第32話 龍

 蒼い熱線を押し割り迫る黒い火球。

 ティアさんはそれを見、追加で疑似魔法石を消費し、別の魔法陣を浮かべる。

 その直後、そこに現れる、薄緑色の光を放つ龍の腕。

 次の一瞬、蒼い熱線を押し切った蛟の黒い火球を、その龍の腕が受け止める。

 龍の爪が火球を切り裂く。

 だがそれでも火球の勢いが衰えることはなく、龍の腕はにわかに押され、その圧力に後退し始める。

 

 そして数秒のぶつかり合いの後、巻き起こる爆発。

 火球を何とかしのぎ切ったティアさんだったが、その爆風に吹き飛ばされ、地面を転がる。

 そんなティアさんの元へと、先ほどの尾の一撃で傷ついた左足を引きずりながら、懸命に駆け寄る緑さん。

 疑似魔法石を消費して何とかしのぎ切れる状況。

 だがその数にも限りがある。

 一方の蛟の方は、まだ余力がある様子だ。

 そして地面に倒れたティアさんと、駆け寄った緑さんに狙いを定めるように目線を向ける。

 

 僕はそんな状況で、手にしたあるものを宙へと放り投げる。

 それは放物線の軌跡を描いた後、蛟の目の前の地面に落ちて転がった後、小さな爆発を起こし、猛烈な黒煙を上げる。

 それは手投げ式の煙幕。

 それ単体では単に視界を阻害するだけのものだが、僕たちが探知の魔術を妨害する装備を身に着けている現状においては、大きな威力を発揮する。


「――こざかしい」


 聞こえてくるファルデウスの呟き。

 だが攻撃の音が聞こえてこない所からすると、どうやら敵はこちらの位置取りを把握できていないようだ。

 しかしその代り響き渡る、蛟が再び淵の中深くへと潜り始める音。

 それと同時、蛟の持つ魔力の反応もまた消え、正確な位置を補足できなくなってしまう。 

 だが僕はここでわざと振動探知の魔術を使う。

 振動探知の魔術というのは、魔術により微弱な振動を水中、または地中に放ち、その反応で敵の位置を索敵するもの。

 だがその特性上、振動を発している位置を逆探知されることで、自分の位置をもさらしてしまう危険性をはらむ。

 そしてファルデウス程の力量の者なら、それこそあっという間に、そして極めて正確に位置を特定してくるはずだ。

 

 程なく、振動の反応で蛟の位置が判明する。

 僕はその情報を、通常の通信魔術で他の三人へと伝達する。

 だが程なく、当然とばかり僕の足元へと急速に移動を始める蛟。

 しかしそれは元から承知の上のことだ。

 そんな中、黒煙の中から放たれる蒼白い閃光。

 黒煙に阻まれその全容は分らない。

 だがその光は蛟の進路上に複数展開されると、やがて淵の中深くへと沈むように消えていく。

 

「爆雷、爆ぜよ!」


 放たれるティアさんの一声。

 それと同時、淵深くから猛烈な爆音が響き渡ると、闇の淵の表面に高さ7、8メートルには達しようかという巨大な闇の水柱が列になって立ち並ぶ。

 それと同時、辺りに響き渡る蛟の悲痛な咆哮。

 確実にダメージを与えている。

 だが蛟は速度を落としながらも、淵深く潜ったまま僕の足元へと迫る。


 そこで僕は懐から一枚の紙片を取出す。

 その紙片は短時間の間、僕が用いた振動探知の魔術を発する効果を持つ。

 これを用いて、神の目を欺く。

 問題は逃げるタイミングと、速度。

 僕も単純な加速の魔術を使うことはできるが、敵の目を欺くためにも、魔術は使うべきではない。

 頼れるのは自分の脚力だけ。 

 間もなく煙幕も晴れる、チャンスは一度きり。


 程なく、淵深く潜った蛟が、一気に浮上を始める。

 できるだけ、引き付ける。

 可能なだけ細かく振動を発し、その深度を見極める。

 20、15、8、今! 

