第2話「これが、現実」

 ――強盗殺人事件だった。異臭は血の臭い。僕はそれがそうだとは分からなかったけれど、リューネはすぐに分かったみたいだった。

 めちゃくちゃになった部屋……横たわる人影に駆け寄ろうとする僕を、リューネが制止する。その上で、リューネは人影に近づき、おごそかに死を告げたのだった。

 大騒ぎになった。警察官が大勢やってきて、辺りは封鎖された。第一発見者の僕達は、警察のおじさんに呼ばれたのだけれど……怪しい奴を見なかったかと聞かれたぐらいで、すぐにお役御免となった。それでも、僕達は騒ぎを知って集まって来た野次馬達に紛れて、現場の近くてたたずんでいた。

 博覧会の展示物を狙っての犯行ではないか……そんな話が頭上を飛び交う中、リューネはカタログに目を落としている。

「ほれ、これじゃ」

 リューネが開いたページには、小さな文字で「安眠枕」とあった。

「えっと……安眠枕が、展示物だったの?」

「そうじゃ。ああ、楽しみにしておったのじゃがのぉ……」

 心底残念そうなリューネ。無数の展示物が記載されているカタログの中から、よくぞ見つけ出したものである。それにしても、安眠枕だなんて……そんな僕の思いを見透かしたかのように、リューネは言葉を続けた。

「枕そのものが目的だったわけではあるまい。研究に必要な資料や技術……そういったものが本命じゃろうて」

「でもさ、何も殺さなくたって――」

「口封じのためか、あるいは、安眠枕を巡る何らかの取引が決裂したのかもしれんな。それならばと実力行使……うん、よくある話じゃ」

「そんな……」

 僕のもやもやとした気持ちとは裏腹に、野次馬達の話も金が原因だろうなという方向で落ち着きつつあった。手がかりは何も見つかっていないというのに……。

「一体、犯人は何者なんだろう?」

 僕が素朴な疑問を口にすると、リューネは首を振った。

「分からん。じゃが、儂らには関係のないことじゃ」

「関係ないって、放っておくつもり?」

「儂らは偶然、事件に遭遇しただけじゃ。警察に通報した時点で、役目は果たしておる。犯人を見たわけでもなし、子供の話を大人が真剣に取り合うとも――」

「僕は子供かもしれないけれど、リューネは竜じゃないか!」

「何を苛立っておる? ……そうか、人の死を間近で見るのは初めてなのじゃな」

「そう言うリューネは、随分と慣れてるみたいだね」

「伊達に長くは生きておらんよ。何度経験しても、慣れるということはないがね」

「……ごめん」

 ――結局、僕達はやすらぎ亭に戻ることにした。大通りを抜けると、すぐ近くで強盗殺人事件が起こったとは思えないほど、多くの人で賑わっている。

 笑顔、笑顔、笑顔……その一つ一つが、僕の目には空虚なものとして映った。

 


 ――私はキーボードを叩く手を止めて、溜息をついた。バックスペースキーに指先を置いたまま、ふと考る。どうして、黒埼先輩は殺されてしまったのだろう?

 学校は大騒ぎになり、全校集会も開かれた。マスコミも殺到し、同じ文芸部だということで、私も根掘り葉掘り聞かれたけれど……答えられることは何もなかった。

 あれから一週間……犯人はまだ捕まっていない。そんな中、お通夜つやみたいな終業式も終わって、夏休みが始まった。

 ……お通夜と言えば、私は黒埼先輩のお通夜にもお葬式にも参加することができなかった。近親者のみで執り行われる密葬とあっては、私なんて出る幕ではなかったのだけれど、それ以前に、私は黒埼先輩の住所も、電話番号も、メールアドレスも知らかったことに気付いて、悲しくなった。変な話、先輩が殺されたと聞いた時よりもずっと悲しくて……きっと、実感の違いなんだろうなと思う。

 小説はまだ完成していない。少しずつ書き進めてはいるけれど……正直、モチベーションは低い。それでも書き続けているのは、今書くことを止めてしまったら、二度と小説を書くことはない気がするのと、読者……冬馬がいるからだと思う。

