第1話「始まりは、突然で」

 ――夜遅くなってエクスト・シティに到着した僕達は、地図を頼りに宿へと向かった。出迎えてくれた女将おかみさんは不思議そうな顔をしていたけれど、僕が差し出した手紙を読んで破顔した。

「ああ、ドルガンさんから話は聞いてるよ。小さいのに、偉かったんだって?」

 謙遜けんそんする僕の手から荷物を受け取ると、女将さんは部屋へと案内してくれた。

「私はエマってんだ。やすらぎ亭へようこそ、お二人さん」

「ソーマです。で、こっちは……」

「リューネじゃ」

「ソーマにリューネだね。こんなに遅くなって、疲れただろう? バスってのは便利だけど、せまっくるしくていけない。まぁ、私がでっかいってのもあるけどね」

 エマさんはお腹を揺らして笑った。僕は一緒に笑いながら、鞄に残ったバスのチケットを思う。

 僕達はふとしたことから、ドルガンさんのお家騒動を解決するのに一役買った。チケットはそのお礼だったのだけれど……僕が批難の眼差しを向けても、リューネは知らん顔でエマさんと談笑を交わしていている。

「じゃあ、ごゆっくり。後で夜食を持ってくるからね」

 ぱたんと扉が閉まり、僕はうんと伸びをした。振り返ると、リューネは早速ベッドに……いつもの光景だけれど、今日はおやすみと言う訳にはいかない。

「ちょっと、リューネ……」

「いいじゃろう、明日で。儂は眠い」

「馬車で散々さんざん寝ておいて……宿に着いたらどこに行くか決めようって、言ってたじゃないか。ほら、ガイドブックだって貰ってきたんだし……」

 僕は鞄から事典のように分厚いガイドブックを引っ張り出した。

「お主は真面目じゃのぉ」

「リューネが不真面目過ぎるんだよ。君を封印する方法を探しに来たっていうのに。本当に封印されたいって思ってるの?」

「それはそれ、これはこれじゃ。そんなに探したいなら、一人で探すがよい。夜食は儂の分も食べていいぞ。うむ、我ながら太っ腹。お腹はスリムじゃがの」

「それなら、寝る前にシャワーを浴びてきたら? 歯も磨かないと――」

「スケベ」

「何でそうなるの!」

「軽く寝るだけじゃ。仮眠、仮眠。ではな」

 ……そう言うが早いか、寝息を立て始めるリューネ。正直、僕も眠たかった。朝から晩まで馬車で揺られていたのだから。でも、だからと言って眠ってしまうのは、僕の気持ちが許さない。……真面目と言われたって、構うもんか。それに、どんな展示物があるのかも気になっていた。

 壁際にしつらえられた机に向かい、ぱらぱらとガイドブックをめくる。これだけ色々なものがあれば、リューネを封印する方法の一つや二つ、見つかりそうな気がする。色々なものが載っていた……魔力や電気に代わる新エネルギー、半永久機関、人型掃除機、超遠距離無線通信機、軽い力で巻けるゼンマイ、多目的クランク、浄水器、自動人形、虹色のバラ……等々などなど

 僕は欠伸をしながら、それにしても……と思う。リューネを封印する方法というのが、もっと具体的だったらなぁ。たとえば、何か宝石的なものだとか、封印するためには何かを集める必要があるとか、それなら動きやすいのに。

 ……そもそも、封印とは何なのだろうか? 答えを知っているはずのリューネが、それを具体的に説明してくれたことはない。だから何を探しているのかと問われても、答えに困ってしまう。本当は封印なんか必要なくて、ただの方便なのかもしれないと思うことさえある。何のために? それは分からない。封印、封印。

 僕は何でこんなあやふやな理由のために冒険しているのだろうか? でも、現実というものはこういうものなのかもしれない。何だかよく分からない、もやもやとしたものを、さも知った風に追い求める。それには、決まった形があるわけではなくて……。


「いつまで寝ておるんじゃ?」

 僕は揺り動かされて、はっと顔を上げた。むっとしたリューネの顔。窓から差す日差し。……どうやら、眠ってしまったらしい。

「おはよう、ふぁぁぁ……」

「顔を洗って、歯を磨いてこんか。シャワーも浴びんとな。世話が焼けるのぉ」

 昨晩の当てつけなのは分かるけれど……どうも寝起きは頭がしゃっきりしない。僕が身支度を整えた頃には、リューネもすっかり準備万端……僕が寝ている間に、目的地も決めてしまったようだ。

