第25話 悲壮
「……どうした? お前が入れ込んだ武器というのはこれのことか? この程度なのか?」
感情を感じさせない声と表情のまま、ファルデウスが淡々と告げる。
それと同時、頬を流れ下る汗。
目を見開くことしかできなかった。
私のこれまでの人生の中でも、最大にして最高の一撃。
それをたやすく退けられた。
視界の先に佇むファルデウスは無傷の上、わずかの消耗も感じられない。
対する私に、力はもう、残されていない。
そう思うのと同時、全身から抜けそうになる力。
だが直後、脳裏をよぎるバームの姿。
その瞬間、心の奥底から湧き上がる熱い何かが、力の残っていない体を無理やり突き動かし、拳を握らせる。
戦いはまだ終わっていない。
父から授かったこの五体がある限り、バームがそばにいてくれる限り、私は戦える。
湧き上がる思いが、すでにほとんど絞りつくした体力を、さらに全身から無理やり絞り出す。
右手で腰の剣を抜き放ち、左手で盾を前方のファルデウスに向け掲げる。
この剣はバームの店を4回目に、盾は2回目に、鎖帷子は3回目に訪れた時に鍛えてもらったもの。
どれも思い入れのある、私の体に馴染んだ装備だ。
性能も私が扱う限りにおいては、聖剣授与式で圧し折ったあの聖剣が相手でも、容易には破壊されないレベルのもの。
だがそれでも、ファルデウスが身に着ける装備、先代の鍛冶の神が金も手間も素材も糸目を付けず鍛え上げ、さらに神の加護まで与えられた代物が相手では、さすがに分が悪い。
どんなに努力をしても、神以外には手に入れようがないという点を考えれば、ほとんど反則だ。
だがそれを言っても仕方がない。
それに私にとってはバームの鍛えた武器こそが、最高の装備。
特に今、地面に転がっているあの槍に関して言えば、ファルデウスの槍にだって引けを取らないはずだ。
ファルデウスは装備のみならず、戦技も超一流。
リーチに劣るこの剣で戦うには、なんとかして槍の柄の内側に入り込み、あとはひたすら肉薄して離れないようにするしかない。
他に手があるとすれば、隙を見て槍を拾うこと。
どちらも簡単にさせてはもらえない。
だがそれでも、やるしかないのだ。
決意と共に、視界の先に佇むファルデウスを見る。
そんな私を、ファルデウスの刃の様な眼光が突き刺す。
瞬間、緊張する体、締め付けられる心。
だがそれでも、私は負けない、負けるわけにはいかない。
思い浮かべるのはバームの姿。
それと同時、息を吸い込み、心の奥底から湧き上がる熱い何かを全身に巡らす。
そして全身の緊張がわずかに弱まった次の一瞬、縛めを振り払うように、地面を蹴る。
突進するにつれ、視界の中で大きくなっていくファルデウスの姿。
それと共に、大きくなっていく威圧感。
太陽をも飲み込む狼のような存在に、それでも私は足を止めず、身の程をわきまえず、刃を向ける。
程なく、ファルデウスの間合い近くまで接近する。
リーチで劣る以上、いきなり剣を差し向け切りかかるのは自殺行為。
先ずは盾で、先に放たれるであろうファルデウスの一撃を捌く。
ファルデウスの鋭い目は私の隙を見逃さない。
盾を高く掲げすぎては視界が遮られ、敵の狙いを見極められない。
だが逆なら、容赦ない一撃が私の額を貫くことになる。
だがここで怖気づいては負け。
経験から、ここしかないという高さに、盾を掲げる。
見るべきはファルデウスの目線。
わざと目線と違う位置に攻撃を放つぐらいの技量をファルデウスは持っている。
だがそれならそれでもいい。
策を弄してくれるのなら、そこに付けこむ隙が生まれるはず。
私は挑む者として、正面からぶつかるのみ。
それはまさに、刹那の駆け引き。
さあ、どう出る? どうこようと、私は、負けない!
