第24話 投槍

 会場に吹き込む一陣の風が、乾いた砂の地面を撫で砂煙を巻き上げ、照りつける太陽が陽炎を起こす。

 だがそうして視界が霞もうと、その先にゆらめく人影の放つ圧倒的存在感、刃の様な眼光が衰えることはなく、私の心を、体を、存在そのものを縛める。

 

 敵は、父であり神、ファルデウスは、あまりに大きな存在だ。

 身がすくんで、体全体が震えて、脈打つ心臓の音が、頭の中で鳴り響いている。

 逃げ出す勇気すら、起こらないくらいだ。

 自分が父の手のひらの上の存在であることなど、娘となったその時から理解していたつもりだった。

 だが本当は目を背けていただけだったことに、今頃になって気づく。

 英雄と呼ばれた本当の父の血を継いでいようと、人々から無双の勇者と称えられようと、所詮は人の子。

 本当の父が神の血をひくものに打倒されたように、人は神様には敵わない。


 今更気づいても、もう後戻りはできない。

 ずっとそばにいて、助けてくれたルイーゼも、今はそばにいない。

 そんな私に残されたもの、それは両親のくれたこの五体の他には、たった一つ。

 そう、手の中にある槍に、盾、身に着けた防具を見、それからベンチにいるバームを見る。

 思えば彼との出会いが、私の本当の人生の始まりだったのかも知れない。 

 少し大げさだろうか?

 でもそう思えるくらい、彼との出会いは、私を変えたと思う。


 ただ父のために生きる生き方。

 毎日が矢のように過ぎ去っていく日々。

 何のために生き延びたのだろうと自問したこともあった。

 それがバームと出会ったあの日、全てが変わったのだ。

 父を中心としてまわっていたはずの世界が、いつの間にか彼を中心に。

  

 そのことに初めて気がついたのは、父自ら城に現れて、バームと引き離されてしばらくたってからのことだった。

 最初は元の生活が戻ってくるだけなのだと思った。

 彼のためにも、これが一番なのだと納得しようともした。

 だがどう考えても、納得しようとしても、頭の中から離れない彼の存在、やり場のない思い、空回りし続ける生活。

 そんな日々が続いた時、初めて、私は気づいたのだ。

 

 今更気づいたところで、どうしようもない。

 そう思って、また納得しようとして、でも納得できなくて、空回りし続けた。

 そうして行き場を失って、元の父の人形に戻ることもできなくて、頭がおかしくなりそうになった。

 それでも生きていくしかないのだと、自分に言い聞かせた。

 バームを忘れられるくらい優れた武器が手に入れば、この心の渇きは癒えるのだろうか?

 そんなことはないと分っていながら、そんな希望で自分を騙して、臨んだ聖剣授与式。

 忘れもしない。

 聖剣を手にしても、癒えることのなかった心の渇き。

 バームと再会した時の衝撃。

 彼の槍を手にした時、心の底から湧き上がってきた、熱い何か。


 その熱さは今も私の心の中に確かにあって、そのおかげで、今も私は、父を前に立って、対峙していられる。 

 今の私には、彼しかいない。

 それに彼をこの世界に引き込んでしまったのは私だ。

 何としても、彼を守らなければならない。

 そう考えたその時、また心の奥底から、あの日と同じ熱い何かが湧き上がってきて、凍りついた心を、体を、内側から溶かしてくれる。

 そこで一度目蓋を閉じて、大きく息を吸って吐く。

 そして目蓋を開くと、バームの姿をしっかり目に焼き付けた後、再び前方に視線を向ける。


 そこに静かに佇んでいるのは、先ほどまでと変わらない姿の父であり、神。

 その圧倒的存在感も、刃のように鋭い眼光も、そのまま。

 それなのに、なぜだか今は、体は動き、心は奮い立つ。

 理由なんて、考えるまでもなかった。

 バームがそこにいる。

 それだけで私は、例え世界が相手だろうと、戦うことができる。

 

 ならばその思いを、私の全てを、この一撃に懸ける。


 盾を持つ左手を前に、槍を持つ右手を掲げ、投槍の構えをとる。

 視界の先の父は動じず、仁王立ちのまま、構える事すらしない。

 だが父が何をしようと関係ない。

 私は、自分にできることを為すだけ。

 

