第56話 濁流

「まだ構えるな、各員、十分に引きつけよ。合図があったなら、例え射線上に味方がいたとしても、構うことなく撃て」


 光神国軍の第二の陣列に響き渡る将校の声。

 その指示を聞き、陣列を構成する兵達は、それぞれに違った反応を見せる。

 ある者は冷や汗を流し、顔面を蒼白に。

 ある者は怒りに頬を赤く染め、歯を食いしばる。

 またある者は、ほとんど表情を変化させず、冷たくも冷静に、ただ敵を真っ直ぐ見据える。

 彼らの視線の先にあるのは、自分たちのいる方向に向かって真っすぐ逃げてくる味方の兵士。

 そしてそれを追い迫る、帝国軍の長槍隊。

 隙間なく槍を並べ迫るその集団は、さながら動く剣山のようであり、呑みこんだものを全て死に至らしめる濁流のようでもある。

 そしてその死の濁流に、彼らは挑まなくてはならないのだ。


 間もなく、逃げてきた味方兵の先頭が陣列の間を駆け抜け、それに続き二人、三人、五人、十人と、続々陣列の後方へ逃げのびていく。

 逃げ足の速い、真っ先に持ち場を離れた臆病者が逃げおおせ、逆に真面目に、勇敢に持ち場に残った者は命を失うという状況。

 そんな光景が、兵達から戦意を着実に奪っていく。

 とはいえ、そう簡単に職務を放棄し、持ち場を離れるわけにはいかない。

 軍律違反は死罪もありうる重罪、その場で斬り殺される可能性は勿論、場合によっては家族にまで類が及ぶ事すらある。

 退くも地獄、止まるも地獄。

 前門の虎、後門の狼。

 敵と味方、両方に追い詰められた極限の状況で、兵達は震える手で、それぞれの思いを胸に、得物を握り締める。  


「鉄砲隊、構え!」


 響き渡る将校の指示。

 それに従い、兵達は銃口を前方に向け、あるいは鉄砲射撃後の間隙を埋めるため、矢をつがえる。

 そうして向けられた銃口の先、視界に映し出される、敵の大軍勢と、その前方を自分たちに向かって必死に駆けてくる、逃げ遅れた味方兵。

 いかに命令とはいえ、味方を撃つ行為など、簡単に割り切れるものではない。

 だがそれ以上に大きなものが、彼らを突き動かし、人差し指を引き金にかけさせる。

 目前に迫る、死の恐怖。

 

「放て!」


 響き渡る号令。

 直後戦場を包み込む、ほんの一呼吸の、不気味な沈黙。

 その沈黙が永遠に続くことを、この時どれほどの兵が祈ったことだろうか。

 だが次の一瞬、鳴り響いた、たった一つの銃声が、ある者には本当の射撃の号令となり、ある者には死の宣告となる。

 直後、最初の銃声につられるように、一斉に鳴り響く銃声。

 十分に引きつけた上で放たれた銃弾は、迫る帝国兵を、あるいはその前方を駆けていた味方兵を、容赦なく穿ち、地面に打ち倒す。

 そうして地面に倒れ行く帝国兵、あるいは味方兵の影を、ただ呆然と見つめる彼らの頬を、一筋の汗が伝い落ちた。

 

