第69話 雪解けと雪崩

 日はとうに暮れ、疲労と眠気が僕に、そろそろ休息をとるべきだと告げる。

 だが敵はいつやってきてもおかしくない上、やらなければならないことはいくらでもある。

 帝国軍上層部の予想では、本格的空襲が始まるのは味方輸送船団が入港する一週間後。

 だがそれもあくまで予想、攻撃開始が早まることもありうるし、現実には様々なイレギュラーが発生し、作業は計画通りには進まない事だろう。

 それらも全部ひっくるめて可能な限り早く、作戦準備の大半を完了させなければならない。

 だが無理をして体調を崩すのが最悪である以上、計画的休息は必須だ。

 しかし自分があまり早く休んでは、他の兵士達に示しがつかない。

 少なくとも初日の今日は、もう少し頑張るべきだろうか。

 そんなことを考えながら、各方面から次々とんでくる質問と催促に対応しつつ現場を見回っていると、突然、


「私は魔法道具の分解選別なんて雑用をしに来たんじゃない。責任者を出して!」


 そんな女性の激昂した叫びが、城内に響き渡る。

 自然と引き寄せられる周囲の視線。

 そこにいたのは小さな丸い眼鏡をかけた、一人のゴブリンの少女だった。

 身長は130センチ程で、体格は平均的。

 肌は薄い緑色で、おでこの上に短い二本の角を持つ。

 顔立ちは幼く、比較的整っていて、そばかすが印象的。

 瞳と髪は茶色で、髪は後ろで一つに束ね、三つ編みとしていた。

 

 一見おとなしそうだが、今は怒りに頬を赤く染め、肩で息をする彼女。

 どうやら一般からの整備兵の募集に応募してきたようだが、担当部署のオークの兵士は驚いた表情を見せつつ、


「そっ、そんなこと、できる訳がないだろう。それにこちらは上からの指示に従い、その実力と適正を精査したうえで部署分けを行っているんだ。まして貴様のような年端もいかない子供、それも女だぞ、使ってもらえるだけでもありがたく思え。文句があるなら、今すぐ立ち去るがいい!」

 

 そう逆に言い返す。

 その言葉に、少女は言葉こそ返さないが、いっそうその頬を怒りに赤く染め、唇を噛みしめる。

 その表情に、僕は見覚えがあった。

 ハーフオークと馬鹿にされたことは今までいくらでもある。

 いつものようにバカにされたある時、頭を冷やそうと水の張った桶を見下ろした。

 その時、水面に映った僕の表情が、そのまま今の彼女のものだった。

 

「どうかしましたか?」


 現場の事は現場に任せた方が良い場合もある。

 だが僕は自然と、二人に声をかけていた。

 声をかけた僕に、兵士は驚き敬礼し、


「はっ、何でも――」


 そう言いかけたが、それを遮るように、


「――あなたが責任者?」


 そう、問いかけるというより、確信したように言葉を漏らす。

 きっとオークが敬礼を返したことから、少なくとも上官だと判断したのだろう。

 そして隙を逃すまいとするように、


「これをっ、どうかこれを見てください!」


 慌てて鞄に手を入れ、中から紙束を取出し、僕に差し出す。


「こら小娘、いい加減わきまえろ!」


 兵士は慌ててそんな彼女を力づくで取り押さえにかかる。

 暴れる小さな少女と、それを取り押さえる体格の良い大人の男の兵士。

 力でかなうはずがないが、それでも少女は大いに暴れ、その手から必死に逃れようとする。

 その内紙束は彼女の手を離れ、地面に散乱する。

 

「待って、いいから、離して、離してあげて。僕は大丈夫。大丈夫ですから。いいから、離してあげてください」


 僕はオークの兵士に声をかけ、取り押さえるのをやめさせつつ、地面に落ちた紙を拾う。

 兵士はそれでもしばらく力を緩めなかったが、やがて手を離し、少女もまた暴れるのをやめる。

 そして地面に落ちた紙を拾う僕の姿を、目を見開いて見つめる。

 希望と期待の瞳。

 きっと以前は僕が、こうした瞳を浮かべていたのだろう。

 あまり特別扱いするのは良くないのかもしれない。

 だが一目も見ずに判断するのはよくないだろう。

 今後同様に設計図や魔法道具を持ち込む者が出れば、同じように対応しなければならなくなる、それを理解しつつ、僕は紙に目を通す。

 

