第28話 仇為すもの
その一瞬、弦の弾かれる甲高い音が、それまで会場を包んでいた沈黙を切り裂く。
直後、風を切る音を伴い迫る矢に、ファルデウスは間一髪で反応し、わずかに体勢を崩しながらも身を翻しつつ盾を振るい、これを打ち払う。
鳴り響く金属音。
直後、ファルデウスはそれまでになく目を見開き、攻撃を仕掛けた主に視線を向ける。
だがそれと同時、僕の後方から放たれる青白い閃光。
次の一瞬、何とも表現しがたい甲高い音を伴い、ファルデウスに飛来する細く青白い炎の熱線。
眉間を狙い迫るその一撃に、ファルデウスはまた間一髪で反応し、盾で受け止める。
ぶつかり合う熱線と漆黒の円盾。
盾にぶつかった熱線が弾かれ、何本にも細く分かれあらぬ方向に飛び散る。
分れた熱線の筋が砂の地面を切り裂き抉り、あるいは観客席にかけられた障壁にぶつかり激しく軋ませ、観客に悲鳴を上げさせる。
その強烈な衝撃に、受け止めたファルデウスは、踏ん張った足が地面を削り滑るようにして徐々に後退していく。
その光景を間近でみていたエイミーは、しかし状況を見開いた目で見つめるのみで、その場から動くことができない。
だが僕はどうだ? どうするべきだ?
思うのと同時脳裏をよぎる、彼女の槍の存在。
剣と盾では敵わなかった。
でももし彼女があの槍を手にして戦ったなら?
思うのと、体が動くのは同時。
槍が落ちている場所を、僕はよく把握していた。
それ程離れた位置ではない。
だがファルデウスの鋭い視線が、僕の心を背中から刺し貫き、引き留める。
だがそれと同時、再び心の奥底から湧き上がる熱い何か。
僕はもう、負けない。
次の一瞬、僕は突き刺さったファルデウスの視線を振り払うように、全力で駆け出す。
そして地面にダイブするように、落ちた槍に飛びつき、無我夢中でそれを抱きしめる。
後は彼女にこれを届けるだけ。
そう思い、立ち上がって彼女の方に振り返る。
だがそこに映し出される、漆黒の槍を掲げ僕を睨み、投槍の構えを取るファルデウスの姿。
そこにあるのは先ほどまでとは比べ物にならない、本気で僕を仕留めようとしている者の浮かべる眼。
瞬間、全身に走る、本物の槍で突き刺されるかのような痛み。
だが僕はもう止まらない。
例え心臓を穿たれようとも。
次の一瞬、声にならない叫びと共に、僕は駆けだす。
「下郎、それほどまでに死にたいか!? ならばこのわしが手ずから冥府に送り届けてやろう!」
響き渡る声。
瞬間、槍の柄を握るファルデウスの指が、一層強く握り締められる。
だが直後、ファルデウスの足元から一つの人影がその腕に飛びつき、その投槍の動作を無理やり引き止める。
エイミーだ。
「何をする!? はなせっ、離さんか!」
腕に取り付くエイミーを、力づくで引き剥がそうとするファルデウス。
だがその腕に取り付いたエイミーは確かに首を横に振り、決してその手を離さず叫ぶ。
「嫌です!」
その叫びはファルデウスの声をも払いのけるかのように強く、響き渡る。
「貴様。離せ、離せと言っている。この父の命に背くのか!?」
再び放たれる、心を切り裂くような言葉。
その言葉に、エイミーはほんの一瞬だけ真っ白な表情を浮かべ、だがその間も、決して取り付いたその腕を離さない。
そして一拍の後、歯を食いしばり、必死の表情を浮かべると、また確かに、間違いなく自分の意志で、首を横に振りながら叫ぶのだ。
「例え、例えお父様の命でも、バームは、バームだけは――」
会場に木霊するエイミーの叫び。
その言の葉が、彼女を縛めるファルデウスの呪縛に徐々にひびを入れる。
そうして先ほどまで以上に固く腕に取り付く彼女。
ファルデウスはそんな娘の姿を見、その刹那、真っ白な表情を浮かべた後、わずかに口の端を吊り上げる。
だが瞬間の後、その表情を忌々しげに変化させると、投槍の動作を諦め槍をおろし、腕に取り付いた彼女の肩に足をかけ、力ずくで腕から引き剥がし、その体を地面に叩きつける。
「エイミー!」
叫びながら、僕は彼女の元に駆け寄る。
そこはファルデウスの槍の間合いの内。
だが僕は止まらない。
そうして地面に横たわった彼女の元にしゃがみながら駆け寄って、彼女とファルデウスの間に割って入り、両手を大きく広げ、ファルデウスの向ける槍の穂先の前に立ちはだかる。
「来るなら来い!」
見下ろすファルデウスの目を正面から見据え、僕は叫ぶ。
「――よかろう、二人まとめて冥府に送り届けてくれる!」
言葉と共に、突きの動作のため引かれる槍。
だが僕はその目を睨んだまま、視線を逸らすことも、目蓋を閉じることもしない。
そうしてしっかり見開いて、心の中で叫ぶのだ。
やれるものならやってみろ!