心の中で叫んだ。
その一瞬、視界にうつるファルデウスの口の端が、わずかに動いたように見えた。
それが何を意味していたのかは分からない。
そして次の一瞬、そんな私の目を、ファルデウスの獣のような瞳が正面から射抜く。
直後、視界に映し出される何か。
頭で判断している余裕などなかった。
積み重ねられた経験が、私の体を勝手に動かしていた。
瞬間、鳴り響く金属音。
盾を通し、腕から、体全体へと伝わる衝撃、身を襲うしびれ。
それと同時、膝から伝わる激痛。
その瞬間何が起こったのか、物事が終わった今頃になって思考が追い付いてくる。
盾の下の下腹部を狙い、目で捕えることのできない程の速度で放たれたファルデウスの槍の一撃。
私の体はそれに反射的に反応。
間一髪で盾を振るい、敵の槍の穂先にぶつかった盾は、金属の表面はもちろん、その内側の皮数枚までも切られながら、残り皮一枚で何とかその軌跡を外側に逸らす。
加えて私が身を逸らしたことで、敵の槍の穂先は膝の鎖帷子を浅く斬り裂いたのみで逸れ、なんとか致命的一撃を避ける事が出来たのだ。
もしこれがバームの盾でなかったなら、槍は盾ごと、私の体を貫いていたことだろう。
だが安心している暇などない。
盾で一撃を受け止めた衝撃と、無理に身を逸らしたことで、私の体勢は完全に崩れてしまっている。
その隙を逃すファルデウスではない。
だがそれに思い至るのと、視界にファルデウスの振るう漆黒の丸盾が映し出されるのは同時だった。
鈍い金属音が鳴り響く。
足が地面を離れ、体が宙を舞う感覚が全身を襲う。
猛烈な衝撃と激痛が全身を襲い、視界はぶれた後、快晴の空を映しだす。
空中で姿勢を制御する魔力も、受け身をとる余裕もなかった。
直後背中が地面にぶつかり、また衝撃と激痛が全身を襲う。
だが痛みに呻いている暇などない。
「エイミー!」
聞こえてくるバームの叫び。
瞬間、心の奥底から再び湧き上がる熱い何か。
ただそれだけが、力などわずかも残されていないはずの私の体を突き動かす。
状況を把握している余裕などない。
ただ直感に従い、身を横に転がす。
その一瞬後、耳元から伝わる、刃が地面に突き刺さる音。
反撃するなら今しかない。
心の叫びに従い、転がるのをやめ、視界にファルデウスを収めつつ立ち上がろうとする。
だがそれと同時、視界に映し出されるファルデウスの足。
顔面を襲う衝撃と激痛。
私は打撃に逆らわず、自分から地面を蹴ることで、衝撃の緩和を図る。
隙などなかった。
口の中に鉄の味が広がり、流れ出した液体が口の端を伝う。
だがそれでも、隙を見せるわけにはいかない。
そこで足を踏ん張り、今度こそ体勢を立て直す。
だがその視界に映し出される、迫るファルデウスの姿。
くわえられる猛攻。
考えている暇などない。
ただ必死に盾を振るい、身を捌き、剣で攻撃を打ち払う。
そのたび身を襲う衝撃と、それにより生じるしびれ、激痛。
反撃どころか、体勢を立て直す暇すらない。
致命的一撃を避けるので精一杯だ。
攻撃を受け止めるうち、盾は見る間に裂け、変形し、原型を失っていく。
鎖帷子はズタズタにされ、全身のいたるところから血が染み出す。
剣もまた槍の穂先とぶつかる度、大きく刃こぼれし、湾曲する。
バームの鍛えた武器が悪いのではない。
もしこれが他の武器職人の鍛えた武器だったなら、たとえオリハルコンやアダマンタイト製であったとしても、とっくに破壊されていた事だろう。
むしろ反則級の武器を相手に、バームの鍛えた武器は、よく持ちこたえてくれている。
そんな武器の頑張りに応えられないのは、ひとえに私の力不足ゆえだ。
なんとか報いなければ、反撃しなければ。
そう思い、力を奮起す。
だがその度、隙をつかれ、一層追いつめられる。
せめて槍があれば。
そう思い槍を拾おうとする。
だがその度隙を突かれ、身を襲う衝撃と激痛。
槍を拾う余裕など、与えてくれるはずがない。
普段なら気づけていたはずだ。
それができない程に、追い詰められてしまっていた。
今や盾も、剣も、鎖帷子も、原形をとどめないほどボロボロ。
