第31話 蛟

「行くぞ」


 放たれる、低く押しつぶすような神の一声。

 それと同時、槍の石突で地面を軽く小突くファルデウス。

 すると小突かれた砂の地面に一点の闇の染みが生まれる。

 はじめ小さかったそれは、しかし数秒の内、会場全体にまで範囲を広げ、闇の淵を形成する。

 自分の足元まで覆う闇に、僕は恐怖する。

 だがその闇は、文字通り底無しの、どれほどの光をもってしても照らし出せないのではという深さを感じさせながら、しかしそこに身が沈むということはない。

 

 その闇の淵の中央に佇むファルデウス。

 やがて数秒の内、その淵の表面がさざ波立ったかと思うと、やがてそこに現れる巨大な影。

 細長い、全長三、四十メートルはあろうかというその巨影は、闇の淵を泳ぎ回り、やがてファルデウスの隣にその巨大な頭を出す。

 その全容は蛇に似て、しかし龍を思わせる頭部や四肢をもつ、みずちとでも表現すべきもの。


 直後、槍を天高く掲げるファルデウス。

 蛟はそれを見、その鎌首をもたげると、耳が痛くなるほどの大きく不気味な咆哮を上げる。

 こんな化物相手に、どう戦えというのか。

 僕がそう思う中、しかしエイミーはその蛟の瞳を正面から睨み中段に構えをとる。

 緑さんは弦の切れた弓を地面に置き木刀に持ち替え、木刀を振りかぶり上段に。

 ティアさんはラルルのペガサスを迎え撃った時と同様、左手に疑似魔法石を二つ握り、杖の石突を地面に突き差してしゃがんだ上、杖の先端を蛟に向ける。


 次の一瞬、掲げた槍を僕たちに向け振り下ろすファルデウス。

 その動作に合わせるように、その顎をこれ以上開けないところまで大きく開き、一気に僕たちに向け突進する蛟。

 その刹那、迫る蛟の巨大な顎が、視界一杯に映し出される。

 恐怖のあまり身を強張らせ、目蓋を閉じることさえできなかった。

 だがその瞬間、響き渡るティアさんの叫び。


「穿て、パイク!」


 叫びと共に、二つの疑似魔法石を一度に消費し蒼く細長い炎の槍が形成され、目一杯開かれた蛟の喉元へと伸びていく。

 喉の奥に突き刺さる!

 僕は心の奥で叫び、勝利を確信した。

 だが次の一瞬、炎の槍が喉の奥へと突き刺さるより先、蛟は顎の向きを横へと逸らすと、炎の槍を口に咥えるように、その顎を閉じる。

 

「――!? まずっ」


 慌てたティアさんの声が漏れるのと、槍を口に咥えた蛟が、そのまま顎を横にひねるのは同時。

 次の一瞬、槍を抱えるように抑えていたティアさんの体は、しかしその力を全く抑えることができず、抑えていた槍ごと空中へと跳ね上げられてしまう。

 

「――ティア!」


 叫ぶと同時、緑さんは振りかぶっていた木刀から手を離し、空中へと跳ね上げられるティアさんの足に間一髪で飛びつき、その体が宙高く飛ばされるのを防ぐ。

 そんな中でエイミーは、蛟の巨体に臆することなく突進し、蛟の目を狙い槍を突きだす。

 だが槍が当たる直前、蛟が目蓋を閉じつつ慌ててその顎を引いたため、槍は狙いを外れ目の付近の鱗に直撃するも、その硬さを前に弾かれてしまう。

 一方、緑さんのおかげで宙高く飛ばされずに済んだティアさんは、その間に槍を収め蛟の顎から逃れる。

 そうして地上1、2メートル程の高さから地面に落ち、体を打つ二人。

 そんな中で顎を引いた蛟は、その頭を再び闇の淵へと沈め、深みへと潜り始める。

 それから数秒、ティアさんと緑さんは痛みに呻きながらも、立ち上がって地面に落ちた得物を拾い体勢を立て直す。

 そしてそんな二人の元に戻り、再び密集して守りを固めるエイミー。

 一方の蛟は僕たちの足元の闇の深みへ潜り、完全に姿を消す。

 

「位置を特定できる?」


 ティアさんが尋ねるが、エイミーは首を横に振る。

 この得体のしれない闇が、通常の魔力による探知を困難にしているのだ。

 

「浅いところにいるなら波と影で大体の位置は分るけど、深みに潜られれば探しようがない。逆探にも反応はないし……でも直接ファルデウスを攻撃するのは奴の手の内、ここは我慢ね」