 その一瞬、紙片を地面へと投げ捨て、僕自身は振動探知の魔術を切り、横方向に全力で地面を蹴る。

 直後、空中を飛ぶ僕の背後、紙片を投げ捨てた地点から飛び出す巨大な影。

 次の一瞬、僕の左足の甲と右足のつま先を叩く、硬く大質量の何か。

 それと同時走る、皮膚が裂け、骨や靭帯が傷つく激痛。

 強烈な衝撃に体が空中で回転し、猛スピードで視界が流れていく。

 そんな中響き渡るファルデウスの声。


「下郎、味な真似を!」


 その憎々しげな声が、僕が駆け引きに勝ったことを伝える。

 その刹那の後、視界を覆う薄緑色の閃光。

 地面を覆う底なしの闇をすら照らし出さんばかりにまばゆいその光が、そのまま僕達の希望となって未来を照らし出す。


「ありがとバーム、値千金よ!」

 

 響き渡るティアさんの叫び。

 それから数秒、僕は空中を何度か回転した後、背中から地面に叩きつけられる。

 背中から体内を伝い、内臓までを襲う強烈な衝撃、走る激痛、詰まる息。

 だが早く逃げなければ、二撃目が来る。

 しかしそれが分っていながら、僕は痛みのあまり、その場で呻く以外、何もできなかった。


 啖呵たんかを切ったところでこの程度、僕はここまでなのか? 


 一瞬後、僕は仰向けに地面に横たわったまま、そんな諦めに近い思いと共に、目蓋を開く。

 その視界に映し出される、コッロセオ上空の快晴の空と、そこに浮かび頭上から顎を大きく開き落ちてくる蛟の巨影。

 刹那の内、距離を詰め迫るその顎に、僕は死を覚悟する。

 だが直後、地面から僕の背中へと連続して伝わる衝撃。

 その一拍の後、突如蛟の横合いから差し込んだ薄緑色の光が、僕の視界を包み込む。


 その一瞬、僕は目を見開くことしかできなかった。

 薄緑色の光で形成された龍の顎が、横合いから蛟を襲い、その喉笛に食らいついたのだ。

 想定外の横槍、蛟は驚愕と苦悶に表情をゆがめつつ、顎を一杯に開き、空中で身を大きくうねらせ、襲撃者の顎から逃れようとする。

 だが蛟が全長三、四十メートルはあろうかというその巨体を全力でうねらせても、一度喉笛に食らいついた龍の顎から逃れることはできない。

 闇の淵から完全にその全容を現した蛟の巨体が、コロッセオの上空に広がる快晴の空を覆い、宙をのたうつ。

 そんな中、龍は蛟の喉笛を咥えたまま勢いよくその顎を横へ薙ぐように振るう。

 直後、蛟の巨体は宙に浮かんだまま横へと振り回され、闇の淵の覆っていない観客席へと向かう。

 

 観客席を覆っていた障壁が、ガラス細工のようにたやすく叩き割られ、粉々に砕け散る。

 そうして石造りの観客席へと容赦なく叩き付けられる蛟の巨体。

 耳が痛くなるほどの轟音、背中を拳で殴られるかのような衝撃と激痛が走る。

 観客席の石段を成していた、重量にして数トンはあろうかという巨大な石片が無数に宙を舞う。

 舞い上がった茶色の粉塵が、瞬く間に辺り一帯を覆う。

 程なく、宙を舞っていた石片が雨となって地上へと降り注ぎ、僕の体にも小石がいくつもぶつかり、肌を叩き傷つけ赤く染め、その部位からまた激痛が走る。

 そうして周囲を粉塵が包む中、僕は息を詰まらせながら身を横に転がし、痛む体にムチを打ち、足を引いて何とか立ち上がる。

 

 激痛の走り続ける足先を見れば、履いていた靴の左足の甲と右足のつま先部分が裂け、赤い血がにじみ出ていた。

 立った姿勢を維持し、ゆっくり歩くのがやっと。

 背中と内臓からも、かなりの痛みが走る。

 それでも、役に立てた。

 そんな満足感が僕の心を包む中、しかし不意に巻き起こる猛烈な突風が、舞い上がった粉塵を急速に晴らしていく。

 それと同時、それまで地面のみを包んでいた闇が、壁、快晴の空に至るまで広がり、程なくどこまでも闇に包まれた世界が僕たちの周囲に形成される。

 