「では行くぞ」

「行くって、どこへ?」

「黙ってついてくればよい」

 ……はいはい。朝食も食べずに出て行こうとする僕達に、エマさんがハムサンドとミルクを手渡してくれた。それらにぱくつきながら、やすらぎ亭を後にする。


 早朝から、町中はお祭り騒ぎだった。町全体が博覧会の会場になっているので、この町にいる人は全て来場者となる。住人には割引や優先権があることから、わざわざ博覧会のためだけに引っ越してきた人も少なくないとか……確かに、それだけの価値はありそうな賑わいだった。

 ……それなのに、リューネはどんどんと町外れへと歩いていく。主要な展示物は町の中心部に集まっているため、町外れは人気が少ない。その分出展費用が安いので、規模の小さい研究機関や個人の展示物がのきを連ねていた。僕はいよいよ心配になってきたけれど、リューネの足取りは確かで、やがて、唐突に立ち止まる。

「ここじゃ」

 そこは良く言えば味のある民家で……正確に言えば、剥がれかけた外壁に、雨漏りしそうな屋根と、廃屋だと言われても違和感のない建物だった。少しだけ、リューネが封印されていた屋敷の雰囲気に似てなくもないけれど……あっちは時の流れにも負けないほど、しっかりとした造りだった。

 リューネは戸口に立ち、ドアをノックしようとしたが……ノッカーに手が届かない。背伸びをしても……届かない。

 リューネが振り返って僕を睨むので、代わりにノッカーを掴んで扉をノックをした。コンコン――でも、反応がない。

「……留守なのかな?」

 リューネが軽く扉を押すと、ぎぃと内側に開いた。

「開いておるの」

「ダメだよ、そんな勝手に――」

「儂の寝床に断りもなく押し入ったのは、誰だったかの?」

 ……そう言われると、ぐぅの音も出ない。リューネがさっさと家の中に入ってしまったので、僕も仕方なくその後に続き……目を見張った。

 ――そこは一目で分かるほど荒らされ、足の踏み場もなかった。本棚は横倒しになり、書類はバラバラに散らばっていて、胸がにごってしまいそうな臭いが漂ってくる。一体、何があっ



「あだっ!」

 頭に衝撃を受け、私は振り返った。冬馬が辞書のように分厚い本を持って立っている。そんなもので私の頭を……ぞっとすると同時に、痛みがぶり返してくる。

「な、何をするっ!」

「……お前こそ、何をやってるんだよ? まさかと思って来てみたら――」

「まさかもとさかもないわよ、締め切りが近いんだから! あ、それなら図書館でというお心遣いならお構いなく。私は屋上の方がね、こう、創作意欲が――」

「全校集会で校長が言ってただろ? 事件の話、聞いてなかったのか?」

 私は首を横に振った。何でも、近所で殺人事件が起きたらしい。そして、犯人はまだ捕まっていないという。だから、皆さん早く帰りましょう……云々うんぬん。うん、ちゃんと聞いてる。

「じゃあ、何でお前はまだ残ってるんだ?」

「強制ってわけじゃないんでしょ? そんな、律義に守っている人なんて……」

 冬馬の顔が険しくなるのを見て、私は驚いた。

「……まさか、みんな帰ってるの?」

「先生方が見回っているからな。こんなところにいるとは思っていないだろうけど」

 言われてみれば、校庭から運動部のかけ声も聞こえない。だけど……。

「何だか大げさだなぁ」

「犯人がうちの生徒でもか?」

 私はきょとんとした。……そんな話、初耳だ。

「そうなの?」

「お前なぁ、せっかく無線が使えるんだからさ、たまにはニュースも見ろよ」

 冬馬は私のノートパソコンを指さしながら、先を続けた。

「犯人は不明、っていうのが公式の発表だ。でもな、目撃者の証言とか、ネットではいろんな情報が出回ってる。それらを突き合わせると、うちの生徒だって話だ」

「それって、本当の話?」

「正直、分からん。でもな、真偽はともかくそういう話があるってこと自体、問題なんだよ。早速マスコミが取材に来てるらしいし、先生方も頭が痛いだろうな」

「ふ~ん」

 そう言ってノートパソコンに顔を向ける私に、再び本の洗礼。ゴチン!

