第42話 朝駆け
小鳥のさえずりと共に、僕は目を覚ます。
時は早朝、空は群青に染まり、地平線からは光があふれる。
城内に異常はないか?
僕は先ず上体を起こし、城内を見回す。
早朝にもかかわらず、城内では多くの見張りの兵が動き回り、鎧を身に着け待機した兵が、体を冷やさないようたき火で体を温めている。
どうやら僕が眠っていた夜の間、敵の襲撃はなかったらしい。
だがまだ油断はできない。
夜が明け、間もなく朝食というこの時間こそ、最も兵の気が緩みやすい時。
実際多くの見張りの兵が疲れ切った表情を浮かべ、目をこすっている。
僕もまだ強い眠気が残り、体中に疲労が蓄積している状態だ。
だが一晩眠らせてもらえた僕がそれを言うのは、あまりに贅沢というもの。
そう僕は少量の水で目を洗い、自分で自分の頬を叩いて目を覚ますと、夜の内に二か所完成した見張り台の一つに向かう。
「おはよう、バーム」
見張り台の上で三角座りをして瞳を閉じていたエイミーが、僕に気付いて目をさまし、声をかけてくる。
どうやらその体勢で一晩を明かしたらしい。
さすがに胴鎧と頭に付ける鉢金は外しているが、それでもこの体勢のまま一晩を明かしたのであれば、体には相当の負担がかかっているはずだ。
「大丈夫エイミー? 昨日までも諜報兵の掃討に索敵と、働きずくめで疲れてるだろうに」
僕が声をかけると、エイミーは微笑を浮かべ、力強く、
「大丈夫、慣れてるから。それに戦は初めが肝心、ここが踏ん張りどころ。まだ危機は去っていない」
そう答える。
慣れている、というのは本当なのだろう。
だがそれでも、万全な状態の彼女を知る僕に言わせてもらえば、やはり隠しきれない疲労が、雰囲気ににじみ出ているように感じる。
「夜が明けたら必ず休んで」
僕はそう釘をさすと、見張り台から麓を見下ろす。
敵の陣は完成度がかなり上がっていた。
とはいえ、あくまで自軍の防衛を主眼としたもので、城からは距離もあり、正面から攻撃するための塹壕や土塁はまだ築城されていないように見える。
当然、この城の逆茂木にも堀にも異常は見られない。
そして敵陣を動き回る敵の見張りと思われる兵の動きも、ゆっくりとしたものだ。
「……夜明けも近いこの時間に動きがみられないなら、奇襲は無い……のか?」
そう呟き、エイミーの方に視線を向ける。
その彼女の瞳がひときわ大きく見開かれたのは、まさにその瞬間の事だった。
直後彼女は、はっとした表情を浮かべると、その場で即座に立ち上がり、麓に視線を向ける。
そして数拍の後、獣のように獰猛な、しかしその内に恐怖を秘めた鋭い表情を浮かべると、
「伏せてバーム!」
叫ぶと同時、僕の体に飛びついてくる。
その一瞬、反射的に抵抗しそうになる僕。
だが敵を引き倒す挙動に慣れている彼女の足が、僕の足の関節にかかる。
その時になって、抵抗すべきではないと判断が追い付いた僕は、彼女に身を任せるように膝を折り、そのまま床に引き倒される。
そうして背中から伝わる、床にぶつかる衝撃に、僕が息を詰まらせるのと、見張りの兵の叫びが城内に響き渡るのは同時だった。
「敵襲!」
城内のどこからか放たれたその声に、見張り台にいた他のオークの兵士は、しかしいまだに状況を把握できていない様子で、慌てて辺りを見回す。
だが次の一瞬、響き渡る、小さな雷鳴を束にしたかのような銃声。
直後宙を舞い、僕の頬に降りかかる赤い液体。
一拍の後、辺りを見回していたオークの兵がうめき声を上げ、その場にうずくまる。
声が出なかった。
身動き一つできなかった。
これが、戦争。
「大丈夫バーム? けがはない?」
武人としての勇ましい表情で、冷静に尋ねてくるエイミー。
僕は直ぐには反応できなかったものの、何とか小さく数度頷くことで答える。
そんな僕の反応を見、彼女もまた小さく、だがしっかり一度頷くと、続いて隣でうずくまっていたオークの兵を見る。
「被弾した? 肩ね。大丈夫、でも直ぐ手当しないと。自分で動ける? そう、バーム、彼に肩を貸してあげて」
オークの兵の反応を聞き、エイミーが僕に言う。
だがあまりの状況に、僕はとっさに返事をすることができない。
するとそれまで平静を保っていたエイミーが、突如怒りに表情をゆがませ、
「人の命がかかってるの速く!」
そう怒鳴りつけてくる。
その言葉に、僕は慌てて頷くと、起き上がってエイミーと共に、そのオークの兵の傷口を布で抑え、ごく簡単に止血する。
そして僕がオークの兵に肩を貸すと、エイミーは、
「その人のこと、お願い」
そう言って、外していた鉢金を頭に着け、胴鎧には手も付けないまま、見張り台を覆う壁の上に慎重に頭をだし、辺りの状況を確認する。
僕は彼女の事が気になりながらも、今は人の命がかかっていると、その人を支える事に集中する。
「すまねぇ」
苦しげに言葉を絞り出すオークの兵士。
その肩からにじみ出る生暖かい液体が、僕の肩を濡らし赤く染める。
「大丈夫、あなたは助かります」
そう兵士を励ます僕。
直後、辺りに木霊する再びの銃声。
瞬間、エイミーの方を振り返る。
壁の下に頭を下げた彼女は、手際よく胴鎧を身に付けながら、
「行って!」
そう言葉で僕の背中を押す。
今は彼女を信じる時。
僕は再び前を向き、救護所を目指す。
城内では鎧を身に着け待機していた兵は勿論、眠っていた兵達もまた慌てて飛び起き、それぞれの持ち場に向かう。
鎧を身に着ける間もなく、武器のみ手に取って戦場に赴くものさえいる。
そんな時、火のついた矢が敵陣から無数に飛来し、城内の至る所に突き刺さる。
防火対策はきいているか?
