当の気持ち、分ってる? 理性で自分を完全に縛ってしまったら、そこにあなたはいなくなる。自分でも自分の気持ちが分らないなんてことはある。でも、それもまた答え。分らないうちに判断を下してしまったら、きっと後悔する」
そう、厳しいのにどこか暖かな言葉で告げる。
その言葉を聞き、エイミーは目を見開き、表情の驚愕を強め、やがて唇を噛んで
ティアさんはそれを見、今度はその視線を僕に向け、
「バーム、あなたもよ。あなたの真っ直ぐな性格はよく知ってる。きっと帝国と仕事の事を第一に考えての事でしょうし、そこに私情は無いでしょう。でもそもそも、あなたはどうして命を懸け、国を抜け出してまでここまで来たの?」
真っ直ぐ僕の瞳を覗き、問いかけてくる。
そんなの決まっている、そう思うと同時はっとする。
確かに、蓄えた知識と実力を発揮し、認めてもらいたいという思いはある。
けれどそれはあくまで手段。
なら僕はどうして、どうなりたいと思ってここまで来たのか。
そもそも事の始まりはなんだったのか。
そう考えた時脳裏をよぎるのは、初めてエイミーと出会ったときの光景、あの時の彼女の笑顔。
思わずハッとすると、ティアさんは優しく暖かな微笑と眼差しを僕とエイミーに向け、一拍の後、小さくため息をつき、
「私が言うのもなんだけど、二人とも、仕事はほどほどにしなさい。ハンナさんの事は、ひとまずは客分のアドバイザー兼バームの補助という事にして様子を見ましょう。それとバーム、彼女とは仕事に関する事を除いて距離をとりなさい。あなたとエイミーの関係を抜きにしても、関係を
そう釘を刺してくる。
全くティアさんの言う通りだ。
それに、僕に個人的に取り入れば出世できる、そんな風に思われてしまえば、僕だけでなくティアさんや他の人にも迷惑をかけてしまう。
「はい、仕事以外では極力関わらないようにしますし、仕事中も距離感には気を付けます」
僕は即座に答えるが、
「――本当に気を付けてね、心の中は覗けない。心が通じ合っている者同士だって、すれ違うこともあるのだから」
ティアさんはさらに念を押し、その上でさらに5秒ほど思考した後、
「――10日後、あなた達二人に休暇を与えます」
唐突に、そんなことを告げる。
その言葉に、僕は驚きのあまり思わず目を見開く。
ここは戦場、今はいつ敵の大規模攻撃を受けてもおかしくない状況だ。
そんな中、そんな場所で休暇なんて、聞いたことも無い。
驚いたのはエイミーも同じだったようで、僕が口を開くより先、
「いくらなんでもそれは――」
そう言いかけ、だがその言葉を、ティアさんは分っているとばかり制し、
「勿論、戦況が落ち着けばの話よ。でも私の読みが正しければ、その頃には一旦、戦闘には一段落つくと思う。言いたいことは分ってる。やらなければならないことはいくらでもあるし、他の将兵が働いている中、自分たちだけ休暇なんて、もらいにくいでしょう。でも私はあなた達の上司として、精神面のケアもしなければならない。今のあなた達には休暇が必要で、それはあなた達をこのまま働かせ続けるよりはるかに、帝国に大きな利益をもたらす。特別扱いしているという批判は、私が甘んじて受けるわ。でも、あなた達はきっと、その批判を覆すだけの働きをしてくれる。そう信じてる。
だから――、これは命令よ」
そう言って僕たちに、どこまでも心地よく暖かな微笑をくれる。
こんな笑顔をもらっては、受け入れる以外の選択肢はない。
「わかりました、ありがとうございます」
そう言って僕は、下げられるだけ低く頭を下げる。
そして心に誓う。
絶対にティアさんに後悔はさせない、必ずこの恩に報いて見せる、と。
それはエイミーも同じようで、僕と同様に深く頭を下げると、その小さくも力強い拳を、ぐっと握りしめるのだった。
「――恐れながら、私からも一言申し上げたき事が」
それまで終始沈黙を守っていたゲウツニーが突如発した言葉に、僕たちは揃って驚きつつ、視線を向ける。
「どうしたのゲウツニー、突然改まって」
ティアさんが苦笑しつつ尋ねると、
「いえ、バーム殿とエイルミナ殿の件に関しては言いたいことはありません。申し上げたいのは総帥の事です。単刀直入に言わせて頂きますと、その……総帥も人の事は言えないのではないかと」
そう、いきなり話の核心を突く。
「――どういう事?」
その言葉に、至って平静な表情を浮かべながらも、どこか冷たい雰囲気を帯びるティアさん。
だがゲウツニーはそれに全く動じることなく、むしろ堂々と向かっていくように、
「一番休暇を取るべきは総帥です。それも緑殿と一緒に」
そう端的に告げる。
その言葉に、僕はようやくゲウツニーの真意を理解する。
隣に視線を向けると、エイミーも同じようで、そういうことかと納得し小さく頷く。
「……体調を整えろというなら分るけど、緑は関係ないでしょ」
そうはねつけようとするティアさん。
だがその言葉に先ほどまでの力は無く、冷たい雰囲気もどこか失せてしまっている。
そんなティアさんに、ゲウツニーは続けて、
「ではお聞きしますが、共にこのクワネガスキまで来ておきながら、緑殿をそばに置かないのはなぜですか? 少なくとも肩書上、緑殿もエイルミナ殿も、総帥の護衛という事だったはず」
そう問いかける。
「そんなの決まっているでしょ。私の護衛なんてただの肩書だし、緑は昨日の戦いで敵に情けをかけた。それなのにずっとそばに置いてちゃ……まぁ、そばに置かないことが罰になるわけじゃないけど……それでも、身内に甘いと思われるわけにはいかない」
問いかけにそう、険しい表情で答えるティアさん。
だがゲウツニーはそれに全く動じず、むしろ畳み掛けるように、
「では先ほど、エイルミナ殿からヨシュルノ川付近まで出撃したいという話があった時、緑殿の同伴を許さなかったのはなぜですか? それこそ、戦果を挙げる絶好の機会のはず」
そうさらに問いかける。
エイルミナからそんな話があったなんて初耳だ。
だが僕が驚いている間もなく、ティアさんは間髪入れず、
「それはダメ。それはダメよ。緑は私と一緒じゃないと、危なっかしくて……昨日だって、一人にしたのは失敗だった。私の一生の不覚よ。もし彼の身に何かあったら、私――」
震える声で一息にそう言って、ようやくはっとした表情を浮かべる。
そして一瞬頬を赤く染め、だが数拍の後には、その表情を暗く、沈んだものへと変化させると、
「――私と緑の関係は、きっとあなた達が考えているようなのとは違うわ。でも――そうね、言いたいことは分った。緑を遠ざけるのはもうやめる。休暇も、そうね、本当に一段落したらだけど、もらうと約束する。だから……今日はこれでおしまいよ」
そう言って、僕たちを遠ざけるように手振りする。
どうやらこれ以上は踏み込んではいけない領域らしい。
それを察すると、僕たちはひとまずその場を後にする。
自分でも自分の本心を理解するのは難しい。
まして人の心ならなおさらだ。
だからこそ、初心を忘れてはならない。
そして仕事はほどほどにしよう。
そう思いつつエイミーに視線を向ければ、エイミーもまた同じように僕の方に視線を向ける。
そうしてぶつかる視線に、僕たちは思わず、微笑み合う。
この笑顔のために僕は戦う。
決意を新たに、僕は再び足を、真っ直ぐ前へと踏み出すのだった。
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