第41話 夜襲と睡眠

「丘の北面に位置する部隊のみ、動きが活発? たったそれだけの理由で?」


 ゴブリンの将校が驚愕のあまり言い放つ。

 確かに、敵の奇襲を予想する根拠として、その理由だけではあまりに貧弱なように思う。

 だがエイミーは至って真剣な表情のまま続ける。


「敵軍を率いている将が何者かは分りません。けれど布陣や哨戒の厳重さから察するに、かなり堅実かつ慎重な人物だと思います。陣地の築城も短期決戦というより、ある程度長期的な戦にも対応できるよう、それなりに力を入れて行っているように見えます。敵軍も物資兵糧が不足している状態でのこの強行軍、兵もかなり疲労しているのは間違いない。加えて城攻めであるということを考慮すると、現状の兵力では心もとない。

 堅実な人物であれば、無理な攻撃は控え兵を休ませ、陣地の築城と情報収集に努めたいと思うのが普通。でも一方で、時間をかければかけるほど、我々帝国側の城の完成度が高まり、陥落させづらくなるのもまた事実。となれば先ず思いつくのは奇襲。

 この状況で奇襲が読まれる可能性が高いのは、敵も恐らく承知していると思います。しかし全く行動を起こさないこともためらわれる上、築城が不十分な今なら、例え奇襲そのものを読まれたとしても、力で押し切れる可能性もある。

 そこで丘の北面の最前線に布陣している部隊。兵数800程のあの部隊だけが、動きが活発。強行軍でかなり疲労しているはずのこの状況で、です。もし明日の昼間に攻撃を仕掛けるつもりなら、今晩は兵を休ませたいはずなのに。

 それともう一つ、これはいつまで続くかわからないですが……今日の風向きは北東」


 エイミーの最後の言葉に、話を聞いていた将校全員がはっとした表情を浮かべる。


「火攻めか」


 将校の呟きに、エイミーは真剣な表情でうなずく。

 城攻めにおいて有効な戦法の一つ、それが火攻め。

 これを実行するには風上に布陣する必要があるが、今日の敵はその条件を満たしている。


「これまでのこの地域の気象条件からすると、この風向きがこのまましばらく続く可能性は十分ある。それに今晩の月は満月に近い、明るく、夜襲には向いた条件だ」

 

 さらに別の将校が、補強するように言う。

 これでエイミーの話の信憑性はさらに高くなった。


「もちろんそう思わせることで、我が方の疲労を強いる敵の策である可能性もあります。しかしこの連日の築城で我が方の兵の疲労も極限に達しています。その今を突かれれば、厳しい戦になるのは間違いない。少なくとも備えは必要かと」

 

 エイミーはそう、視線をティアさんに向けて言う。

 その言葉に、ティアさんは視線を僕に向け、


「現状で火攻めを受けたとして防げる? バーム?」


 そう尋ねてくる。

 その言葉に、僕は城全体を見回し、再度状態を確認してから口を開く。


「表面に泥を塗る対策は施していますが、作業が追い付いていない箇所が多々見受けられます。他に水を張った桶を各所に配置したり、かがり火の数を増やし、鳴子も準備したいところ。他にもやりたい作業はたくさんあります。現状でも800程度ならなんとか防げるとは思いますが……」


 僕は実戦経験がないながらもそう返答する。

 だがティアさんは首を横に振り、


「攻撃が800人程度で行われるなんて決めつけは危険よ。仮に最初の攻撃が800だったとしても、戦況を見て援軍を派遣する事だってできる。それに敵が仕掛けてくるのも、城の北面とは限らない。もし私が敵の大将なら、城の北に陽動の部隊をだし、別方向から攻めるような手も考える。

 でも可能性を言い出したらきりがない。本当はこちらから奇襲をかけるような手も考えていたのだけど、今夜は様子を見ましょう。見張りの数を増やし、夜襲と火攻めへの対策を固め、一部の兵は敵の攻撃に備え、鎧を身に着けたまま待機させて。南の平城のゲウツニーにも、同じように伝えて。それとバームはもう寝て、これ以上の無理は今後に響く」


 そう決定を下す。

 だがその言葉に、僕はその場で直ぐ頷くことができなかった。

 ティアさんはそんな僕の反応を見、意外そうな表情を浮かべる。

 ティアさんの決定が不服だったわけではない。

 問題は彼女が最後に添えた一言。 

 周りを見ればエイミーも他の将校も、僕と同じことを思ったらしく、揃ってティアさんに視線を集める。

 それから数秒、ようやくティアさんもそのことに気付き、しかしその意図には気づく事ができない様子で、


「――どうしたの、皆?」


 そう問いかけてくる。

 どうやら本当に僕たちの思っていることが伝わっていないらしい。

 これは非常に問題だ。

 そうティアさんを除いた周り全員が同じことを思い、困惑の表情を浮かべたその時、


「一番休まないといけないのはティアだよ」


 皆を代表して言ったのは、やはり緑さんだった。

 その言葉に、ティアさんはこの時になって初めてはっとした表情を浮かべる。

 だが直後、彼女は表情を冷静沈着な将としてのものに戻すと、


「私の事は大丈夫、皆心配しないで。見張りや築城、戦闘に備え待機している将兵には、悪いけどもう少しだけ頑張ってもらわないといけない。けど、その他の者は休むのが仕事。だから休むべき時には休んで」