「……ったぁ、もう、そんなにバカスカ叩かないでよ!」

「加減はしてるだろ、大げさな奴め。で、何でまた書き出そうとしているんだよ」

「だってさ、そんな『ふかくてーじょーほー』でやりたいことを邪魔されるなんて、何だかしゃくじゃない? それこそ、犯人の思う壺みたいで……」

「だからって突っ張ってたら、お前、いつか刺されるぞ?」

「大丈夫だって。いざって時はこれで……」

 私はノートパソコンを閉じると、両手で持って振り上げる。

「お前な、絶対そんな馬鹿げたことに俺のパソコンを使うんじゃないぞ? ……とにかく、さっさと帰ろうぜ。犯人がうちの生徒だろうがそうじゃなかろうが、事件は起きてるんだからさ」

「冬馬は心配性だなぁ」

「なら、勝手にしろ」

「ああ、ウソウソ、帰りますってば」

 私は立ち上がってスカートを軽くはたくと、ショルダーバッグにノートパソコンを突っ込み、肩に提げつつ冬馬の背中を追った。


 帰宅すると、お母さんが玄関まですっ飛んで来た。学校から生徒を早く帰したという連絡があったようで、それでも帰ってこない私を心配していたらしい。スマホの着信履歴はお母さんで埋め尽くされていたけれど……ちっとも気が付かなかった。

 冬馬と同じ様なことを言うお母さんを見て、心配性はここにもいたなぁと思っていると、弟の大地にまで「お姉ちゃん、大丈夫?」と心配されてしまった。……どうやら、晴嵐高校の生徒が犯人だということは、小学校にまで伝わっているらしい。

 

 その日の夜、夕飯の時にテレビから流れていたニュースでこの事件の特集が組まれ、近所の映像が映し出されているのを見て、私は大事なのだと実感した……実感はしたけれど、やはりそれは対岸の火事で、当事者という実感はなかった。

 それより、問題は小説だ。予定は大幅に遅れているし、ようやく乗ってきたところを、冬馬に水を差され……ああ、書きたいという気持ちと、書こうという覚悟、実際に書く体力という三者は中々一致しないもなのだなぁと、机に向かって考える。

 ……最近は、小説の息抜きに宿題をしている気がする。宿題は答えが決まっているし、分からなければ分からないでいい。でも、小説は書かなければいつまで経っても完成することがない。産みの苦しみとは言うけれど……弟が難産だったお母さんを思えば、そうも言っていられない。でも、苦しいのは苦しい。かといって、書きたいという気持ちを投げ出すことはできない。そこがまた、苦しい。

 ……ああ、ダメだ、ぐるぐるしてきた。こうなるともう駄目で、私はベッドの上に寝転がった。きっと、このまま眠っちゃうんだろうな……。


 ――何度も呼びかけられ、私は目を覚ました。血相を変えたお母さんを見て、やば、遅刻……と時計を見ると、まだ六時前だった。ほっと胸を撫で下ろす私。

「もう、お母さん、どうしたの?」

「……黒姫さんが、殺されたって」

 ――ああ、また事件が起きたのか。そして、殺されたのは黒姫……黒姫?

 私は飛び起きると、リビングに向かって駆け出した。



 ――イライラする。それは、最悪の事件だった。

 ネストでも殺人事件は起こる。それが現実をシミュレーションした結果なら悲しいやら情けないやらだが、それは実際に起きている。

 ネストにも警察があるので、ネストの事件はそちらに任せるのが筋だ。これ以上ない程の管轄外だし……ただ、これはネストで完結している事件の場合に限られる。そして、今回はそうではなかった。

 事件が発覚したきっかけは、些細なことだった……というより、私だ。空子ちゃんの近所で事件が起きたことを知った私は、空子ちゃんが心配になった。こんなことを言うと心配性だとか、たかがゲームでと笑われてしまうかもしれないけれど、それぐらいじゃないと警官は務まらないとも思う。……いや、本気マジで。

 どんな凶悪な事件が起きても、自分には関係ないという無関心。選挙も行かずに政治批判をする無責任。それらは良く言えば楽観であるし、そうでないと生きにくいこともある。いつ地震が、津波があるかと怯えていたら、平穏な日常を過ごすことはできない。ただ、そうした漠然ばくぜんとした不安、危険性に立ち向かう仕事の一つが警察だと、私は思っている。だから、私はこの事件を調べてみることにした。……私情が全くなかったかと言えば、嘘になるけれど。

 リアルの介入かいにゅう御法度ごはっとのネストだけれど、見ることに関しては自由だ。最低な話だが、殺人現場だって見ることはできる。だから私が犯人を調べて、ネストの警察に報告してしまえば事件解決……なのだけれど、それができないのが歯痒いところだ。