 ティアさんが呟く。

 エイミーが魔力切れで、緑さんには最初から魔術を使える様子がない。

 こうなると魔術戦はティアさんが頼りだが、神たるファルデウスが持つだろう膨大な魔力を考えれば、余力はないはずだ。

 そんな状況でティアさんが攻撃に出てしまえば、そこを蛟は必ず突いてくる。

 とはいえ防戦一方では膨大な魔力を持つ神を相手に勝ち目はない。

 鍵となるのはやはり、エイミーの投槍。

 だがそのチャンスは恐らく一度きり、そのタイミングを見極めねばならない。

 そのためにもなんとかして、位置を特定しなければ。

 そう思うのと、足元に濃い影が現れるのは同時。


「――よけて!」


 響き渡るティアさんの叫び。

 それと同時、慌てて身を翻し僕の体へとぶつかってくるエイミー。

 一方のティアさんは緑さんの襟を掴み、無理やり後方へと引っ張る。

 その衝撃とかけられる全体重に、僕はバランスを崩し、後方へと尻餅をつく。

 その直後、僕たちが一瞬前まで立っていた場所に飛び出してくる蛟の巨体。

 ティアさんとエイミーのおかげで、なんとか助かった。

 だが僕がそう思うのと、


「まだよバーム!」


 エイミーが叫び、僕の胸元を掴んで無理やり横方向に転がるように引くのは同時。

 そのエイミーの動きに、僕は状況が理解できないながらも逆らわないように、動作に合わせて体を動かす。

 密着する体、感じる女性らしい体の凹凸。

 だが今はそんなものに心を奪われている場合ではない。

 彼女に命を預け、身を横に転がす。

 横に流れる視界。

 一瞬後、そこに映し出される蛟の巨体。

 淵から飛び出した蛟が身を翻し、淵に戻る返す刀で頭上から降り落ち、僕たちに襲い掛かってきたのだ。

 そうして再び間一髪、その攻撃から逃れる僕達。

 それと同時、心の内に安堵と共に広がる無力感。

 僕は完全に足手まといだ。

   

「バーム、大丈夫?」


 息も絶え々え立ち上がる僕に、エイミーが声をかけてくる。

 だが次の一瞬、心の内から湧き上がってくる熱い何か。


「ごめんエイミー、でも大丈夫、おかげで目が覚めた」


 僕は唇をかむ。

 何が足手まといだ。

 それは単に僕にやる気がないからじゃないか。

 そう、僕は勝手に自分は無力だと決めつけて、努力することをしなかった。

 そんなこと許されない、僕自身が許さない。

 確かに僕は戦う術、特に攻撃手段は持っていない。

 けれど僕だって、何もせずただ守られてここまで生き残ってきたわけじゃない。

 ハーフオークとして、それでは生きられなかった。

 そう、僕は戦うことはできなくても、生き延びることは得意だ。

 

 蛟が攻撃のために動いている隙を突き、ティアさんが淵の中央に佇むファルデウスに向け直接熱線を放つ。

 だがファルデウスが槍を振るうと同時、その動作に合わせるように淵から飛び出した蛟の尾がその熱線を弾く。

 そう、この巨大な蛟は、いわばファルデウスの巨大な槍なのだ。

 さらにファルデウスが槍を突きだす。

 するとそれに合わせ、闇の淵から飛び出し、顎を開き真っ直ぐ僕達へと突進する蛟。

 

「緑!」


 ティアさんが疑似魔法石を消費しながら叫び、杖を緑さんへ向け振るう。

 それと同時、緑さんの木刀が薄緑色の光に包まれ、刃渡り120センチはあろうかという大太刀が形成される。 

 そして次の一瞬、突進してくる蛟の額へと、その大太刀を振り下ろす緑さん。

 次の一瞬、ぶつかり合う蛟と大太刀。

 鳴り響く轟音、衝撃にさざ波立つ闇の淵。

 ぶつかり合いは互角。

 その衝撃に後退し合う両者。

 

 ファルデウスはそれを見、槍を下段から上方向に切り上げる。

 すると蛟は頭を引き、身をうねらせ、尾を足元から振りあげ緑さんを襲う。

 この攻撃に緑さんは防ぎ手がなく、横方向にバランスを崩すように挙動し回避を図る。

 その挙動はキレのあるものだったが、敵の尾の攻撃範囲はそれより広く、振り上げられた尾の端が緑さんの足先を捉え、それだけで緑さんは空中へと跳ね飛ばされてしまう。

 

「緑!」


 ティアさんが必死で叫び、緑さんを救うべく蛟の頭部へと熱線を放つ。

 だが蛟もまた顎を開きそこに黒い炎の火球を発生させると、ティアさん同様に小さく収束させ、しかし熱線にはせず火球のまま放つ。

 直後、空中で激しくぶつかり合う熱線と火球。

 火球にぶつかり、何本にも細く分れた蒼い熱線は、闇の淵を裂き波立たせ、観客席の障壁を斬り裂き、石造りの席を深く抉り、溶かして赤い液状にする。

 だが黒い火球は蒼い熱線を押し割りティアさんへと迫る。

 

 力と力のぶつかり合いでは、ファルデウスには勝てない。

 エイミーはそれを見、しかし僕の方に視線を向け、足を止める。

 僕の身を心配し、動くことがでいないのだ。

 だがそんな彼女に、僕は、


「行ってエイミー、自分の身は自分で守るから!」


 そう啖呵を切って、懐からある物を取り出す。

 エイミーはそれを見、それでも一瞬、心配そうな表情を浮かべる。

 だがそんな彼女に、僕はわざと笑顔を浮かべ答える。

 彼女はそれを見、ようやく頷き、敵に視線を戻し突進を始める。

 僕はそんな彼女の背中を見送った後、手にしたそれを見やる。

 僕もまた、戦闘に加わる。

 戦闘に関しては知識も経験も無い僕だけど、生き残ることに関しては自信がある。

 絶対に皆の役に立ってみせる。


「皆伏せて!」

 

 叫ぶと同時、左手を敵に向け、あるものを手にした右腕を掲げ、ものを投げる体勢をとる。

 そうして僕は、生まれて初めて、自らの意志で、戦いに身を投じるのだった。

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