第27話 宣戦布告

 僕はこれでいいのか?

 投げかけられる自分の言葉に、しかし理性が即座に反論する。

 ではエイミーが殺されてもいいというのか?

 そもそもエイミーがこうなってしまっているのは、全て自分が悪いというのに?

 そうでなくても、今僕が下手な事をすれば、僕だけでなくエイミーにもまた迷惑がかかる。

 今僕が首を差し出しさえすれば、それでエイミーは許される。

 そうでなければ、二人とも死ぬ。

 ならば答えは決まっているではないか?


 そんな理性の答えに、しかし感情はむしろ冷静に、

 ならばこんな理不尽な命令を受け入れて、エイミーを不幸にしても良いというのか?

 そう反論する。

 理性は様々な反論を考えるが、即座には反応できない。

 そこにさらに感情が畳み掛ける。

 

 確かにこの場でこの首を差し出せば、エイミーは許されるのかもしれない。

 だがそれで本当にエイミーは救われるのか?

 そんなことをしてまで生き残ることを、彼女は望んでいるのか?

 知っているはずだ、彼女はもう、元の人形に戻ることなどできないことを。

 生きてさえいれば、またいいことはあるかもしれない。

 確かに、その可能性は完全には否定できない。

 だが、重要なのはそこではない。

 僕は、どうしたいのだ?


 エイミーのために、できることをしたい。

 そうだ、それが僕の本当の思いだ。

 彼女は今、圧倒的力に弾圧され、明らかに理不尽な命令を突き付けられている。

 こんなことを許していいのか?

 自分が弱い事も、ファルデウスの圧倒的力も関係ない。

 できるかできないかなんて今はどうでもいい。

 僕はこんなことを許していいと思っているのか?


 思っている訳がない。

 そうだ、こんな理不尽、許されていい訳がない。

 相手が神だろうとなんだろうと知ったことか。

 エイミーを不幸にするものがあるならば、たとえそれが神だろうと世界だろうと関係ない。

 僕はその存在を絶対に許さない。

 そして彼女を幸せにするために、できることは全てする。


 それは今、この首をエイミーに差し出すことか?

 それで彼女は幸せになるのか?

 確かに将来的には、その可能性が全くないとは言えないのかもしれない。

 だがそれは逃げではないのか?

 ただの諦めではないのか?

 その献身は美しいのかもしれない。

 だがそれはただ、そんな自分に酔っているだけではないのか?

 そんなことをして彼女を傷つけ、彼女を不幸にする存在を、僕は野放しにしてしまっていいのか?


 いい訳がない。

 だが無力な自分に、抗う力はない。

 そうして抗うことで、エイミーを道連れにしてしまうくらいなら。

 だが本当に重要なのはそこではないだろう?

 僕はエイミーを幸せにしたい。

 もっと具体的には? 僕自身は? そして彼女にとっての幸せとは?

 僕にとっての、彼女にとっての幸せ、それは……

 

 その一瞬、僕の脳裏をよぎる、聖剣授与式の際、エイミーと手を握り、隣に寄り添ったときの光景。

 直後この手に、体に、よみがえる温もり。

 そして思い出す、僕の手に飛びついた彼女の浮かべた、どこか安心しきった表情。

 その一瞬、僕は悟る。

 彼女にとっての幸せ、帰るべき場所。

 それはいまや、ファルデウスの元などではない。

 自惚れかもしれない。

 いささか恥ずかしくも思う。

 だが今は、彼女のためにも、そんなものは捨てて、認めなければならない。

 そして僕は、彼女のために、帰る場所を守らなければならない。

 そのためにできることは、全てしなければならない。

 

 では僕は、そのためにできる事を、全てしているか?

 首を差し出すこと以外で、できることは他に、本当にないのか?

 確かに自分は無力に近い。

 だが、なぜ自分一人でする必要がある?

 そう、できることは、どんなことでもしなければならない。

 どんなにカッコ悪くても、泥臭くても。

 そう、僕は彼女を幸せにすることができるのなら、その可能性がわずかでもあるのなら、どんな手段もいとわない。

 そのためならば、プライドを捨てるくらい、安いものだ。

 ならば後は、行動するだけ。

 

 気張れ、ここが僕の、一世一代、天下分け目の戦いのとき!




 心が叫ぶと同時、現実に引き戻される意識。


「娘よ、わしはこう見えて、あまり気が長い方ではない。決断できぬというのであれば、それはわしの最後の情に対する拒否であると、そう判断するが?

