第26話 絶叫と叱咤

 照りつける日光が肌を焼き、熱せられた空気が、体を蒸す。

 会場を包む不気味な沈黙が、心を一層締め付け、追い詰める。

 だがそんなもの、今のエイミーを思えば、何ほどのことはない。

 僕が彼女をここまで追い詰めた。

 僕さえいなければ、こんなことにはならなかった。

 今更取り返しがつかない事なんてわかっている。

 だがそれでも、できることは全てしなければ。

 もし僕が首を差し出すことで彼女が救われるのであれば、その可能性がわずかでもあるのなら、僕は喜んでこの首を差し出す。

 それが僕にこれだけの夢を見させてくれた、彼女に対するせめてもの恩返し。

 

 思いと共に、熱せられた地面に、額をこすりつける。

 すると隣で、喉元に槍を突き付けられ横たわっていたエイミーが、最後の力を振り絞るように体を横に半分転がす。

 そうして仰向けからうつ伏せになった後、足を引き、僕と同じ体勢となりファルデウスの足元にひれ伏す。

 そして乾ききったしわがれた声で、血を吐くように悲痛に、言葉を発する。


「お願いです。もうどんな、どんな命にも、決して、決して背きません。必ず、必ずお父様の役に立って見せます。ですから……ですから、どうか――」

 

 最期の力を振り絞り、紡がれる言の葉。

 しかしそれを、


「娘よ、そなたはいまだ、わしが何を言いたいのか、理解できておらぬと見える」


 氷のように冷たく、刃のように重く鋭いファルデウスの声が、切り裂くように遮る。


「娘よ、わしはそなたが入れ込んでおるという、そのバームとかいう者に関して、どうこう言うつもりはない。その者が武器職人として優れた腕を持つというのであれば、そなたが専属の武器職人にとりたてようと、何をしようと勝手だ。好きにするがよい。だが――」


 ファルデウスはそこで一度言葉を止めると、槍の穂先を、エイミーの視線の先にちらつかせる。


「許されぬのはそなたが、わしの目を欺くように隠れてこそこそと、そのバームとかいう者に会っていたこと。そしてその者に二度と近づいてはならぬと言ったわしの命に背いたこと。その二つだ。

 あの日、浜辺で気を失っていたそなたを救い、娘として育ててきたのはこのわしだ。例えそなたが本心からそれを望んでいなかったのだとしても、娘として恩を受けた以上、それを返すのは当然の事。そしてそのためにそなたがわしに第一に示さねばならぬこと、それは活躍ではなく、忠義であろう。

 そなたが前線で活躍し、無双の勇者と称えられておるのは良い。娘として当然為すべきこととはいえ、良い心がけだ。だがそれはあくまで、第一に示すべき忠義があった上でのこと。そなたは確かにわしのためによく働いた。だがその裏では、わしに隠れてこそこそと、そのバームとかいう者と会っておった。それはわしに気付かれれば咎められると知った上でのこと。つまりそなたは前線で活躍し、無双の勇者と称えられておるのをいいことに、少しのわがままであれば、わしを欺いて通してもよいと考えたということ」


 一言一言、エイミーを押しつぶし、追い詰めるようにかけられる言葉。

 その言葉に、エイミーはいっそう額を地面に押し付け、 


「決して、決してそのような――」


 しわがれた声で、必死に言葉を紡ぐ。

 だがファルデウスはその言葉を無視し、話を続ける。


「わしはそれを知り、しかし一度はそなたを許した。神であるわしとは違い、そなたはあくまで人の血を引く者。間違いを犯すことはあろう。それにそなたは血はつながっておらぬとはいえ、他ならぬこのわしの娘。父として、娘に情けをかけるのは当然の事。

 しかしそなたは二度までも父たるこのわしの命に背いた。その上で、この大決闘祭に優勝できたなら、その者を専属の武器職人とすることを認め、さらに結婚の話も無かったことにしてもよい、というわしの言葉をそのまま受け取った。つまりそなたは二度までも、多少腕が立つことのみを鼻にかけ、第一に示すべき忠義を忘れ、わがままを通しても良いなどと考えたということ。

 そなたが父の恩を忘れ、それほどまでにわがままを通したいというのであれば、よかろう。そなたの好きにするがよい。だがそれならば、わしもまた、そなたの事を娘とは思わぬし、わしも好きにさせてもらおう」


