第29話 決断
「ルイさんが……闇の、帝王」
僕の口を自然とついて出るその名前。
それと同時つながる、これまでの出来事。
「黙っていてごめんなさい。でも、その名前で呼ぶのはやめて。もう慣れたけど、あまり呼ばれて気分がいいものじゃないから。それと、私の本当の名前は、ティア。これからはティアって呼んで」
ティアさんがそう、視線をファルデウスに向けたまま僕たちに本当の名を告げ、
「僕も、本当の名前は、
続けて緑さんがそう名前を告げる。
「ティアさんに、緑さん。わかりました」
僕が答えると、二人はわずかに笑みを浮かべる。
「……闇の帝王、なるほど、貴様が。となれば、その隣に立つ貴様は例の、緑光の魔女を継ぐ者、か」
二人を睨み、ファルデウスが言う。
だがその言葉に、二人はその表情を曇らせ、緑さんが口を開き、
「――彼女の事を魔女と呼ぶな。それに、緑神の伝説は僕とティア、二人で一人」
そう強く言い放つ。
緑光の魔女、または緑神。
それはかつてこの世界を支配した人間の古代文明を滅ぼしたという一人の少女の呼び名。
緑光の魔女が世界を滅ぼした悪魔的意味合いで用いられるのに対し、緑紳は彼女の、世界を救う優しい女神としての側面を指して用いられる。
そして緑紳の伝説とは、彼女の所業を記した伝説の総称。
だがファルデウスが言った、緑光の魔女を継ぐ者、という言葉の意味は分からない。
そして疑問が解消されないうち、ファルデウスと二人の会話は続く。
「……貴様らの名などどうでもいい。どのみちその命、この場にて潰えることになるのだからな」
感情的に言い放った緑さんと対照的に、ファルデウスが淡々と告げる。
その言葉に、緑さんはそれ以上言葉を重ねても無駄と判断してか、口を閉ざす。
すると今度は、ティアさんが口を開く。
「聞かせなさい。なぜエイミーをそこまで追い詰めるの? エイミーが多少あなたの信頼を損なうような行動に走ったといっても、本心から逆らうつもりなどないことくらい、分っていたはず。それにバームとの関係を認める方が、総合的にあなたの利益につながる。それをあなたほどの者が理解できないはずがないし、利益のために偏見を捨てる事くらい朝飯前でしょ。なのに、なぜ?」
その言葉は先ほどまでと異なり、感情を感じさせない冷静なもの。
だがファルデウスはその言葉に、逆に不気味な笑みを浮かべ、
「下郎、誰の許しを得て神たるこのわしにものを申しておる。と、本来なら言うべき所だが、冥府への土産に、特別に答えようではないか。確かに、そのバームとかいう者の存在を認める方が、わしにもたらされる利益は大きい。そしてわが娘、エイルミナのわしに対する忠誠心、これも最初から疑ってなどおらぬ。
許されぬのは、わが娘がわしの命に背いたこと。ただそれのみ。わが娘であるということはすなわち、わしの所有物であるということ。そうである以上、勝手に動く事は許されぬ。まして命に背くなどもってのほか。他は二の次じゃ。いかにわしの利益につながろうと、わしの思い通りにならぬ者など、必要ない」
そう愛情の欠片も感じさせない様子でたやすく言ってのける。
「――人を物のように言う。一人の父親として、それを許容できるわずかの情も持ち合わせていないというのか?」
怒りをはらんだ声で緑さんが問いかける。
その言葉を、ファルデウスはあざ笑い、
「いかにも人間らしい考え方だ。そのような人としての情など、このわしが持とうはずが無かろう。なにせわしは、」
そこで一拍の間を置いた後、当然の事実とばかり言ってのけるのだ。
「神、だからのう」
その言葉を聞いた瞬間、二人から放たれる、目に見えんばかりの怒気。
「――そう。なら、あなたとこれ以上の会話は不要ね」
ティアさんがそう、表面上は冷静な、だがその裏に今にもあふれ出さんばかりの怒りをはらんだ声で言う。
そして視線をファルデウスに向けたまま、今度はエイミーに向け、
「エイミー、力を貸して。あなたの力が必要よ」
そう言葉をかける。
その言葉に、エイミーは目を見開いた後、一度顔を伏せる。
そして数秒の思考の後、再び顔を上げると、
「今の私じゃ足手まとい。それに……誰が何と言おうと、ファルデウスは風前の灯だった私の命を救い、育ててくれた第二の父。でも……その代わり、お願いがあるの」
そう言って、槍を握る指に力を込める。
だがその瞬間、ティアさんが、
「バームを連れて逃げて、とでもいうつもり? そしてあなたが時間稼ぎをするの?」
