第57話 戦意と前進

「勝機は今、突き進め!」


 戦場をつんざく、総帥、ティアの叫び。

 その声は帝国軍将兵の鼓膜を通し、心を奮わせ、血を湧き立たせる。

 決戦に敗れ、彼女が彼らの前から姿を消して数か月。

 それは決して長くない期間のようで、しかし彼らから希望を奪うには十分すぎるものだった。

 彼女が帝国軍の頂点として君臨し、同時に常に危険な最前線にあって、彼らと共に戦場に立ち、目の届く所で采配を振るい、杖を掲げ、命をかけて戦う。

 総帥という彼女の立場を考えれば異常な、しかし彼らにとっては当たり前の日常。

 絶対的頂点であり、同時に常にそばにあって、共に戦ってくれた心の支え。

 痛みが無ければ、現実に直面しなければ、気づく事など出来はしない。

 失って初めて、彼らは後悔し、取り戻そうと必死にもがき、それが叶わないと知り、絶望した。

 それは例えるなら、家屋から大黒柱を含む複数の柱を同時に一気に引き抜かれるようなもの。

 全てが崩壊してもおかしくない、むしろそれが当然というほどの状況。


 そんな彼らを容赦なく襲った、光神国軍の猛攻という嵐。

 多くの将兵が命を散らし、心をくじかれ、気力と希望を失った。

 だがそれでも、彼らは戦う事をやめなかった。

 単に逃げ場が無かっただけと見ることも出来るかもしれない。

 だが彼女が現れる前、魔物達がまだ各部族や小勢力に分かれ、帝国としてまとまる前の頃を知っている者達は言う。

 彼女は教えてくれたのだ、皆が手と手を取り合って戦い、抵抗する事の意味を。

 時には一人であっても、戦わなければならない時はある。

 だが複数がまとまり、集団となることで初めて生まれる、大きな力がある。

 そしてそれは濁流となり、個の力を圧倒する。

 例えそれがどれほど超人的な、神のような存在であったとしても。

 そして集団を形成し、まとめるのは、それぞれを信じ、助け合う心。

 それさえ失わなければ、例え頂点が欠けたとしても、全てが崩れることはない。

 そしていつかまた、新たな希望を見出すことができる。


 彼らは確かに絶望した、だが諦めなかった。

 そんな彼らの元に、再び差し込んだ希望の光。

 それは単に幸運のために起こった奇跡ではない。

 彼らが自ら手繰り寄せ、掴みとったものなのだ。

 そして彼らは今、ここに誓うのだ。

 もう二度と、この光を手放すことはない。

 そのために今、自分を、隣にいるものを、仲間を、彼女を信じ、ただひたすら、前に進むのだ。


 戦場一帯を包み震わせる、帝国軍将兵の雄たけび。

 その歓声は、はるか光神国軍本陣まで轟き、そこにいる人々の心を畏縮させ、圧倒する。

 そんな歓声の中、馬や恐竜に騎乗する事無く、自らの足で地面を蹴り、敵陣に向かい走り出す彼女。

 地位や立場にそぐわない、その泥臭い、しかし戦場で常に共にある彼女の姿勢を、将兵は誇り、慕い、猛るのだ。


――総帥に続けぇ!


 どこからともなく上がる叫び。

 それに従い、将兵はそれぞれの得物を手に、自らの意志で死地に向かう。

 目指すは眼下に広がる広大な敵陣。

 自ら破壊した城壁からあふれ出した帝国軍将兵は、丘の斜面に、転倒する危険をいとわず足を踏み出す。

 歓声と共に斜面を駆け下る帝国軍。

 中には当然、斜面にバランスを崩し、足を滑らせ転倒する者も出る。

 だがそれでもかまわず、将兵は我先にと丘の麓に向かう。

 そんな彼らの前に立ち塞がる、丘の麓の障子掘。

 光神国軍が堀を越える際に使用した丸太や板の橋は、すでに撤去か破壊されている。

 一部瓦礫や土砂で埋められた箇所もあるが、一人二人ならともかく、軍勢が渡るに狭すぎる。

 だがそこは城の設計者バームが付いている帝国軍。

 将兵は築城資材や破壊した城壁の木材をあらかじめ準備した上で斜面を駆け下り、堀まで来るとすぐさま堀を埋め、あるいは橋を架ける。

 一度光神国軍が突破し、道を作った後の堀だ、軍勢が通れるほどの橋も、程なく完成する。

 