 次の一瞬、投槍の動作に備え、目一杯息を吸い込むのと、試合開始を告げるゴングが鳴り響くのは同時。

 瞬間、槍に埋め込まれた魔法石のものは勿論、左手の盾、腰の剣、体内をめぐるもの、かき集められるすべての魔力を、槍に送り込む。

 そうしてかき集めた魔力を、瞬間的に圧縮し、練り上げ、穂先に集め、針のように細長い形状を形作る。

 バームの槍は投槍に向いた形状ではない、ゆえに魔力でそれを形成するのだ。

 誘導や投槍の動作の補助に回す魔力はない。

 そんなものがなくても、必ず当てて見せる。

 本当の父、ヘクトールの名に懸けて。


 この間、一拍。

 それでも相手がファルデウスであることを考えれば、決して短い時間とは言えない。

 だが視界の先のファルデウスは動かないままだ。

 何を考えているのかはわからない。

 だがそれでもやることは変わらない。

 肺の中の空気を全て雄たけびにして吐き出し、渾身の一撃を投げ放つ。


「穿て! ヘクトール・メテオーラ!」

 

 叫びと共に、投げ放たれる一撃。

 これまでの人生で最高の手応えと共に放たれた槍は、放物線の軌跡を描き、青白い尾を引き、流星のごとくファルデウスに向かう。

 間違いなく必中の軌跡。

 だがファルデウスは身構えるどころか、試合開始時から変わらない姿勢で、身動き一つしない。

 そうして仁王立ちしたまま、飛び来る槍を見上げると、その冷徹な表情をわずかも変えることなく、呟くのだ。


「それがお前を変えたもの……か」


 次の一瞬、ファルデウスの肉体を漆黒の闇が包み込むのと、投槍がその肉体にぶつかるのは同時だった。

 瞬間鳴り響く、落雷を何本も束ねたような轟音。

 衝撃に大地が揺れ動き、立っているのもやっとというほどの突風が砂を巻き上げ辺りを包み、観客席を守る障壁にぶつかり今にも砕かんばかりに揺らし軋ませる。

 砂煙に視界がかすむ中、着弾地点から放たれる猛烈な青白い閃光が、目をくらませる。

 だがそんな猛烈な砂煙と閃光の中に垣間見える、槍とファルデウスの攻防。

 直撃した槍の穂先の一点から、ファルデウスの体を包む漆黒の闇に、波紋の様な波が広がる。

 その波が広がると共に、まるで力を奪われるかの様な感触が槍を通して伝わり、実際にその推進力は見る間に奪われていく。


 ファルデウスの体を包む闇の正体は分らない。

 だがこの渾身の一撃をしのぎ切られては、勝ち目はない。

 槍を投げ放った時点でほぼすべての魔力を消費してしまい、余力はない。

 だがそれでも、再び息を吸い込み、体内の養分を燃焼して魔力を生み出し、その全てを槍に供給し何とか推進力を保とうと試みる。

 だが燃焼が追い付かず、数秒と経たないうち息が切れ、大量の汗が吹き出し、全身を瞬く間に猛烈な疲労感が襲う。

 そしてそれほどの努力をして維持を図った推進力も、供給するより早いペースで、ファルデウスの体を包む闇に吸い込まれてしまう。

 

 そうして推進力を失うにつれ、槍は光を失い、辺りを襲っていた衝撃や風も収まっていく。

 それと呼応するようにファルデウスの体を包んでいた闇に広がっていた波紋も、数秒と経たないうちに小さく収束していく。

 程なく、魔力の供給の追い付かなくなった槍が推進力を完全に失うのと、ファルデウスの体を包む闇に広がっていた波紋が完全に収まるのは同時。

 その一拍の後、ファルデウスの体にぶつかっていた槍が、地面に落ちてむなしく音を立てる。

 その音と、全身を襲う猛烈な疲労感、そして視界の先に無傷のまま、試合開始時と変わらない冷徹な表情を浮かべ佇むファルデウスの姿が、事実上の敗北を、私に告げていた。

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