 そう告げて、ファルデウスはその槍の穂先をエイミーの白い頬に押し当てる。

 その漆黒の刃のふれた肌から、赤い液体が一筋頬を伝い落ちる。


「おっ、お願いです。彼女は、彼女は何も悪くないんです。すべて僕が、僕が悪いんです。だからどうか――」


 僕はそう、力の限り叫ぶ。 

 だがそんな僕の叫びを、


「違うの!」


 上回るほど大きな、血を吐くようなエイミーの叫びが遮る。 


「全て、全てこの私の、心得違いがゆえ。私ひとりの罪。私のわがままと心得違いで、罪のないこの者を巻き込んでしまった。この者に罪はな――」


 エイミーはそう、自分の命を懸けて叫ぶ。

 だが、だからこそ、ここは譲れない。

 その悲壮な叫びを、僕は大きく息を吸い込み、喉が痛むのも構わず力任せに、


「いえ、違います。全ては、全ての罪は僕にあ――」


 そう叫んで遮る。

 だがその一瞬、突如僕の頬を襲う衝撃。


「バーム!」


 エイミーの悲痛な叫びが聞こえる。

 何が起こったのかわからなかった。

 だが視界に映し出される、上げた足を戻すファルデウスの姿に、僕は自分が蹴り飛ばされたことを理解する。


「下郎、耳障りだ。わしは今、娘と話しておる」


 放たれる冷たい言葉。

 これ以上の言葉は逆効果だ。

 僕はそれを知り、無力な自分に歯ぎしりしながら、しかしその場所に再びひれ伏す以外、できることがなかった。

 ファルデウスは再びエイミーを見下ろし、その冷たく、鋭い言葉を、再びエイミーにかける。


「娘よ、そなたがよく知るとおり、この父は厳格だ。たとえ一度は許そうと、二度目は無い。だが、そなたは血こそつながっておらぬとはいえ、他ならぬこのわしの娘。わしとて父じゃ、もしそなたが二度と同じ過ちを犯さぬと、この場でわしに誓い、それを証明することができるというのであれば……よかろう。わしはそなたの忠義を認め、もう一度だけ、父として、そなたの罪を許そうではないか」


 ファルデウスはそう、徐々に押しつぶすようにゆっくりと、低く、重い声で、告げる。

 エイミーは言葉を発することなく、ただ一層額を地面に押し付ける。

 その頬を、また一筋の汗が流れ下る。

 その一瞬伝わる、ぞっとするような寒気。

 嫌な予感、それ以外に表現しようがないもの。

 エイミーもまたそれをつぶさに感じ取っているようでありながら、しかし祈ること以外、できることがない。

 そしてそんな彼女の願いを、しかし神たるファルデウスは容赦なく踏み潰す。


「そなたがこの父に忠義を示す方法はただ一つ。それはそこにいる、そなたが入れ込んだそのバームとかいう者の首を、この場で、今すぐ、そなた自身の手で刎ねる事。ただそれだけだ」


 ファルデウスの言葉が、静まり返った会場に響き渡る。

 聞き逃しようがなかった。

 瞬間心に走る、刃で貫かれるような痛み。

 だが直後、気持ち悪い、だが言い知れぬ安心感が、この身を包み込む。

 これでいい、これでいいのだ。

 僕の首、たったそれだけで、エイミーは元の生活に戻ることができる。

 それなら、僕の命なんて、安いものだ。


 僕はそう思うが、エイミーはまた悲痛な声で、


「――おっ、お父様。ファルデウス様。この私が、私が、悪うございました。例えこの身を八つ裂きにされ、冥府にて千年の労苦を負おうとも、それが当然の事。私はどんな罰をも、甘んじて受け入れます。

 ですが、ですが、この者に罪はありませぬ。私の罪を、罪のないこの者に背負わせるのは、あまりに忍びのうございます。ですから、私は、私は、他にどんなに重い罰を与えられようとかまいませぬ。ですから、どうか、どうかこの者に罪が及ばぬよう、伏して、伏してお願い申し上げ奉ります」


 そう叫んで、再び額を地面にこすりつける。

 沈黙が辺りを包む。

 観客たちもあまりの情景に、誰も動くことも、言葉を発することもできない。

 

 沈黙が続いたのは10秒ほどの間だった。

 やがてファルデウスは小さく一度溜息を吐くと、足元にひれ伏すエイミーの顎に槍の穂先を当て、無理やりその顔を上げさせる。

 そして涙でぐしゃぐしゃになった彼女の顔を、変わらぬ冷徹な表情で見下ろすと、その心に、とどめを刺すのだ。


「娘よ、そなたは耳が悪いと見える。普段ならば一度しか言わぬところだが、何度も言うように、そなたはわしの娘。故に、特別に、もう一度だけ言うてやろう。だがいかに娘と言えど、情けをかけられるのはこれが最後、それを心した上で、よく聞くがよい。

 そなたがこの父に忠義を示す方法は、今やただ一つ。それはそこにいる、そのバームとかいう者の首を、この場で、今すぐ、そなた自身の手で刎ねる事。それができないというのであれば、せめてこの父自身が、そなたと、そなたの入れ込んだその者に引導を渡してくれる。

 そなたに残された選択肢は……他に、無い」


 その刃に等しい言の葉が、エイミーの心を切り捨てる。

 だが反対に僕の心にはまた、言い知れぬ安心感のような何かが広がっていた。

 

 ファルデウスの言葉を聞き、エイミーが蒼白な表情を浮かべる。

 そして一瞬後、その表情をしわくちゃにすると、地面についた手の指を、砂の地面をかきむしるようにして握り締める。

 そうして歯を食いしばり、歯ぎしりすると、言葉にならない声で、血を吐くように、ただ唸り吠え、絶叫するのだ。

 その心が張り裂けるような、やり場のない悲痛な魂の叫びが、安心感のような何かに包まれていた僕の心を、かきむしる。

 その痛みだけが、諦めに向かおうとする僕の心を、叱咤していた。

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