「渡れ、敵陣に突き進め!」


 響き渡る号令。

 だが待ちきれないとばかり、将兵は我先にと橋を渡り、敵陣に向かう。

 そのあまりの勢いに、統率と隊列が乱れ始める帝国軍。

 だが彼女は進軍をとどめない。

 彼女は知っている、戦には呼吸と流れ、勢いがある。

 今は多少乱れようとも、この勢いを止めてはいけない。

 いや、むしろ――


「全軍前へ! 敵陣をつらぬき、地の果てまで駆け抜けよ!」


 響き渡る叫び。

 その乾き、枯れ、自らの喉をかきむしるかの様な声は、しかし確かに将兵の鼓膜を震わせ、心を再び奮い立たせる。

 もはや誰も、例え彼女の声であっても、彼らを止めることなどできはしない。 

 ともすればあの世への境界ともつかない堀を臆することなく押し渡り、敵陣へ。


 その頃、丘の東を回り込んだゲウツニーの一隊約800は、追撃阻止に出た光神国軍の二本の防衛線を突破し、退却する光神国軍の最後尾に追いつき始める。

 クワネガスキ城から駆け付けた援軍1000余りも来援し、光神国軍の正面から東側の陣地に向かって直進。

 スオママウ城を打って出た300もまた、小勢にもかかわらず果敢に光神国軍陣地に食らいつく。

 そんな状況下、丘の斜面を駆け下りた彼らの一隊は、ゲウツニーの隊に加勢し、逃げる光神国軍の一隊へ別方向から追撃を開始する。

 

 敵に背を向け、統率の欠片も無くバラバラに退却する光神国兵。

 追う帝国軍はこれに容赦なく矢を浴びせ、長槍兵は少数の敵兵を集団で囲み、抵抗する者には槍を叩きつけ、そうでない者は武器を捨てさせ捕虜にする。

 だが光神国軍とて、そんな状況をただ指をくわえて見ている訳ではない。

 程なく光神国軍陣地の木戸から、退却する兵を押しのけ、500程の長槍兵の一隊が打って出てくる。

 さらに――


「総帥に報告。光神国軍陣地北方の木戸より、敵騎兵約500が出撃。現在、スオママウ城より打って出た味方部隊に向け進撃中!」


 駆け付けた伝令が、滝のような汗を頬に伝わせながら報告する。

 その言葉に、彼女のそばにいる多くの帝国軍将校が、それまでの明るかった表情を一瞬にして曇らせる。

 騎兵を持たない帝国軍にとって、光神国軍騎兵の機動力は最大の脅威の一つ。

 歩兵で騎兵に対処することは不可能ではないが、難題には違いなく、何より現状では側面を突かれる恐れがある。

 

「スオママウ城の隊は陣地への攻撃を取りやめ、急ぎ円陣を組み防御体制を構築。クワネガスキ城の隊は長槍兵で私とゲウツニーの隊の側、後方を守るよう陣形を展開し、壁を構築。陣地攻撃は私とゲウツニーの隊に任せ、騎兵撃退に専念するよう。恐竜の足じゃ間に合わない、平文のまま通信魔術で緊急通達」

 

 報告を聞き、しかし彼女は慌てることなく速断し、よどみなく指示を飛ばす。

 平文とは暗号化しないという意味で、敵に通信を傍受された場合、内容が露見する危険がある一方、暗号化の処理の時間が省け、素早く内容を伝達する事ができる。

 だがそれでも、騎兵の圧倒的機動力を考えれば、対処が間に合わない可能性は十分ある。

 同時にこの指示は、騎兵対処にクワネガスキ城の隊を裂くため、正面の敵陣は彼女とゲウツニーの隊のみで突破しなければならないことを意味する。

 だがそれでも、彼女の表情が曇ることはない。


「騎兵はクワネガスキの隊が対処する。我々は前へ、敵の長槍隊を突き崩せ。いざ!」


 号令と共に、掲げられる杖。

 それに応えるように上がる大歓声と共に、帝国軍は突き進む。

 対する光神国軍は長槍隊500を、やや横に長い方形に展開し、槍の穂先をずらりと並べ、構えをとる。

 だが帝国軍はこれに、先ず先頭の弓隊が矢を嵐のように射かけ、投石隊が石つぶてを投げつける。

 普段なら光神国軍も鉄砲や弓で応戦したことだろう。

 だが先に鉄砲、弓などを抽出した部隊のみでの迎撃を行い、それが敗走したことで、この時光神国側は応戦する飛び道具を持った兵士が手元に残っていなかった。

 やむなく、光神国軍は長槍隊を前進させ、自ら間合いを詰め始める。

 先ほどまでと全く逆の展開。

 だが士気に劣る光神国側が、敵の矢の嵐に向かって部隊を前進させるのは容易なことではない。


「命令に従わぬものは即刻斬り捨てる。たとえ逃げても、神は見ておられる。敵に背を向ける不届き者は地獄に落ち、勇気を奮って戦った者は、必ず来世で報われる。さあ、天国へ向け突き進め、神の名のもと、化物どもに正義の鉄槌を下すのだ!」


 響き渡る、光神国軍指揮官の声。

 それと共に、抜き放った剣の切っ先を味方の背中に突きつけ、兵に前進を強制する将校、下士官たち。

 そんな彼らに押され、ある者は奮い、ある者は恐怖におびえ、またある者は生き残る道を探り思考を巡らせながら、光神国兵は矢の雨の降り注ぐ中を、帝国軍にむけ突き進んでいく。

 両軍とも前進していることに違いはない。

 だがその心の内で、光神国兵はすでに退き追い詰められ、帝国兵は敵を突き崩し圧倒していることに、光神国軍の将校達は、まだ気づいてすらいなかった。

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