 どうやら翔空機の設計図らしい。

 らしいというのは、僕にも理解できないような内容がズラリと書き記されていたからだ。

 僕は翔空機の設計は専門外だが、それでも一通りの知識は有しているつもりだ。

 そんな僕でも知らない、あるいは知っていても詳しくない部品について、一つ一つ紙に詳しく図示され、注釈が書かれている。

 だが翔空機の設計など、専門の知識を学校などで時間をかけて学んでも、容易にできる事ではない。


「――初めまして、僕はバーム。お名前は?」


 尋ねると、少女は一度息を呑み、


「は、ハンナ。ハンナ・フリーシ」


 そう、おずおずと答える。


「年は? 翔空機の設計なんて、どこで覚えたの?」


 尋ねると、ハンナは心を落ち着かせるためか、息をゆっくり吸って吐く。

 そして意を決したように、口を開く。


「じ、17才です。父はかつて翔空機の整備の仕事をしていて、私も将来は翔空機にたずさわる仕事、できれば設計士になりたいと思っていました。父は徴兵され戦死し、家は貧しく、戦況の悪化もあって学校には行けませんでした。けど、父から翔空機について一通りのことは教わりましたし、仕事の手伝いもしたことがあります。父が出征してからは、家に残されていた整備マニュアルを頼りに勉強していました。

 その翔空機の設計図は、昔、森の中で見つけた異世界の翔空機の残骸らしいものを参考に考えたものです。素人なりにですけど徹底的に調べて、再現できない部分は魔法装備で補い、十分の一のサイズの模型を飛ばすのには成功したんです。まあ、単に真っ直ぐ飛ばしただけで、着陸に失敗して大破しちゃったんですけど……」


 ハンナはそう一気にまくし立てて、言い終えると口をつぐみ、不安げな表情を浮かべる。

 なるほどと思いつつ、僕はもう一度彼女の翔空機の設計図に目を通す。

 資料の前半は、森で見つけたという異世界の翔空機の残骸について調べた内容だった。

 発見した状態での残骸のスケッチ。

 各部位、部品ごとのスケッチと、それが何を目的としたものかについての調査内容と仮説。

 欠損、あるいは破損していた部位、部品について。

 元の姿の想像図。

 

