第5話 雷鳴
最近エイミーがおかしい。
いや、あるべき姿に戻った、と表現すべきなのかもしれない。
今までの彼女は、言うなれば父(と言っても血はつながっていないらしいが)の利益のためだけに動く人形だった。
それは強いられたとも言えるけど、彼女自身それを受け入れていた。
戦場の紅一点として阿修羅のごとく戦う、美しく儚い女戦士。
だがそれはあくまで付加価値、真の価値は冥府の神ファルデウスの娘であるという事実。
そしてその見目の美しさ。
今や彼女と結ばれる事を望む者など、星の数ほど存在する。
そう、彼女は父であり神、ファルデウスの政略結婚の道具なのだ。
これまではその卓越した武勇を見込まれ、戦場で戦い、将兵の士気を鼓舞し、名声を高めることを要求されてきた。
だがすでに十分な名声を得た今となっては、これ以上戦わせることはむしろ、その最大の武器である美しい見目を損なわせてしまうリスクの方が大きい。
ゆえにファルデウスはすでに彼女を、戦場から遠ざけるべく動き出している。
彼女は
そしてこれまでなら、逆らうことはもちろん、少しでも疑われるような行為は避けてきた。
だが今の彼女はどうだ?
望んで戦場に
戦場では敵を殺さず、単に蹴散らし追い払うか、一人一人律儀に捕まえ、捕虜にする。
そしてそうするたび、これまでは絶対に見せることのなかった、満足げな、あるいは充実感のある表情を見せる。
城に戻れば戦術ばかり練っていたのが、よく武器防具の手入れをするようになった。
わざわざ道具や専門書をそろえ、時折詳しい者に聞きに行くこともある。
そうしてきれいに手入れできると、笑顔すら浮かべるのだ。
周囲の者に見咎められれば問題となりかねない程の、全く女性らしからぬ光景だ。
そして月に一度の定期市の前日には決まってそわそわし、当日には痛んだ武器と共に城から姿を消し、日没までには新しい、あるいは修理された武器を持って城に戻っている。
戦場に出、傷らしい傷を負わず、将兵の士気を鼓舞し、名声を高めているのは良い。
闇の帝国との決戦が迫っている今、戦場から離れれば味方の士気にかかわるという理屈も通っている。
武器防具に気を遣い、積極的に手入れをするようになったのも武人として当然のことだ。
少なくとも表だって、彼女が父に逆らうような行動をとっている訳ではない。
問題は彼女の心境に確実な変化が起きているということだ。
そう、人形の瞳に炎が揺らめき、ひとりでに動き出そうとしている。
私は原因を知っている。
きっかけは間違いなく、半年前のあの刀、そしてそれを鍛えた、あの武器職人だ。
その時彼女が城を抜け出したのは、本当に単なる息抜きのつもりだったのだろう。
繰り返すつもりも、きっとなかったに違いない。
だが偶然にも、彼女はその刀に、そしてそれを鍛えた武器職人に出会ってしまった。
彼女は興味のない事には残酷なまでに無関心だが、逆に一度興味が湧けばとことんまでのめり込む。
元々武器にはある程度興味があったのだろう。
だが戦場に出るたび破壊してしまう日々が続いた結果、消耗品という意識が根付き、徐々に興味が薄らいでしまったのだと思う。
実際問題、神剣や魔剣、秘宝などと表現されるような、名も由緒もある逸品でもない限り、武器というのは基本、消耗品なのだ。
どんな工夫や思考を凝らした至高の芸術品も、一度戦場で用いればボロボロになってしまう。
そうである以上、性能よりもコストと量産性。
それが正解であり、当然の事なのだ。
彼女もそれを理解していた、だからすぐ壊れる武器に文句を付けたことはなかった。
だがあの日、彼女はあの刀に出会ってしまった。
コストも量産性も二の次、外見を重視した贈答用の品とも違う。
純粋に武器として最高の高みを目指しながら、誰も傷つけないという職人の我をも通した一振。
お客の望みも、儲けることも考えず、自分の鍛えたい武器を鍛えるその姿勢は、武器職人としても、商人としても、本来ならば失格だ。
だがその刀と、それを鍛えた職人の魂が、それまでの彼女の、美しくも生気のなかった瞳に、炎を灯して見せた。
本来ならば感謝すべきところだ。
応援してあげたいとも思うし、これで人間ならばまだやりようはあった。
だが問題なのは、その職人がハーフオークであるということだ。
いくらなんでも、彼女ほどの立場の者がハーフオークと関係を持っているというのはまずい。
市井の人々、将兵、神々、誰に知られても大問題だ。
そして彼女が定期市の日に決まって城を抜け出していることも、定期市に店を出すハーフオークの武器屋を決まって訪れる謎の美しい女性がいることも、徐々にだが噂になり始めている。
これでも情報操作にはかなり協力したのだ。
彼女の身代わりになって城にいるふりをしたり、一緒に出掛けていることにしてアリバイ工作をした。
私が代わりに武器を取りに行くという提案は断固拒否したので、代わりに私に変装させたこともあった。
だがそれも限界だ。
加えて彼女は気づいていない。
どんなに気を付けていたとしても、行動や言動の端々に、感情は現れてしまうものだ。
ある時、見慣れない特殊な、しかし見事な武器を身に着けた彼女に、一人の将校がどこの武器職人の作か尋ねてきたことがあった。
彼女は企業秘密と明かさなかったが、その時彼女の浮かべた、普段は絶対見せない太陽のような笑顔に、見る者全てが心を奪われると同時に、その裏にある何かを感じ取った。
そして彼女の父ファルデウスは聡明で、冷静で、冷徹だ。
気づいていないはずがない。
だが幸いにもというべきか、闇の帝国との決戦が目前に迫っている。
決戦にあたって、彼女の武勇は絶対に欠かせない。
それにあの武器が、無双の勇者と称えられる今の彼女の最大の原動力となっていることは、ファルデウスも理解しているはずだ。
従って決戦が終わるまでは、ファルデウスも彼女に手を出すことはしないだろう。
問題は決戦が終わった後のことだ。
――さて、どうしようか?