 私は日時と場所を指定し、殺人事件の一部始終を目撃した……のだが、その光景は奇妙の一言だった。


 ――犯行現場は公園のベンチ。犯人が被害者の親友だったということは、残念ながら奇妙でもなんでもない。ただ、犯行の直前までは楽しく談笑していたのに、急に犯人の少女がバッグから包丁を取り出したかと思うと、一瞬の躊躇ためらいもなく一突き。被害者の少女が動かなくなるまで何度も包丁を振るい、その場で着替えて返り血を浴びた服と包丁をバッグにしまうと、犯人は何事もなかったかのようにその場を立ち去った。その夜、犯人は被害者の葬儀に出席し、誰よりもその死をいたんでいた。薬物? 二重人格? ……いや、そんな生易しいものではなさそうである。


 この殺人事件は、一般ユーザーの間でも話題になっていた。それもそのはず、犯行の一部始終は、ユーザーなら誰でも見ることができるのだから。ネストの仕様を考えると、被害者と加害者のユーザーしか見られないはずなのだけれど……事件と認定されたことで、他のユーザーの知る権利とやらが優先されたらしい。

 そこでまことしやかにささやかれていたのは、クラッキングや乗っ取りという用語。つまり、ユーザーの不正介入があったのではないか……というのだ。

 そしてほどなく、第二の犯行が行われた。その犠牲者は、黒姫様こと黒埼怜奈だった。犯行は最初の事件と同じく奇妙なもので、犯人は父親だった。寝ている彼女を一突き……胸糞が悪いとは、このことである。私は同僚の室井君を引き連れ、ネストの運営会社に乗り込んだ。


 ネストの運営会社デミウルゴス・エンターテインメント社の担当者は、クラッキングの被害にっていることをあっさりと認めた。被害届を出そうかというタイミングで、都合良く私達がやってきたのだという。……実際に被害届が出されていたら、調査の指示が私に回ってくることはなかっただろう。きっと、美樹本主任は何食わぬ顔で室井君へ丸投げしたに違いない。多分、いや絶対。

 私達は早速事件について調べようとしたのだけれど、デミウルゴス・エンターテインメント……DE社は驚くほど非協力的だった。担当者に連れてこられたのは、いかにもアルバイトな青年、佐々木君である。

「無理っすね」

 犯人を特定する手段について訊ねると、佐々木君はこう答えた。

「足跡も何も残ってないんすから、無理に決まってますって。そもそも、ネストのセキュリティが破られるわけがないんすよ。それがやられたんですから、もうどうしようもないっすよ。お手上げっす」

 そんなことも分からないんすか? ……とでも言いたげである。

「あなた、責任は何も感じてないの?」

「責任たって、俺らだって被害者ですから。それに俺、ただのバイトだし……こんなことになるなんて、だからオールドは嫌だったんすよ」

 私は張り倒してやりたい気持ちをぐっと堪えた。これじゃらちが明かないと、私達はDE社を後にして、ファーストフード店で遅い昼食をとることにした。


「……ったく、なんなのよ、あの態度!」

「宮内さん、落ち着いてください」

「これが落ち着いてられるかってのよ!」

 私はずずずーっと、ストローを吸った。室井君が溜息をつく。悪いとは思うけれど、ついつい当たってしまう。当たりやすいというか、いじりやすいというか……だって何だか丸々として、ぷにぷにしているんだもの。

 室井君は仮捜に志願してやってきた変わり者で、ネストに精通している。先輩なのにネストをよく分かっていない私に、そのいろはを教えてくれたのも室井君だ。

「ネットでも炎上してるんでしょ? このまま、サービス終了だとか」

「それが、狙いなのかもしれません」

 私が顎をしゃくって促すと、室井君は「私見を交えますか……」と先を続ける。

「デミウルゴス・エンターテインメント社が、オールド・ネストのサービスを終了したがっているという話は、ネットじゃ有名な話なんです」

「オールドって?」

「ネストは二種類あるんです。最初にサービスを開始したのは、宮内さんもプレイしているオールド・ネストです。これは基本使用料が無料で、主に広告収入でその運営費をまかない、収益を上げています」

「そういや、課金した覚えはないわね」

「おかげで、ユーザー数は爆発的に増えました。それで欲が出たのかもしれません。DE社は新しいネストの運営を開始しました」

「オールド・ネストはそのままで?」

「本当は、オールド・ネストを改良する予定だったみたいですが……」

「が?」

「その辺は諸説しょせつあるんですが、単にできなかったというのが真相のようです」

「できなかったって、自分のとこのサービスなのに?」

「ネストは複雑ですから。その全てを理解できるのは、開発者ぐらいでしょう。それで、その開発者が退社したとか、クビになったとか、他社に引き抜かれたとか……その辺ははっきりしていないんですけど、とにかく、DE社にはオールド・ネストを改良できる人材はいなかった。でも、ネストの根幹を成すシステムはどうにかコピーできたみたいで、新たなネストを作ることができたんです」

