第三章 築城です!

第35話 帰還

「――こいつら、生きてるか?」


 誰かのしゃべり声が聞こえる。


「一応。というか、ただの行き倒れのようですね。しかし、いくら敵も兵糧が不足しているとは言っても、こんな行き倒れを出すほどではないはずですが。それに人間の兵三人はともかく、このハーフオークは一体何者でしょう?」


 人のものとは異なる荒い声、ゴブリンだろう。

 どうやらようやく目的地近くまでたどり着いたらしい。

 後はティアさんの事を知っている者に出会えればよいのだが。

  

「どうします? 捕縛して連れ帰る余裕、ありますかね?」

「いや、ハーフオークを連れている辺り、我々の懐に潜入しようとしていた可能性もある。うかつには手を出さない方が――」


 そう一人が言いかけたところで、


「いや、潜入しようとしている兵が、こんな所で行き倒れたりしない……でしょ?」


 ティアさんが残りの力を振り絞ってつっこむ。

 今まさに行き倒れて死にかけている僕達からすれば、生きるか死ぬか、命がけのつっこみだ。

 

「――やはりこの場で殺す方が無難か……」

「しかし捕縛可能な敵兵は捕えるのが決まりです。後で捕えなかった罪を負わされても面倒ですし、ここは素直に捕えて、あとの判断は上に任せる方が良いのでは?」

 

 そんな下級の兵らしいやり取りを繰り広げるゴブリン達。

 

「――何でもしゃべるから、何か食べ物を。ほ、本当に死んじゃう……から」


 そう何とか口にして、しかしそこで体力が尽きたか、ティアさんは本当にガックリ項垂うなだれる。

 単に気を失っただけだと思いたい。

 このゴブリン達にとっては救国の英雄というべき存在が、こんなところで道半ば行き倒れて野垂れ死にしたとあっては、悪い意味で歴史に名を残してしまう。


「――絶対に抵抗できないよう入念に拘束した上で、将校に引き渡すことにするか。もちろん食料は簡単には渡せないが」

「それにしてもこいつら、どこかで見た事があるような……気のせいか?」


 そう言って、ゴブリン達は僕たちを拘束し始める。

 この何気ない判断が、国の命運と歴史を変えたことに、この時このゴブリン達は全く気付かなかった。

 

 


 

「ラダウ砦が降伏しました。城主の切腹と引き換えに兵は助命。助命された兵300は現在この城に退却中とのこと」


 軍議の席にもたらされる伝令の報告。

 直後、集まったゴブリンやオークといった魔物の将校たちの誰もが息をのみ、場を深刻な空気と沈黙が包み込む。

 ここは闇の大帝国の城の一つ、スオママウ城。

 神の治める人間の大国、大光神国との国境近くに位置する、前線の拠点の一つである。

 そして中央大陸の南端に残された帝国最後の領土をめぐり、光神国と激しい激闘が繰り広げられている現在、帝国軍の主力部隊と首脳陣が集まり、軍議が開かれていた。


「ラダウ砦が陥落したとなれば、敵軍主力は真っ直ぐ街道を南下してくるでしょう。となるとこれを防げるのはこの城の他、いよいよ最後の拠点、クワネガスキ城以外ありません。クワネガスキまで防衛線を下げるのは論外として、このスオママウ城は守るには良いですが、打って出るには向かない城。そうなるとどの地点で、いかにして敵を迎え撃つか……」


 将校の一人が告げる。

 陥落したラダウ砦は主要街道を抑える重要な砦の一つ。

 そのラダウ砦が陥落した今、その南に位置するスオママウ城は帝国側防衛線中央の次なる最前線拠点。

 街道を俯瞰する位置にあるこの城は、岩山に築かれた難攻不落の山城。

 標高400メートルという高さにありながら、山頂付近で水が湧くなど、守るにはよい城だ。

 反面その標高の高さと規模の小ささ、周辺の地形が災いし、麓を抑えられると容易に打って出ることができないという弱点もはらんでいる。

 

「このまま城の麓を固めるのが定石でしょうが、数に勝る敵を相手に麓を守り切れるかどうか。万が一にも麓を抑えられてしまった場合、敵はこの城に抑えの兵のみを残し、残りの主力でクワネガスキを直接攻撃する恐れも出てきます」