 そなたはいままでどれだけの魔物をその手にかけてきたというのだ? 今更ハーフオーク一人、何をためらう必要がある?」


 そう、ファルデウスはさらにエイミーに詰め寄る。

 その言葉に、エイミーは顎に当てられたファルデウスの槍の穂先に逆らうように、一度その顔をおろし、視線を地面に落とす。

 その目じりからあふれ、頬を伝う清らかな流れが、顎先で赤い流れと合流し、地面にしたたり落ちる。

 

 数拍の沈黙があった。

 エイミーはそれから、握り締めた指をもう一度開き、また砂をかきむしるように握り締める。

 そして全身に力を籠め、歯を食いしばり、身を震わせながら、ゆっくりと、だがしっかりファルデウスを見上げ、その瞳を正面から見据える。

 その瞳に、再びよみがえる光。

 彼女はまだ、諦めていない。

 だがこのままでは勝てない。


 その一瞬、僕は口を動かす。


「……けて……」 


 言葉は、しかし不明瞭な音にしかならなかった。

 そしてその一瞬、言葉を聞いたエイミー、そしてファルデウスが僕の方に視線を向ける。

 瞬間、僕の心を刺し貫く、刃の様な神の眼光。

 心臓を直接掴まれるかのような衝撃と感触が全身を駆け巡る。

 自分の体が、自分のものでなくなるかのように、動かなくなる。

 程なく、感覚が無くなり、目蓋は確かに開かれているのに、景色が暗転する。

 そうして闇の世界に引きずりこまれるかのように、遠ざかっていく意識。

 たいそうなことを思ったところで、所詮この程度。

 もはや、これまでか。

 そう思うのと、遠ざかった意識が完全に失われるのは同時だった。




「バーム!」


 瞬間、漆黒の闇に包まれた世界に差し込む、一筋の光。

 それはあまりに眩しくて、僕は目がくらんでしまう。

 だがそんな僕に構わずに、その声は乱暴に僕の意識を掴んで、闇の世界から無理矢理引きづり上げる。

 そうして現実に引き戻される意識。

 

 世界は、光以上に、眩しかった。

 目が慣れるまで、僕の視界は真っ白で、痛みすら走るありさまだった。

 だが数拍の後、戻ってくる視界。

 そこに映し出されるもの。

 それは涙にぬれ、しわくちゃになった、しかしまだ光を失っていない瞳で僕を見つめる、強く、優しく、誇り高いエイミーの姿。

 

 エイミーを救わなければならない。

 そのために僕は、ここにいる。

 絶対、誰にも、僕は負けない。

 

 瞬間、心の奥底から湧き上がる何か。

 直後、全身から湧き出す力に任せ、僕はあえて再び、ファルデウスに視線を向ける。

 そしてそこにある、刃のように重く鋭い神の眼光を、正面から見据える。

 それはまさに神と呼ばれるものにふさわしい、圧倒的もの。

 だがそれでも、今の僕は負けない、絶対に負けない。

 瞬間ファルデウスがその目を細め、その眼光を一層強め、僕を押し潰そうとする。

 だが僕もまた退かず、正面からそれにぶつかり、鍔迫り合う。

 そうして睨みあう神と、ハーフオーク。

 

 ぶつかり合いは数秒の間続いた。

 どちらも退くことはない。

 それを知った僕は、ひれ伏していたその姿勢から、膝を立て、その場でゆっくり立ち上がる。

 神を睨み、その目の前で立ち上がる。

 まさに極刑に価する不敬。

 だがそれがどうした?

 ぼくはハーフオーク。

 人間の神など、知ったことではない。

 なにより僕は、エイミーを不幸にする存在を許さない。

 たとえそれが彼女の父であろうと、神だろうと。


 そして僕は口を目いっぱい開き、入るだけの空気を肺に取り込む。

 直後、視線だけでなく、それまでエイミーに向けていた槍の穂先をも僕に向けるファルデウス。

 だがそれがどうした。

 例え心の臓を穿たれようとも、今の僕は、だれにも止められない。

 その一瞬、ファルデウスの口の端がわずかに吊り上がるのを僕は見る。

 それが何を意味していたのかは分からない。

 だが僕はもう、止まらなかった。


「誰か、助けてください!」


 瞬間、会場全体を震わし、木霊する僕の絶叫。

 プライドも何もあったものではない。

 だがその声が、今の僕にとっての最大の武器であり、宣戦布告でもあった。

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