 ――いつからだろう、自分の小説を誰かに読んで欲しいと思ったのは。最初は書くことだけで精一杯だったし、それだけで良かった、楽しかった。それなのに。

 どうにも気分が乗らないので、私はノートパソコンを閉じると、ショルダーバッグにしまった。立ち上がり、ショルダーバッグを肩にかけると、やけに重く感じる。日陰から出ると、夏の日差しが容赦なく襲いかかってきた。蝉の声もミンミンジージーとうるさいのなんのって……夏休みだというのに、わざわざ学校まで来て執筆していると知ったら、冬馬はどう思うだろうか? それに、黒埼先輩も……。


 屋上から階段を下りて校舎に戻った私は、ふと思い立って文芸部の部室へと足を向けた。そこには私と黒埼先輩との思い出が……と言いたいところだけど、小説を見せて酷評されたということぐらいしか、思い出らしい思い出はない。……いや、今となっては、それすらも良い思い出だと言えるのかもしれない。

 部室の扉に手をかける。あっ、鍵がかけられているかも……と一瞬思ったけれど、予想に反して、扉はがらがらと音を立てて横に開いた。

 ――黒埼先輩がいた。なんで……そう思うよりも先に、私はぴしゃりと扉を閉める。顔中から汗が噴き出し、胸の鼓動が痛いぐらいに高鳴る。叫ぼうにも口は開かず、逃げようにも膝はがくがくと震え……ただじっと、嵐が過ぎ去るのを待っている間、私の頭から離れなかったのは、先輩の唇だった。真っ赤な口紅。

 私は何度も深呼吸を繰り返し、頭を軽く振ってから、もう一度、扉を開ける。

「先輩っ……」

 ――そこには誰の姿もなく、私は拍子抜けすると共に納得した。ただの幻……そりゃそうだろう。私は幽霊なんて、一度も見たことがないんだから。

 いざ幻だと思うと、惜しいことをしてしまったなと思う。あれほど鮮明な幻なら、世間話の一つや二つ、交わすことができたかもしれない。じゃあ、何て声をかければ良かったのかな? 口紅、素敵ですね……とか?

 そんなことを考えていると、何だかおかしくて、悲しくて……先輩がいなくなってしまったという事実を、これほど強く実感することはなかった。

 私は部室に誰もいないことを確かめてから、気兼ねなく涙を流した。



「な、なんてことするんですか!」

 技術者の橋本が血相を変えて飛んでくる。私はそんなことより、荒くなった呼吸を整えるので精一杯だった。よりによって、空子ちゃんに見つかるなんて……。

 私が電源ボタンに伸ばした指を引っ込めると、橋本がすかさず電源を入れ直し、椅子に座った私を押しのけるようにして、パソコンへ向かった。

「まったく、ログアウトする時は正規の手続きを――」

「仕方がないでしょ、緊急事態だったんだから!」

「ネスト住人に見つかることぐらい、想定の範囲内です! 見られたって幽霊話が広まるぐらいですから、問題はこっちですよ! 一台しかないっていうのに……」

 私は言い返そうとして、ぐっと口をつぐんだ。冷静に考えれば、そうだろう。あっちはあくまでデータの世界なのだから。でも、その考えは私を苛立たせた。

「だから嫌だったのよ、死んだ人のデータを使うなんて……」


 ――デミウルゴス・エンターテインメント社に舞い戻ると、私は受付に詰め寄った。バイト君では話にならない、もっと話の分かる相手を出せと、クレーマーさながらである。その甲斐かいあってか、今度は技術部門の責任者、橋本という男性が出てきた。にこやかで人当たりの良さそうな丸顔は、技術者というよりはセールスマンといった印象。やや気勢は削がれたものの、私は気を取り直して持論を展開……すると、橋本は「ありますよ」と答えた。拍子抜けするほど、あっさりと。

 私の持論は、開発者が不在だろうが何だろうが、オールド・ネストへの介入を試みなかったはずはない、というものである。一から新しいネストを作るより、既存のネストを改良した方がずっと簡単で、安上がりなはずだ。ただ、そうなっていないことから、その試みは失敗に終わったと考えられるが、試行錯誤の過程で数々の失敗作が生まれたに違いない。そして、その中にはかなり惜しいものもあったのではないか……そこんとこ、どうなの?

