02.

 授業がもうはじまってしまってるせいか、廊下に人影はなく静かなものだった。コツコツと2つの足音が響く。外で体育をしているクラスがあるのか微かに、生徒の騒ぐ声が聞こえてくる。


「失礼します。陽子せんせ、います?」


「あら、りゅうくん。また怪我でもした?」


 保健室の中へと入ると女性が薬棚を弄っていた。金髪のウェーブのかかった髪を高い位置で結い、優しげな目元は少しタレ目で厚めな唇の下には黒子が1つあった。なにより、彼女の胸は結衣も成美も羨ましいと思うほど大きい。

 昨年やってきた養護教諭の生天目なばため陽子ようこ先生。その美しい容姿を見に男子生徒は保健室をよく訪れ、優しくなんでも相談に乗ってくれるからか女生徒にもよく話しかけられていたのを見かけたことがある。最近ようやく落ち着いてきているらしいが……。


「今日は俺じゃないです。彼女の膝、見てもらえますか?」


「あらあら、大変! はやくイスに座って、治療するわ」


 ゆっくりと下に降ろされ、丸イスへと座る。陽子先生はテキパキと薬棚からピンセット、ガーゼ、消毒液が入っているであろう透明な瓶を取り出した。


「ほら、りゅうくんは来客名簿書いちゃってちょうだい…………あなたは?」


 テーブルの上にある名簿を指差し、りゅうやにそう指示を出す。りゅうやは「ほいほい」と軽い返事をしながらも、嫌な顔せずエンピツを持ち記入し始めた。

 一方、陽子先生に話しかけられた結衣はいきなりのことでびくりと肩を揺らす。


「あ、私は彼女の友達で、付き添いです」


「付き添ってくれたのね、ありがとう。あなたも授業あるでしょう? 教室に戻ってくれても大丈夫よ」


「え、あ、でも、彼女が心配ですし……いちゃだめでしょうか?」


 結衣はチラリとりゅうやに視線をおくる。どうやら、りゅうやが成美に何かするんじゃないかと心配しているらしい。陽子先生は、結衣とりゅうやを交互に見ると結衣にニコリと笑顔を向けた。


「私がいるから大丈夫よ。りゅうくんが何もしないよう見張っておくわ。それに、あなたには彼女が遅れることを伝えて欲しいのよ、お願いできる?」


「…………わかりました。お願いします」


 結衣は陽子先生に頭を下げると保健室から出ようとして、成美に視線をむけた。


「それじゃ先に、教室戻るね?」


「結衣、ありがとうね」


 成美が手を振ると結衣も手を振り返してくれる。見えなくなるその瞬間まで、結衣は不安げな表情で成美を見ていた。


「なぁ」


「は、はい!?」


 急に、りゅうやから話しかけられ、つい声が裏返ってしまった。膝に濡れたガーゼを当てようとした陽子先生の手も小さな悲鳴とともに離れる。


「りゅうくん、急に話しかけられたら危ないでしょう」


「すみません…………で、君の名前は?」


「あ、西條成美です」


「どんな字?」


「方角の西に…………私が書きましょうか?」


「…………書いてもらえるとありがたいかな」


 申し訳なさそうに成美に向かってエンピツと名簿を差し出す。成美は、それを受け取ると陽子先生の邪魔になりないよう名前を書く。

 他の項目も書いてしまおうかとエンピツをすべらせると、横から名簿を取られた。


「ありがとう、なるちゃん。あとは俺が書くからね?」


「…………はい」


 りゅうやに言われ、大人しくエンピツを渡すと彼は名簿にスラスラと書いていく。

 いつのまにか治療の方も終わっていて、大きなガーゼが両膝に固定されていた。


「成美ちゃん、このガーゼは明日にでも外して大丈夫よ」


「え、しばらくはしておいた方がいいんじゃないんですか?」


「大丈夫、先生特製の特別なお薬を使ったから明日にはアトにも残らずキレイに治ってるわ」


 陽子先生は、秘密だと言うように唇に人差し指をあててウィンクをした。彼女からの信じられない言葉に成美は、しばらく瞬きをしたあと「ありがとうございます」と笑ってみせた。


 彼女はきっと冗談を言ったのだ。でなければ、こういった小さな傷でもアトが残らず1日でなんて、治るわけがない。


 そのはずなのに、最近いないと思っていたアヤカシというものが本当に実在していたと知ってしまったせいか、彼女の言葉を冗談と思えない気持ちが成美のココロの端っこにある。


「あの、先生は…………」


 何者なんですか。


 そう聞こうとした言葉は、ドアを勢いよく開けて入ってきた来客によって遮られた。


「りゅうやさーん! 買ってきやした」


 入ってきたのは先程、ヤスと呼ばれていた人だった。両腕いっぱいに飲み物を抱えて、どうやってドアを開けたのだろうか。その答えは、不自然に曲がった足にあるのだろう。


「うるさいぞ、ヤス」


「足癖が悪いわよ、ヤスくん」


 2人から叱られ、ヤスは落ち込んだように顔を下に向けた。

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