 そう笑顔で答える。

 だがその言葉に、頷くものは一人としていない。

 気づかない訳がない。

 この連日の築城作業の間、病み上がりの体の彼女が、ほとんど休んでいなかったことに。

 その目の下には濃い隈ができ、作られた笑みには悲壮感すら漂っている。

 

「お言葉ながらこの者の言う通り、総帥には直ぐにでも休んでいただかねば」

「総帥の身に万が一のことがあれば、我々は終わりです」   


 将校達が口々に言う。

 だがその言葉にもティアさんは首を横に振り、


「この連日の築城作業、加えて今晩も夜襲に備えなければならない。将兵にこれだけ無理をさせて、自分だけ休むわけにはいかない。大丈夫、勝負は明日の朝まで、日が昇ったら休ませてもらうから」


 そう再び無理に笑顔を作って言う。

 その言葉に、将校達は頷くこともできないが、反論することもできない。

 ティアさんの言う事にも一理ある。

 そうして大将の頑張る姿は、将兵の戦意にも影響するだろう。

 だが、


「それで倒れたら元も子もないだろ」


 緑さんは、なお強く言い放つ。

 それはその場にいた全員が思っていることで、ティアさんを除く全員が、それに同調するように頷く。

 だがその言葉に、ティアさんは唇をかむと、獣のように獰猛な表情を浮かべ、


「実戦を知らないあなたは黙ってて!」


 そう怒りをはらんだ声を緑さんに叩き付ける。

 その余りの剣幕に、僕や周りの将校達は圧倒されてしまう。

 だがそんな彼女を前にして、緑さんは口を一文字に食いしばると、頬を赤く染め、


「ふざけるな!」


 逆に怒り吠え叫ぶ。

 今度圧倒されるのはティアさんの方だった。

 緑さんは怒声で続けて、


「俺は実戦は知らない、けどお前のことはよく知ってる。今までもそうやって無理を押し通してきたんだろ? そして今までもなんとかなってきたからって、思ってるんだろ? 何ともなるわけないだろ! その分お前の体がボロボロになってるだけだ!」


 そう言い放つ。

 その言葉を、先ほどまでの獰猛な表情はどこへやら、蒼白な表情で受け止めるティアさん。

 その頃になると、緑さんの目は潤み、怒りに染まっていた表情と声は、哀しみをはらんだ、懇願するようなものへと変化した。


「……僕だって気持ちは分っているつもりだよ。でもそれでティアの身に何かあったらと思うと、夜も眠れない。頼むから、もう休んで。他の皆だって、そう思ってる」


 緑さんはそう結んだかと思うと、地面に膝をつく。


「ちょっ、まっ、待って緑」


 その意図に気付いたティアさんが慌てて止めようとする。

 だがそれも聞かず、緑さんは頭を深々と下げ、額を地面に付ける。

 

「お願いだから、休んでティア。この通りだから」


 そうしてプライドも何もなく頭を下げる緑さんに、ティアさんもまた膝を地面につけ、


「緑待って、お願いだからやめて。そんな頭を下げられても、私――」


 そう普段は見られない、おどおどと慌てた様子を見せる。

 だが緑さんが下げた頭を上げることはない。

 そんな様子を見て、周りの将校達もまた深々と頭を下げると、


「我々からもお願いします。どうかこの場は我々に任せ、一刻も早くお休みください」


 揃ってティアさんに言う。

 事ここに至って、さすがのティアさんもそれ以上我を通すことはできなかった。 


「分った。分ったから、頭を上げて」


 ようやくティアさんの口から飛び出したその言葉に、緑さんと将校達は頭を上げる。

 そんな中、ティアさんは疲れ半分、呆れ半分といった表情を浮かべ息を吐く。

 だが直後の一瞬、彼女は確かに、どこか嬉しさを含んだ、照れくさそうな表情を浮かべると、


「今からしばらくは休ませてもらうから。でも何かあった場合はもちろん、何もなくても夜明けまでには起こして。それと緑、」


 そう言って人差し指を立て、それを緑さんの眉間に突きつける。


「あなたも寝る事」


 その言葉に、緑さんは目を丸くする。

 緑さんもまた、ティアさん同様ここしばらく体を休めていなかった。

 だがティアさんの言葉が予想外だったのか、緑さんはしばらく驚愕の表情を崩さない。

 今度はティアさんの番だった。


「どうせ私が休んでいる間は、自分ががんばろうなんて思っていたのでしょう? 自分の事を棚に上げて、そんなことはさせない。私が休んでいる間は、あなたも休むこと。それができないなら、私はこれからも一生休まないわ」


 そう言って、ティアさんはわざとらしくそっぽを向く。

 そんな彼女の態度に、緑さんはしばらくの間、おどおどとした様子で周りを見、だが助け舟を出してくれる人がいないことを確認すると、最終的には折れ、


「分った。一緒に休もう。後は皆に任せて。だから機嫌、直してよ」


 そう言って手を差し伸べる。


「――しょうがないなぁ」


 とティアさん。

 だがその表情には、隠しきれない笑みが浮かんでいた。

 

 そんな二人を、微笑ましげに見つめる僕達。

 だがそれは、ティアさんという指導者を欠いた状態で、夜を迎えることを意味する。

 

「大丈夫よバーム。私が必ず持たせるから」


 そう言ってのけるエイミー。

 

「いや、これは我々の戦。総帥が不在でもやっていけることを証明し、安心していただかねば」


 そう口にし、頷き合う将校達。 

 残された者たちの表情には、自負心のほかに、確かな緊張が透けて見えた。

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