考えながら、城の窓から外を覗く。
今日は雷雨だ。
そしてあの定期市の日でもある。
こんな日でも、あの武器職人は店を開くに違いない。
――そして彼女も――
そう思ったその時、城外から地鳴りを伴い聞こえてくる、何百何千という蹄が地面を蹴る轟音。
その轟音はかなりの速度で城に接近し、やがて城門の前で止む。
すると程なく、巨大な城門が開き、蹄の音が城の敷地に入ってくる。
瞬間背筋を走る悪寒に、私は窓から城門を見下ろす。
果たしてそこにあったのは、4頭の神馬に引かれた馬車。
後方に引き連れるのは、黒塗りの豪奢な鎧を身にまとった、神の護衛を務める近衛騎士一千。
はためくは太陽を呑み込む黒き狼の旗印。
城主を含め、城の将校が慌てて残らず出迎えに出、ひざを折り
「――ごめんエイミー、私じゃあなたを守れない」
冥府の神ファルデウス御自らの来訪と鳴り響く雷鳴が、転機を告げていた。
今日は雷雨だ。
さすがにこんな日に店を出す者は少ない。
だが僕はまた定期市に店を出す。
もちろん、彼女に会うためだ。
あれから半年、相変わらず彼女以外に客は来ない。
もう彼女のためだけに店を出しているような状態だ。
あれからも僕と彼女の関係は変わっていない。
定期市の日に会って、痛んだ武器を受けとって、新しい武器を渡し、次に欲しい武器の希望を聞く。
次の定期市までに痛んだ武器を修理して、希望された新しい武器を鍛え、定期市の日を迎える、その繰り返しだ。
今はもう、僕はこの生活にすっかりなじみ、彼女との会話も、徐々に慣れてきている。
もしこれが夢なのだとしても、半年も続けばこちらの方が現実のようなものだろう。
だがひとつ大きな気がかりがある。
それはもう半年もたとうというのに、僕はいまだに彼女の呼び名を持っていない、ということだ。
高貴な身分なのだろう彼女の本名を知りたいのではない。
素性は明かせないにしても、せめて呼び名くらいは決めた方がよいだろうと思う。
いや、正確にはそれを機会に、もっと彼女と近づきたいのだ。
――何を考えているんだ、身の程をわきまえろ。
理性が告げる。
そう、すでに今の関係すら薄氷の上に成り立っているのだ。
これ以上を望めば、きっと天罰が下る。
そう自戒しながら、しかし呼び名を決めるぐらいなら失礼には当たるまいと考える。
どこかから蹄の音が聞こえてきたのは、丁度そんな時だった。
夢はいつか必ず覚めるもの。
そしてその時は、いつだって突然訪れる。
彼女以外の客のほとんど訪れない僕の店の前で、馬に乗った騎士がその足を止める。
黒塗りの豪奢な鎧を身にまとったその騎士の乗る馬の横には、見覚えのある武器が固定されていた。
彼女のために今まで僕が鍛えてきた武器だ。
それだけで僕は何が起こったのか察する。
だが心はそれを受け入れるのを拒絶する。
そんな僕の
そこから覗く美しい金髪の女性の、しかし冷徹な表情が、僕の心を突き刺す。
「姫様の使いで来た。伝言を伝える。漏らさずよく聞け。
『いままでありがとう、さようなら』
以上だ」
そう一方的に告げて、次に騎士は馬に固定された武器を目線で示し、
「この武器は姫様にふさわしくない。本来ならこちらで破棄する所だが、姫様たっての希望で貴様に無償で下げ渡されることとなった、受け取るがいい」
そう冷たく言い放つ。
何が起こっているのか、理解できなかった。
違う、本当は分っていて、単に受け止めることができないのだ。
だが騎士はそんな僕を見て、
「何をもたもたしている、受け取らぬのならば、ここに置いていく」
そう固定している縄をそのまま切り落とそうとするので、僕は慌てて馬に駆け寄り、固定された武器を受け取る。
そうして全ての武器を馬から降ろすと、最後に騎士は大きく重そうな袋を僕に差出し、
「これは姫様からの最後の礼だ。ありがたく受け取れ。それと、これまでの姫様と貴様の関係は一切他言を禁ずる。破られることがあれば……分っているな?」
そう騎士は、腰に身に着けた剣の柄を叩いて示す。
そうして僕が言われるまま、差し出された袋を受け取ると、騎士はすぐさま手綱を捌き、城へと駆け去っていく。
背後で雷鳴が轟く。
夢が覚めるのを感じる。
来るべき時が来てしまった。
――これは夢だ、そうに違いない。
そう考えて視線を落とせば、僕の手の中には確かに大量の金貨の入った袋があり、その重みが、逃避しようとする僕の心を現実の世界へと
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