「ふむふむ」

「それがニュー・ネストです。こちらは最初から課金ありき、基本使用料は無料ですが、オールドでは御法度だったユーザーの介入が有料で可能となっています。住民も新規作成することができますしね。介入にかかる料金はその度合いによって異なりますが、総じて安価なため、契約者数は順調に増えているようです」

「誰もかれもが介入できるんじゃ、色々とめちゃくちゃになってそうね」

「もちろん、介入はDE社が許容する範囲内に留められています。その分、ユーザーも好みに合わせて遊ぶ世界を選べるよう、そのバリエーションは豊富です」

「ニュー・ネストって、色々種類があるの?」

「はい。中世ヨーロッパ風の世界を舞台にしたファンタジーから近未来SF、江戸時代をモチーフにした世界まで……それらは全て、DE社が管理しています」

「へぇ、独占なんだ」

「そうです。バーチャル・ワールドの技術を持っているのがDE社だけで……他社も似たようなものを出してはいるんですが、とてもとても……ネストのレベルには到達していません」

「なるほどね。でもさ、それが何でオールド・ネストを潰すって話になるの?」

「それなんですが……実際、DE社は毎年最高益を更新するほど儲かっています。オールド・ネストも赤字というわけではないので、運営を続けても問題はないはずです。ただ、オールドのユーザー数はニューのそれを上回ります。もしオールドのユーザーがニューに移行したら、その利益は莫大なものに……」

「結局は金儲けか。でも、オールド・ネストがなくなったからといって、全員がニュー・ネストに移行するとは限らないんじゃない?」

「もちろんです。でも、課金による利益を考えれば、数パーセントのユーザーが移行するだけでも十分なんですよ。それに、現在ニュー・ネストのユーザー数増加に対して最大の障害になっているのが、他ならぬオールド・ネストなんです」

「自分に自分の尻尾を食べられているようなもんね」

 確かそんな蛇の化け物が……えーっと……ウボ……ウボロボロス? 

「DE社としては、機会をうかがっていたんだと思います。規約に従えば、サービス終了の三ヶ月前に告知さえしていれば、運営側はいつでもサービスを終了可能です。だからといって、何の理由もなくサービスを終了してしまっては、ユーザーからの信頼を失います。でも、オールドのセキュリティの脆弱性ぜいじゃくせいが見つかったとしたら……」

「格好の理由になるわけだ。でもそれじゃ、信頼を失っちゃうんじゃないの?」

「オールドは古いから、でもニューなら大丈夫……と言うでしょうね。そういうアピール自体は、以前から何度もやっていましたから」

「なるほどねぇ……」

 私は何度も頷いた。室井君の話は、的を射ている気がする。ただ、そこまで言ってしまっては、犯人も決まってしまったようなものだった。……とはいえ、憶測で判断するわけにもいかない。

「捜査、どうしましょうか?」と、室井君。

「そうねぇ……」

 正直、やる気はかなり減衰していた。もちろん黒姫様のかたきは討ちたいし、空子ちゃんに被害が及ぶようなことは絶対に避けたい。ただ、それはあくまでネスト基準の考え方だ。リアル基準で考えれば、運営会社の自作自演、といったところだろう。天才クラッカーが現れて……の割には、やっていることも限定的だ。

 さらに言えば、今回の事件によって、リアルには実害と呼べるようなことは何も起きていない。自分が追っていた住人が殺されてしまったユーザーの怒りと悲しみは察するに余りあるが、それも結局はデータが消えただけに過ぎないのだから。

 ――ん、ちょっと待てよ。データが、消える? 私はそれが妙に引っ掛かった。

「室井君、ちょっと待って」

「はい?」

「簡単なことを質問していい?」

「もちろん」

「仮にオールド・ネストのサービスが終了したら、そのデータはどうなるの?」

「データ、と言いますと?」

「だから、ネスト全体のデータよ。住人とか……」

「それはもう、削除されるでしょうね」

 ――私は息を呑んだ。そうだ、もちろんそうなるだろう。サービスが終わったら、その世界を存続させておく理由なんてないのだから。電気代とか、維持費だって馬鹿にならない。だけど……私は勢いよく立ち上がった。

「室井君、行くわよ」

「行くって、どこへですか?」

「DE社よ。もう一度掛け合って、犯人を捕まえる方法を聞き出さないと」

「み、宮内さん、ちょっと待ってくださいよ!」

 ……冗談じゃない、空子ちゃんを消されてたまるもんですか! 方法は必ずあるはずだ。私はゴミ箱の前で氷水やカップ、紙くずを処分すると、急いで店を出た。

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