全身の至る所から激痛が走り、あるいは感覚すらなくなり、体の表面はほとんど隙間なく赤く染まっている。
切れる息に、上下する肩、取り繕う余裕も無く、自然とゆがんでしまう表情。
対するファルデウスは武器も体も全くの無傷。
表情は冷たいまま、息もほとんど乱れず、汗一つかいていない。
「もうやめて……もうやめてくれ!」
バームが悲痛な声で叫び、ベンチで立ち上がる。
だがそんなバームの姿に、また湧き上がる熱い何か。
私はまだ負けていない。
負けるわけにはいかない。
無理やり口の両端を釣り上げ、首を横に振り、それをバームに伝える。
そしてほとんど感覚の無い腕を上げ、盾と剣を掲げ、自分からファルデウスに向かい、地面を蹴る。
そんな私に、ファルデウスは冷ややかな視線を浴びせた後、槍を縦に真っ直ぐ振り下ろす。
それに間一髪で反応する体。
そうして掲げた、もはや原型をとどめていない盾を、ファルデウスの槍が泥のように切り裂き、たやすく真っ二つに両断する。
瞬間、盾を握っていた左手から伝わる衝撃と激痛。
だが怯んでいる暇はない。
反射的に左手を引きつつ、体を入れ替え、右手の剣を前に出す。
そこにすかさず突き出される槍の穂先。
その一撃にまた間一髪で反応し、剣を振るう。
だがそれまでのぶつかり合いですでにボロボロだった剣の刀身もまた、遂に耐え切れず圧し折れ、宙を舞う。
武器を失ってしまった。
だがまだ、懐の短剣がある。
たとえそれを失っても、この五体がある限り、私は戦える。
そう短剣を抜き放ち、構えを取ろうとする。
だが抜き放つ際の一瞬のすきを突いたファルデウスの蹴りが、短剣を握った私の腕を襲う。
全く思考が追い付かなかった。
気が付いた時には、短剣は蹴りを受けた衝撃で私の指を離れ、宙を舞っていた。
そしてそんな私の視界に再び映し出される漆黒の円盾。
再びの金属音が、
盾を叩きつけられた衝撃に耐えることができず、足が地面を離れ、視界に再び快晴の空が映し出される。
続いて背中から伝わる地面にぶつかる衝撃。
もはや全身の感覚がマヒし、痛みすら遠ざかりつつある。
まだ負けるわけにはいかない。
逃げなければ。
だがそんな思いに反し、もはや体は動かなかった。
そしてそんな私の視界に映し出される、私を見下ろすファルデウスの冷ややかな表情。
直後喉元に突きつけられる槍の穂先。
もう、ダメなのかな?
そんな思いが脳裏をよぎる。
それと同時、今度こそ全身から抜けていく力。
湧き上がる猛烈な疲労感。
先ほどまで動くことができていたのが不思議なくらいだった。
これまでの人生でも、敗北を経験したことは何度かあった。
だがこれまでに経験したどんな敗北よりも、この敗北は決定的だった。
その時、どこかから聞こえてくる誰かの駆けてくる足音。
近づいてくるその音に、視線を向ける。
そこにあったのは、真っ青な、そして切羽詰まった必死の表情を浮かべ駆けてくるバームの姿。
こないで。
来ちゃダメ。
思いは口を動かし、しかし鉄の味で満ち、乾ききった私の口はしわがれ、遂にそれを音にして発することができなかった。
それでも思いを伝えるため、残りの力を振り絞って必死に首を横に振る。
だがそんな私の仕草を見ても、バームが足を止めることはなく、やがてそばまで駆け寄ると、そのままファルデウスの足元にひれ伏す。
そして同時に視界に映し出される、何かを決意したバームの、今にも泣きだしそうな、悲壮な表情。
それを見た瞬間、バームが何を口にしようとしているのか、私には直ぐに理解できた。
「やめて、バーム!」
せめて、バームだけでも、救わなければ。
最期の力を振るい、乾ききった口を大きく開き、喉が痛むのも構わず、息と力を絞り出すように叫ぶ。
だがそんな私の思いすら振り払うように、バーム止まらず、言い放つ。
「お願いです。どうか……どうか僕の首を刎ねてください!」
沈黙に包まれた会場に木霊するバームの叫び。
その言葉が私に、真の敗北を告げていた。
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