 別の将校の告げる懸念に、他の将校達も頷く。

 現在この城に集まっているゴブリンやオークで編成された帝国兵は3000名。

 このうち山頂付近に築かれた城内にいるのは600名。

 城の規模が小さくそれ以上は入りきらないため、残りは山の中腹や麓の館に陣を構えている。

 一方迫る光神国軍主力は約15000。

 麓の陣や館は防御力が低く、この数の差を補いきれない。

 そして麓を陥落させたならば、敵はわざわざ難攻不落の防御力を持つ山頂の城塞を攻略せずとも、城から打って出ることができないよう抑えの兵のみを残し、進軍することが可能となる。

 次のクワネガスキ城も優れた防御力を持つ城ではある。

 だが同時に、絶対に落とされることの許されない最後の拠点であることを考えれば、そこまで敵の侵攻を許す事態そのものを避けなければならない。

 だが現在の兵力で野戦に打って出た所で、勝ち目はない。


「現在の兵力で打って出ることはできない。やはり麓の守りを固め、敵を迎え撃つこととする」


 ゴブリンの総大将、ゲウツニーが断を下し、軍議は終了となる。

 だが軍議を終え、各々の持ち場に向かう将校たちの表情はすぐれない。

 そう、戦況は明らかに帝国側に不利だ。

 このままではジリ貧。

 しかしそれが分っていながら、守りを固めること以外、打つ手がない。

 それ程までに戦力差が大きいのだ。

 

 こんな時に総帥がいてくれたら。


 ゲウツニー他、多くの将校達の脳裏をよぎる思い。

 総帥、ティア。

 人間達が闇の帝王と呼び、恐れた存在。

 それまで各勢力ごとに分かれ、まとまりのなかった数々の魔物や闇の部族を一つの大きな勢力としてまとめ上げ、人間たちが闇の大帝国と呼び、恐れる勢力に仕立て上げた。

 そしてその大軍勢を率い、それまで魔物や闇の部族にはなかった優れた戦略と戦術で、光神国の大軍勢を度々打ち破り、苦しめた。

 

 彼女がいたころなら、例え敵が数倍する大軍勢であろうと、皆恐れず戦った。

 それでも勝てる、勝ってみせるという、絶対の自信と気合があった。

 いまさら言ってももう遅い。

 彼女は決戦に敗れ、捕えられてしまった。

 莫大な労力を割いて行方を追ったが、辺境の大監獄に投獄されたという以外、情報はなかった。

 その大監獄から脱獄者が出たという噂もあるようだが、結局のところ、その生死も知れない。

 もはやこの世にいないと考える方が自然だ。

 希望にすがりついてばかりではいられない。

 彼女がいなくても、前に進まねばならないのだ。


「ゲウツニー中将、前線で怪しげな敵兵4名を捕えたとのことです。行き倒れで倒れていた所を捕えたとのことで、かなり衰弱しているようです。そのうち1名はハーフオークとのこと。お会いになりますか?」