そう先手を打って言う。
その言葉に、エイミーは先ほどにもまして大きく目を見開く。
ティアさんは続ける。
「じゃあバームはどうなるの? あなた無しじゃ、バームは幸せにはなれない。自己犠牲は確かに美しいけど、それじゃあ誰も幸せになれない。それにあなたも、本当はバームと一緒にいたいんでしょ? これからも、ずっと」
そう、核心を突くように告げるティアさん。
その言葉に、エイミーは言葉を失い、黙り込む。
だが数秒が過ぎても、彼女は泣きそうな表情を浮かべるのみで、その場から動くことができない。
「――恩を仇で返すことになるのが、気にかかるのか?」
緑さんが尋ねる。
その言葉に、エイミーは歯を食いしばる。
返ってくる沈黙という答えに、緑さんは続けて、
「父の恩に報いる最大の方法、それは父を超える事。それに譲れないものがあるんだろ? だったら先ずは刃を交えてでも、自分の成長と、その譲れないものを見せつけて、あの頑固親父に認めさせてやるんだ。残りの恩を返す方法は、あとで考えればいい。もちろん負ける可能性だってあるし、勝ったところでそのあとのあてはない。でも今は先ず、この場を乗り切ること、だろ?」
そう言ってのける。
確かに、今は道理よりも、この場を乗り切り、生き残ることの方が先決。
だがその言葉を聞いても、エイミーは動くことができない。
「――この父を、祖国を裏切るか。風前の灯だったそなたの命を救い、受け入れ、姫として養い、育んできたこの父と、国を?」
ファルデウスがエイミーを追い詰めるように言う。
「――分っておる。そなたにそのような事、できようはずがない。わしは知っておる。そなたの元の世界の父は、それはそれは立派で、誇り高い英雄だった」
その一瞬、エイミーは驚愕の表情を浮かべファルデウスを見る。
そんな彼女に、ファルデウスは涼しげな表情を変えないまま続ける。
「神たるこのわしが知らぬことなど、あろうはずが無かろう? そなたの元の世界の本当の父は、国に戦をもたらした弟を叱りこそすれ、見捨てはしなかった。そして国のため、命を賭して戦い、最後は無敵の大英雄との戦いに臨んだのだ。そのような父を持つそなたが、大恩あるこのわしと、国を、裏切れようはずが無かろう。それは英雄たる元の世界の父の名に、泥を塗ることを意味するのだからな。
それにそなたは異世界人だ。そして今まで、数々の魔物の命を奪ってきた。そんなそなたの居場所など、この国以外あろうはずがなかろう?」
ファルデウスの言葉に、エイミーはいっそう目を見開く。
考えてみれば、エイミーにとって闇の帝王は、長年命をかけて争ってきた宿敵。
そしてこの国にとっても、必ず滅ぼさなければならない最大の敵。
そんな存在に協力するということは、ファルデウスのみならず、この国そのものへの裏切りを意味する。
エイミーがこの国で積み重ねてきたもの、たくさんの仲間たち、その全てを捨てることになる。
かつての仲間と刃を交えることにだってなりかねない。
そんな決断、そう簡単に下せるはずがない。
例え自分の命がかかっているのだとしても。
では、僕はどうしたいのか?
ファルデウスとこの国、ティアさんと緑さん。
どちらを選ぶかと問われれば、間違いなく後者だ。
初めて出会ったときから僕の事を認め、協力してくれた恩人。
例えその裏に何か思惑があったのだとしても、僕を認め、協力してくれたという事実に変わりはない。
だがエイミーが一緒に来ないというのなら意味はない。
僕の一番の望みは、彼女のそばにいる事なのだから。
だが今この状況においては、もっと大きな望みがある。
そしてエイミーをこんな状況に追い込んでしまった者として、ここで黙っているのは卑怯だ。
これを口にすることで、僕はエイミーを、もっと追いつめてしまうだろう。
だがそれでも、僕は言わなければならない。
それは僕の義務であり、使命なのだ。
腹は、決まった。
「わしの元に戻れ、今ならまだその罪、特別に許してつかわそう。これが父としての、最後の情だ」
決断を迫るファルデウス。
その言葉に、さらに視線を落とすエイミー。
僕はそんな彼女と、正面から向き合う。
「エイミー」
名前を呼んで、今にも泣きだしそうな彼女の潤んだ瞳を、正面から見据える。
そんな僕を、見つめ返すエイミー。
一度口にしたならば、二度と引き返すことはできない。
だが僕はもう止まらない。
そうして大きく息を吸うと同時、決意するのだ。