僕はオークの兵を支えて歩きながらも、火矢の突き刺さった城壁や、矢除けのために設けた屋根に視線を向ける。
それらに塗られた泥は確かに防火効果を発揮しているようだった。
ただし全ての箇所に泥が塗られていたわけではなかった。
作業が追いつかず、泥の塗られていなかった箇所では、吹きやまなかった北東の風にあおられ、火が徐々に燃え広がってきている。
さらに火を消そうと城壁から身を乗り出した味方兵を、敵の矢が襲う。
「落ち着きなさい!」
城内に木霊する、芯の通った冷静な一声。
声の元に視線を向ければ、城の中央、矢除けの屋根も無い場所に堂々と仁王立ちする人影がある。
ティアさんだ。
「火矢と言っても簡単に燃え広がることはない。慌てず、各所に配置した水で鎮火させなさい。泥の塗られていない箇所には、あらかじめ水をかけ、湿らせて対応すること。鎧を身に着けていない兵も、慌てず、身支度させなさい」
放たれる的確な指示。
それを聞いた伝令の兵が即座に動き、前線の将校に指示を伝える。
将校は下士官に、下士官は兵に指示する形で、軍全体が動く。
「敵軍、突撃を開始。逆茂木に取り付きます!」
前線から放たれる叫び。
それと同時、再び鳴り響く銃声。
見張り台で弓を構えていたゴブリンの兵が銃弾に倒れ、多くの兵が身をすくませる。
「怯えないで!」
直後放たれる叫び。
その言葉に、多くの兵が声の主に目を向ける。
僕もまた、聞き覚えのあるその声に、反射的に視線を向ける。
そして視界に飛び込んできた情景に、思わず目を見開く。
そこには、狙われやすい見張り台の上に堂々と身をさらすエイミーの姿があった。
「あの距離からの射撃では、たとえ鉄砲と言えども十分な威力も命中精度も発揮できはしない。このまま反撃すれば、高所と城壁の利ある我々の方が有利。だから慌てないで!」
そう叫ぶと、エイミーは再び見張り台の壁の裏へと身を隠す。
その直後、再び鳴り響く銃声。
それと同時、エイミーの立っていた見張り台に、複数の銃弾が着弾する。
だがエイミーの言葉通り、それらは狙いが定まっていない様子で、見張り台周辺にばらついて命中し、壁も貫通できずめり込むにとどまる。
「聞いたでしょう。まともに撃ちあう分には我々の方が有利。今度はこちらの番。弓隊、投石隊、前へ!」
放たれるティアさんの一声。
最初は動揺していた兵たちも、エイミーとティアさんの冷静な反応と指揮に、徐々に平静を取り戻し、それぞれ指示に従って動き始める。
だがその時、それまで動きの無かった城の南西方向から、全く別の銃声が響き渡る。
何が起こっているのか?
程なく、その方面の見張りについていた兵が叫び声を上げる。
「城の南西方向に敵部隊! その数、およそ1000。味方の平城を攻撃中!」
新たにもたらされる報告。
ティアさんは平静を保ったままだが、オークやゴブリンの将校たちは表情をゆがませる。
さらに今度は別の兵が、空を指さし、表情を蒼白にして口をパクパクと開閉させる。
「そっ、空に、影が!」
その言葉に、将兵のほとんどが一斉に視線を空に向ける。
果たして一拍の後、偵察を妨害するため味方が上空に展開した分厚い霧の向こうから、巨大な何かが風を切り迫る音が響き渡る。
そして程なく、その音は羽ばたく音に変化したかと思うと、数拍の後、巨大な影が猛烈な風を巻き起こし、霧を突き破りその全容を現す。
コウモリを思わせる、前足が進化した巨大な二枚の翼に、肉食恐竜を思わせる強靭な二本の足。
鱗に覆われた体躯に、やや長い首、肉食恐竜かトカゲを思わせる頭に、長い尾。
そしてその頭には手綱が、背中には鞍が取り付けられ、鎧を身に着けた人間の兵がそれにまたがっている。
「にっ、人間の飛竜部隊だ!」
オークとゴブリンの兵が叫ぶ中、霧の向こうからは風を切る音が次々と迫り、やがて複数の黒い影が霧の向こうに浮かび上がる。
麓と空、二方向からの挟撃に、この時の僕は、ただケガ人に肩を貸したまま、呆然と状況を見守ることしかできなかった。
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