 伝令がゲウツニーに報告する。

 その言葉に、ゲウツニーの側近の将校は訝しがり、


「敵も兵糧の調達に苦心しているとのことだが、行き倒れを出す程ではないはず。となると罪を犯し何らかの制裁を受けての事か、それとも我々の懐に飛び込むための罠か……」


 そう呟く。

 だが仮に罠だったとしても、ゲウツニーの答えは変わらない。


「会おう」


 そう毅然とした態度で答えるゲウツニー。

 その言葉に、将校は顔をしかめ、危険だと止めようとする。

 だがゲウツニーそれを制し、


「わずかな危険を恐れては軍を率いることはできない。総帥ならそう言うはずだ」


 そう答える。

 その言葉に、将校は一瞬、はっとした表情を浮かべる。

 そして制止するのをやめ引き下がると、代わりに腕利きの護衛を呼び、万一に備えた上で、


「連れてこい」


 そう指示を出す。

 その言葉に、伝令もまた威勢よく返事を返し、捕えた敵兵を連れに向かう。

 総帥ティアがいなくなった後、その意志を引き継ぎ、軍を建て直し、ここまで持ちこたえさせたのはゲウツニーの手腕によるもの。

 総帥ティアを失い絶望する事も、いたずらに攻勢に出る事も無く、兵の混乱を収拾し、血気にはやる将兵を抑え、ひたすらに守りを固めさせた。

 一見消極的なようでいて、その実豪胆。

 山のように動かぬその不動の精神が、軍全体の崩壊を防いできた。

 だがそれももはや限界。

 それが分っていながら、それでもゲウツニーは毅然とした態度を保ち続ける。

 そんなゲウツニーの元へと、連れてこられる敵兵4名。

 いずれも泥にまみれ、やせ細り、衰弱している。


「顔を上げろ。命が惜しくば、我々の質問に知っていること全てを答えるのだ。さもなければ死より辛い拷問が、お前達を待ち受けているぞ!」


 将校が強く、厳しく言い放つ。

 するとその時、4人の中で誰よりも早く顔を上げるものが一人。

 右目に垂直方向に筋状の、左頬に火傷による赤く痛々しい傷を負った敵兵。

 その顔を見、将校は何度か目を瞬いた後、腕でこすり、


「――おかしい、この者、どこかで見たことがあるような……? いや、しかし人間に知り合いなどいないはず、一体どこで――?」


 そう呟く。

 すると敵兵は口を開き、


「カムラ少尉、よね? 私の事、覚えて、ない? ウルグの戦いの時、夜襲を命じた時の……事」


 そう尋ねてくる。


「――!? なぜそのことを? あの時は総帥直々に命じられて、他に知る者など――」


 敵兵の言葉に、将校は驚愕の表情を浮かべながらそう口にし、そこではっとする。

 それと同時、普段から冷静な表情を崩すことのないゲウツニーが、その細い目を見開き、その敵兵の顔をまじまじと見つめる。

 ゲウツニーの目じりから清らかな水滴があふれ、頬を伝い筋を作ったのは、その数拍の後の事だった。


「――総帥」


 ゲウツニーのこぼした一言に、周辺にいたすべての将兵の視線がその者に集まる。

 そんな中で、敵兵の装備を身に着け、男装までしたその者は、衰弱しきった様子ながら、ゲウツニーの言葉に笑顔で答えるのだ。


「ただいま、ゲウツニー」


 深刻な沈黙を破る、優しい言の葉。

 それは暗闇に閉ざされていた彼らの未来に差し込んだ、一筋の光のようですらあった。 

 その直後、それまで将兵の前では毅然とした態度を保ち続けてきたゲウツニーが、その表情を皺くちゃにする。


「総帥!」


 それまで被ってきた冷静沈着な将軍という仮面をかなぐり捨てるように、ゲウツニーは叫ぶ。

 そして人目を一切気にすることなく、両手を広げてティアに飛びつき、抱きしめる。

 衰弱した今のティアにとっては、余りに強い力で抱きしめる彼。

 だがそれでも、ティアは優しげな表情と共に彼を受け止め、その頭を撫でる。

 

「今まで大変だったでしょう? 私がいない間、よく頑張ってくれた。ありがとう」


 返される言葉に、ゲウツニーは一層強い力で、そのか細い体を抱きしめる。

 それが夢でない事を確かめるように。

 だが数秒の後、遂にティアは苦しげな表情を浮かべ、 


「ごめんゲウツニー、喜んでくれるのは、うれしいけど、くっ、苦しい」


 そう必死に呟く。

 その言葉に、ゲウツニーは慌ててそれ以上抱きしめるのをやめる。

 ティアはようやく引き締めから解放され、今度は逆に安らかな表情を浮かべると、


「ありがとう。ところで、なにか食べ物が、欲しいのだけど。お腹が減って、死にそうなの。でも、今はだんだん気持ちよくなって、眠たくなってきちゃった。もうこのまま寝てもいいかな?」


 そう呟いて、そのまま目を閉じ倒れそうになる。


「ま、まずい。このまま寝たら死ぬぞ。寝るな、寝ちゃダメだ。起きろ、起きろ! 何か、食べ物を持ってこい。いきなり米はダメだ。胃に優しいやつを持ってこい。早くしろ、せっかく帰ってきた総帥が死んじまうぞ!」


 ゲウツニーの叫びに、敵の大部隊の奇襲受けたかのようなパニックに陥る城内。

 ともすればコミカルに見えなくもないこの救国の英雄の帰還が、しかし後の歴史を大きく塗り替えることを、この時居合わせた多くの者が感じ取ったのだった。

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