次の一瞬、その槍が突きだされるのと、それを遮るように横合いから斬撃が放たれるのは同時。
そうして横合いから割って入った木刀の斬撃は、エイミーすら対処が困難だったファルデウスの神速の突きを見事に捉え、柄の先端を打ち地面に叩き落とす。
直後、叩き落された槍を瞬間的に引き、これまでになく素早く、大きく退き間合いをとるファルデウス。
一方槍を叩き落したその人は、弓を握った左手を後ろに引きつつ、退くファルデウスに木刀の切っ先を突き付け、ファルデウスと僕達の間に割って入る。
リョクさんだ。
そして数秒の内、駆けこんできたルイさんもまた、リョクさんの隣に寄り添うように立ち、その杖の先端をファルデウスに差し向ける。
そうして他ならぬ正真正銘本物の神様に、得物の切っ先を向け立ちはだかる二人。
ファルデウスはそんな二人を、あの心臓を貫くような眼光で睨み、心を切り裂く刃のような重く鋭い声で言い放つ。
「……神たるこのわしの許可なくこの場に立ち、あまつさえ刃を向けるとは……まさに万死に値する所業。だがそれにも増して許しがたいのは、貴様らがこのわしと娘の会話に割って入ったこと。なにゆえ、誰の許可を得てわしと娘の会話を邪魔立て致す?」
言葉と共に、地面を打つ槍の石突。
その衝撃は何人をもひれ伏せさせる威圧感となって周囲に広がる。
だがその眼光と言の葉、衝撃を受けても、立ちはだかる二人は微塵も揺らがない。
そしてそんなファルデウスを見返し、逆にルイさんは、言の葉を紡ぎ始める。
「そうね……確かに私も最初は、口をはさむつもりはなかった。結果的に二人が幸せになれさえすれば、後は何も得られなくても引き下がるつもりだったし、最悪捕まってもいいくらいには思ってた。それにエイミーからも、手を出さないでって、言われてたしね」
ルイさんは、最初は静かに呟くように、だがそこで一度言葉を止めると、一拍の間の後、今度は心の奥底からふつふつと湧き上がる怒りをはらんだ声で、
「でも……やめたわ。あなたに父を名乗る資格はない。この子は、二人は、私たちがもらっていく!」
最後は叫ぶようにして言い放つ。
そしてルイさんはマントの留め具を外すと、左手で勢いよくそれを脱ぎ捨てる。
そうして露わになる姿。
全身を包むボロボロの、透けて見えそうなほど薄い純白の衣。
その隙間から覗く、傷だらけの肢体。
それまで何もついていなかったはずの左手と右足に浮かび上がる、千切れた鎖をぶら下げたままの白銀の枷。
その全身を猛烈な怒気と共に包み込む、薄緑色の魔力のオーラ。
直後、それまで濃い黒をしていたルイさんの髪が徐々に色を失っていき、やがて数秒の内、そこに現れる、薄い赤を帯びた白銀の美しい髪。
その姿は儚げで、見る人の心を掴み、切なく締め付けるような痛ましさと、表現しようのない美しさを秘める。
聞いたことがある。
神に仇為す大罪人を拘留するため、辺境の大地に築かれし大監獄。
そこに捕らわれる者は、闇の力を払う特殊な白い衣を身に着け、魔を封ずる白星鉄で鍛えられた白銀の枷と檻で縛められるのだと。
その大監獄に捕らわれた者で檻を出られた者は、これまで誰一人としていなかった。
つい昨今、その大監獄に捕らわれたある者が、脱獄を果たしたという噂が立つまでは。
そのある者は、それまで各勢力ごとに分かれ、まとまりのなかった数々の魔物や闇の部族を一つの大きな勢力としてまとめ上げた。
そしてその大軍勢を率い、それまで闇の勢力にはなかった優れた戦略と戦術で、この神の治める人間の大国、大光神国を度々打ち破り、苦しめた。
以来人々は、そのある者の一つにまとめ上げた闇の勢力とその支配する土地を、闇の大帝国と呼ぶようになった。
そしてその国を支配する、そのある者の名を、こう呼んだ――
――闇の帝王
それまで沈黙に包まれていた観客席から、自然と飛び出すその名前。
それは最初、たった一人の誰かの呟きにすぎなかった。
だが程なく、
――や、やみの……帝王。
――帝王だ。
――あれが……あの――
観客席から次々と飛び出すその名前。
それは数秒のうち、隣から隣へと伝播し、言葉はやがてざわめきとなり、そして程なく、
――帝王だ、闇の帝王だ、本物だ。
――てっ、帝王、あの大いなる光の神の子、セイン様を打ち破ったという、あの
――闇の帝王が出たぞ! 嘘じゃねぇ。みっ、みんな逃げろ!
そんな阿鼻叫喚の渦となる。
そうしてそれまで沈黙に包まれ、誰一人として動こうとしなかった観客達は、それまでと打って変わって立ち上がり、我先にと出口へと殺到する。
だがそんな大混乱の中心にあってなお、ルイさんは全く動じることなく、ただ毅然とそこに佇み続ける。
言いたい奴には言わせておけばいい。
そんな言葉が聞こえてきそうな、威風堂々とした背中を僕たちに見せつけて。
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