僕は、悪魔になる。
そして目の前にいるこの無垢なる天使を、悪の道へと、引きづり落とすのだ。
「お願いだ。僕のためにあいつと、お父さんと戦って。そして僕と一緒に、逃げてほしい」
口にした瞬間、それまでエイミーの瞳の奥に輝いていた光が、暗闇にかすんだように見えた。
良心が、僕の心を突き刺す。
だがそれでも、僕は止まらない。
「今までこの国で積み重ねてきたもの、身分も、大切な仲間も、全部捨てて、裏切ることになる。戦って勝てる保証なんてないのは分っているし、勝ったところでそのあとのあてもない。でも、それでもいいから、今はティアさんと緑さんを信じて、一緒に戦ってほしい。第二の父さんを裏切ってでも」
重ねる言葉。
それを聞くたび、エイミーの瞳の奥の光は霞んでいき、やがて言い終えるころ、その光は完全に暗闇に包み込まれる。
言うべきことは言った。
後はエイミーが決めなければならない。
「わしの元に戻れ。そなたは他では、生きられないのだ」
ファルデウスが言葉を重ね、
「エイミー」
僕はただ、その名を呼んで、その無垢なる清き心を、闇へと誘う。
その一瞬、僕、ティアさん、緑さん、ファルデウス、4人の視線が、エイミーに注がれた。
10秒ほどの沈黙があった。
やがてエイミーは口を真一文字に食いしばると、地面に落としていた視線を、決意と共に上げる。
そして獣のごとく獰猛な表情を浮かべると、それまでと異なる、少し闇を秘め霞んだ、だが確かな光を宿した瞳で僕を見据え、告げるのだ。
「責任、とってよね」
瞬間、僕の心を射抜く声。
それと同時、浮かぶ笑み。
それはそれまでの彼女の、純真無垢なものと異なる、穢れと苦悩に満ちた、いたずらっぽいもの。
だがその変化がむしろ僕には、それまでより人間らしくなったように映るのだ。
そしてエイミーは僕の鍛えた槍の柄を強く握りしめる。
そして立ち上がると、ティアさんと緑さんの間に入るように並ぶ。
「――この父を、国を裏切るというのか? 元の世界の父の名に泥を塗るというのか?」
ファルデウスの鋭い眼光が、彼女の瞳を見据え、その心を捉える。
だがもはやエイミーは揺るがない。
そして逆に笑みすら浮かべると、強く、気高く、誇り高く、言ってのけるのだ。
「いいの、私の帰る場所は、もうここにはない。今の私の帰る場所、それは今、私の背中を見つめ、そばにいてくれる彼の元のみ。それを守るためなら私は、例え世界が、お父様が相手だろうと、戦って見せる!」
響き渡るエイミーの、堂々とした声。
それは観客が一人残らず逃げ出し、会場を包み込んでいた沈黙を切り裂き、世界に木霊する。
そして彼女は槍の切っ先をファルデウスの喉元に向け、その瞳を堂々と正面から見据える。
それはそのまま、彼女の決別と決意を示していた。
「――ありがとう。そしてこれからもよろしくね」
隣に並び立ったエイミーに、ティアさんが疑似魔法石をいくつか手渡しながら言う。
その言葉に、エイミーは疑似魔法石を受けとりながら首を横に振ると、
「――いいえ、むしろ、それを言うのはこちらの方。そしてお願いがあるの。私と、バームと一緒に、父と、ファルデウスと戦って。そして戦いの後は、必ず私たちを守って」
そう真剣にいう。
その言葉に、ティアさんは明るく、快い笑みを浮かべ、
「当たり前じゃない。あなた達二人は、私たちが責任を持って、全力で守ると約束する」
そう答える。
その言葉に、今度こそエイミーは心底安心しきった表情を浮かべる。
そして一瞬後、僕の前に並んだ三人は、それぞれに真剣な表情を浮かべ、立ちはだかるあまりに巨大な存在と対峙する。
「私が二人の杖になる」
ティアさんが杖を掲げて言い、
「僕が二人の剣になる」
緑さんが木刀の切っ先を敵に差し向け告げる。
「なら私は――」
エイミーはそう言って、槍を握る指に再び力を込める。
そしてほんの一瞬、背後の僕を振り向き見ると、あの日の光を思わせる笑顔と共に言ってくれるのだ。
「私はバームの武器になる」
その一瞬、暗闇に閉ざされた世界に、一筋の光が差し込んだように見えた。
そしてエイミーは再び正面の敵に視線を戻す。
敵は冥府の神ファルデウス。
挑むは闇の帝王とその仲間、それに無双の勇者エイルミナと、僕。
こうして世界の行く末をも揺るがす決戦が、始まろうとしていた。
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