 資料後半は残骸の調査をもとに彼女が設計した翔空機の設計図。

 基本的には残骸の元の姿と性能を再現することを目指したようだ。

 だが材料や部品の多くはこの世界では再現不可能であり、入手可能な材料、部品での再現を試みている。

 一方でただ単なる再現ではなく、この世界の翔空機の多くに装備されていて、この残骸には装備されていなかった装備がいくつか追加されている。

 主機関部等の複雑部位は大部分が魔法での再現が試みられているが、魔法を用いたとしても技術的には相当高度であり、再現できる限界であることは一目で理解できた。

 資料の最後には模型実験について、模型の詳しい設計と構造、実験の内容と結果、考察が記されている。

 模型は十分の一のサイズのため、再現できない部分は割り切った構造のようだが、それでも実際に飛ばすことに成功したことが書かれていた。

 また着陸に失敗した時の様子に関して、脚部の強度不足と着陸時の進入角度等、失敗原因についても事細かに調査、分析されている。 


「――これを、独学で?」


 尋ねると、ハンナは即座に頷く。

 すさまじい、才能も知識も経験も、とても僕の及ぶ所ではない。

 何よりその行動力が、彼女の最大の力だ。

 もちろん独学のため、細かい部分では専門家に劣る部分もあるだろう。

 だがその分を差し引いても、彼女はこんなところで埋もれていてよい存在ではない。


「彼女の実力を調査した資料を下さい」


 一般から募集された職人は、まずその実力と適正、専門分野を調査し、それに応じた部署に振り分けられる。

 調査はそれなりに経験のある整備士と工員が、筆記と実技を織り交ぜたテストで判断しており、そう簡単に問題は発生しないと僕は思っていた。

 だが程なく、兵士が持ってきたハンナの調査内容の書かれた資料を見、僕は納得する。

 実力は優良、適正は翔空機全般、ただし学識なく、計算を軽視し、勘に頼るところ有。

 軍用翔空機は最大の軍事機密のため、身辺調査が完了するまで、翔空機班への配属は不可。

 また女性で年齢も若く、男性整備兵との間で摩擦、その他の問題が発生する可能性大なり。

 よって当面、魔法道具の分解、重要部品の検品選別、工作修理を単独で任せるのが適当。


 魔物の世界、とくに軍事や職業の分野において、男尊女卑の傾向は強い。

 まして彼女は年若い、プライドの高い男性整備兵と共に仕事となれば、摩擦その他の問題が発生する要素はいくらでもある。

 つまり彼女は実力以外の要素のために、適切な部署に配属させてもらえなかったのだ。

 かつてハーフオークであるがために、実力を認めてもらえなかった僕のように。


「――ハンナさんは、ここでどんな仕事がしたいですか?」


 尋ねると、ハンナは真っ直ぐ僕の瞳を見つめ、数拍の思考の後、


「――翔空機に関われるなら、私の全力を発揮できるなら、何でも。でもできるなら、翔空機の設計がしたい。私の考えた機体を、この大空に飛ばしてみたい、です」


 決めた。

 彼女の才能を、こんなところで埋もれさせてはいけない。

 もしかしたら、初めて出会った時のエイミーも、こんな気持ちだったのだろうか?

 そんな風に思考を巡らせつつ、僕は先ほどのオークの兵士に向かって、


「身辺調査が完了するまで翔空機班への配属は不可、とありますが、いつまでかかるのですか?」


 そう問いかける。


「はっ、身辺調査と言っても簡易的ものなのですが、今回は立て込んでおりますので、それでも一週間以内には」


 そう慌てて返答する。


「彼女を最優先でやったら?」


 さらに問いかけると、兵士はしばらくの間思案した後、


「あ、明日の晩までには」


 そう返答が返ってくる。

 誰か一人を特別扱いはするのは可能な限り避けなければならないだろう。

 だが彼女の才能はそれに価する。


「ハンナさん、お願いがあります」


 僕の言葉に、ハンナはその意図を読めなかったのか、真っ白な表情を浮かべる。

 僕は膝を曲げ、彼女と視線の高さを合わせたうえで、その瞳を真っ直ぐ見つめて告げる。


「明日の晩調査が終わったなら、僕の助手になってくれませんか?」


 その一瞬、時が止まるかのような感覚が、僕を襲う。

 それはエイミーと初めて出会ったとき、彼女が僕の刀でグラディウスを圧し折った、あの時と似て、だがほんの少し異なる。

 あの時の彼女がきっと今の僕で、あの時の僕が、きっと今のハンナ。

 そして数拍の時がすぎたころ、ハンナはその頬を、少しづつ赤く染める。

 だが返事はない。

 そんな彼女に、僕は続けて口を開く。


「ハンナさんのやりたいことだけをさせてあげることはきっとできない。嫌なことをお願いすることもたくさんあるだろうし、やり方にケチをつけることもあると思う。それでも、僕にはハンナさんの力、特に翔空機に関する知識が必要です。嫌になったら言ってもらえれば、何か翔空機に関われる部署に配属替えしてもいいです。でも今は、僕に力を貸してくれませんか?」


 そう、もう一度その瞳を見つめ、問いかける。

 ハンナはそんな僕の瞳を見つめ返し、目蓋を何度も瞬き、だがやがて我に返ったようにその瞳を見開くと、


「は、はい。喜んで」


 目尻を抑え、震える声で、だが満面の笑顔と共に、はっきりと答える。

 それは溶けた雪の下から、一輪の可憐な花が姿を覗かせたようであり、だが同時に、


「――バーム?」


 物陰からその様子を目撃していたエイミーの真っ白な表情は、雪崩を起こす寸前の亀裂の入った雪塊を思わせるものだった。 

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