 そんな世界の中心に佇むファルデウス。

 程なく、観客席に叩きつけられ、失神して動かなくなっていた蛟の巨体が黒い粒子となって崩れて消える。

 そうして蛟を下した薄緑色の光を放つ龍は、後ろ足二本で立ち上がった姿勢のまま体をファルデウスへと向け、睨みつける。

 僕はようやくこの時になって、この龍の姿をまじまじと見つめる。

 全長約20メートル、翼長約30メートル。

 全体的には東洋の龍を彷彿とさせ、しかしやや太い胴体と、それを支える強靭な四肢、背中の巨大な二枚の翼は西洋の龍を思わせる。

 美しい薄緑色の鱗に覆われた全身は、薄緑色のオーロラのような光に包まれる。

 その顔立ちは精悍でありながら、瞳はこの世の全てを受け入れるような慈愛に満ちた、圧倒されるほどの龍。


 その龍を形成するのはティアさん。

 だが杖を両手で地面に突き差し、巨大な魔法陣を浮かべるその表情は苦悶に満ちる。

 その姿はほとんど杖にすがっているようで、肩を上下させ激しく息を切らし、その肌を滝のような汗が流れ落ちる。

 腰に身に着けている残り5つほどの疑似魔法石全てを使用しているようだが、それでも支えきれないほどの負担の様だ。

 緑さんはそんなティアさんの前方に立ち、守るように木刀を構える。 

 そんな二人を、ファルデウスは冷たい表情で見つめ、


「見事だ。だがそれもこれまで。その健闘を称え、わしが自らの槍で葬ってやろう」


 そう呟き、投槍の構えをとる。

 直後、その槍は黒い闇に包まれ、やがて全長6、7メートルはあろうかという巨大な黒い闇の投槍が形成される。

 その細長い穂先は螺旋に渦巻く漆黒の闇の旋風をまとい、さらにその外側には黒い稲妻が走り、轟音を巻き起こし、世界を震わせる。

 だがその一瞬、


「そうはさせない!」


 放たれる、決意と希望に満ちた一声。

 世界を包む闇を切り裂く、青白い閃光。

 地面に青白い光の線で形成された巨大な魔法陣が浮かび上がる。

 そしてその中央に立つ人影が、その槍を掲げ、投槍の構えをとる。

 エイミーだ。


 その一瞬、全員の視線が彼女に集まる。

 右手に掲げられる巨大な、青白い光を放つ投槍。

 放たれる、ファルデウスの槍のまとう闇に負けないほどの閃光。

 それはティアさんから渡され、これまで全て温存してきた疑似魔法石を一度に使用し形成されたもの。

 足元に浮かび上がる極めて完成度の高い魔法陣は、僕の元を離れてからずっと攻撃の準備をしていたことを伺わせる。

 そうして周到に準備された投槍は、試合開始直後に彼女が放った全力の投槍に並ぶか、上回るほどの輝きを放つ。


「――よかろう、ならばまとめて吹き飛ばしくれる!」


 放たれるファルデウスの一声。

 それと共に、投げ放たれる漆黒の投槍。

 

「やれるものなら、やってみろ!」

 

 それと同時響き渡る、残された全ての力を絞り出すかのようなティアさんの声。

 直後、顎から尾の先端まで龍の背筋が真っ直ぐ伸ばされた後、巨大な翼が大きく開かれ、より強い薄緑色の光が放たれる。

 そして顎が大きく開かれ、そこに蒼い火球が形成されると、一度小さく収束したのち、放たれる蒼い炎の熱線。

 立っているのもやっとというほどの、猛烈な熱風が辺りを薙ぎ、僕の体を襲う。

 熱線の反動で、龍の巨体を支える足の爪が地面を裂き割り、徐々に後退していく。


 そんな中、エイミーは僕の方に視線を向ける。

 そしてこれまでで最大の笑顔を浮かべると、口を開くのだ。


「ありがとう、バーム」


 そしてエイミーは再びファルデウスへと視線を戻すと、浮かべた笑顔を崩さないまま、叫ぶのだ。


「この一撃を、お父様、お母様、そしてバームに捧げます。

 穿て、バーム・ヘクトール・メテオーラ!」


 闇を切り裂く閃光と共に、放たれる一撃。

 最後の一瞬は、目前に迫っていた。

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