 だがそれはこれまで長い間続いてきた、そしてこれからも続く戦いの中の、ほんの一コマの出来事。

 そしてそんな一コマも、それぞれの思いも、大軍勢が、流れゆく時が、まとめて呑み込み、押し流してゆく。

 銃撃を受け、突進の速度を一瞬鈍らせる帝国軍長槍隊。

 だがそれもほんの一時の事。

 盾を持たない今の帝国軍長槍隊にとって、光神国軍の飛び道具を封じる唯一の方法は、一刻も早く槍の射程まで肉薄する事、ただそれのみ。


「ひるむな、血路は前方のみ、突き進め!」


 響き渡る、帝国軍将校の叫び。

 胸に抱いた死への恐怖は、帝国兵も光神国兵も同じ。

 にもかかわらずそれは、一方で帝国兵の背中を押し、一方で光神国兵の足元をすくう。

 敗北は自分自身のみならず、家族や大切な人の死にまで直結する帝国兵。

 敵前逃亡は重罪とはいえ、逃げれば命は助かる可能性があり、実際に逃亡する味方兵をその目にしている光神国兵。

 加えて今、戦の流れと勢いは、攻める帝国軍が掴んでおり、光神国兵はその勢いと圧力に、正面からさらされている。

 その差はわずかなようで、その実、決定的。


「鉄砲隊さがれ! 弓隊、放て!」


 続けて響き渡る、光神国軍の号令。

 その指示に従い、統率を保ったまま速やかに退く鉄砲兵。

 続いて退却する時間を稼ぐべく、射撃を開始する弓兵。

 放たれた矢は、接近する帝国軍長槍兵を次々射倒す。

 だがそれでも、帝国軍長槍隊の突進の速度は鈍らない。

 さらに両翼からは、長槍隊と同じく前進してきた帝国軍弓隊が、先ほどと同じく矢の嵐を浴びせ、光神国軍の陣列を崩していく。

 最初に鉄砲隊が射撃を行った時点で、帝国軍と光神国軍との距離は八十メートル程。

 相手に槍隊がいないためさほど密集する必要のなく、重い盾も持たない今の帝国軍長槍隊の突進速度ならば、あっという間に詰められる間合いだ。


 矢の雨を浴び、同僚が次々と矢に射倒され、自分自身がそうなる可能性の高い状況でなお、速度を緩めず突進を続ける帝国兵。

 長槍の穂先を隙間なくそろえて並べ、目前に迫るその圧倒的圧力を前に、それまでかろうじて統率を保っていた光神国兵も遂に浮足立つ。

 ある者は体勢を崩し、ある者は命令を待たずに後ずさりを始める、そんな状況を見、光神国軍指揮官はついに号令をかける。


「全軍後退。魔道士隊、全力で煙幕を展開、撤退の時間を稼げ!」


 下される、待ちに待った指示。

 それを聞いた光神国兵は、先の鉄砲兵と対照的に、重い盾を捨て、敵に背中を見せ、我先にと統率の欠片かけらも無く退却を始める。

 だが猛然と突進する帝国軍の長槍隊に、光神国兵は一人、また一人と追いつかれて呑み込まれ、討ち取られていく。

 もしこの時、光神国側が槍隊を前に出し、正面からぶつかり合っていたなら、あるいは敗走した第一の陣列の兵が後方に新たに陣列を形成していたなら、こののちの展開は分らなかった。

 だが鉄砲、弓、盾、魔道士のみを抽出した部隊では、帝国軍の突進をとどめることは出来ず、敗走した第一の陣列の部隊は完全に戦意と統率を失い、新たに陣列を形成することなどできはしなかった。

 かくして帝国軍は、光神国軍の形成した二本の陣列を突破する。

 そしてこの時点で、丘の城に攻勢をかけていた光神国軍の部隊のうち、まだ三分の一ほどが、陣内への撤収を終えていなかった。

 



「帝国軍、丘の麓に展開した味方部隊の防衛線を突破。このままでは、退却中の部隊が追撃を受けます!」


 そんな戦況を、やや小高い位置にある本陣から見てとり、光神国軍将校の一人が、指揮官ラルクセムに向かって叫ぶ。

 そんなことは言われずとも分かっている。

 その場にいた誰もが心の中で吐き捨てるが、それを言葉にすることはない。

 今は退却の際、光神国軍魔道士が全力で展開した煙幕が功を奏し、かろうして時間を稼いでいる。

 だがそんなもの、いつまでももつわけがない。

 何か手を打たなければ、退却中の部隊は敵の追撃を受け、大損害は免れない。

 それどころか最悪の場合、敵が退却する味方と一緒になって陣内に付け入る可能性すら出てくる。

 もしそうなれば、陣地の防御は全く意味をなさず、今度こそ劣勢の挽回は不可能となる。


「急ぎ長槍隊及び騎兵隊各500を出撃させ、撤退を支援させよ。加えて航空隊に緊急出撃を要請! さらに陣地木戸は早い段階で封鎖、決して敵の付け入りを許すなと、急ぎ前線に通た――」


 指揮官ラルクセムが周囲に意見を求めるわずかの時間すら惜しみ速断する。

 だがその言葉を遮るように、戦場を突如切り裂く猛烈な爆音。


「何事だ、丘の城か」


 将校の一人の言葉に、ラルクセムは視線を丘の城に向ける。

 見れば、城の城壁から黒煙が上がり、一部が視認できるほど大きく崩壊しているのが確認できる。

 

「事故か――」


 将校の一人が呟く。

 すでに光神国軍が退却した現状では、そう考えるのが自然だった。

 この事故で、撤退の時間を稼げる。

 光神国軍将校の多くがそう思うのと、崩壊した城壁に軍勢が現れるのは同時。

 次の一瞬、その軍勢は崩壊した城壁からあふれ出したかと思うと、なだらかな丘の斜面を駆け下り、撤退する光神国軍に向かう。


「てっ、帝国軍です。奴ら、城壁を自ら破壊して、丘の斜面を駆け下って我が軍に!」


 若い将校が丘を指さし、顔面を蒼白にして叫ぶ。

 丘の麓と、丘の北斜面、二方向から迫る帝国軍。

 状況は理解できても、対応は思いつかない。

 目前に迫る濁流を視界に収め、しかしラルクセムはただ、頬を冷や汗が伝うのを感じることしかできなかった。

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