 これは機密なのですが……橋本はそんな前置きから話し始め、私と室井君を技術部があるビルの六階まで案内した。フロアには無数のパソコンと、その数と同じだけのオペレーターがずらっと並んでいる。ただ、橋本がそこで足を止めることはなく、フロアの奥へと進んでいく。やがて辿り着いたのは、旧式のパソコンが一台、ぽつんと置いてあるだけの小部屋だった。

 橋本によると、オールド・ネストへの介入は困難を極め、辿り着いた唯一の方法が「死体を動かすこと」だったという。

 死体はキャラクターではなくオブジェクト……物体として処理されることに着目。解析は一定の成果を上げたものの、とてもユーザーに提供できる代物ではなかった。……ネストがホラーゲームなら、話は違ったかもしれないけれど。

「これを使ってリアルタイムで犯行現場に居合わせることができれば、犯人のアクセスポイントを解析することも不可能ではありません」

 不可能ではありません、か。さすがに、バイト君とは言うことが違う。ただ、やけに話が出来過ぎているような気がしないでもない。まぁ、犯行現場に居合わせるなんて、雲を掴むような話ではあるのだけれど……。

 橋本から提供されたのは、分厚いマニュアルが一冊。室井君は「どうしましょう?」と聞いてきたが、私の答えは一つ。私は室井君の助けを借りつつ、複雑な操作方法を学んだ。室井君に捜査を任せることもできたけれど、たとえ美樹本主任に公私混同だと叱られようが、私はこの手で犯人を捕まえたかったのである。

 ……それでも、動かす相手が黒姫様だったことには驚いたし、抵抗もあった。ただ、必要な条件をクリアしている死体がそれだけだと言われては、仕方がない。

 一通りの操作方法を学んだ私は、ログイン……ネストの世界に入る直前、根本的な問題に気付いて橋本を問い質した。それは、死体が動き回っていたら、大騒ぎになってしまうのではないかということである。橋本は、実際に死体そのものを動かすのではなく、死体から情報をコピーした複製を操作するのだと答えた。……要はゾンビではなく幽霊のようなものなのだろうと、私は納得することに決めた。

 ログインして私がまずやったことは、お化粧だった。黒姫様の幽霊は血色が悪かったからである。大事の前の小事……気にするほどのことではないかもしれないけれど、幽霊とはいえ、これでは余りにも可哀想だと私は思ったのだった。

 ファンデーションにチーク、様々な化粧品のデータを掻き集めてはみたものの、普段から化粧なんてろくすっぽにしていない私は悪戦苦闘。そんな私を救ってくれたのは、なんと室井君だった。どうしてそんなに詳しいの……という言葉は、ぐっと飲み込む。ともかく、室井君のメーキャップ術は素晴らしく、遠目で見れば普通の女の子だと思えるほどに、黒姫様は蘇った。鏡の前で、軽くポーズ。

 黒姫様の化粧を終えた私は、次に瞬間移動を試してみることにした。キーボードで座標を入力し、エンターキーを押すだけで、ディズニーランドでも日銀の金庫の中でも自由自在に移動できるという。(もちろん、ネストでの話だ)

 私は黒姫様を晴嵐高校にある文芸部の部室へと移動させた。本当は屋上に行きたかったのだけれど、空子ちゃんと鉢合わせになったらまずい……という配慮もむなしく、黒姫様は空子ちゃんにその姿を見られてしまうのだった。

 

 橋本はパソコンに異常がないことを確認し、二度とやらないでくださいと繰り返しながら、部屋を後にした。私はべっと舌を出すと、椅子に座り直す。

 ――当てはなかった。それに、手掛かりは一つ……事件が特定の地域で起こっているということだけである。犯人はこの地域に特別な思い入れがあるのか、この地域にしか介入することができないのか……いずれにせよ、ここで次の事件が起こるのを待つより他になかった。それは被害者が出るのを待っていに等しく、犯人がこれ以上事件を起こさないようにと願った方が、人としては正しいことなのかもしれない。ただ、それだけでは何の解決にもならない。私は刑事だ。とにかく今は動くしかない。犬も歩けば棒に当たる……柏崎さんだって、そう言っていたし。

 私は呼吸を整え、エンターキーを押した。部屋にはもう誰もいない。ほっとすると同時に、少し寂しかった。せっかく会えたのに……私は首を振ると、キーボードで座標を打ち込み、最初の事件現場へと向かった。

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